おはよう、
今日(180408)は、都内に用事があり、帰りに「日本橋箱崎周辺をぶらり散策」して来ました。此のエリアは、「箱崎TCAT」、「日本IBM本社ビル」、「日本銀行創業の地」、等々名所旧跡の多い場所である。
その中で、目に付く賑やかな幟旗を発見、立ち寄ってきたその神社は、「高尾稲荷神社」でパワースポットにもなっている。又、昼時であり、立ち寄った「喜多方ラーメン店(たかしょう)」は、おかみさんが話していたが、元祖喜多方ラーメンであるとのこと(とても美味しラーメンであった)、及び「名物 博多もつ鍋」で超有名店で、多くの有名芸能関係者が訪れ、壁に一緒の写真も貼られていた。機会があればまた訪れたいお店である。
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社格
社名 高尾稲荷神社 (たかおいなりじんじゃ)
正式名称 高尾稲荷神社
ご祭神 高尾大明神
コメント;
*********************************************************参拝日2018/04/08
「高尾稲荷神社」は、
日本橋箱崎町にある稲荷神社です。高尾稲荷神社は、江戸時代の「遊女高尾太夫(太夫:たいふとは敬称を表し、ここでは分かり易くするため、以下、高尾嬢とする。)」が仙台藩主伊達綱宗候に切り殺され、遺体が引き揚げられた当地に、彼女の神霊高尾大明神を祀ったのを起源とすると云われる。本殿の中には実物の頭蓋骨が安置されているそうです。(出典元:ネット情報)
ご朱印 (今回ご朱印は未拝受です)
「高尾稲荷社の由来」の板標
非常に小さな神社(お社、お祠)です。外観(鳥居と社殿)
鳥居
拝殿
以上
コメント;
境内掲示による「高尾稲荷神社の由緒」:
万冶2年(1659)12月江戸の花街新吉原京町1丁目、三浦屋四郎左衛門抱えの遊女で「二代目高尾太夫」、傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にして艶名一世に鳴りひびき、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ、比類のない全盛をほこったといわれる。
生国は野州塩原塩釜村百姓長助の娘で当時19歳であった。
その高尾が仙台藩主伊達綱宗候に寵愛され大金とつんで見請けされたが、彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて候に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の三又(現在の中洲)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられた。
その遺体が数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当所そこに庵を構え居合わせた僧が引き揚げてそこに手厚く葬ったといわれる。
高尾の可憐な末路に広く人々の同情が集まり、そこに社を建て彼女の神霊高尾大明神を祀り、高尾稲荷社としたのが当社の起縁である。
現在この社には、稲荷社としては全国でも非常に珍しく、実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神として社の中に安置してあります。
江戸時代より引続き昭和初期まで参拝のためおとずれる人多く、縁日には露店なども出て栄えていた。
(箱崎北新堀町々会掲示より)
今日(180408)は、都内に用事があり、帰りに「日本橋箱崎周辺をぶらり散策」して来ました。此のエリアは、「箱崎TCAT」、「日本IBM本社ビル」、「日本銀行創業の地」、等々名所旧跡の多い場所である。
その中で、目に付く賑やかな幟旗を発見、立ち寄ってきたその神社は、「高尾稲荷神社」でパワースポットにもなっている。又、昼時であり、立ち寄った「喜多方ラーメン店(たかしょう)」は、おかみさんが話していたが、元祖喜多方ラーメンであるとのこと(とても美味しラーメンであった)、及び「名物 博多もつ鍋」で超有名店で、多くの有名芸能関係者が訪れ、壁に一緒の写真も貼られていた。機会があればまた訪れたいお店である。
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社格
社名 高尾稲荷神社 (たかおいなりじんじゃ)
正式名称 高尾稲荷神社
ご祭神 高尾大明神
コメント;
*********************************************************参拝日2018/04/08
「高尾稲荷神社」は、
日本橋箱崎町にある稲荷神社です。高尾稲荷神社は、江戸時代の「遊女高尾太夫(太夫:たいふとは敬称を表し、ここでは分かり易くするため、以下、高尾嬢とする。)」が仙台藩主伊達綱宗候に切り殺され、遺体が引き揚げられた当地に、彼女の神霊高尾大明神を祀ったのを起源とすると云われる。本殿の中には実物の頭蓋骨が安置されているそうです。(出典元:ネット情報)
ご朱印 (今回ご朱印は未拝受です)
「高尾稲荷社の由来」の板標
非常に小さな神社(お社、お祠)です。外観(鳥居と社殿)
鳥居
拝殿
以上
コメント;
境内掲示による「高尾稲荷神社の由緒」:
万冶2年(1659)12月江戸の花街新吉原京町1丁目、三浦屋四郎左衛門抱えの遊女で「二代目高尾太夫」、傾城という娼妓の最高位にあり、容姿端麗にして艶名一世に鳴りひびき、和歌俳諧に長じ、書は抜群、諸芸に通じ、比類のない全盛をほこったといわれる。
生国は野州塩原塩釜村百姓長助の娘で当時19歳であった。
その高尾が仙台藩主伊達綱宗候に寵愛され大金とつんで見請けされたが、彼女にはすでに意中の人あり、操を立てて候に従わなかったため、ついに怒りを買って隅田川の三又(現在の中洲)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てられた。
その遺体が数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当所そこに庵を構え居合わせた僧が引き揚げてそこに手厚く葬ったといわれる。
高尾の可憐な末路に広く人々の同情が集まり、そこに社を建て彼女の神霊高尾大明神を祀り、高尾稲荷社としたのが当社の起縁である。
現在この社には、稲荷社としては全国でも非常に珍しく、実体の神霊(実物の頭蓋骨)を祭神として社の中に安置してあります。
江戸時代より引続き昭和初期まで参拝のためおとずれる人多く、縁日には露店なども出て栄えていた。
(箱崎北新堀町々会掲示より)
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