前略、いろいろやってます

多趣味なもので、好きなことを書きます。
日々の雑感がほとんど。たまに考古学。

酸っぱさが絶妙

2012-04-28 11:52:42 | ドリンクもの
小川の和紙のさとという施設の横にお土産屋があって、道の駅みたいになっている。そこで発見した地元産品のジュース。「おごせゆず之介」とかいてあり、可愛いゆずのキャラクターにつられて買ってしまいました。果汁18%でハチミツ入り。けっこう生ジュース感があって酸っぱさが絶妙な味。これはおいしい。なかなかB級グルメな味だと思う。

比企郡の城めぐり

2012-04-28 10:23:52 | 考古学もの
4月21日の午後、まずは鉢形城へ。歴史館を見た後、歩いて一回り・・広い。河岸段丘を利用した城のため、多少の段差はあるけど、登るのにはそんなに大変ではない。足に自信の無い人でもでも楽勝。でも、めちゃくちゃ広大な城で歩き回るのが大変だった。
途中に地元のいろはがるたらしきものが建てられていて、面白かった。縄張りをやっている人と遺跡調査をしている人がしばしば城の時期について論争をすることがある。縄張りの人は「この縄張りは北条だ」と言うけど、遺跡の発掘ではもっと古い時期のものしか出て来ないという場合、よく城の時期について問題になるのだけど、このかるたは遺跡発掘側からの反論みたいに見えるね(笑)
 
突然、こんなモノがあってビックリ。地元では5月にまつりをやるらしく、その時に使用されるらしい。近くには旗指物などもしまってある倉庫があって、保存会の人たちが普段から準備をしているらしい。それにしても石火矢を向けられている家って、ちょっと恐い気がする。

その後、あまり知られていない花園城へ。善導寺の駐車場に車を停めて、諏訪神社の裏手から山道を登る。全く案内も何もなく、普通はただの山にしか見えないから、地元の人に聞いてもたぶん「城なんてない」と言うだろう。山道を登って行くと、道が突然険しい上りになった。道を間違えているのかもしれない。なんでこんなに険しいかなぁと思って、周囲を観察すると、「ここって縦堀の中じゃん!!」なるほどキツいわけだ、横を見ると、もう一本の縦堀がある。二重縦堀だ!! とこれだけでも感慨がある。上に登って行くと、所々に腰郭があり、なかなか堅固な城である。とても感慨がある城だった。鉢形城のように整備されているわけではなく、道もろくにないし、看板も無いけど、手を入れられていない城の自然な姿があるので、それはそれで趣があった。途中危険な箇所もたくさんあるけど、ここはもっと売りにして良いのではないかと思う。とにかく険しい山城だったので、ちょっと疲れた。

近くをウォーキングしている人が多い。山裾にある寺をめぐるウォーキングコースがあるからだけど、全く違うウォーキング(笑)をしている人もあるってことを地元の人は知らないだろうな。山を下りると、汽笛の音が聞こえた。何かと思っていたら、蒸気機関車が通った。観光用の特別列車だったのだろうか。写真を撮る人多数。ちょっと得した気分になった。城の下の方には藤田氏館というものがあったらしいが、図示された場所には何も遺っていなかった。方形地割があったのかなぁって感じのみ。1キロほど東には正龍寺があって、墓地の頂部にお堂があって中に藤田氏と北条氏公邦の宝篋印塔があった。写真はそのお堂の側面に貼られていたもの。小学校で学習する地元の歴史いろはがるたらしい。これには鉢形城の「ろ」はまだ存在していない(笑)

宿は寄居町のシティプラザ寄居。経営者が変わったのか、付属する夢庵は閉店していた。ホテルももとはリゾートホテルをめざしていたみたいだけど、失敗して合理化している感がある。夕食は近くのイタリアンレストランへ。ここはセットメニューがお得だった。静岡ではおそらく2000円はするだろうと思うものが1000円くらいで食べられる。埼玉へ来てなぜイタリアン?と思うかもしれないが、ここはオススメだと思う。

4月22日、朝イチで小川町の中城へ。場所が分からなくて捜してしまった。県道11号線の方から捜しても見つからない。白山神社の付近だと思って行っても墓地があるだけ。おかしいと思って、図書館側から反対側へ回り込んで行くと、陣屋沼緑地公園があって、その上が城になっている。公園の駐車場に車を停め、歩いて行く。比高差はあまりない。単郭式のこじんまりとした城で、頂部はテニスコートになってしまっている。昨日のような感慨はなかった。
県道11号にもどり、パトリア小川という町営の健康施設の駐車場に車を停め、次は腰越城へ。駐車場にすでに案内板があり、健康山歩きコースとして整備されている。入口には門があり、脇に杖が用意されていた。竹の根を利用して作られているものを拝借する。確かに杖がいるくらいの上りで、ウォーキングと言っても健脚コースに違いない。上りは急で大変だったが、登ってしまうとわりとシンプルな山城で昨日のような感慨はなかった。降りて来て「パトリア」をご利用くださいと書いてあるので、何か置いてあるのかと思ったら、単に浴場があって、汗を流して行けというような感じだった。せっかく町営の施設なのだから、何か城の資料とか、ミニ展示などをすれば良いと思う。
昼まで、やや時間がありそうだったので、予定外の青山城へ。ここは近くまで車で行くことが出来ない。とりあえず仙元山にある見晴らしの丘公園の駐車場まで行ってそこからウォーキングコースを歩いてしろまで近づく。公園の駐車場には仙元山まで15分と書いてあるのが消されて25分と書いてあった。仙元山のピークを越えて800mくらいなので、城までは1時間はかからないだろうと思う。実際に仙元山頂まではややキツい上りがあったが、なんとか15分位で到着。最近、ウォーキングは老人が増えて来たので25分と書いたのだろう。そこから少し下って次のピークが城跡だ。やはり仙元山から20分程度で到着した。わりとウォーキングをしている人が多い。途中、「青山へ」と書いた看板があり、下の集落から城の入口まで登って来れるらしい。この城は遺構がはっきり遺っていてわかりやすい。コの寺形をしていて、不思議な形の城だった。またもと来た道を引き返して見晴らしの丘公園へ。往復の所要時間は1時間40分くらい。天気が怪しかったけど、雨が降って来なくて良かった。ちなみにこの見晴らしの丘公園には巨大なローラー滑り台がある。1回200円と書いてあった。バイクの集団がちょうどやって来て、ふざけてヘルメットをかぶって滑り台を滑っていた。
その後は、ときがわ町の慈光寺へ。創建が古いお寺だそうな。ときがわ町は木材の町と言っているだけに、凄い山の中で、なぜこんなところにお寺があるのだろうと思う。平安時代の山岳仏教の影響かな。このお寺は桜もたくさんあってすごかったけど、シャガの群生もすごい。この時期は花が咲き乱れてすごいことになっている。お寺の宝物館には確かに古い仏像などがたくさんあった。でもちょっと由来についてはアレだなぁという感じ。長い間に話が変わってしまったのだろう。それでも宗教上のものだから、お寺ではそれを信じているのだろう。
最後は嵐山IC付近の杉山城。本日4つ目の山城・・中城は大したことなかったけど、青山城がちょっと効いていて、すこし疲れが来ている。まぁそんなキツい城ではないから、最後の体力を使い切って杉山城を歩いた。ここは完全に整備されているので、歩きやすい。搦手側の道路の脇に駐車して歩くため、ほとんど上りは少なかった。木の伐採が進んでいて、切った木をチップ化して、歩くルートに敷き詰めている。エコだなぁ。このチップの道をたどって歩いて行くと、ほぼ城を一周することが出来た。雨が降り出していたが、わりと見学しやすかった。搦手側から行くとあまり堅固さを感じなかったが、大手側へ行くと郭がたくさん重なり、壮観だった。ここはこのまま伐採をもっと進めて、城の威容が見えるようにして行って欲しい。
一日4つの城をめぐるのはこれが初めてだったが、思ったより体力が持ったかなぁ。でもこの日は疲れてしまい、早く寝てしまった。





桜が見頃だった

2012-04-28 10:13:10 | 日記もの
4月21日、もう静岡では桜が散って、新緑となっているのに、埼玉の山間地である寄居町はまだ標高が高いせいか、ちょうど桜が盛りの頃だった。今年は二度も桜を楽しめて得をした気分になった。花びらが風に舞う様子が風情があって好きだなぁ。
桜の花が石畳に散って趣のある風景もまた楽しみ・・・ということで、壁紙にすると良いかもって思って写真に撮ってみました。 
どちらが良いかな? 左は寄居町鉢形城歴史館の中庭、右はときがわ町の慈光寺の石畳。


圏央道狭山PAにて

2012-04-28 09:58:43 | 食べログもの
4月21日、埼玉に向かっています。東富士道路から中央高速、圏央道を経由して行くと、結構早く行ける。9時過ぎに出て、12時頃には圏央道狭山まで来た。東名高速道路はほぼICとにその間にSAかPAがあるのに、中央道や圏央道って全然ない。特に圏央道は山間部を走っているためか、全く見当たらない。ようやく狭山にたどり着いた。ここは最近出来たばかりのようで、建物も新しい。トイレもゴージャスってのが、最近のPAだね。おみやげ売り場も充実していて、かつての小さくて汚いPAのイメージは全くない。食事をとるところも明るく開放的な雰囲気の空間だ。ここで、名物の肉汁うどんを昼食に食べた。写真は肉汁うどんに+300円でミニ丼をつけたもの。ミニ丼は3種類あって写真はカレーミニ丼。出て来たところで驚いた。ミニ丼と言ってもゆうに普通の茶碗より大きい!! そしてうどんが予想よりも大量だった。食べた後、かなり苦しいくらい。これなら、ミニ丼300円だけでも充分なくらいだと思う。安くて量があるためか、なぜか土建屋の作業服を着ている人が多数。
 
写真は狭山PAで売られていたお茶二種。「狭山茶どころ情けがあつい」と東村山音頭に歌われていたように、今でも周辺はお茶がたくさん栽培されていて、お茶の産地となっている。PAでもお茶をはじめ、お茶を利用したスイーツなどが売られていた。食堂のお茶サービスも狭山茶だ。飲んだ印象は狭山茶は割合すっきりした味かな、静岡茶の方がディープって言っちゃうのは身びいきかも知れないけど。「さやまみどり」という品種のお茶だと言う。

名前はアレでもおいしい

2012-04-28 09:50:17 | ドリンクもの
東富士道路から河口湖ICで中央高速に乗って、大月方面に向かっていくと、谷村というPAがある。小さなPAでトイレしか無いのではないかと思ったら、店もある。そこで見つけたのがこれ。「ピンク オ・レ」ってなんとなく名前が怪しい。でも山梨県は桃の産地だから、どうも桃のドリンクらしいということで、買ってみた。
あまり期待をしていなかったら、予想外においしい。桃とミルクってこんなに合うんだー!!と驚いた。今度見つけたら、たくさん買い込みたいと思う一品だ。これはすごい商品だと思う。たぶん量もたくさんだとくどくなるから、これがベストかな。

北条宗時の墓!?

2012-04-15 22:36:49 | 歴史もの
函南駅の西側には「北条宗時の墓」なるものがある。民家の間に登り口があって、ちょっと小高いところにあり、見た目は古墳みたい(笑)この上にお堂が建っていたのかなぁ・・と疑問に感じるものだけど、地元には時政が作ったという伝説があるそうな。
三郎宗時は頼朝旗揚げの時点では北条の嫡子で、その後執権となる義時の兄。義時は「江間小四郎義時」と呼ばれており、すでに庶子として分家していたらしい。残念ながら石橋山の戦いの際に戦死してしまい、その後の北条氏は弟の義時が背負って行くことになる。嫡子の死に時政はかなり衝撃を受けたらしく、立派な墓をと考えてもおかしくはないのだけど、なぜ函南に?と思う。普通は自分たちの支配する北条まで持って来るはずだけどなぁ・・と思う。亡くなったのは夏の終りだから、石橋山から遺体を運んで来る途中で腐って埋めざるを得なかったのか。それにしても他の武士の所領に墓を作るってどうよ?・・今と感覚が違うからそれでOKなのかなぁ・・とも思う。
 
墳墓の前には宝篋印塔があるけど、平安末のものではなく、もう少し後のものかもって感じがする。横に建てられていた「北条宗時の墓」と書いた石碑は、昭和19年に大東亜戦争の戦勝祈願のために建てられたものと刻まれていた。かなりこの頃はもう日本も負け続けて、若い人たちが次々と招集されて行くというキツい時代なのに、地元の人たちはよく石碑を建てる気になったものだと驚いた。

コカコーラHAPPYCAN当たったー

2012-04-15 22:28:34 | 日記もの
函南駅付近をぶらぶら歩いていたら、喉が渇いてきたので、たまたま目前にあったコカコーラの自販機でジュースを買うことにした。おっ、太陽のマテ茶があるぞ、しめしめ。ということで太陽のマテ茶を買った。ゴロンと音がしてマテ茶が出て来たと思ったら、すぐにもう一回ゴロンという音。なぜ音が二回したのかな・・と思いながら、マテ茶を取るともう一つジュースが出て来ている・・自販機壊れているのかなと思って手に取ってみると、HAPPYCANと書いてあった。自販機を見ると、プレゼントキャンペーンの広告がある。どうも当たったらしい・・持っているなーと思った瞬間だった。何でもコカコーラの自販機50周年で150万人にプレゼントが当たるのだとか。結構な頻度で当たりが出るのかもしれない。缶の中には折りたたみ式のヘッドホンが入っていた。しかも他の缶と一緒に冷却されていて、缶が冷たい(笑)缶の上にはシールがついていて、ここをはがすと貯金箱にもなるそうだ。1つで二度おいしいとはこのこと。

これも近代化遺産かな

2012-04-15 22:22:12 | 日記もの
「静岡県のすごい産業遺産」がいまを人気らしい。もともとは県庁でマニアックな冊子を作ったのが発端だが、NHKで流したら、あっという間に申し込みが殺到し、増刷されたという。現在、パート3まで作成されていて、「そろそろ次のが出る頃だろ」という問合せの電話まであるという。健康のためにウォーキングをする人口が増えているから、ウォーキングついでに何か見たいという人には最適のものだったらしい。
写真は函南駅西側にあるメガネ状の橋。東海道線は昭和9年まで現在の御殿場線を走っていた。それが箱根に丹那トンネルが掘られたことにより、函南に鉄道が通ることになる。たぶん、その工事に伴ってこれは作られたのだろうって推測する。ちょうど上をJRFの貨物列車が通過して行った。