令和元年12月4日(水)
落語 中村 仲三、古典人情噺
歌舞伎役者の中村仲三は、浪人の子に生まれ
幼い頃に舞踊家の養子となる。
後日役者に転じて、苦役の末に市川團十郎に
認められ、当時最も人気の在った「仮名手本
忠臣蔵」の舞台に立つこととなる。
意に反し「五段目、斧定九郎」の役を命ぜら
これで見事に評判を取る。(1766年)
1785年、中村仲三と改名し、一代で仲三
の名を大名跡とした、門外漢から大看板とな
った立志伝中の人物である。
落語では、圓生、志ん生、志ん朝、馬生、
正蔵、談志等の当代の名人達が演じた古典。
一時間以上かかる大ネタで「歌舞伎芝居の
台詞を上手くやる素養がないと芝居の臨場感
が出ないと言われる、難しい噺である。
最近では、花緑、志の輔等が演じ好評を得る。
今回この「中村仲三」を柳家緑君が演じたが、
彼は、暇さえあれば歌舞伎座へ出かける程の
努力家で、芝居用語、所作等も詳しく、、
彼の落語の「マクラ」で、歌舞伎を紹介して
いる。ユーモアがあり、興味深く拝聴した。
落語 中村仲三
歌舞伎役者「相中」(下役)の中村仲三は、
市川團十郎の舞台の場で、僅かばかりの自分
のセリフを忘れてしまう、、、、
恐れも知らぬ仲三、、ツツと舞台中央に居る
団十郎の前に行き、「セリフを忘れてしまい
ました」唖然としながらも大役者、その場を
演じ切り、、、後、これにいたく感じ言った
団十郎は「内にこないか、、内職をしている
様だが、それを止め、芝居一筋みっちりと
修行しなさい、、」 その後、団十郎の下
みっちり修行した仲三は、団十郎に認められ
「仮名手本忠臣蔵」の「五段目、斧定九郎」
の役を命ぜられた。
ところが、五段目は「四段目、判官切腹」と
「六段目、勘平道行」の間の「弁当幕」と
言われる(昼刻、客が弁当を使う箸休めの場)
客は舞台はそぞろ、弁当に夢中となる、、、
どんな役がと、期待していた仲三はがっかり
長屋に戻り、カミさんの前で散々愚痴を、、
カミさんは「お前さんなら出来る、、、、
これはきっと、お師匠様がお前様を試されて
いるのすヨ、、」
役の思案に暮れる仲三、偶々立ち寄った蕎麦
屋で、急な雨の中へ入って来た若い浪人者、、
細身で色白、五分の月代が雨に濡れ、、、
黒羽二重の紋付に大小の朱莢を腰に差し、、
濡れた袖と破れ傘を払い、雫が垂れて、、、
これを見ていた仲三は「これだ、」と、、、
当時の斧定九郎は、「顔は赤塗り、ボロボロ
のどてらに破れ傘、まるで山賊の様な形、、
これを仲三は、白塗りの顔に黒羽二重の紋付
腰に朱莢をさし、、、、と思い描く。
長屋に戻り仲三は「これにしくじったら江戸
を離れて2,3年修行をし直す」とカミさん
へ告げる。
初日の幕が開き、顔を白塗りにして黒門付き
に朱莢を腰に唐傘を挿し、颯爽と見栄を切る。
ところが、お客は弁当に夢中で、見向きも、
時に顔を上げ、仲三の見栄に、唖然、、、、
(実は余りの見事さに声も出ず、、、)
これに気つかぬ仲三、、、誉め言葉の一つも
期待していたのに、、、、しくじった、、、、
長屋に戻り旅支度をして女房と別れの酒を、
其処へ、師匠からの使いが「すぐ来るように」
との事付け、、、
道々、すれ違う人の合間に「どうだえ、今日の
定九郎、」「何が、、、」「大した役者が出た
もんだ、、あれを見なきゃ江戸っ子の恥だ、、」
これを聞いた仲三「俺の芸を見てくれる人が、」
てっきり叱られるものと師匠の前に行くと、、
団十郎は「定九郎は、あれでなくてはならない」、
お前は大した役者だ」と師匠の誉め言葉、、、、
その後、一層精進した中村仲三は名優の名を遺し
た。
歌舞伎の
仮名手本忠臣蔵、五段目斧定九郎」は、赤穂浪士
でありながら敵方の内通している人物といわれる。
この斧定九郎は、実録忠臣蔵では大野九郎兵衛で
仇討ちに参加しなかった悪人となっている。
五段目の場面は、山崎街道の深夜の闇からぬっと
現れた定九郎、残バラ髪に赤ら貌ぼろの衣装を纏
まるで山賊の様、通りかかったお軽の父与市兵衛
を切り殺し五十両を奪う、、、、
猪と間違えた猟師が鉄砲で定九郎を打つ、、、
闇で撃たれた定九郎が血まみれで、、、
中村仲三は、白塗りの顔、五分月代、黒羽二重の
紋付、朱莢に変え、更に真っ赤な血が滴る様に
事前に、白股引に水をかけて血が白地を流れる
様に工夫、、断末魔に、大見得を切った、、、。
これが大受けとなり、、以前は端役が行ったのを
仲三以降では、若手の花形役者が演じる様になっ
た様である。
中村獅童の定九郎
柳家緑君、見事な熱演で在った、、、。
時間の制限もあり、端折りながら、時にお客との
軽妙なやり取りを入れ、結構楽しませてくれた。
今日の1句
何もせで冬の一日を寄席の中 ヤギ爺
落語 中村 仲三、古典人情噺
歌舞伎役者の中村仲三は、浪人の子に生まれ
幼い頃に舞踊家の養子となる。
後日役者に転じて、苦役の末に市川團十郎に
認められ、当時最も人気の在った「仮名手本
忠臣蔵」の舞台に立つこととなる。
意に反し「五段目、斧定九郎」の役を命ぜら
これで見事に評判を取る。(1766年)
1785年、中村仲三と改名し、一代で仲三
の名を大名跡とした、門外漢から大看板とな
った立志伝中の人物である。
落語では、圓生、志ん生、志ん朝、馬生、
正蔵、談志等の当代の名人達が演じた古典。
一時間以上かかる大ネタで「歌舞伎芝居の
台詞を上手くやる素養がないと芝居の臨場感
が出ないと言われる、難しい噺である。
最近では、花緑、志の輔等が演じ好評を得る。
今回この「中村仲三」を柳家緑君が演じたが、
彼は、暇さえあれば歌舞伎座へ出かける程の
努力家で、芝居用語、所作等も詳しく、、
彼の落語の「マクラ」で、歌舞伎を紹介して
いる。ユーモアがあり、興味深く拝聴した。
落語 中村仲三
歌舞伎役者「相中」(下役)の中村仲三は、
市川團十郎の舞台の場で、僅かばかりの自分
のセリフを忘れてしまう、、、、
恐れも知らぬ仲三、、ツツと舞台中央に居る
団十郎の前に行き、「セリフを忘れてしまい
ました」唖然としながらも大役者、その場を
演じ切り、、、後、これにいたく感じ言った
団十郎は「内にこないか、、内職をしている
様だが、それを止め、芝居一筋みっちりと
修行しなさい、、」 その後、団十郎の下
みっちり修行した仲三は、団十郎に認められ
「仮名手本忠臣蔵」の「五段目、斧定九郎」
の役を命ぜられた。
ところが、五段目は「四段目、判官切腹」と
「六段目、勘平道行」の間の「弁当幕」と
言われる(昼刻、客が弁当を使う箸休めの場)
客は舞台はそぞろ、弁当に夢中となる、、、
どんな役がと、期待していた仲三はがっかり
長屋に戻り、カミさんの前で散々愚痴を、、
カミさんは「お前さんなら出来る、、、、
これはきっと、お師匠様がお前様を試されて
いるのすヨ、、」
役の思案に暮れる仲三、偶々立ち寄った蕎麦
屋で、急な雨の中へ入って来た若い浪人者、、
細身で色白、五分の月代が雨に濡れ、、、
黒羽二重の紋付に大小の朱莢を腰に差し、、
濡れた袖と破れ傘を払い、雫が垂れて、、、
これを見ていた仲三は「これだ、」と、、、
当時の斧定九郎は、「顔は赤塗り、ボロボロ
のどてらに破れ傘、まるで山賊の様な形、、
これを仲三は、白塗りの顔に黒羽二重の紋付
腰に朱莢をさし、、、、と思い描く。
長屋に戻り仲三は「これにしくじったら江戸
を離れて2,3年修行をし直す」とカミさん
へ告げる。
初日の幕が開き、顔を白塗りにして黒門付き
に朱莢を腰に唐傘を挿し、颯爽と見栄を切る。
ところが、お客は弁当に夢中で、見向きも、
時に顔を上げ、仲三の見栄に、唖然、、、、
(実は余りの見事さに声も出ず、、、)
これに気つかぬ仲三、、、誉め言葉の一つも
期待していたのに、、、、しくじった、、、、
長屋に戻り旅支度をして女房と別れの酒を、
其処へ、師匠からの使いが「すぐ来るように」
との事付け、、、
道々、すれ違う人の合間に「どうだえ、今日の
定九郎、」「何が、、、」「大した役者が出た
もんだ、、あれを見なきゃ江戸っ子の恥だ、、」
これを聞いた仲三「俺の芸を見てくれる人が、」
てっきり叱られるものと師匠の前に行くと、、
団十郎は「定九郎は、あれでなくてはならない」、
お前は大した役者だ」と師匠の誉め言葉、、、、
その後、一層精進した中村仲三は名優の名を遺し
た。
歌舞伎の
仮名手本忠臣蔵、五段目斧定九郎」は、赤穂浪士
でありながら敵方の内通している人物といわれる。
この斧定九郎は、実録忠臣蔵では大野九郎兵衛で
仇討ちに参加しなかった悪人となっている。
五段目の場面は、山崎街道の深夜の闇からぬっと
現れた定九郎、残バラ髪に赤ら貌ぼろの衣装を纏
まるで山賊の様、通りかかったお軽の父与市兵衛
を切り殺し五十両を奪う、、、、
猪と間違えた猟師が鉄砲で定九郎を打つ、、、
闇で撃たれた定九郎が血まみれで、、、
中村仲三は、白塗りの顔、五分月代、黒羽二重の
紋付、朱莢に変え、更に真っ赤な血が滴る様に
事前に、白股引に水をかけて血が白地を流れる
様に工夫、、断末魔に、大見得を切った、、、。
これが大受けとなり、、以前は端役が行ったのを
仲三以降では、若手の花形役者が演じる様になっ
た様である。
中村獅童の定九郎
柳家緑君、見事な熱演で在った、、、。
時間の制限もあり、端折りながら、時にお客との
軽妙なやり取りを入れ、結構楽しませてくれた。
今日の1句
何もせで冬の一日を寄席の中 ヤギ爺