前略、いろいろやってます

多趣味なもので、好きなことを書きます。
日々の雑感がほとんど。たまに考古学。

浜松城の現説に行った

2010-05-30 23:35:11 | 考古学もの
5月30日(日)浜松城の現説があるというので、浜松まで行った。なんか午前中は300人来たとかいう噂。午後はそんなでもなかったな。現説はわりと早い時間帯に行くと、人がいっぱいでゆっくり見ることが出来ないので、少し遅れて行くのがコツ。説明は基本的に一般市民を対象としているので、最初に玄人は知っている内容を延々と話すから、スルーする意味でもね。それに素人はくだらない質問をするので、こっちもうんざりするし。シャチ瓦の破片だけで「全体の大きさはどれくらいですか?」なんて聞くなよ!!ってね。それに人がいなくなったところで、ゆっくり見ることが出来る方が良いというわけ。それに素人の前ではプロは質問禁止かなってところがあるから、あとでゆっくり質問した方が良さそうだし、第一説明している係のヤツも大半が担当の調査員じゃなさそうだから、プロが質問するのはかえって気の毒というもの・・ということで、話半分聞いてあとはゆっくり見る。

感想は・・「浜松城ってどうせ江戸時代の城だろ」って思って今まで行ったことがなかったけど、意外に古かったんだね。石垣は野面積みで豊臣系じゃん。てことは天守は本来黒くなければならないね。今の復元された白い天守閣が諸悪の根源だったということに気がついた。しかも天守は江戸時代の初期に焼けて以後、再建されていなかったのだから、今の天守は明らかに復元ミス。石垣の形も横矢掛がたくさんあって、随分戦闘的な印象を受けた。櫓門の跡が出て来たというのが今回の調査結果(写真の石垣の上の部分)だったんだけど、これも戦闘を考えると豊臣系なのかな。もしこれから整備して復元するなら少し豊臣を意識した方が良いんじゃないかな。あとは天守も建て直して豊臣系にしようよって。

諸悪の根源である天守が資料館になっているようなので入ってみた。入場料150円・・展示内容を考えると高い!!という展示だった。得てしてこの手のモノはろくな展示じゃない。静岡県内では小山城が意味不明で一番ひどいけど、神奈川の小田原城はまだマシかな・・クソミソだけど。立地が良くて観光客がたくさん訪れるわりに、これは何とかならないか? 少しは学術的なモノになるように、何とかしろよ!!浜松市。この公園は指定管理者になっていて、管理者は隣接するホテルコンコルドだからな。

続いて隣接する美術館に行った。「古代ローマとカルタゴ展」今日が最終日。フェニキア文字初めて生で見たよ・・アルファベットの起源とされてるヤツ。遺物を見る限りでは、フェニキアの中にエジプト的な物あり、ギリシア的な物あり・・文化のるつぼだね。まぁ位置的にそういうところにあったのだから当然だけど。そしてポエニ戦争に負けて破壊され、ローマによって再建されると完全にローマ化する。フェニキアの人たちはどうなったの?ってくらいローマだ。モザイク画がなかなか圧巻だった。こんなのが平気で残っていたんだなと思うと石造りの文化って長持ちだねー。

さて浜松まで行ったので名菓を買わなくては。浜松といえば春華堂のうなぎパイという人も多いけど、私のイチオシは(株)ふる里の「うなぎのぼり」。パイ生地でこしあんを包んだモノでほのかな甘みが魅力。市内に店舗がいくつかあるのでカーナビで検索して浜松城から近い店舗へ行った。店に入ると、いきなりお茶と試食品のサービスがあってちょっと得した気分になった。くずもちもあったので、それも買った。後で食べてみると、くずもちも普通のモノよりやわらかくておいしかった。浜松に行ったら、ここはオススメだ。

石川さんの本がまた出た

2010-05-30 23:14:19 | 日記もの
土曜日、なんか一週間の疲れが出て、午前中はぐだくだ。昼を食べてから富士の中央図書館に行った。富士はあちこちに図書館があるみたいだけど、蔵書数はイマイチかな。沼津の図書館が東部では一番かなーって感じ。でも駐車場が沼津や三島は有料ってのがちょっと痛いね。富士は無料だった・・ちょっとうれしい。しかし、蔵書数がイマイチなので思うように調べモノが出来ない。正直言って、地元の資料が少ない・・というよりちゃんと書いてある本が少ないのかも。市史もイマイチだしね。

17時で図書館が閉館になってしまったので、書店に行った。おおーっ、石川さんの「トークで攻略日本史B」(写真参照)なんて本が出ている。石川さんのトークはすごく耳に残るので、聴きたくなって上下巻とも買ってしまった。また時間がある時にゆっくり聴きたいものだ。1枚800分だから聴きがいがあるなー。

その後、イオンタウンへ。4月に行ったきりなので二度目。買い物していたら、卒業生にばったり出会う・・・コイツはたしか千葉の方の大学に行ったはずなのに。インハイの県大会を見るために(後輩の応援も兼ねてかな)帰省して来たらしい。それにしても、どちらも滅多に行かない所で会うなんてね、しかもこれだけ広いショッピングセンターでね、おそろしい偶然だな。だいぶ日焼けしていて、たくましくなったように見える。二ヶ月会わなかっただけなのにな。大学でがんばっているらしい。

生命力その2

2010-05-29 10:25:51 | 考えもの
ついでに生命力のすごそうなヤツをもう一つ。
ベランダに置いてある鉢になぜか、楓が生えて来た。何だこれ? その鉢は百日草が植えてあったもので、ベランダに置かれてから、3年間くらいたっている。百日草も大きくなり過ぎたので、庭に植え替えをするときに、鉢の隅で発見したもの。ちなみにウチのベランダは2階である。元の土に種があったとも考えられず、どこからか種が飛んで来て、二階の百日草の鉢に偶然たどり着いた物らしい。なかなか植物の根性を感じる。楓だったので、とりあえず盆栽にでも・・・と平鉢に植え替えた。さてどんなことになるかな。

生命力その1

2010-05-29 10:13:12 | 考えもの
先日、切り花の菊の先から根が生えている話を書いたけど、その後、どうなったのかというと・・・最近帰りが遅かったから全く放ったらかし。二週間近く見ていないから、もう枯れているかもと思いながら見に行ったら、しっかり生きていました。花は終わってしまっていたけど、葉はピンとして、しかも、新たなつぼみまで出て来ている。菊ってすごいな。普通の花なら切られた時点で終わりなんだけど・・・すごい生命力を感じた。普通の花と生命力のある菊の違いって何だろう? どこを切られても根が出るという万能細胞を持つのかな? 世の中にはまだ知られていない細胞の不思議があるに違いない。

なかなかやるね

2010-05-29 09:53:35 | 考えもの
朝、国道を運転中、ふと斜め前方を見ると、大きな写真が目に飛び込んで来た。
一乗谷の朝倉館だーっ!!・・わかるひとにしかわからない感動。
福井県のPRらしいけど、写真にこれを使うなんて、かなりマニアックだな。
芦原運送という会社のトラックだった。
県とタイアップしているのかな。こういうこと、静岡県もやれば?って思った。
しかし、静岡県は何を写真にするかが問題だな。わりとマニア受けする物が大事かも。

今年の考古学協会

2010-05-26 23:15:08 | 考古学もの
年に一度の協会だから・・ってのも、最近なくなって来たような気がする。あー、学問の衰退をますます感じるねー。協会員ですら総会に出ないんだからなー。でも図書交換会くらいは覗いて、今レアなモノをチェックしても良さそうだけどな。そう言えば、中世の人たちを見なかったな。どっかで別の集まりやっているのかな。木器研の人たちは、中部以東の人を中心に結構来ていたような気はする。

三島から新幹線で小田原へ。そこからロマンスカー・・運良く新百合ケ丘まで乗れる「さがみ号」があった。そして急行に乗り換えて経堂へそして普通に乗り換え・・梅が丘って急行止まらないのかー。なかなか面倒だ。
さて、適当に南方へ歩いて行くと国士舘大学があった。なんか校舎がきれいになっている・・やはりポロ校舎では学生が集まらないのか?・・と思いきや、後ろの建物は相変わらずのボロ校舎だった(笑) 見える所だけキレイなのかよ。それに校舎をつなぐ渡り廊下は屋根がない・・予算足りなかったのかな?

新校舎の下では、いきなりピロティ状の場所で図書交換会が行われていた。天気は雨。湿度も高いのに壁すらないピロティでやるなんて無謀だなーと思った。まぁ、ピロティでは東日本のブースだけだったけど。業者と中部以西は建物の中だった。しかし狭い廊下に無理矢理ブース作っているので、大勢の人が詰めかけると、身動きが取れない。ちょっとスペース考えてくれって感じだった。年に一度、様々な報告書や本が大量に売られるので、全国の研究者が集まってくるんだから・・・って毎年のことじゃないか?
各ブースで久しぶりに会う人たちに挨拶。みんな元気そうだ。中には3年ぶりくらいで会う人もいた。ふふふ、ちょっと年取ったねー。報告書は重くなるので、もらった物以外は買わなかった。今回は出版社のブースでちょっと気になる本を買ったくらいかな。
発表はイマイチ触手が動かない・・まあ、桜井茶臼山古墳があるから、その前の発表と合わせて聴いたくらい。何か紛糾するような発表とか、チャレンジャー的な新説とか・・・ないかなー。それにも増して最近は外国の発表が多いね。桜井茶臼山はさすがに人気があって立ち見まで出る盛況ぶり。終わった瞬間に大勢の人が席を立ってしまったので、次の発表を行う人はさぞかしガックリしただろうなぁ・・まぁ、予想はされたことだけど。

今度、県の文化奨励賞をもらう人がいて、私が各方面に言いふらしたため、その人はあちこちで「おめでとう」と言われたそうだ。図書交換会の会場ですれ違った瞬間に「俺、インターネットより情報発信力ある人を初めて見た」と言われてしまった。人間のコミュニケーション力とネットワークをなめるなよ、一日で県内の業界には広まるぜ・・と言いたいところだけど、実際にはメールで言いふらしているだけだから、インターネットじゃん!!

帰りは行きと同じルートで。しかし、「さがみ号」がないため、町田まで急行で行って、直後に来る「はこね号」に乗る!という計画を速攻でたてた。どう考えても町田での乗り換え時間は3分。その間に特急券を購入しなくてはならない。そのためにはホームの中央にある券売機の前で急行を降りるように考えなくてはならない。だいたいこの辺かなと思ったら、ピタリだったため、町田では余裕で乗り換えが出来た。急行に乗っていた時はハラハラしていたけど、日曜日の夕方の割にはロマンスカーに人が乗っていなかったな。やはり1000円高速の影響なんだろうか? 乗った車両は7周年記念のEXE。ウッディなインテリアで車内販売付き、天井も高く、なんか雰囲気がゴージャスだ。行きの「さがみ号」は古い車両で、車内販売すらないというモノだっただけにちょっと得した気分だった。


でっかいボウリングのピン

2010-05-16 00:40:09 | 日記もの
津久井城の現説の帰りに、津久井の郷土資料室があったので立ち寄ってみた。建物は、もと小学校の分校でもあったのかな?校庭だった場所にメディカルセンターが建っちゃったという感じで。中に入ると、受け付けの女の人が一人、見学者が数名。しかし、展示は見るからにめちゃくちゃで、古い本を中心に、各家庭で見つかった古い民具や昔の教科書、古い校章バッジ、戦時中の切符類など、雑多な物がやたらと置かれていた・・・これは「展示」とは言えない。大まかに分類してあるだけなので、これは「陳列」だな。解説もろくにないし、とにかく系統立てて見せるという意識が皆無である。それでも興味のある民具をしばらく眺めていた。たぶん、それぞれの民具について、いつ頃使われたもので、どんな時にどのように使用したのかなど民具の基本となる調査なんか絶対にやっていないだろうなぁ。農家が納屋を解体する時に捨ててしまうような道具を持ち込んだだけとしか思えない。ただし、展示のやりようによっては、分かりやすく出来るんだけどなぁ。田舎の小さな町には博物館学の専門知識を持った人がいないので、こんな状態なのだろう。相模原市に合併したんだから、市でもう少し何とかしたら?と言いたくなるような状況でした。郷土資料室から駐車場に戻って、ふと道の向こうを見ると、巨大なボウリングのピンが・・・ボウリング場の看板になっていたヤツね。それにしてもそのピンは何故こんなところにあるのか?・・ボウリング場でもないし、まさか、一般家庭の人が趣味で庭先に置いているとも思えないし。不思議だったので写真に撮ってみた。それにしても、近くで見ると意外に巨大だね。

津久井城現説に行きました

2010-05-16 00:06:49 | 考古学もの
土曜日、来週のテスト作らなきゃーって思っていたけど、現説の誘惑に負けて津久井城(神奈川)へ。今日は外周走らないから、山登りで運動したことにしよう・・絶対外周より運動量はある!!(笑) しかし、この二日間で足が筋肉痛だ。
さて、どこなんだ?っていうと、相模原市北部。東名厚木インター降りて1時間ほど国道・県道で北上したところにある。家からは2時間弱で麓に着いた。史跡公園として整備中で、すでに麓には駐車場や公園管理の建物、ビジターセンターなどが完成している。そこから30分ほど山道を登って城本体へ向かう。途中までは園地として整備されているのでしっかりとした歩道が作られている。ようやく山道に入ったが、山頂までのルートはいくつか存在しているようだ。とりあえず時間に間に合うため、最短で上る男坂のコースを選択した・・当然、上りはキツい。7拍子の呼吸法を実行したら、ぐいぐい上って行けた。比高差は200mくらい。急な坂が続き、調査やるのに機材とかどうやって運んだのかなー?と思った。・・後で聞いてみたら、山の反対側にケーブルカーを設置して荷物はそれで上げているとのこと。
険しい山の山頂にはすでに人が多数いた。最近、山城は人気があるね。主催者側は予想を超える人数だったらしく、2班に分かれて説明するという。しかし、実際には説明する場所に入りきらなくて、途中から3班に分かれた。現場には石が多く、しかも河原石である。反対側の麓を流れる相模川の河原から運んだのだろうか? 中には数十キロはあると思われる大きな円礫まである。昔の人のパワーってどんだけだ!?って思った。考えてみれば、城攻めの時は鎧兜で上がっているのだから、それだけでも40キロくらいある。だから石だって担ぎ上げられるんだな。
石敷の建物跡?は最初見た時には、上に近世のお堂でも建っていたのかと思ったくらい。でも山頂では16世紀後半の遺物しか出ていないとのこと。高天神城にも石敷の遺構があったのでこれに類するモノか? 残りはこちらの方が抜群に良いと思う。廃城になってからもあまり人の手が加わっていない。多少は石が動いているが、たぶん木の根や破城の際に壊したのかも。
もう一カ所土塁の下に向かって石敷がある部分があったが、これについては現状で土塁の下に石敷が潜ってしまっていることになるので、近世に土塁が改変されているのかも。それにしても切り立った土塁だ・・崩れないのかな?
石の列が数カ所存在する。通路の端や水路などかな? 水路と思われる石の列が土塁の下に向かう。ここには木樋が通されていて、土塁で囲まれた区画の排水をしていた可能性が高い。韮山城には土塁の中を木樋が通っていたよ。もちろんここでは低湿地ではないため、木樋は腐って現在はなくなっているということで。神奈川県の人たち、そこんとこ、ちゃんと調べてね。

山は上りより下りがつらい。ただでさえ足が痛いのに膝に来る。それに足先に体重がかかってくるので、ひょう疽をかかえる足先にはかなりの負担。このため、途中からは横歩きになって急な坂を下った。麓について足先を見たら、つめの割れが拡大していて、剥がれてしまいそうになっていた。

おおっと、コメント来ちゃったよ

2010-05-09 22:19:04 | 日記もの
先日、ブログに浮島ヶ原自然公園のことを書いたら、コメント来ちゃったよ。意外と見ている人がいるんだな。
富士市は結構、あちこちに公園を作っているなぁと常々思っていたけど、運営や管理は地元ボランティアにまかされているらしいね。そうでなくては、あれだけの数の公園を維持出来ないだろうなぁ。とにかく数が半端じゃないよね。

浮島ヶ原自然公園はかなりマニア向けの公園のような気がするので、大学の生物学教室や民間の生物関係のサークルなどに宣伝した方が良いかなって感じがする。でも、ボランティアが宣伝するのって、お金がないし難しいね。大学の研究室宛にメールするとか、自然サークルの掲示板に書き込むとかしないとなかなか気付いてもらえないかも。

展示については少々辛口になってしまったけど、スペースや費用が限られているから仕方がないかな。本当は入口に公園全体の地図で見どころなどを図示してあると良いんだけど、まぁそれは外の掲示板に任せてあるのだろう。しかも予算ゼロでやっているみたいなので写真を貼るのがいいとこ・・これも会の人たちの自腹かな。でも博物館学的に言うと、展示はテーマごとにまとめてあると良い。植物・昆虫・魚などのテーマ別になっていて、それぞれにタイトルがあると、見学者は自分の興味のある部分をしっかり見てくれる。タイトルはのりバネで作ると、なんとなく本格的に見えるし。で、絶滅危惧種については特に1コーナーあれば・・・。しかし、展示以外の目的にも使う予定であればそれは難しいなぁ・・もともと小さな建物だし。時展示は、その季節に見られる特徴的な動植物を何か1つを取り上げて、その特集でも良いなぁと思う次第。そして特集展示に使ったモノはファイリングしておき、簡単な本棚を作ってそこに収納しておく。そうすれば、より詳しく調べたい人が来た時に資料提示出来るのではないかと思う。これにもお金がかかるので、なかなか難しいかなぁ。でも廃物利用なんかでやろうと思えば、いくらでも方法はあると思う。

子どもには虫採りや魚採りもできるようにしたい・・ということについては、微妙かな。だってせっかくの自然が荒れてしまうから。あとは沼地だし、子どもだけで遊びに来て沼にはまって死亡事故・・という危険は容易に想定出来るから。むしろ採取は自然を荒らさない程度に限定して工作教室をやる方が良いと思う。子どもはじっとしていないので、走り回っている方が楽しいはず・・・とすると、昔の遊びなどを教える教室なんかも良いかも。これなら多目的室や管理棟前のスペースでやれそうだし。

園内にもっと鳥を呼ぶ方法は、ずばりフィーダーの設置。エサがあれば間違いなく鳥は増える。でも、スズメやドバトなどのどこにでもいるような鳥が増えるだけかも知れない。特にスズメは害鳥なので、周りの田んぼやっている農家から苦情が来てしまう恐れがあって、やたらとフィーダーを設置するのもどうかと思う。エサは市に協力してもらって、パンくずとかフルーツなど給食の残り物から貰ってくるという手もあるかと思う。給食の残り物を動物園のエサにしている市もあるから。鳥のエサになるヒエとか粟などの雑穀を園内の一角で育てるという手もあるね。
それから、鳥が営巣出来る木が育ってくれると良いと思う。今生えている木は葉が小さくて、雨よけにならないので、営巣しにくいのではないのかなぁと思う。

あと浮島ヶ原で特徴的だったのは、胸までつかる深い泥田。園内の展示の写真(写真参照)がすごく印象的だった。だから、田舟やナンバ(田下駄)などの民俗展示も欲しいところ。できれば大学の研究室などを巻き込んで、使用実験をしてみたら面白いと思った。まぁそれをやると、自然の一部を荒らしてしまうので、どうかとも思うけど。でも見てみたいと思う。

ひょう疽その後

2010-05-09 21:45:32 | 医療もの
ひょう疽は順調に回復中。赤黒く腫上がった指先も普通の色になった。最後まで爪の付け根が腫れていたけど、ようやく腫れがおさまった感じだ。この一ヶ月は痛くて大変だった。闘病していて気がついたことを書き留めておく。
ひょう疽は絶対に水濡れ厳禁だ!!・・医者は「シャワーで洗って良い」などと言っていたが、少しでも濡れると確実に悪化した。膿みがひどくなるし、皮がふやけてはがれる。だから、完全に治るまでは患部は水に濡らしてはいけない。足を上げて風呂に入らなくてはならないのでとても苦労したが、それも一週間くらいで慣れた。足は指先を水上に出していれば良い。体を洗う時は爪先を上に向けて絶対に濡らさないように気をつけながら洗う。とはいえ、指先を洗わないと臭くなるので、患部周辺を洗う時は絶対に患部を濡らさないようにしてそっと洗う。患部は消毒液を綿につけ、朝夕二回そっと拭いた。血流を良くするため、お風呂から出た跡は指をマッサージした。患部に触ると痛いので、痛い所は触らずに痛くなくなった所を少しずつ指でこする程度。
蒸れるのも良くない。・・できれば裸足でいた方が良い。元々、足先に汗をかきやすい体質なので、靴を履いていると蒸れるのは勿論、靴下すら履いていると蒸れる。絆創膏も耐水性のモノは蒸れて悪化する。病院へ行くとガーゼを厚く巻かれてしまうが、これも蒸れる。悪化を阻止するには、いかに患部を乾燥させた状態にするかである。そこで、ガーゼは市販のモノを切って薄く巻くようにする。要は患部を軽く覆い、保護する程度で良い。良くなって来たら、爪の部分だけ覆う程度で良いと思う。靴下もできればメッシュのモノとか、指先が出るような通気性の良い物を選ぶことが大切。
皮が剥がさない方が良いかも。・・医者は浮いている皮は切り取るように言っていた。ばい菌が浮いた皮の中で繁殖するのを恐れてのことだろうと思う。最初は自分でも浮いた皮ははさみで切っていたが、皮の浮く場所が広がる一方で、皮を剥がしたところは荒れた状態になるので、放っておいた方が良いような気がする。皮の浮いた所も消毒液で拭いておけば、ばい菌の繁殖はおさえられると思う。
爪は切るべきか?・・これは今も疑問。しかし、伸びて来た爪を放っておくと、引っかかるなどの危険があるため、引っかかりそうな部分だけ少しずつ切った。爪の伸びが他の爪より早いような気がする・・爪の根元が炎症を起こしているので爪が浮いてしまい、一部が割れて剥がれかかっている。新しい爪が正常に生えてくるかが、まだ心配なところだ。