前略、いろいろやってます

多趣味なもので、好きなことを書きます。
日々の雑感がほとんど。たまに考古学。

盛りが勝負の店

2013-02-16 23:44:01 | 食べログもの
小田原で昼食を食べようと商店街へ。パチンコ屋の横にあった「ほのか」という店はキャッチコピーが「大盛りダイニング」というわけで、ロコモコ丼の「ミニサイズ」を頼んでもこの大きさ。これでも胃がもたれるくらい盛ってある。ご飯だけでも茶碗二杯分くらいかな。
店の入口には巨大な丼が並び、普通サイズがこれっ?絶対食べきれないって感じ。メチャクチャ腹へって爆食するぞーっという若い大学生とかなら食べるかも知れないが。入口で食券買うと自動的に注文が入って、席で待っていると出来上がって呼ばれるというシステム。返却もセルフ。水はコップとレモン水がテーブルに置かれていた。横がパチンコ屋なので、扉が開くたびに凄まじい騒音がする。ロコモコ丼のハンバーグは肉が粗挽きでおいしかった。

巨大ついでに小田原駅の小田原提灯も巨大だった。あれ点灯するのかなぁ?

花が多い小田原城

2013-02-16 23:32:53 | 日記もの
2がつの小田原城は梅の香りが漂っていました。ふと横を見るとロウ梅が咲き、周辺には紅白梅も。寒桜も咲いていて、写真を撮っている人がいた。水仙も咲き、こんなに寒い時期なのに花いっぱいになっている。ポツポツと来たので、雨かなーと思ったら1mmくらいの角の氷の粒が降って来た。あわてて常磐木門まで駆け上って、雨宿り・・霰宿りかな。
小田原城内は象の梅子さんが亡くなって、象舎はすっかり撤去されて更地になっていた。象舎の周辺にあった現代の堀跡が微妙に窪んでいるような気がする。あと飼育されているのはニホンザルだけになってしまっていた。

小田原城現説

2013-02-16 23:09:08 | 考古学もの
2月16日、小田原城御用米曲輪の現地説明会があった。前日から天候が悪く、現地も曇りで時々雨粒や霰が落ちて来る。現場はシートが敷き詰められ、ドロドロにならないように配慮してくれていた。感謝。
 
まずは御用米の蔵跡。江戸時代にはここに藩の年貢米などを入れておく米蔵が建ち並んでいた。その基礎の石が蔵のあった位置を示してくれる。出土した瓦にも葵の紋がついていた。瓦がたくさん埋められていた場所もある。堀方面からの湿気遮断か、温度管理のためかよく分からないそうだ。

竪穴状の遺構。石垣の水路を埋め立て、一部を竪穴状の施設としているもの。大きな井戸みたいな施設かな?
 
北側で検出された建物跡と道路跡。建物跡と道路跡は微妙に角度がずれている。
 
 
庭園跡。畝堀を埋め立てて作られている。護岸の石には宝篋印塔や五輪塔の部材まで使用されている。水路は石を両側に立ててしっかりと作られていた。

一番古い堀の跡。
今回の調査は、北条氏の古い時期の堀跡があり、これを埋め立てて北条氏の新しい時期の庭園と建物跡があり、それらを埋め立てて江戸時代の米蔵が建設されたという大きく分けて3つの時期が同時に検出されていて、それぞれが明確な高低差をもって検出されている。下層の遺構を全て調査しようとすると、上の遺構がなくなってしまうわけで、今回の調査も上層の遺構を避けて下層調査をするというやっかいな様子が見て取れた。整備するのに苦労しそうだなー。
 
出土した遺物たち。当たり前だけど、立派なモノが多いです。瑠璃釉の磁器片は写真では真っ黒にうつっているけど、実物はとても青くて綺麗な色だった。


静かな寺だった

2013-02-16 22:38:43 | 日記もの
久々に両親が訪ねて来た。三島駅まで迎えに行くと、「三島の北の方にある臨済宗の大きな寺に行きたい」という。臨済宗の寺って・・そこら中にあるじゃないかー!せめて名前とか分からないか?というと、地図を見れば分かるという。仕方がないので、近くの本屋で地図を買うことにした。寺の名前は龍澤寺だった。そんなに遠くないので、すぐに向かった。すごく田舎にある・・と言われていた割に周辺は住宅地化していた。寺は確かに大きく、坐禅の道場もあった。周辺の臨済宗の若い僧侶が修行に訪れるような場所だと言うが、この日はほとんど人気がなく、静まり返っていた。鐘突き堂が六角形の変わった形だったので、写真に撮ってみた。建物はみんな新しいので、あまり歴史を感じなかったが、立派な寺院であることは間違いない。
この後、両親を昼食がてらネットカフェに連れて行った。以前から両親にはインターネット体験をさせたいなぁと思っていた。色々な詐欺が多いからと、両親はインターネットを誤解し、しかも火災が危ないとか色々なことを言って行くのを嫌がっていたが、そんなに危険ではないと言いながら半ば強引に連れて行った。まず、ペア席とマッサージ席を取り、ペア席に入る。フリードリンクの所に連れて行って、ジュースやスープ、紅茶など好きなモノが選べることを説明。おそるおそる入った両親は、少し不安そうだ。ペア席は3人入れる広さだったので、まずそこでジュースを飲みながらコンピューターの電源を入れる。インターネットを少しやってみせて、いろいろなことを調べるのに便利だということを教える。インターネットこそ老人には必要なものだということが分かってもらえたかなぁと思う。知り合いなどがブログやホームページをやっていれば検索させても良い。
頑固な父は最初、「こんな所に来たってつまらない」というオーラを発していたが、インターネットで麻雀ゲームを始めるとすっかり夢中になってやっていた。昼食にはたこ焼きや焼きそばを注文。母はちょっと疲れたというので、マッサージ席へ。少しずつ慣れて来た感じがした。漫画の本棚が多くて少し迷っている所があったけど、あっという間に3時間が過ぎた。最終的に「面白い所だった」と言っていた。
老人もインターネットの面白さが分かれば、楽しむことが出来る。ただし、新しいことを始めるにはエネルギーがいるので、それをアシストしてやることが大事である。まずは、連れて行くこと・・・背中を押さないとなかなかやらない。あとは教えること・・・本当は店の人が老人用のレクチャープランなんかを作っていてくれれば良いのだけど・・・慣れるまでいろいろレクチャーしてくれるって言う感じで。あとは老人プランで平日昼間の格安プランを作ってくれると良いなぁと思う。

国人の館だ

2013-02-16 22:11:18 | 考古学もの
2月9日、伊勢原市の第二東名建設予定地で現説があったので行って来た。No.123遺跡・・そのうちマトモな名前がつくかな?

ご覧のとおり、現場はピットが一面にあった。柱の間隔や規則性によって、建物の跡を捜して行くわけだけど、人が長く住んでいると何回も立て替えがあるので、ちょっと大変な作業。遺物から13~14世紀頃の建物跡らしい。鎌倉時代から南北朝期ころに、この地域を支配した地頭・国人層の館跡らしい。

これは海老名市で見つかった館跡の復原図。ここもこのクラスのものなのではないかと推定されている。

隣接する地では、館を取り巻く堀跡が検出された。この堀は現在、埋め戻されているとのこと。

今回の調査で注目すべきは、厩と考えられる建物跡。図面見た瞬間に「これ厩だぁ」と思ったけど、現地で見てビックリ。北側半分が階段状に掘り窪められている。厩遺構には馬の糞尿処理のための溝状の施設があることは知られているが、このような大きな窪みは見たことないな。しかも中にピットがある。馬はこんな階段状に斜めになっている所にいたことになっているが、どうにも直に地面にいるのでは具合が悪いのではないかと思う。そう考えると、建物の北側は掘り窪められたところに板が張り出していて、馬はその板の上で飼われているという方が自然な感じがする。しかもすのこ状になっていれば糞尿処理はしやすいと思われる。この頃は下肥が肥料として使われだす頃なので、その一端をうかがわせるものだと思う。
仕切られた区画から、馬は最大で5頭飼育が可能である。この一家に成人男子が数人いたとすると、厩の横で見つかった建物は少し小さく、母屋でないのではないかとのことだった。

現地は河岸段丘状の地形で、今回の調査地は館の一部であるとすれば、母屋は現地より南側にあるのではないかとのことだった。左手側の反対の尾根上には産業能率大学が建っているが、そこが上杉館跡と推定されている場所だ。今回の調査地には誰が住んでいたのか、記録がないため分からないが、上杉氏に関わる武士だったのだろうか。

サクラあるかな?

2013-02-16 22:05:59 | ドリンクもの
午後の紅茶の新バージョン、ヨーロピアンスタイルのサクラ&ピーチ。パッケージが綺麗で買った。ヨーロピアンスタイルはパッケージのデザインセンスが良いと思う。ピーチの絵がついているようにピーチのフレーバー。飲んでみると、ピーチのほのかな甘さが広がり、とてもおいしい。サクラスペシャルとうたっているけど、サクラっぽさはあまり感じられなかった。何をもってサクラにしたのかなぁ? 普通にピーチフレーバーだけで良いと思うのだけど。

富士市のマンホール2

2013-02-16 21:58:15 | マンホールもの
正確に言うと、消火栓なのでマンホールではないけど。かぐや姫と富士山のカラー版。これはなかなか綺麗ですね。富士市はかぐや姫伝説の残る地なので、竹取塚なんかもある。ハッキリ言って、かぐや姫には都の貴公子たちが求婚するので、たぶん畿内の話だろ?って思うけど。最後にかぐや姫が竹取の翁に渡した仙薬を天に一番近い山で燃やしたというので、富士山は関係・・あるね。