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世界の覚書

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アイヌ先住民族論と皇国史観

2008年06月06日 | 歴史・伝統
「アイヌは先住民族」衆参両院で全会一致の決議採択(読売新聞) - goo ニュース
決議では、「近代化の過程で、多数のアイヌの人々が差別され、貧窮を余儀なくされた」と指摘。その上で政府に、<1>アイヌの人々を、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認める<2>(政府の)高いレベルで有識者の意見を聞きながら、総合的な施策の確立に取り組む--ことを求めた。
やってしまった。<前文>は差別の問題であって、民族の問題じゃない。<1>は目的が不明。<2>だけが実質的だが、既に施策はなされており、政治的必然性がない。

#「先住民族」の概念は、法的ステータスを持った主体と裏腹。日本では、そこが無い(オミットされた)から、法的には無意味な決議であり、まさに同好会の所業に近い。せいぜい、差別がありましたねという話にしかならない。今や、いくらでも差別を発掘できる機運が整ったというだけ。デモをしていた人々、手放しで喜ぶ人々がいるが、民主党的お花畑議論に踊らされ、後ではしごをはずされるのがオチである。

「アイヌの人々は先住民族」官房長官、決議受け表明(朝日新聞) - goo ニュース
町村官房長官は「アイヌの人々が日本列島の北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族であるとの認識のもと、国連宣言における関連条項を参照しつつ、これまでのアイヌ政策をさらに推進し、総合的な施策の確立に取り組む」と述べた。
> 日本列島の北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族

こう言ってしまうと、それは著しく不適切である。歴史としては捏造に近い。

そもそも「民族」はナショナリズムのユニットとして設定された概念であり、ナショナリズム勃興期に、同質性と異質性が強く認識され、少数民族が設定された経緯がある。明治時代に論争はあったけれど、アイヌは一時的に日本の主流派とはやや異なる歴史的経緯を辿ったものの、明治維新後は合流していくのだという理解になっていた。ただ、それが、せっかくの独自性の高い文化を消滅させていいのかという問題は残る。ところが、それを言い始めると、記録保存の対象、文化人類学の対象になる。そういう目線は学問の植民地主義ではないかという事になりかねない。だからこそ、文化は担い手によってこそ維持されるという点が大事だと、そこで総合施策を推進していく、そういう流れではなかったか。

アイヌは部族ではあったけれども、現代的な意味での民族化の段階には無かった。意外に地域性があり、中央集権国家を構成する段階にはなかった。

北海道に日本人ではない民族が住んでいたという話は、オホーツク文化人にはあてはまる。ただし、北方からの移住者であり、その後、文化としては消え去った。クマの儀礼など、要素的にはアイヌ文化につながっている可能性はある。アイヌ文化が、今日知られるようなイメージになって登場してきたのは中世以降である。言い換えると、古代に「アイヌ文化」はなかった。「アイヌ文化」がなかったという事は、当時「アイヌ」はいなかったと同義である。極端な人は、縄文前期であれ、旧石器時代であれ、アイヌはいたのだと言う人がいるが、もはやナンセンスである。もっと極端な人は、縄文時代の日本列島にはアイヌが住んでいたのだという人もいる。今日ではいずれもナンセンスな言説だが、巷間にはまだそんな認識の人もいないでもないから困る。

実際のところ、そういう認識は、万世一系皇国史観の裏返しでしかない。

縄文時代には日本列島全体が部族段階にあったが、文化的には緩やかな交流が列島全体を覆っていて、共通性と地域性が織り成す地域(=日本列島)だった。少なくとも、日本列島人としては、皆共通の基盤を持っている、エスニックな意味での仲間である。

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1 コメント

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Unknown (ふー太郎)
2008-06-07 14:57:49
これねー。民主党的かなと思ったら自民党的かも。
なぜならば、ロシアの新聞でこの事とは別にアイヌは樺太辺りの先住民族で現在は概ね日本で生活している、という記事があった。

少し期待させるニュースだ。
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