のり巻き のりのり

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二日月

2016年06月07日 | 読書
新「言葉の泉」のろこさんのブログに紹介されていた本を読みました。

  二日月 いとうみく そうえん社

今年度の小学校中学年用の課題図書でした。

現役教師だったときは、毎年目を通していたのですが、現場を離れてから読んでいなかった課題図書、久しぶりです。

ろこさんは自分の体験を赤裸々に書いてみえます。

深い知識に裏付けられた格調高い文章は、並の方ではないことが分かりますが、何よりも自分を赤裸々に語っておられるのが読者を引きつけているゆえんかと思います。

「障害者という言葉や、ぶしつけで、無神経な視線、過剰に同情する事は無意識の差別であることを思い、いつも憤ってきた。
 今も憤(いきどお)っている。」と、ろこさんは言っています。

この言葉は深く心に突き刺さりました。

主人公、杏は小学4(5)年生で、妹は出産時から病気の子として生まれます。

障害があるためミルクを吐いてばかりでなかなか大きくなれません。

1年たっても歩けないし、立てないし、ハイハイもおすわりもできないし、そういうことができるようになるかもわからない子です。

『ほんとうなら・・・なのに』『ほんとうなら』ってすっごっくいやな言葉だと思わない?

「いつか、できるって、いつか、きっと、そういう日が来るって思うんだ」

『ほんとうなら』より『いつか』のほうが、ずっといい。


と、作者は主人公、杏と親友真由に言わせています。

私の息子も病気で生まれ、経管栄養で育てました。この妹とよく似ています。

そして何度も心の痛みを感じながら、今に至っています。

病気の百貨店、満身創痍、現在も6つの病名を持つ身です。

しかし本人は不幸だと思っていないようで、いたって自然体です。

「本人や家族の思いも知らず、過剰に同情することは無差別の差別である。」というろこさんの言葉

障害の有無に関わらず、再度考えさせられました。

どこまでも自然体でありたい、人に対しても。自分が生きる上でも。そうでありたいものです。

子ども向きでも深い本でした。