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全日本仏教会の「靖国神社公式参拝」批判

2008年08月21日 | 原理主義・カルト・宗教
全日本仏教会は「首相及び閣僚の靖国神社公式参拝」に反対であり、その旨の抗議や要請を再三行っている。少なくとも2007年以降の3本は以下で確認できる。

全日本仏教会:ニュースリリース(抄)
2008年8月19日 閣僚の靖国神社公式参拝に対する抗議文を提出
2008年8月01日 首相及び閣僚の靖国神社公式参拝中止要請文を提出
2007年8月28日 首相及び閣僚の靖国神社公式参拝中止要請文を提出
理由は「憲法の定める、信教の自由と政教分離の原則」だったはずで、わざわざ「靖国問題を日本と中国・韓国などアジア諸国との政治・外交上の問題として捉えて提出したものではありません」と断っている。しかし今年8月19日の文書を読むと、微妙に付加されたものがある。
私たち仏教徒は、釈尊の御教え、いのちの尊重、慈悲の精神に反して、戦争にかかわったことへの反省の上に立って、争いのない世界を目指して活動してまいりました。そして、戦後の日本が平和社会実現にむけて努力してきたことに誇りを持つと同時に、これからも国際社会で平和の実現に向け活躍すべきと願うものであります。
 首相及び閣僚は、とくに憲法に定められた「信教の自由・政教分離・戦争放棄」の原則を遵守し、世界平和貢献のため指導的立場を貫くべきであります。今回の参拝はその使命を自ら放棄するものであり、広く国民の願いを無視するものであります。
そう、2008年8月19日文書には「戦争放棄」が明確に加えられているのだ。つまり「首相及び閣僚の靖国神社公式参拝」は「憲法上の戦争放棄の原則に反し、世界平和貢献への使命を放棄」するものと、断定されている。なぜ「信教の自由・政教分離」原則から踏み出したのか(2006年以前の事は知らないが)、理解に苦しむところである。通常、このような物言いは、かなりハードな左派市民団体が主張するところのものである。靖国神社と戦争放棄がどう関係するのか、普通に考えて、両者が結びつくというロジックは、「運動家」の頭の中にしかない。

宗教団体(の連合会)だから、宗教関連の主張は分からないでもない(後述するように賛成はしない)。しかし、今年のそれは、一線を越えているように思われる。

ちなみに、靖国神社に「公式参拝」は行われていない。そんな業務も公式行事も無いからだ。「参拝」は行われているが、これは誰であれ個人的裁量の範囲だし、古来の伝統に即し、事実上の習俗に従ったもので、宗教行為には当たらない。

要請文にはこうある。
戦没者の追悼は、国家が特定の宗教に関わって行うべきものではなく、各ご遺族がそれぞれに真実と仰ぐ宗教によってなされるべきものであることは、当然のことであります。
よくよく考えてみると、これは一種のアナーキズムであり、コスモポリタン的な発想である。国家は祭式抜きでは成立しない。経緯を鑑みて、妥協点として今日の状況がある。(よく言われることだが)武道館で行われている全国戦没者追悼式を見よ。堂々と霊を慰める国家祭式になっている。これを批判しないのであれば、矛盾と言うしかない。

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