令和元年12月13日(金)
枯尾花 : 枯 芒
穂も葉も枯れ尽したススキのこと。
風に吹かれる様は寂し気であるが、其処に
また風情がある。
古来人生の儚さの象徴の様に扱われて、、、
「枕草子」には、
「冬の末まで、頭の白くおほどれたるもしらず
昔思ひて顔に風になびきてかぎろひ立てる。
人にこそいみじう似たれ」と、書いている。
つまり、老人の髪が乱れ、風になびきゆらゆら
している姿になぞらえたものである。
西行法師は陸奥で、実方中将の塚を見て哀れを
覚え、「くちもせぬその名ばかりをとどめ置き
て枯野の薄かたみとぞみる」と詠んだ。
芭蕉は「おくのほそ道」の旅の後に、
ともかくもならでや雪の枯尾花 松尾 芭蕉
と句を詠んでいる。運命に任せた自分の境遇が
しみじみ感じられる。
古典では他にも、
我も死して碑に辺せむ枯尾花 与謝 蕪村
と、尾花つまり花穂の枯れようの哀れを中心に
詠んでいる。
現代になると、
美しく芒の枯るる仔細かな 富安 風声
宝冠のごとくに枯るる芒かな 阿波野 青畝
のように、華やかな枯芒も詠まれる様になった。
(新日本大歳時記 深見けんじ 記述より)
詩人、野口雨情の初期の作品「船頭小唄」には、
「枯すすき」を人生の儚さの象徴として描かれ
ている。
船頭小唄
作詞 : 野口雨情、 作曲 : 中山晋平
己は河原の 枯すすき
同じお前も 枯すすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯芒
此の詩は、雨情が詩人として未だ芽の出ない
失意の時に、自らの人生をかって訪れた潮来
の風物に託して詩を綴った。
それに中山晋平が曲を付け、大正10年
(1921年)に発表した。
丁度、第一次世界大戦後の不況の頃、演歌師
達がこぞって歌い、荒廃した人々の心に沁み
渡り、大ヒットした。
大正12年(1923年)、これを主題歌
とした映画が作られ、満員御礼となった。
(童謡の風景:合田 道人 著 より)
今日の1句
枯尾花終活始む我もまた ヤギ爺
枯尾花 : 枯 芒
穂も葉も枯れ尽したススキのこと。
風に吹かれる様は寂し気であるが、其処に
また風情がある。
古来人生の儚さの象徴の様に扱われて、、、
「枕草子」には、
「冬の末まで、頭の白くおほどれたるもしらず
昔思ひて顔に風になびきてかぎろひ立てる。
人にこそいみじう似たれ」と、書いている。
つまり、老人の髪が乱れ、風になびきゆらゆら
している姿になぞらえたものである。
西行法師は陸奥で、実方中将の塚を見て哀れを
覚え、「くちもせぬその名ばかりをとどめ置き
て枯野の薄かたみとぞみる」と詠んだ。
芭蕉は「おくのほそ道」の旅の後に、
ともかくもならでや雪の枯尾花 松尾 芭蕉
と句を詠んでいる。運命に任せた自分の境遇が
しみじみ感じられる。
古典では他にも、
我も死して碑に辺せむ枯尾花 与謝 蕪村
と、尾花つまり花穂の枯れようの哀れを中心に
詠んでいる。
現代になると、
美しく芒の枯るる仔細かな 富安 風声
宝冠のごとくに枯るる芒かな 阿波野 青畝
のように、華やかな枯芒も詠まれる様になった。
(新日本大歳時記 深見けんじ 記述より)
詩人、野口雨情の初期の作品「船頭小唄」には、
「枯すすき」を人生の儚さの象徴として描かれ
ている。
船頭小唄
作詞 : 野口雨情、 作曲 : 中山晋平
己は河原の 枯すすき
同じお前も 枯すすき
どうせ二人は この世では
花の咲かない 枯芒
此の詩は、雨情が詩人として未だ芽の出ない
失意の時に、自らの人生をかって訪れた潮来
の風物に託して詩を綴った。
それに中山晋平が曲を付け、大正10年
(1921年)に発表した。
丁度、第一次世界大戦後の不況の頃、演歌師
達がこぞって歌い、荒廃した人々の心に沁み
渡り、大ヒットした。
大正12年(1923年)、これを主題歌
とした映画が作られ、満員御礼となった。
(童謡の風景:合田 道人 著 より)
今日の1句
枯尾花終活始む我もまた ヤギ爺