ドーナツ畑の風に吹かれて

おかわり自由のコーヒーを飲みながら、廻る季節をながめて、おもったこと。

琥珀色の向い風

2006-03-24 00:59:58 | 日記
 実家への帰り道はとてもへんな気分。一人暮らしは終了して、実家に戻ってきたのだ、という気分になる。心の帰る場所はいまだ実家の方。でも、軽い気持ちで一人暮らしを始めたけれど、考えてみればもう二度と、実家に暮らすことはないのだな(子供抱えて出戻る、とかなったらまた別だけど)。もう二度と、家族と暮らすことは、ないのだな。わたしの中の「普通」は、家族で暮らすことから、一人で暮らすこと、あるいは、自分であたらしく作った家族と暮らすこと、に、シフトしていくのだな。
 おばあちゃんが亡くなった時にもおもったこと。家族の形が変わっていく。家族は、不変なものだと、何の疑いもなく思っていたことに気づいた。そんなことを信じていることの方が、不自然だったのだ。お母さんだって、自分の家を離れてここに来たのだ。これがオリジナルの家族だと、おもっているのはわたしだけだったのだろう。本当になんにもうたがってなかった。
 わたしは、もう戻れない場所に、きてしまったのだ。それが日に日に身にしみこんでくる。どんなに大事なものでも、それを永遠に保っては生きられないのだね。そうやって人間は死ぬまで生きるのだね。なんで、いろんなものを取りこぼしながら、手放しながら、前へ前へ時間は進んで行っちゃうんだろう。いつまでも、あの家の子供のままでいたかった。なんで外の世界へ出て、働かなきゃならないんだろう。そのうち自分が親にならなきゃならないんだろう。先のことを考えるととてもこわい。どんなにがんばったって、死に向けて定速で移動し続けているだけなんじゃないのかと、おもうから。いつから、未来の分量より過去の分量が多くなるのだろう。自分の親が死ぬなんて、そんな日が本当に来るんだろうか。
 死ぬまで生きることにどれだけの意味があるんだろう。毎日会社になんて、特に行きたいとは思わないのに。一度社会に出てしまったら、あとはもう、自分で自分の食い扶持を稼ぎ続けるしかない。終わりがないんだ。受験とか、学校とか見たいに、「あとちょっとの我慢!」というわけにはいかないんだ。だってもう戻れないんだもの。ここにいるしかないんだもの。
 死ぬのがこわい、わけではない。ただ前へ前へ進み続けるしかないことが悲しくてしょうがない。無力だとおもう。ただ死の引力にしたがって生きるしかない。とてもとても切ない。