ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

好きな声。ギフト。

2005-11-26 18:44:34 | 日記
 結局8時~15時という睡眠をやってしまった。眠った時間だけ見れば案外普通なんだけど、失ったものは大きい。お日様とか。精神的余裕とか。人間の尊厳とか。

 24時間以上外に出てないので、とにかく歩行がしたい、外気に触れたいということで、ゲオまでCDを借りにテクテクする。川沿いの木たちがいい感じに葉っぱちょりちょり橙色。今年は葉っぱの色づきが極端に遅いなぁ。学校のイチョウもまだ余裕で緑の人多数だった(毎年真っ先に色づく日当たりガンガンな一本だけが黄色だった)。
 でも、今年が暖冬っていうのはウソだったのかな? 12月の予想は平年並みか低いらしい。

 ゲオでのチョイスは、ついに手を出してしまったスガシカオ。
 Y女史がたまに歌うので、彼がいい歌うたうことは知っていた。いい歌、っていうか、いたい歌……。どれだけえぐれば気が済むのだ、という程度にはぐりぐり心をえぐってくれる、えぐい歌たち。このえぐさはすごい。ということでとても興味があったんだけど、いかんせんえぐそうなのでちょっと躊躇してた。でも、アニメハチクロの挿入歌で何曲かいい歌もあったので、えいやと聴いてみることにした。
 アルバムの歌詞カードをざっと見ていくだけでも、痛い。痛すぎる。なんだこりゃ。これを痛いと感じるわたしがいたいのか? しかし、ここまで痛いといっそ爽快、いた気持ちい。そして、あらためて聴くとシカオの声はエロいな。声もエロいし、曲のメロディラインもなんかところどころエロい。ちょっといいなぁ。大人のおとこはエロくなければ。
 痛くて、エロい。こういうのが気持ちく感じられるようになるというのは、まさしく大人になってよかったと思う瞬間だな。ふふふ。

 わたしの中ではかつてスガシカオと山崎まさよしは同じ引き出しだったのだけど(スマップに曲提供ナカーマ)、ぜんぜん違うなぁとおもう反面やっぱり引き出しは同じって感じなのは、わたしの中の引き出し分類どうなってるんだろう。
 まさよしにーさんはエロさじゃない方のベクトルで大人のよさがでていて、これはまた好きなのだ。なんだろ、うまく力が抜けてる感じというか。
 最近人気のバンドの人々は、なんか若すぎてだめなんだな。実年齢というよりは、歌っている内容が。とか言いつつ、まあバンプとかアジカンとかレミレミとか好きっちゃー好きなんだけど。曲によっては好き、みたいな、この違いはどこからくるんだろう。
 そういえば、Tourbillonも聴こうとおもってたのに、借りればよかった……。河村隆一はふつーに歌うまいと思う。びよんの曲を始めてCMで聴いたとき、ちょっと聞き入ってしまったもの。るなしーの時、変にビジュアル系ブームに乗って曲がやな感じになっちゃってたのがよくなかった。初期のはよかったのに。

 最近、聞きたい曲とカラオケで歌いたい曲が完璧に乖離していてとても困る。カラオケで男性ボーカル曲歌うのは本当は好きではないので、ぜひ女性ボーカルの曲を覚えたいのだが、最近は聞きたいとおもう女性ボーカルが少ない。一青窈の声が一番好きなのだけど、曲がイマイチ好きじゃない。トミーさん(ふぇぶらりーとかへぶんりーとか)の歌も好きなんだけど、歌詞にイマイチ乗れないのでカラオケで歌い上げる気分にあまりならない。椎名林檎はあきらかに初期の歌の方が素直でよかった。最近のはてらいすぎててついてけない。坂本真綾たんの歌は聴くのはすごく好きなのだけど、難しくて歌えない。歌唱力がついてければ宇多田ぽんの曲はかなり好みなんだけどなー。
 そもそも最近そんなにカラオケ行く機会もないけどなー。でも、サークル引退して謡うことがなくなったら、カラオケくらいしか大声出す場所がなくなるんだよな。困った。


 それにしても人の声というのはえもいわれぬ魅力があると最近おもう。聴いてるだけでくらくらするときがある。わたしが、耳が弱い子だから、ってーわけじゃないとおもうんだけど。
 声って天性のもんだよなぁ。そりゃあ、あやつり方は訓練次第でうまくなるだろうけど。声自体は変えられるもんじゃない。
 たとえば歌手になりたい子がいたとして、歌う技術は磨けるかもしれないけど、万人に好かれる声になることは、できない。願っても、生まれつきどうしようもないことってあるんじゃないかなぁ。前は、努力次第で案外なんでもなんとかなるんじゃないかとおもってたけど。魅力ある声でうたえる人、魅力ある文章かける人、みんなある程度生まれつきの個性みたいなものにしばられるんじゃないかなぁ。諦めというか、なんかそういう思いが最近とても強い。だからわたしは生まれつきわたしらしいのだから、それを磨くしかない。それ以外のものにしかないれない。磨けるだけ磨いても、誰かが好きになってくれる保障はない。しょうがないものというのがこの世の中にはある。 しょうがないものがこの世にあるというのは、絶望の種だと昔はおもってたのだけど、最近は違う。だからこそ安らかに生きていけるのだし、人生はラブリィなのだと思う。あきらめる言い訳じみているが、そういうことじゃなくて、最近のしみじみとした実感ということ。
 悪いことばかりではないよね、だってわたしは生まれつきわたしらしいのだ、ということは、案外すごいことだとおもうのだ。何の努力をしなくても、我々はそもそもオリジナルなのだー、ということ。
 別に努力を否定するわけじゃない。一番大事だとおもってる。これがなければ始まらないし、人間これしかできないのだからこればっかりしてりゃいいんだ、とすらおもっている。いつもできないから余計そうおもう。
 かつて、giftという単語には「天賦の才能」という意味があるというのを知った時、とてもとても納得したものだった。

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