夏休みもあとわずか。子どもたちは宿題を終えたでしょうか。
夏休みの思い出の一つに鰹節削りがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f2/020dc8b1eb46d71b906c6ab083b10390.jpg)
小学生の頃、あの堅い鰹節をごしごし削る手伝いをされられました。
子どもの頃は家族が多く、たくさんの料理を作らなくてはならなかった母や祖母。
野菜の皮むきや魚の煮付けなど難しいことは無理でも、鰹節削りならとがんばってお手伝いしたことを思い出します。
母はシャッ、シャッ、シャッ、という小気味よい音を立てて手本を示してくれるのですが、子どもの私にはなかなかうまくいきません。
今なら背の側が雄節、腹側が雌節、味が違うことは知っているし、鉋の刃に節を当てるこつ、引く力の入れ具合も分かろうというもの。
けれど、子どもです。やたら力を入れてごしごしやっていただけでしょう。
「手が疲れたよう」と言いながら、どれだけできたかそっと引き出しを開けると、ぷうんと鰹節の香りが漂います。
がんばっただけたまっていると嬉しく、また思ったより少ないと、途中でやめてしまう気分屋の子どもでした。
ただ、鰹節が残り少なくなると、「○○鰹節店へ行って買ってきて」と頼まれることがあり、私はそのお使いを心待ちにしていました。
その鰹節店は市の中心街にある有名な老舗です。今もあります。
そこの息子○君とは同級生で、小学校1年生と2年生は同じクラスでした。
なぜか気が合い、いつもいっしょでした。学校から帰るときは手をつないで帰りました。
1年生のうちから「○君好き」と言うませた女の子でした。
○○鰹節店の家まで遊びに行ったこともあります。お店は大きくて鰹節や干しエビ、昆布などがたくさん並べられていました。
鰹節の香り漂う店内を通って中に入り、学校のことを話したり、友達と遊んだりしたものです。
帰りには○君のお母さんが昆布飴を持たせてくれました。
「○○鰹節店へ行ってきて」と言われるのは、○君に会えるのとやさしいおばさんがくれる昆布飴が楽しみだったからです。
思えば、そこはかとなき淡い恋心だったのかもしれません。
夏休み、一生懸命のお手伝いが幼い恋心からだったのかと思うと、自分のことながらほのぼのとした気持ちになります。
「初恋は鰹節の香り」こんなキャッチフレーズは私だけのものでしょうね。
その後、高学年になるとクラスが変わり、すっかり心変わり(?)した二人は、声を掛けあうこともなくなりました。
中学、高校も同じでしたが、鰹節を買いに行くことはありませんでした。
数年前、還暦の同窓会が開かれたさい、物故者の名前が読み上げられ、その中に○君がいたことに驚きました。
子どもの頃とはいえ、心にさざ波を立てた人、楽しい思いを共有した人などが鬼籍に入ったと聞くと、過ぎてきた年月の長さを思います。
まだ暑さは厳しいのに、夏休みの終わり頃になると、ちょっとものさびしい気持ちになるのは子どもたちも同じではないでしょうか。
鰹節削り器を処分したことで想起した思い出を「初恋は鰹節の香り」として書いてみました。
晩夏の余話
夏休みの思い出の一つに鰹節削りがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f2/020dc8b1eb46d71b906c6ab083b10390.jpg)
小学生の頃、あの堅い鰹節をごしごし削る手伝いをされられました。
子どもの頃は家族が多く、たくさんの料理を作らなくてはならなかった母や祖母。
野菜の皮むきや魚の煮付けなど難しいことは無理でも、鰹節削りならとがんばってお手伝いしたことを思い出します。
母はシャッ、シャッ、シャッ、という小気味よい音を立てて手本を示してくれるのですが、子どもの私にはなかなかうまくいきません。
今なら背の側が雄節、腹側が雌節、味が違うことは知っているし、鉋の刃に節を当てるこつ、引く力の入れ具合も分かろうというもの。
けれど、子どもです。やたら力を入れてごしごしやっていただけでしょう。
「手が疲れたよう」と言いながら、どれだけできたかそっと引き出しを開けると、ぷうんと鰹節の香りが漂います。
がんばっただけたまっていると嬉しく、また思ったより少ないと、途中でやめてしまう気分屋の子どもでした。
ただ、鰹節が残り少なくなると、「○○鰹節店へ行って買ってきて」と頼まれることがあり、私はそのお使いを心待ちにしていました。
その鰹節店は市の中心街にある有名な老舗です。今もあります。
そこの息子○君とは同級生で、小学校1年生と2年生は同じクラスでした。
なぜか気が合い、いつもいっしょでした。学校から帰るときは手をつないで帰りました。
1年生のうちから「○君好き」と言うませた女の子でした。
○○鰹節店の家まで遊びに行ったこともあります。お店は大きくて鰹節や干しエビ、昆布などがたくさん並べられていました。
鰹節の香り漂う店内を通って中に入り、学校のことを話したり、友達と遊んだりしたものです。
帰りには○君のお母さんが昆布飴を持たせてくれました。
「○○鰹節店へ行ってきて」と言われるのは、○君に会えるのとやさしいおばさんがくれる昆布飴が楽しみだったからです。
思えば、そこはかとなき淡い恋心だったのかもしれません。
夏休み、一生懸命のお手伝いが幼い恋心からだったのかと思うと、自分のことながらほのぼのとした気持ちになります。
「初恋は鰹節の香り」こんなキャッチフレーズは私だけのものでしょうね。
その後、高学年になるとクラスが変わり、すっかり心変わり(?)した二人は、声を掛けあうこともなくなりました。
中学、高校も同じでしたが、鰹節を買いに行くことはありませんでした。
数年前、還暦の同窓会が開かれたさい、物故者の名前が読み上げられ、その中に○君がいたことに驚きました。
子どもの頃とはいえ、心にさざ波を立てた人、楽しい思いを共有した人などが鬼籍に入ったと聞くと、過ぎてきた年月の長さを思います。
まだ暑さは厳しいのに、夏休みの終わり頃になると、ちょっとものさびしい気持ちになるのは子どもたちも同じではないでしょうか。
鰹節削り器を処分したことで想起した思い出を「初恋は鰹節の香り」として書いてみました。
晩夏の余話