老いを受け入れるにあたっては、その前段階がある。
受け入れがたいかもしれないが、それはこういうことだ。
理由は数多くあるのかもしれないが、その一つは自分のしゃべりの瞬発力が落ちたと実感するときだろう。
◆いかに生きていくべきか
自分がしゃべるのは、他人に自分の考えや意見を伝えるときだ。
だがそのしゃべりの瞬発力が落ちてしまう時がある、それでは他人に自分の考えや意見を伝えることはできない。
だったら、次の生きる道を模索しなければならない。
他人に自分の意見を伝えられないということは、老いたということだ。
その老いる自分を受け入れ、今後いかに生きていくかを考えるべきなようだ。
そう自分のしゃべりの瞬発力が落ちたと感じたら、すぐに次の生きる道を考えるべきなようです。
→だれが言ったのか知らないが、おいらは老いを受け入れたくはないな。
生物学的な年齢を重ねても、徹底的に対抗して老いというやつは、受け入れたくはない。
仮にどこかのタイミングで受け入れるにしても、それは90歳過ぎでいいんじゃないかな。