遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

港町 落語会2

2019-12-10 15:19:50 | 日記
令和元年12月10日(火)

落語 ねずみ(左甚五郎)古典人情噺


奥州(仙台)の宿場町
旅人が子供の客引きに誘われて、小さな「鼠や」
という宿に泊まる事になった。
腰を痛めた主と、九歳の男の子の二人だけで
やっている居る貧しい宿。
男の子は「布団を借りてくるから」と宿賃を
先に請う。宿への道順を教えられ、、、、、
右手には大層立派な「虎屋」と言う宿、、
その前には、みすぼらしいあばら家、、確かに
「ねずみ屋」とある。
宿には腰の悪い主が出迎える。
旅人は「よく働く賢いお子だ、」と褒め、、、
「女中の一人も置けば、、、」と主に勧め、、
それとなく話をする頃、子供が帰って来た。
「おじさん、今晩ご飯を食べる、、?」
「勿論、頂くヨ、」「今から支度は大変だから
お寿司でも取ろうか、5人前程?」「そんなに
は食べられないヨ」「だってオイラもお腹空い
た、チャンもお寿司大好きだよ、」驚いた客は
「判った判った、ではこれでな、酒と残りは
お寿司を好きなだけ買ってきなさい、、、」
「オイラ酒は飲めないヨ」 「酒は私だヨ」

子供が出かけた所で、主は宿の来歴を話始めた。
「以前、私は虎屋の主として宿を営んでいた
が、5年前に、妻に先立たれ、迎えた後添い
は、腰を悪くした宇兵衛(主)とその子供に
辛く当る様になり、番頭とつるんで「虎屋」
を乗っ取られてしまいました。追い出された
私は、その向かいの物置小屋を仕立て直し、
小さな宿を拵えました。宿の名はその物置に
棲んでいた鼠にちなみ、ねずみ屋とした。」
と涙ながらに話をした。


この話を聞いた旅人は、自らの名を左甚五郎
と名乗り、、主に木片を探させて、、、、
木片から「ねずみ」を彫り、、「盥に水を」
と、木彫りの鼠を浮かべた。
これを旅立つ朝、宿に置いて行った、、、。


彼の彫った精巧な鼠は、まるで生きている
様に水の中を、泳ぐように動きまわる。
これが忽ち評判となり、宿は繁盛し、、、、
大きな宿屋となった。
一方の「虎屋」は、前の主人を追い出した
悪行が吹聴されて、客足が途絶えて行った。
虎屋の主人(元番頭)は、「ねずみ屋」に
対抗して仙台の匠、飯田丹下に虎を彫らせ
る。飯田丹下は金だけ取り、弟子に虎を
彫らせた。
店先にその大きな虎が、ねずみ屋を見下ろ
し、途端に木彫りの鼠が動かなくなった。

暫く後に、その噂を聞きつけた左甚五郎が
「ねずみ屋」を訪れ、自分の彫った鼠が
動かなくなったのを目にする。
甚五郎には、それは出来損ないの虎に見え
「なぜあんな出来損ないの虎に怯えたか?」
と甚五郎は鼠に聞いた。
鼠は「え、あれは虎だったの、猫に見えた」

古典の人情噺、、柳家緑君、実に旨い、、
ジックリ語り、時に笑いを取りながら、、


この後、前座の恋志亭うららさん(南山大学
落語研究会)を交えての懇親会。
南山落研の女性{湯屋番」をテレもせず見事
に演じた。「もっと勉強したい」「それなら
卒業せず留年を続ければ、、、」 「ン、、」
柳家緑君「名古屋は地元、同窓会の様で、
楽しい、」「緑君、ご結婚お目でとう、、
出来ちゃった婚?」「そうでーーーす?」
色々な質問にも全て即答、、ユーモアを混じえ、
本当に話題、常識、なんでもござれ、、、
それに何よりなのが勉強家、所帯を持っても
「歌舞伎見物は続けまーーす」との事。
応援、シテマース。   (名古屋より)


今日の1句(俳人の名句)

寄り添へば小春日和の匂ひして    室生 犀星