のり巻き のりのり

飾り巻き寿司や料理、己書、読書など日々のあれこれを書いています



突然の雨によせて

2016年08月02日 | つれづれ日記
夕方買い物から帰ったとたん、たたきつけるような激しい雨が降ってきた。
開いていた窓から吹き込んだ雨で、部屋の一部が濡れてしまったけれど、まだよほどいい。

しばらくすると、激しい雷雨を伴い、当地に大雨警報が出された。
在来線、新幹線まで不通となり、帰宅途中の人たちの足に大きな影響が出たようである。

マンホールから水があふれ、家の前の道路は冠水状態
すわっ大変、床下浸水かと心配しながら、窓を通して天に祈るのみ。

幸い、15分ほどでたたきつけるような雨が止み、30分もしたら完全に雨は上がった。
やれやれである。

これは「局地的集中豪雨」であろうか。
でも比較的短時間でやんだから「にわか雨」「とおり雨」とでもいおうか。

夕方だったから「夕立」でもあろうか。「夕立」のことを「白雨」ともいうらしい。
日本語には「雨」一つとっても、実にいろいろな言葉があって興味深い。

「驟雨」ともいう。
短時間で降り止んでしまう雨、もしくは降水強度の変化が激しい雨のことだ。
もっと調べたら「群雨」「叢雨」「村雨」なども類語である。

字面からどんな雨かと想像することができる。日本語の何と豊かであることよ。

藤沢周平の「驟り雨」が思い出された。有名な短編なのでご存じの方が多いと思う。



物語はすべて闇の中でおこる。
盗人が神社の軒下で雨宿りしながら目の前の大津屋に忍び込む機会をうかがっている。

男は数年前に愛する妻と腹の子を一度に失ってから、自暴自棄になり、
世の中のしあわせなものを恨むようになる。

心の奥に住み着く暗い憤怒をかかえて、幸せそうな家に忍び込んでは金を盗んだ。
しかし研ぎ職人としての仕事はまじめにこなしていると思っている。

事前の準備は万端。雨が小やみなく降っている。
邪魔がはいる。どこかの道楽息子とそのおもちゃにされているそこの奉公人の娘。

結婚を迫られて、まいったなと後悔し始めている。
盗人にとってはどうでもいいこと。早く立ち去れと願うだけだ。

つぎには博打打ちの仲間割れ。やがて神社の前での取っ組み合い。
暗くてよくわからないが、男がもう一人の男を刺して逃げたようだった。

また邪魔が入ったと思う。やがて刺された男がふらふらしながら立ち去る。
やっと静かになった。さて、仕事にかかろうとしたところ、遠くから灯影ゆっくりとやってくる。
盗人は舌打ちする。

母親がが小さな娘にかかえられている。話が聞こえてくる。
この母娘を捨てて別の女と住み着いてしまった亭主に金の無心に行って追い返されて
の帰りだった。

盗人は二人の話を聞いているうちにほっておけなくなるのだった。
盗人の心のなかの憤怒のかたまりが次第に融けていく。
警戒する母親をむりやり助けおこして背負う。

女の重みをしっかりと背中に負って娘の手を引いて歩いていく。
こうして三人で夜道をあるいたことがあったのではないかという錯覚に陥る。 
三人で夜道を歩いたことなどなかったが、そう思う盗人の悲しみは深い。

ここではじめて、盗人の同情は、母親の悲しみと同じ深さに達することで共有できた。
おれでできることなら助けになるぜ、ということばに、

この母親も素直に受け入れて男の背中に身を預ける。
盗人はその重さをしっかりと受け止める。
もうすぐ夜明けだ。


「驟り雨」で始まった物語が、読み終えた後は雨上がりの青空を見るがごとくの清涼感を与えてくれる。
藤沢周平のファンとして、雨もまたよし、と言いたい気持ちである。


さて、にわか雨で思い出すもう一つの出来事がある。

在職中のこと。午後職員会議のさなかだった。
暑い日で疲れが出ているからだろう。瞑目し熟考体勢をとっている人もちらほらである。

私の前の席の先生もしかり。
すると、ぱらぱらと音がして、「にわか雨」が降ってきた。

と突然、前の席先生(50代女性)が立ち上がって大声で叫んだ。
「布団!!」

一同がぽかんとしていると、前の席先生はバッグを手に、疾風のように職員室を飛び出した。
そういう状態を表すのに適切な言葉はなんだろう。

その後の話は聞きそびれたままである。

雨のもたらす功罪さまざまを思う。
今年は豪雨の被害がないことを切に願う。