のり巻き のりのり

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雨と田んぼの思い出

2016年06月12日 | 随想
私が住んでいるのは都会でもなければ田舎でもない地方都市である。

ここへ来た当時は周りには田んぼがあり、今頃になると蛙の大合唱が聞こえたものである。

しかし今は住宅が建ち並び、蛙の鳴き声はすっかり聞かれなくなった。

わずかに残るかつて田んぼだったところは放置され、雑草が生い茂っている。

いずれそこにも建て売り住宅か、賃貸アパートが建つであろう。それとも太陽光発電のパネルが並ぶであろうか。

私自身は都会の生まれなので、田畑と関わってきたわけではない。

けれど小学校で担任していたとき、総合学習の時間に米作りの授業を何回か行った。

中でも、田植えをしたことは今でも印象に残っている。

先生は校区の方、「80歳を超えているよ」と言われた元気なKさん。

苗の持ち方を教わり、田んぼの中に素足を入れる。生ぬるい水に足が触れたかと思うと、ヌルヌルッと泥の感触が伝わってくる。

一歩前進するために足を上げようとすると、ズボッという泥から足が抜ける音がする。

ヌルヌルッ、ズボッを繰り返しながら田んぼの中を進むのである。

泥に足を取られて、前方に倒れてしまったら大変。ひゃあひゃあ言いながらわずかばかりの田植えをしたことを覚えている。

元気なKさんは、学校の近くに自分の田んぼがあり、夏には田植え、除草、秋には稲刈りを、

畑では何かしらの野菜をいつも育てていて、登下校の時ににこやかにあいさつをしてくださった。

職場が変わっても近くを通ったとき、Kさんの姿を見ると、ちょっと声をかけたくなったものだ。

つい先日、久しぶりにKさんの田んぼの近くを通った。

Kさんの田んぼは、喫茶店の駐車場になっていた。

ヌルヌルッ、ズボッが懐かしい。すぐ脇の用水にいた小さな小さなナマズの赤ちゃん、タニシもいなくなっただろう。

いつの間にか水田がなくなっていくのと同時に、あらゆる生き物が姿を消していく。

でも、まだ家から車で10分も走れば、これぞ日本といえる緑濃い水田が広がっている。

雨粒がはじける音、蛙の鳴き声、コサギが舞う景色が残っていて、今も生き物たちに出会えるのがせめてもの慰めである。

雨もまたよい。