「The Lonesome Touch」
-Martin Hayes & Dennis Cahill
「ロンサム・タッチ」
-マーティン・ヘイズ&デニス・カヒル
Martin Hayes:Fiddle ,Dennis Cahill:Guitar
1997年
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この音楽は
「アイリッシュ・ミュージックの衣を纏った哲学」
なのだと思います。
今回はもうすぐ8年ぶり、二度目の来日公演があるマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルの事を書いてみたいと思います。(ちなみにチケットは全てソールド・アウトです)。私も今から楽しみでなりません!!
このマーティン・ヘイズ&デニス・カヒルですが、私がアイリッシュ音楽、ケルト音楽にどんどんはまって行った頃、彼らとこのアルバムに出会いました。かなり面食らいました(笑)。それは・・・いわゆるアイリッシュ音楽、それもトラッド系となりますとダンス・チューンとかエアーなど、パターン化された音楽の枠の中での演奏技法とか演奏のテンションとかスリルとを味わうなど、この音楽の楽しみ方の入り口が決まっていたのですが・・・でも彼らの音楽は違っていたのです。
まるで、キース・ジャレットの
あのソロ・ピアノを聴いている時のような
不思議な感覚に襲われたのです。
いやもちろん彼らの演奏の素材はアイリッシュ・トラッドが中心であり、キースの(ソロの時の)音楽スタイルとはまるっきり違いますよ。でも伝わってきたもの、感じたものは不思議な位似たような感覚だったのです・・・。Jazz系インプロビゼーションやNewAgeに近い感覚かな。
Martin Hayes & Dennis Cahill
そう、とても
内省的だったのです。
メディテーション(瞑想)的さえありました。
そもそもアイリッシュ・トラッド(伝統)音楽は、その発祥からして地域コミュニティのコミュニケーションの役割を担った要素が強いと思うのですが、でも彼らの演奏する「トラッド」のチューン達には、そんな平易なコミュニケーションは最初から排していました。代わりに、ここにあるのは瞑想的とでもいうのでしょうか?音楽から惹起された”内なる言葉”を介した”交信”のみが成立する音楽だったのです。それも大勢の人との”交信”ではなく、そうですね・・まるで1人、薄暗いオーディオルームでちょっとお酒を軽く嗜みながら聞くような環境で成立する、対自核へのコミュニケーション、とでも言いましょうか・・・?
つまりこの音楽の本質は
すでに”トラッド”音楽ではないのだと思います。
音楽のスタイルを遙かに超越しています。
彼ら、特にMartinの音楽は、高い精神性を表現する求道者のような世界なのだと感じます。そしてその高い精神性が音楽スタイルやジャンルを超えたその先or奥にあるものを、音を通じて私に問いかけてくるのだと理解しています。
Dennis Cahill & Martin Hayes - Kerfunken Gig
Lonesome Touch Green Linnet このアイテムの詳細を見る |
(言葉では言い表せません…)
このCD聴いて、アイリッシュミュージックにのめり込んだ気がします…
2人のライブ、行ったんですね!
わたしは丁度大学入試で行けなくて…
またの来日を切に願っています
…まだまだフィドラーの卵ですが、
友人とセッションしたりなんだりで成長中です♪
また来ますねー☆
このような音楽に若い内から接するとは素晴らしい事ですね。この音楽は他のジャンル(Jazzとか純粋なトラッドとか)を聴いていないと理解できない面もありますし、くろねこさんの音楽の素養が相当高いのではないでしょうか?(^^)
ところで、彼らのようなミュージシャンが来日するには関係者による、ビジネス上の損得だけはない”情熱”に支えられている事は無視できません。このようなマイナーなジャンルの灯を消さないように、リスナーとしてもお互い応援して行きましょうネ!(^^)