前略、いろいろやってます

多趣味なもので、好きなことを書きます。
日々の雑感がほとんど。たまに考古学。

今日も小田原城現説

2013-03-03 23:08:35 | 考古学もの
3月3日、小田原城の現説があることを朝知って、急遽出かけることにした。場所は三の丸だが、駐車場に車を停めた後、ちょっとトイレに行こうと思って、二の丸方向へ向かった。橋を渡ると写真のように流鏑馬大会が行われていた。おおーっ、一気に盛り上がるね。少し見物することにした。馬は道産子を使っているらしく小型で、明らかにアラブ種とは異なる。確かに、武士が乗っていた日本の馬ってこんなだろうなぁ。

 
さて、気を取り直して三の丸の調査地点へ向かった。簡易裁判所の西側で、文化会館の建設予定地だとか。大久保弥六郎邸跡第IV地点という遺跡名だと、江戸時代っぽく聞こえるけど、実際の現場は下層まで調査が進んでいて、ちょうど戦国時代から江戸初期の面になっていた。メインは上の写真の石組みの水路。直線的だったり、クランク状だったり、蛇行したりと色々なバリエーションが見られた。石の積み方もバラバラ。クランク状の所は底にも石がしかれていたけど、他は底に石がない。この水路は表通りに面していないので何でもアリだったのでは?という見解だった。
  
半地下式の蔵跡がいくつか検出されていた。しかし、これもバリエーションが多く、石で囲まれたものからこのように柱穴のようなものがあって板で土留めをしていたものなどがある。
 
あとは井戸跡。写真中央部の大きな円形の掘り方がある。直径3mで小田原城でこれまでに発見されたものの中では最大のものという。5mほど掘ってあるが、まだ底にはたどり着いていないとか。周囲が危険なため、見学者は近くで見ることが出来ず、中の石積みは入口の写真展示のみだった。

こちらは見学者が見ることが出来る井戸。これもかなり大きな堀方を持っている。

大土坑群とされるものがこれ。平面図で見ると大きな溝を掘りかけているようにも見えるけど、かなりデコボコしているので、何のためにこんなことをしているのかは不明。土取りとか、何か構造物を壊した跡とか・・そんな感じもする。


現説を見終わって、もう一度二の丸へ向かった。流鏑馬大会は終了していて、休憩中ってところ。流鏑馬スクールってトラックに書いてある。・・あるんだな。

流鏑馬に使用された矢がこれ。先が丸く鏑矢みたいな感じ。的を破壊しないようにしてあるのだとか言っていた。

小田原城は相変わらず、梅が綺麗です。今日あたりが見頃かなと思う。

さて、城内には流鏑馬大会出場のために甲冑を身に着けたり、烏帽子姿をしたりした人たちがいたけど、それとは明らかに異なるコスプレイヤーも存在していた。恐くて近寄れない(笑)。一見して「戦国BASARA」のコスプレってわかる。刀六本さしてる政宗とか、緑の甲冑の元就とかいる。なりきって城門脇で写真撮影などを行っている。恐いので遠くから城門撮るふりして撮影したけど、わかるかなぁ(笑) 遠目に見て石田三成がいるらしい・・って、わかっちゃう自分が恐い。小田原城を後にする時に、次々とコスプレイヤーがやって来るのが見えたけど、お市様とか松のコスプレやっている人は寒くないのかなぁ? 小田原ってこんなにコスプレイヤー多いのか?



大砲鋳造

2013-03-03 22:49:07 | 日記もの
2月24日、韮山時代劇場で反射炉の講演会があったので、聞きに行って来た。ちょっと驚いたのは反射炉の炉体についての科学博物館の人の説明。炉体がドーム状になっていたのは鉄を溶かすためではなく、銅を溶かすための形だという。あの形では鉄を溶かす温度には達しないという。で、韮山反射炉は鉄砲を2門鋳造した後は、炉体の改造を行って銅砲を作るものに改築され、以後は銅砲を作り続けていたという。これにはすごく驚きました。反射炉って言うのだから、ドーム状の天井に熱を反射させて鉄を溶かすものだとばかり思っていたから。むしろ細く直線的にして炎がダイレクトに届く方が温度が上がるのだとか。知らない反射炉の実態を教えられた気がした。写真は中庭で現代の炉で鉄製大砲のミニチュアを鋳造していた様子。もう鋳造し終わって片付けに入っているようです。現代では難なく鋳造が出来てしまうという・・技術の発達ってすごいなと思った。

足柄山の・・・

2013-03-03 22:41:53 | ドリンクもの
駒門SA下り線で発見したご当地モノ、足柄茶。もちろん足柄山と言えば、金太郎。ということでスチールボトルにしっかりキャラクターがついています。しかも2013バージョンって。毎年デザイン変わるのかな。味は普通、だけど金属缶のお茶は何か独特の金属的な味がする。ペットボトルの方がおいしいと感じるのはなぜだろう。