遊民ヤギ爺

俳句と映画のゆうゆう散歩

クリスマス・イヴ

2019-12-24 16:05:22 | 日記
令和元年12月24日(火)

クリスマス・イヴ

クリスマス・イヴの朝、
街はいたって静か、、、
何となく、行き来する車も少なく、、、
下の駐車場も全部埋まって居り、未だ
年末年始の連休には早過ぎる、、?

10時ころになると、普段通りの騒音
が戻って、、街に活気が戻る。
私は、遅れている年賀状にハッパを
かける。
カミさんが出がけに、「ケーキ買って
来る?」 、、、そうか、イヴ何だ。
「モンブランでいい」 「他に無いの」

ラジオから次々にクリスマス・ソング
が流れ、、ジングルベル、諸人こぞりて
赤鼻の、、、、、

ハガキ印刷を終え、一枚づつ添え書きを
添え書きの文字の、何と拙いことか、、、


午後、カミさん手作りのリースを眺め
つつ、モンブランと珈琲を、、、



カミさんのケーキ

そう言えば、最近「クリスマスケーキ」
の売れ行きが悪いそうである。若い人
達は大きなデコレーションより可愛い
小さなケーキ(インスタ映えする物)を
家族の間でも、子等が大きくなると
一人づつのケーキが良い様である。


小さな子を持つ父親が、せがまれて大き
なケーキを買って帰る、、、、
上のデコレーション部分だけを食べ、、
下のスポンジ部分を食い散らかして残し、
翌日の朝、ゴミとして、、社会問題化
した事も在った、、。
これらの反省なのか、とにかくクリスマ
ス・ケーキの売上は半減の様なのだ。
娘達の家でも子等が大きくなりケーキは
一人づつ、好みの小さな物が良い様だ。


今日の1句

クリスマス賀状書き終えモンブラン   ヤギ爺

クリスマス・ツリー

2019-12-23 15:58:20 | 日記
令和元年12月23日(月)

クリスマス・ツリー

昨夜の雨も上がり、冬空の下、、、
久しぶりに名古屋港へ出かける。
師走でさぞかし忙しく、賑わってと
思いきや、街はいたって静かである。
偶に出会うのは、私同様に暇持て余す
ご老体(失礼、ご高齢の方)ばかり。
お互い黙ってすれ違う、、、、。
ご婦人の方は、必ず会釈をされる。
名古屋港水族館へ向かう方は少なく、
時折、幼い子(孫)を連れたご老人が、

所々に、クリスマスデコレーションが
在るが、
海運会社屋上のサンタクロースも何故
か寂し気に街を見下ろしている。
クリスマス・ツリー彼方此方に見られ
名古屋港の無料休憩所を覗いて見ると
相変わらず5、6人の老爺が室内で
日向ぼっこをしていた。ここはガラス
張りで、日当たりの良い場所は温室の
様に暖かく、じっと屯している様だ。

コーナーにクリスマス・ツリーが在る
が誰も見向きもしない、、、。


ポートビルの入口にもツリーが出迎え
てくれる。ここには時折、展望台を
訪れる方が行き来する。


水族館手前の広場には、大きなツリー
があり、家族連れがこの前で記念撮影
をして、水族館へと向かう、、、。


東側のフードコート室内の中央にも
ツリーがある。 平日の昼前で人は
疎ら、広い室内に10人程が寛いで
居た。

先日の夜(21日)カミさんと外食、
街の彼方此方にクリスマス・イルミネ
ーションが輝いていた、、、。

ビル屋上のサンタなぜか笑顔、?
やはり、電飾は、夜に限る様だ。
街が色とりどりに光り輝いている。


食事を済ませ、店を出ると、突然の
大音響、、、、

「名古屋港冬花火」(冬季は有料)
が始まった。 毎年12月24日の
クリスマス・イヴに行われていたが、
今年から、日が変わった様である。
花火は冬空の方が綺麗だが、寒さは
老骨には堪える。

ここ数年は、孫達も大きくなり、
クリスマスより、部活や塾が忙しく
余り寄り付かなくなった。
明日も、老い二人「静かな聖夜」を
迎える、、、、。


今日の1句

電飾の港をちこち寒き夜    ヤギ爺




冬 至

2019-12-22 15:41:27 | 日記
令和元年12月22日(日)

冬 至 : 一陽来福


二十四節気の一つ、太陽の高度が最も
低く、昼の時間が短い。

冬至のことを「一陽来福」という。
中国の「易経」に出てくる。
中国の昔の暦では十月は全て陰の気で
覆われ、十一月になると陽の気が復活
し、冬至を境にまた日が長くなってい
く。衰えていた太陽の力が再び勢いを
増すという。

亦、悪い事が続いた後、幸運に向かう
という云われがあり、早稲田に在る
「穴八幡神社」では、「一陽来福」の
お守りが配られるとの事。

伊勢神宮では「冬至祭」が行われ、
冬至の前後2ヵ月間は神宮の宇治橋
と鳥居の真ん中から朝日が昇る、神々
しい光景が見られるとのこと。
毎年「冬至の日」には宇治橋の前で、
「冬至ぜんざい」が振る舞われる。

冬至の日にはカボチャや小豆粥を食べ
ると、魔除け、風を引かぬと言われる。


亦、カボチャ(南瓜)を加えて、「ン」
の付く食べ物を食べる風習がある。



他に、みかん、にんじん、れんこん、
きんかん、ぎんなん、かんてん、、
これを「冬至の七草」という。
冬至 ➡ 湯治 から身体を治す。
柚子湯は、血行障害、腰痛、冷え性に
良いとされる。

柚子湯

今日、カミさんが特大の柚子を買って
来た。 直径20Cm程もある。
まるで子供の頭の様な巨大な代物、、
今夜は柚子湯でゆっくり温まろ、、、

柚子と卵(手前の白)


今日の1句

特大のぽちゃんと一つ柚子湯哉   ヤギ爺

おしくらまんじゅう

2019-12-21 16:06:30 | 日記
令和元年12月21日(土)

押し競まんじゅう

昔の遊びには、歌を歌いながら大勢で
遊ぶものが多く在った。
「花いちもんめ」「だるまさんが転んだ」
等々、、日常の話し言葉に節(メロデー)
を付けて、歌いながら皆で遊ぶ、、、

「おしくらまんじゅう」もその一つ、
多人数の子が集まって、互いに押し合って
誰かを押し出す。
寒い時期に行い、押し合ううちに身体が
ポカポカ温まってくる、、、。

遊び方

多人数(4人以上)が、お互いに背中を
向き、両側に立つ参加者の腕に自分の腕
をからめる。
「おしくらまんじゅう、押されて泣くな」
の掛け声と伴に勢いを付け、自分の体を
円陣の中心に向けて押し込んだり、外側
へ向け引っ張ったりして遊ぶ。

参加人数に合わせて外側に円を描き、押し
合ううちに、その円から出たら負けで、
最後に残った子が勝ちとなる。
他に、両側の子が腕を組み、転んだ時に
怪我をし易いので、自分の腕を胸の前で
組み、相手に手が触れない様にする方法
もある。

おしくらまんじゅうの詩、

おしくらまんじゅう 押されて泣くな
あんまり押すと 餡子がでるぞ
餡子がでたら つまんでなめろ

(作者 不詳)

俳人 夏井いつきさんの著書
「絶滅寸前季語辞典」に「押しくら饅頭」
の記述が在ったが、「押しくら饅頭」を
している子供を見かけなくなった」と
照会されていたが、、、、
確かに、「押しくら饅頭」自体を知らない
子が殆どの様で、学校等でも教える事は
無く、、、、、冬場に公園等で遊ぶ子供を
余り見かけない。
偶に見るのは、サッカーやキャッチボール
縄跳び位か、、 普段、何をしている ?
放課後も塾や習い事、部屋に籠りゲーム?

やはり、「押し競まんじゅう」は絶滅季語
なのでしょう、、、、

そういえば昔、東京に居た頃、、、

「山手線」で、満員電車は毎朝の光景でし
た。「押しや」と言うアルバイト迄いた
様でしたが、今もそうなのでしょうか、
これも、 「おしくらまんじゅう」?


海外でのニュースに満員どころか、車体
に溢れんばかりの人、人、(恐怖の列車)



今日の1句

押し出され押し競饅頭夢の中    ヤギ爺


おでん

2019-12-20 15:44:28 | 日記
令和元年12月20日(金)

おでん : 関東煮

豆腐を串に挿して味噌を付けて炙った
味噌田楽の「田」(でん)に「お」を
付けたもので、後にその変形である

煮込み田楽を「おでん」と言う様にな
った。元は江戸で作られた様だが関西
では「関東煮」「関東炊き」と称する。


芋、豆腐、蒟蒻、竹輪、はんぺん等の
種を煮込んだもの。

おでん(関東煮)


味噌おでん(名古屋)

(昨年12月25日のブログ参照)
かっては、田楽には菜飯、おでんには
茶飯が付き物とされたようである。


幼い頃、未だ内湯(家に風呂が無い)
の無い頃に親に連れられ銭湯へ通って
いた。風呂上がりに寒空の下の帰り道
交差点近くの銀行前に屋台のおでん屋
が出て居り、味噌おでんを一本ずつ、
食べながら夜道を帰る道、、、、
アツアツの味噌の味が、今も忘れられ
ない、、、懐かしい思い出である。
(名古屋では、おでんと言えば味噌)


愛知県豊橋市内を走る市電が、

冬季限定で「おでんしゃ」を走らせ
今年で13年目(2019年より)
超人気の電車で、、10月初めに
予約が開始されると、直ぐに満席、
11月~2月の営業期間中空きは
0との事である。

豊橋名産の「ヤマサちくわ株式会社」
が特性おでんやおつまみ、ピザ等に
ビール、お酒等を用意、、、
凡そ1時間20分程の道のりで、
終点の公園でトイレ休憩をして
折り返し、豊橋駅前へ、、、、
飲み放題、カラオケつきとか、、
一度は乗ってみたい気がする、、


今日の1句

おでん屋の主のやうな馴染客    ヤギ爺