前略、いろいろやってます

多趣味なもので、好きなことを書きます。
日々の雑感がほとんど。たまに考古学。

最終日のいろいろ

2013-08-27 12:03:36 | 旅行もの
4日目はまず小田城へ。ここは北畠親房が「神皇正統記」を書いたところとして有名。しかし、どこをどうやって行けが良いのかよく分からない場所にあった。看板は小田十字路の手前に「小田城800m先左折」と書かれた近ものがあるのみ。800mくらい行っても次の看板がない。近くには行けるのにどこから入るのだろう?という所。周囲の道は狭い。どこに車を停めたら良いのか。困って周辺をぐるぐると走っていたら、観光看板を発見。元小田駅のあった場所が駐車場として使用出来るらしい。なんとか駐車場にたどり着けた。せめて駐車場入口には看板とか出して欲しい。駐車場前には「小田城本丸」の石碑があった。まだ小田城は整備中らしく、土塁の跡があり、中はまだ工事中で立入り禁止。あと2年くらい先にならないと完成しないんだとか、近隣の保育園の人が言っていた。

ついでに少し先にある平沢官衙遺跡へ。ここは倉庫跡がたくさん検出された場所で、復元された倉庫三態。右から、校倉造り、茅葺き屋根、板葺き屋根。なんで三種類も復元されているかはよく分からなかった。この日は月曜のため、入口のガイダンス施設は休館。なぜか犬を連れて散歩に来たおじさんが丁寧に説明してくれた。

おじさんいわく、「当時と違うのは屋根についている避雷針だけです!! なるほど屋根の上にはなにか細い線がついている。そして建物浦にはそこから伸びた電線から地中に放電するための鉄柱がたっていた。でも、検出されたのは建物跡(要するに柱の穴)だけで、上屋構造が出土したわけではないので、この三態が本当に当時の姿かというと疑問だなぁと思った。それに茅葺きの屋根は中で火を焚かないと、茅の中に虫が発生し、しかもその虫を狙って鳥がつついて穴をあけてしまい、屋根としてはどんどん機能が衰えてしまう。かと言って、倉庫なのだから中で火を焚くのは無理。それを考えると、茅葺きではなく板葺きの屋根で作られていたと考えた方が良さそうだ。おじさんいわく、瓦があまり出なかったから茅葺きだろうって話らしいと。実際に作ってみると矛盾が分かるものだという事がよく分かる。
昼は筑波に戻って大学前のレストランで食べた。この日は大学の説明会でたくさんの高校生が筑波大学を訪れていた。
午後は逆井城へ向かう。

猿島に入ると、「何だこれー」と叫ぶようなものがあった。名古屋城もどきな天守閣。屋根の上には金鯱が載っている。近くまで言ってみると「豊田城入口」の交差点が。隣の地区文化交流センターの駐車場があったので、そこに車を停めて歩いて行くと、大きな石碑には「平将門と中世の豊田氏」などの歴史のある町を記念して歴史的天守建築にしたとある・・天守閣は時代が全然違うんですけど。で、中は歴史的な資料を展示しているらしい。この日は月曜だから休館で、いったいどの程度の展示内容なのかは分からなかった。小田原城みたいな展示なのかな。遠くからもよく目立ち、たまたま通りかかった人がこれだけ引きつけられるので、集客には良いかもしれないけど、ちょっとやり過ぎ感があった。まぁ、もともと何もない所に作っている分、中世の城跡に天守閣建築を建ててしまった吉田城に比べれば罪が軽いのかもしれない。
 
正面から見るとこんな感じです。手前には専用駐車場があった。右側は体育館。なかなかシュールでしょ。入口には地元出身の長塚節の銅像がありました。ますます訳が分からない。
逆井城も月曜日は休みと管理事務所に書いてあった。でも建物や公園内は見学自由なため中を見て歩いた。しかし、公園化されているので、中はグラウンドゴルフ場になっていて、この日もプレーをしている人が若干いた。そこら中にプレー用の数字の書かれた看板があった。城跡を公園として保存するという事を地元に理解してもらうための苦肉の策なのだろう。市民がプレイするために草刈りなどの城内整備費用も捻出出来るという一つの方法かもしれない。
さて、ここから自宅に帰るには・・と言って、カーナビで「自宅に帰る」ボタンを押すと東京回りのルートを示す。もちろん渋滞に巻き込まれるのは必至。そこで裏技を考えた。桶川から圏央道を通り、中央高速に抜けて須走まで行くルート。カーナビには桶川市内を表示させてインターを検索。ここを目的地にすれば、圏央道に入る事が出来る。16時過ぎに古河と久喜を抜けて桶川まで1時間弱。17時過ぎに高速に入り、狭山PAで休憩し、中央道談合坂SAで18時30分。やはり首都高方向は激しい渋滞だったようだが、こちらはまったく渋滞無し。

夕食は談合坂のフードコートで食べた。何食べようか迷ったけど、ハンバーグオムライスのセット。サラダとスープがついてる。
それからは家までノンストップ。家に着くと20時30分。このルートは便利だと思った。ただし、中央高速道路は上り線方向はやはり渋滞で繋がっていたので、帰りは良いけど、行きにこのルートで良いかというとそうでもないと思う。

3日目は水戸から筑波へ

2013-08-27 11:25:44 | 旅行もの
日曜の午前中は水戸市内の県立歴史館へ。この日は歴史館まつりなるものをやっていた。エントランスにはテントを張って露店が並んでいる。夏休み最後ということで、宿題解決のためにいろいろ子ども向けのイベントをやっているようだ。まぁ、それは置いといて「会沢正志斎」の企画展が目的。ちょうどギャラリートークが行われていてラッキーだった。博物館を見て歩く時に思うのはもっとギャラリートークを増やしてくれると良いと思う。最近は音声解説機器を貸してくれるところも増えたなぁという感があるけど、音声機器は一方的だし質問も出来ない。会沢正志斎は水戸学の中心人物の一人で、水戸学と言えば有名なのは「尊王攘夷」。しかし、歴史館の展示では水戸学の人々を「水戸学」でひとくくりに考える事は出来ない事を示していた。会沢は攘夷ではなく、むしろ西洋の知識は積極的に取り入れるべきと主張しているし、むしろ過激に走る人々を止める側にいた事、水戸藩では穏健派と過激派の対立が続き、明治になっても対立が続いていた事などがわかった。会沢は文久三年に亡くなっているので、幕末の暴発する事件を制止することが出来なかったのだなぁとしみじみと思った。それゆえに明治政府は旧水戸の人物を県令とする事が出来なかったという。そういったことがよく伝わって来る展示だった。展示を見て、まつりで売られていた県立農林大学校栽培の梨を買う。スーパーでは200円前後で売られているくらいの大きさの梨だったので、5個入りで500円は格安だなぁと思う。
午後は茨城町にある小幡城へ向かう。どこかでお昼を食べようと思っていたら市街地を抜けてしまい、仕方がないのでコンビニで弁当を買い、小幡城で食べる事にした。しかし、この城は誰が作って誰がいたのかが不明な事が多く、その割に遺構がしっかり残っているという奇妙な城。このため整備が進んでいない。入口になんとか2~3台停められる駐車スペースは確保されているが、周りはうっそうとした森で昼食を食べる雰囲気ではない。周辺の農道を回っていると、高速道路沿いにちょっと車が停められるくらいのスペースはある。昼食はそこで食べた。それから入口の駐車スペースに車を停めて城を歩いた。入口には看板が設けられ、歩くコースもきちんと矢印で示されている。予算がつかない中で地元の教育委員会が努力しているようだ。
石岡市内を通っていると「常陸風土記の丘」とあったので、ここもついでに見学。入口に展示館があり、市内の出土遺物があった。そして復原の建物が建つ所へ。各時代の住居が紹介されていた。

それから石岡市内を通ると、現在も続く国分寺があった。国分寺付近の歩道にも軒丸瓦の文様がデザインされていた。国分寺の西側に多目的広場があり、そこに車を停めて周辺が散策出来る。地図の看板も設置されており分かりやすい。
あとは茨城県内の最大級前方後円墳である舟塚山古墳へ。入口に看板があり、専用駐車場が設けられていた。地方の前方後円墳としては全国でも2番目の規模を持つらしい。
そしてこの日は筑波へ宿泊。つくば駅前はまつりをやっていて、道路が通行止めになっていた。


水戸のマンホール

2013-08-27 11:13:17 | マンホールもの
写真は弘道館前の通りで採取。水戸の梅がデザインされているもの。駅前にはカラーバージョンがありました。

すぐ近くにあった消火栓のふたもこのようなデザイン。偕楽園と梅林って感じです。

そして排水溝のふたも、梅といえばウグイスとばかりにこのデザインです。これにもカラーバージョンがあります。

2泊目は水戸

2013-08-27 10:45:20 | 旅行もの
土曜の夜は水戸に泊まるので、鹿島から大移動。でもほとんど渋滞がないので、快適だった。水戸駅前のビジネスホテルに泊まったので、夜は水戸駅前を散歩。写真は水戸駅前にあった水戸の位置を示すもの。

水戸といえば水戸黄門・・ということで、駅前にはテレビでおなじみの助さん角さんを連れたこの姿。これはフィクションなんだけど、観光客には人気が高いから、玄関口に飾られているらしい。この他にも光圀像は市内の各地にあってその人気ぶりがわかる。水戸では光圀公は「義公」、斉昭公は「烈公」として並び称されているが、銅像の多さでは光圀公が群を抜いているね。各地に水戸藩で活躍した家臣の像なども建てられていて、水戸藩を慕う人々がまだたくさんいる事を感じた。

水戸の駅ビルで夕食・・・駅で配っていたドリンクのタダ券にあった「離島キッチン」へ行った。全然ご当地グルメじゃない(笑)ということで、写真は納豆じゃなくて、隠岐の漁師料理で、ご飯の上に乗っているのはイカの沖漬け。「お好みによりタマゴの黄身をかけて食べて下さい」というので、最初はそのまま食べ、少し食べてからタマゴの黄身をかけて食べた。塩気の濃い味が少しマイルドになる感じかな。

一夜明けて水戸藩の藩校弘道館が近いという事で、歩いて行ってみた。なんと、東日本大震災で大きな損傷を受けたらしく、大掛かりな修復と耐震工事が行われていた。鐘楼は完全に倒壊したとか、建物も土壁が崩れたり、建物に歪みが出たりとすごい被害だったらしい。もちろん工事中により、建物周辺をぐるりと歩く程度にしか見学が出来ない。しかも建物はみんな工事の防塵シートで覆われ、何も見えない状態だった。震災当日は4分から5分くらい大きな揺れが襲ったと受付の人は話していた。

歩道にもその爪痕が残り、白いタイルのうえに点々と赤の印が付けられている。最初は何かの模様かと思ったら、よく見ると、歩道のタイル材が割れている所だった。現状では歩くのにはあまり影響がないので、まだ修理されていないのだろう。震災から2年以上たっているが、まだまだ水戸も完全に復旧したとはいえない状態にある。とりあえずライフラインは真っ先に復旧されるけど、文化施設や緊急を擁しないものなどは後回しなのだなぁと思った。

耐震工事の終わった小学校や中学校はこの際だから・・と城のイメージに合わせて白い建物に変更。城をイメージしたデザインをたくさん取り入れて美観を作ろうという努力をしている。写真は三の丸にある小学校。校門が城門を模している。瓦葺きの白い建物をイメージした校舎で、楼閣のようなものまでデザインされていた。通りに電柱はなく、地下の共同溝に電線があるらしい。信号機の本体やポールももシックなカラーで統一している。城下町の雰囲気造りが都市計画でなされている感じだ。
二の丸にある中学校も同じように城のイメージで、さらに門は立派だった。そして「水戸城跡二の丸展示館」が併設されていて、水戸城から出土した瓦や陶器などが展示されていた。公共施設を作る時はこのようなモノも併設する、学校などの教育にも予算をかけるというのは水戸藩以来の伝統なのかなと思った。この資料館前には彰考館総裁となって「大日本史」編纂に力を発揮し、角さんのモデルと言われる安積澹白の銅像が建っていた。

塚原卜伝を追って

2013-08-27 10:19:14 | 旅行もの
さて、土曜の夕方は塚原卜伝を追って鹿島神宮へ。写真は駅の近くにある塚原朴伝像。それから鹿島神宮へ。鹿島神宮内にはテレビドラマで撮影したスポットなどがあちこちに看板で紹介されていた。たしかにドラマの中で見覚えのあるシーンがあちこちにある。宝物館に入ろうと思ったら、ちょうど16時で閉館だった。まだ参拝の人はたくさんいるし、夏の16時はまだまだ明るいという事を考えると、この時期の閉館時間を1時間ぐらい伸ばしても良さそうなものだが・・・と思った。お守りを売る社務所も17時前には閉まってしまう。いくらサービス業ではないとは言え、少し考えたらどうなのかなと思う。

テレビはさておき、塚原卜伝は鹿島氏に仕えた武士なので、鹿島神宮から少し離れた場所に支配地があり、居住地があった。今も静かな農村であり、荘園の雰囲気をちょっと残している。「塚原卜伝墓所」の看板に遵って村の狭い道を行き、民家の近くに卜伝の墓地があった。一応、車は5台くらい置けるスペースは設けられている。・・近隣の人の墓地もあるので、共同墓地の駐車場という方が正しいかも。一段上がった山の中腹に卜伝の墓が残されている。下には「塚原家」と書かれた新しい墓石もあるので、卜伝の墓を守って来た子孫なのかな?と思った。

さて、今度は館跡を捜す。墓所から上の台地に登った所にあるらしい。何か看板はあるのかな?と思ったら、なかなか見つからずに苦労した。ふと、カーブミラーの根元を見ると、「塚原城跡」と書かれたすごく目立たない立て札が・・・あった。特別支援学校が近くにあるので、ナビではそこを入れて、近づいたら、写真にある「鹿島ハイツ」と書いた看板を見つけて、その交差点を鹿島ハイツとは逆に入って行くとうまく着くと思う。ちなみに鹿島ハイツ側に曲がるとすぐに特別支援学校がある交差点である。
塚原城跡はこれだけテレビドラマでやったのだから、もう少し何かがあっても良さそうだが、近隣の住宅の人たちが嫌がるのか、入口の小さな立て札以外は何も案内がない場所だった。

ゴジラもいる歴博

2013-08-27 09:42:36 | 旅行もの
今年の旅行は、千葉北部と茨城南部。まず金曜の午後15時前に車で出発。平日の高速道路は夕方になると混み合う。やはり海老名で渋滞、港北PAでトイレ休憩していざ首都高!と思ったら、渋谷で事故発生により3号が閉鎖されているという。で、池尻から池袋、王子を抜けて葛西方面へ抜ける迂回路しかないという状態に。それも17時の首都高は全部渋滞で、自転車より遅いノロノロ運転だった。ということで、東京を抜けるのに2時間くらいかかっていた。ようやく抜けて千葉のPAでようやく夕食。そこから先は順調に進み、佐倉に到着した。泊まった宿は海洋深層水の大浴場がやっているホテル。フィットネスクラブやカルチャーセンターもやっていて、ホテルはついでに・・・って感じでその一角にあるような面白い施設だった。

翌日の土曜は、午前中に国立歴史民俗資料館にて展示見学。今年で開館30周年と言っていた。9時からだと思って行ったら、開館は9時30分からということで、しばらく周辺の佐倉城内を散歩。

堀田正睦とアメリカ総領事ハリスの銅像が並んでいるという奇妙な光景を発見。堀田正睦は佐倉城主だったから良いとして、何故ハリス?って感じで建っています。二人は日米通商交渉をしていたから・・という理由らしいけど、両者が並び立つ事にちょっと違和感を感じた。だいたい堀田正睦はハリスに苦しめられてたんじゃないの??って気がするけど。
展示は30年の間にマイナーチェンジを繰り返し、開館当初からあるものは少し色褪せてる感があった。新しいデータを追加して展示を少しずつリニューアルして行くことは大事だけど、展示品の劣化というものも考えなくてはならないなぁとしみじみと思った。それと以前あったコーナーごとの展示解説シートは無くなっており、かわりに大展示室の概略だけを示したカラーパンフレットに変わっていた。これも予算の問題なのかな。以前は一巡すると展示の本が出来てしまうくらいだったのにね。解説シートの内容は有料の図録に変わってしまっているといった状況になっている。

まぁ基本的にはほとんどレプリカの展示なんだけど、なかなか精巧に作られている物が多い。この写真は静岡県の大谷川出土の反り柄装着鍬。という珍しいもの。しかもこの発見で反り柄がどのように刃に装着されていたかがわかった学史的な発見がだった・・・その時、私も大谷川で学生アルバイトをしていたので、大変思い出のある一品。本物は静岡県所蔵ですが、レプリカも大変良く出来ている。

展示を一つ一つじっくり見ていると一日かかってしまうけど、近世以降はざっと飛ばして見て、もうお昼。最初の写真のゴジラが近現代の展示にあった。昭和33年ももう歴史になっているのだ(笑)、近づいたらセンサーが働き、「ガオー」と吠えた。さすがに動かなかったけど。
この日の昼食は博物館内のレストランで食べた。写真は「古代カレー」・・・カレーは近代なんだけど、どこが古代かというと、黒米を使用しているってだけ。
午後イチで企画展へ。「時代を作った技-中世の生産革命-」という展示を見るのが今回の目的。中世は産業が発達し、様々なモノが流通した時代ということで、各地から中世の様々なモノ(もちろん本物)が集められていた。とくに草戸千軒町遺跡の遺物は国の重要文化財指定なので、なかなか門外不出品だと思うけど、国立の歴史博物館だから借りて来れたのかな・・と感じた。それでも中世の産業遺物が一同に見られる展示って滅多にないので面白かった。


ギャグ的なネーミング

2013-08-27 09:36:34 | ドリンクもの
映画の公開記念だと思うけど、その名も「貞子ーヒー・・・」横には「井戸から手が出る美味しさです」と書いてある。サークルK限定発売だとか。面白いので、ついつい買ってしまった。でも味は普通のミルクコーヒーって感じ。製造所は焼津という事で、何の事はない地元の水で作られたドリンク。これはパッケージを楽しむには良いかな。

何かに見える

2013-08-27 09:29:50 | 日記もの
夏は植物が元気だ。葛の蔓がどんどん伸びて、いつも通る道に面白い造形を造り出す。写真は東名の側道近くで発見した。翼を広げた鳥のよう。それも急降下して来るトンビとか鷲鷹類のような感じに見える。

これは浮島地区で発見した。前足を上げ、上方に鼻を突き出したゾウみたいだよね。葛の蔓はここまでくると結構な重さになってしまうので、電線が切れないか?と心配になって来るけどね。

三島夏祭り音楽パレードに参加してみた

2013-08-18 10:47:36 | 日記もの
楽器やってるけど、仕事の都合で練習が出来ず、どこの楽団にも属していない、だけど演奏をやりたい・・・ということで、自由参加の演奏会には出る。こういう人を「吹奏族」というらしい。これってまさに私の事?。ウィキペディアにも由来が書いてあった。最初はギャグで言っていたらしいけど、各地には少し「吹奏族」活動しているところがある。三島の夏祭りにもそのような人が集まってやろうという動きがあって数年前からやっている・・・というのは知っていた。今年は何とか参加してやろうと大決意。申込をした。いざ、8月16日の演奏会と音楽パレードに。

本番一週間前頃になってようやく受付受理のメールが来た。でも曲名とかが不明、服装とかどうするの?ということで何度かメールをやりとりした。せめて直前の譜読みくらいはしておきたい。幸い3曲くらいはやった事のある曲だった。それでもYoutubeで音源聞いて、イメージトレーニング。

当日は朝、西小学校に9時受付。受付で名前を言って参加料500円と弁当代500円を支払う。入ってくと、高校生が多い。日大三島高校メインで飛竜高校、韮山高校、三島長陵高校などの生徒がいた。一割くらい、社会人がいる・・・ちょっとほっとした。
午前中二時間ほど体育館で合奏練習・・といっても6曲を2時間なので、間に休憩入れても1曲20分弱しか時間がない。練習は一回通してやって、不安な所だけ合わせ直すくらい。楽譜初見ではやはり追いつかない。事前に楽譜が手に入れられれば良いのだけど。私は以前の楽譜を引っ張りだして3曲は譜読みしてあったけど、初見2曲は厳しかった。体育館は当然暑いので、氷水をたくさん持って行く必要がある。受付で塩飴を配っていたけど、汗ですぐ出てしまうという感じだった。

昼になって弁当を受け取った。給食屋さんの500円弁当はちょっと量が多かった。350円弁当でも十分なくらい。次はコンビニで小さい弁当を買って持って行っても良いかも。駐車場はあるので、クーラーボックスを持って行くと良いと思う。楽器を積み込み、歩きで大社へ移動。朝は曇っていたのに、この頃になると晴れて暑くなっていた。

13時30分の宝物館前は案の定、全くの日陰無し。炎天下に椅子が並べられている。観客は木陰でいいなぁって感じ。楽器をおろすと宝物館のエントランスの日陰で楽器を出して音出し。14時開演だけど、15分前には日向に着席。椅子が暑かった。途中で凍ったペットボトルを買って持って行ったけど、なかなか溶けない。これは失敗だった。ある程度溶けている氷水を持って行った方が良い。始まるまでの15分間がとても暑くて長かった。待っている間だけでも日傘をさしていた方が良かったかもしれない。とにかく日向にいるという事がこんなに体力を消耗させるとは思わなかった。帽子をかぶっていても炎天下では役に立たない。その上、楽器を吹くわけだから、体温はすごく上がってしまう。楽器も強い直射日光を浴びるのであまり状況は良くない。吹いている時に、音が変だなぁと思った。

4曲めをやっていた時に座っているのに立ちくらみ状態になった。本当に突然、目の前が真っ白になって楽譜がよく見えなくなった。徐々にまわりが暗くなって行く。汗がどっと出て息苦しい。頭痛はないし、気分も悪くないけど、これはヤバいなと思い、曲間に抜けて日陰に座った。多分一時的に脳が虚血状態になったのだろう。10分くらい日陰で座っていたら、元に戻った。炎天下は危険だなと思った。演奏は最後まで出来なかったのがちょっと残念。

終わると、今度はパレードをやるという。体力的に心配だったけど、ゆっくり歩くらしいので、何とかなるだろうと思った。楽器ケースと譜面台をトラックに積み込み、凍ったペットボトルをベルトでつるして、歩きながら飲めるようにした。パレード順にならんで待つというけど、またまた待つのは日向。先ほどの教訓から、列から外れて日陰で待った。さすがに高校生と同じ力ではやれない。指揮者の人が心配して声をかけて来たけど、私は私のペースでやらないと危険な事は分かっていることを伝えた。この頃になると、少し日が陰って、暑さも和らぎ、少し楽になってきた。パレードは割合、楽だった。小学校の体育館に戻ってようやく、終り。来年は土曜日なのでもっと社会人は来るだろうという。社会人は年齢的に体力がヤバいので、炎天下を何とかしないといけないと思った。とにかく自分の体力とペースが分からないと恐い。

企画自体は楽しかったので、こういう吹奏族活動を涼しい時期にもやってもらえると良いかなと思う。三島大社の春の祭や秋の祭とかで(笑) さて、次の吹奏族活動は・・というと冬の小田原ダイナシティあたりかな。「音楽の町三島市」を目指すという話なので、ぜひ吹奏族活動も何回かやれると良いですね。