前略、いろいろやってます

多趣味なもので、好きなことを書きます。
日々の雑感がほとんど。たまに考古学。

もしかして外国人向け?

2013-06-29 13:43:53 | 日記もの
品川駅で購入した「おもてなし弁当」。ネーミングからして来日した外国人向けなのかなーって感じです。面白いから買ってみました。パッケージはこの通りインターナショナルな感じです。

開けてみると、わりと普通。江戸前の握りが入っている所なんかがちょっと斬新かなと思うけど、中身はわりとヘルシーな感じ。ちょっと豪華な幕の内弁当風でした。これで1100円はリーズナブルかも。欧米人には肉が少なくてちょっと物足りない感があるので、アジア人向けなのかな。

明治の建築

2013-06-29 13:17:39 | 日記もの
岩科学校は和洋折衷な明治の建築です。どちらかと言えば和が強いかな。

建物正面の「岩科学校」の文字は三条実美が書いています。八月十八日の政変・・・とか頭に浮かんで来るけど、明治になると当然復権して政府の有力者になっていたんだろうなぁ。
 
中は博物館になっていました。なぜか縄文土器まで展示されている。曽利式と勝坂式・・縄文中期の土器です。

この日は「岩科まつり」が開催されていましたが、小さな田舎町の祭なだけに地元高校の演奏とか農協の特産品販売など、手作り感いっぱいの祭でした。

写真は地元の有力者依田佐二平の像。第一回帝国議会議員でした。伊豆は旧幕領が多かったせいか、明治時代には幕閣や会津藩士などがやって来ている。代官の江川氏もそのまま伊豆に残ったし、住民が幕府側だった人に対して比較的好意的だったのかも知れない。会津藩家老の西郷頼母も一時期いたので、大河ドラマにあやかって、もっと売り出せば良いのになぁと思う。それなのに岩科学校は三条実美って・・・明治時代って複雑なんだなぁと思う。

帰りは河津回りでループ橋通って来ました。グルグルしてる所で撮影。眼が回るよー・・・ウソです。

三島駅にて

2013-06-29 13:12:24 | 鉄道もの
三島駅ホームにて電車待ちをしていたら、踊り子号が入ってきたのでヘッドマークを撮影。昔からこのヘッドマークは変わっていないですねぇ。昔買ったJRのプリペイドカードだったオレンジカードにもこのデザインあったなぁと思い出した。

踊り子号が出発した跡、ふと奥の伊豆箱根鉄道を見たら、「ドアがBOSS」になってるー。車体の鮮やかなブルーと何気に良くマッチしていると思う。

市が原廃寺

2013-06-29 12:54:41 | 考古学もの
三島市は伊豆国府があった場所。三島大社から南側の一帯は市が原廃寺という古代寺院が存在していた。西には国分寺跡があり、三島は塔のある立派な寺院が国府を挟んで2つも建っていたという壮観な場所だったらしい。市が原廃寺はやや古く、その後に国分寺が建設されたと思うので、2つの塔が並び建っていたということはなかったと思うけど。「市が原」と呼ばれるのは平安時代頃に作られた三島大社の門前で市が立ったからで、平安時代には廃絶して市場と化していたのだろう。
 三島は東に大場川、西から東海道、南に湧水帯、北に三島溶岩流の台地があり、まさに四神が揃った場所。国府としては抜群の立地といえる。三島大社が鬼門よけと考えると、現在の三島市役所付近に国府があって良いのかなぁって思う。
 写真は市が原廃寺の塔心礎と言われるもの。三島市内の祐泉寺にある。小さなお寺のため、通りから入る道も狭くわかりづらい場所にあった。
 
 

旧三島測候所跡

2013-06-29 12:34:44 | 考古学もの
 趣味の近代建築です。窓の縦長な所が・・・完全に私のストライクゾーンです。大正~昭和初期って感じでたまりません。ちなみにこの建物は昭和5年竣工だそうです。ドアの上の半円形の飾りも素晴らしいとしか言えない。ああ、こんな建物に住んでみたい・・・無理だけど。とまぁ、変態的な趣味丸出しな発言は置いといて。
 これが近年まで測候所として使われて来たのですが、観測機器も現在は自動になってしまい、閉鎖されました。これは一体どうなってしまったんだろうと疑問を感じて行ってみたのですが、三島市に引き取られておりました。登録文化財として破壊を免れたようです。現在は「エコセンター」なる市の出先として使用されています。とりあえず中は展示施設になっていて見学が可能でした。入口を入ると何やら服のリサイクルボックスのようなモノがおかれていました。入って左手の部屋はかつての測候所の機器などを展示しています。右手側は環境活動を行うための教育施設って感じでした。建物規模がイマイチ小さいので、市的には公民館にするにはちょっと使いづらい建物なのかな。地域のプチ図書館みたいな使い方はどうでしょうねぇ?
 隣の広場には気象の自動観測器があって、気温や雨量などを計測してデータを気象庁に送っているらしい。朝のTVで見る三島市の気温はここで測られているということ。

頼朝の手洗い水

2013-06-29 12:16:24 | 歴史もの
 伊豆の頼朝伝説はたくさんありますが、三島の右内神社にも「頼朝の手洗い水」というのがあります。頼朝が三島大社に詣でる時に立ち寄ったという、よくありがちな話。三島~韮山間には下田街道があり、周辺に伝説地がいろいろあります。このようなモノは江戸時代に作られた話が多くて、本当かどうかは定かではないですが、歴女さんには受けるかもね(笑)。下田街道を通行していると、湧き水のある神社の森は確かに休憩するにはもってこいの場所。頼朝でなくとも冷たい水をすくいたくなるもの・・・ということで、頼朝さんも汗を拭ったにちがいないと。まぁこんな感じで伝説になっちゃったんでしょう。
 
 一方こちらは左内神社。右と左がセットなんですねー。三島大社から南へ下って来ると、右手に右内、左手に左内って具合になっているのでしょう。静かな境内になぜか不似合いな大砲が。日露戦争の戦勝記念として、ロシアの戦艦の大砲を飾ってあるらしい。村では戦争への出征者があると、ここに集まって戦勝祈願をしたのかなぁ。もう70年近く戦争をしていない日本にとっては遠い昔の記憶という感じがする。

郷土史家・秋山富南

2013-06-29 12:04:00 | 日記もの
江戸末期に「豆州志稿」を著した秋山富南については、その業績についてイマイチ取り上げられていないというのが現状である。三島市とか、地元の町がもっと積極的に宣伝しても良いのではないのかな・・・と思う。
だいたい、どこに墓があるんだーっと思って捜してみたが、なかなか発見出来ず。「富南の里」って書かれた看板があるので、何かと思ったら老人ホームだったー!!ってくらい、何もない。近くに公園があるらしいって情報をつかんで公園の周りをうろついていたら、やっと発見出来ました。せめて案内看板立てようよ。
上の写真は墓だと思ったら、顕彰碑だった。墓はどこだーっと捜したら、同じ墓地内に発見することが出来ました。しかし、こちらも何の看板もなし。墓碑銘を読んでやっと、秋山富南だということがわかったくらい。

で、お墓はこちら。割合、立派なお墓だけど、地元の有力者秋山一族の墓がたくさんあって、目立たない。本当に何とかして欲しいですねぇ。

こちらは大場の久八という任侠の大親分の墓。こちらは通りにも看板が出てわかりやすかった。この差って一体なんだろうと思う。