心穏やかに・・・

孫育てonlyの日々も少なくなり
和太鼓を楽しみながら時々仕事も行って
愛犬ムクと一緒に充実した毎日を送っています

誕生日

2015年10月06日 | 

このBlog 孫といったら次男の息子 ばたるのことしか出てこないけど

埼玉在住の長男のところにも孫が3人いるのよね。

年末年始・GW・お盆休みもなく たった二日の連休も取りづらいというサービス業に就いており 

年に2回会えればいいかな・・・という状況。

そしてこちらからは結婚してから2回ほど出かけただけという 薄情な親。

お参りには一泊で出かけることができても 長男んちには出かける余裕がないという身勝手な母親。。

お互い元気で過ごしてればヨシとしよう!  ということで時々電話やメールで近況報告するのみ。

周りに手助けしてくれる親族もいない中で 嫁ちゃんもパートに行き3人の子育て・・・

ほんとよくやってるね! いつもその頑張りに感心しつつ褒めてます。

遠く離れてるため その生活ぶりが見えないけどね。。

 

長男夫婦の3番目の子せいくん・・・10月4日は1歳の誕生日!  

     

1升餅ならぬ 1升パン???  時代も変わったのねぇ!

写真を送ってくれた。

男の子なんだけどオチョンボしてる・・・そういえば長男も幼い頃結んでた記憶ありだわ。

今月半ばに一家総出でこちらへ来る予定 楽しみ楽しみ!

 

 

     

そしてこちら姉んちのミミちゃんは 同じく10月4日が誕生日  9歳になりにけり

1歳半で姉夫婦の子になったミミ・・・二人に可愛がられ(溺愛)とても幸せなワンちゃん。

姉夫婦には面倒みてもらうだけで何の役にも立たないわたしだけど

ミミちゃんを手渡したことで一つ恩返しできたかな?

ほんとのところは・・・

ミミが来てからナナ&モモが日に日に元気がなくなってどうしても一緒に暮らすことが難しかったから。

ちょうど二人が退職した直後を狙って 

「ミミちゃんは要りませんか~ ワンちゃんとの生活は二人のクッション剤になっていいですよ~」

結果オーライだからいいようなもの やはり根っこは自分勝手。。

 

 

 


善光寺 満願お礼参り その参

2015年10月02日 | 西国33所

残念ながら4~5名一室の相部屋でペチャクチャお話が叶わなかったお宿は 

上信越自動車道 長野I.C すぐ近くにある 信州松代ロイヤルホテル。

    

もちろん温泉で露天風呂もあり・・・ヌルヌルスベスベ・・・という感じのお湯ではなくちと残念。

でも5時半に起き朝風呂も入りましたけどね。

8時半のゆっくり出発。

 

【善光寺(ぜんこうじ)】  ご本尊:一光三尊阿弥陀如来

     

有名です・・・『善光寺』の『善』の字・・・よく見れば鳩と牛の顔

十数回の火災に遭うもそのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興され

現在の本堂は1707年の再建で 江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝とのこと。

無宗派であり 茶せん供養塔があったり 全国の迷い郵便物も集合するというお寺さん。

 

     

        山門

  

   仁王像

   

仁王様の足・・・でっかいです! 特に親指!  比較する物がなくて残念!

仁王様の後ろ 境内側から見ると (分かりづらい写真ですが)

  

3つの顔を持った像があり それぞれ大黒天とか毘沙門天・弁財天とかのお顔だそう。

 

   

歴代の回向柱も保存されており 一番新しいのがこの春御開帳時の柱

古いものはだんだん朽ちて背が低くなってました。

     

          本堂

お経を上げたあとには 4名ほどの僧侶が再びお経を上げありがたく御開帳も!

事前にご祈願申し込みのあった方々のご祈願内容と名前を読み上げていただく。

(参考までに・・一件につき3000円でした)

こちらでも戒壇巡りを体験!

長さ40数mと聞いた覚えがあるけれど 本当に真っ暗で前を行くお仲間さんの

バッグのヒモをしっかり握って歩き「極楽の錠前」に触れることができた~!

錠前の真上におられる秘仏の御本尊様と結縁を果たし 往生の際にお迎えに来ていただける

・・・そういう約束ができたらしいのですが・・・どうでしょうね。

 

  

混みあった境内もふっと人が少なる瞬間あり   愛知県から寄進された一対の燈籠・・・なぜか有田焼

 

     

     日本忠霊殿・善光寺資料館

戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る

我が国唯一の仏式による霊廟 御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏とのこと。

 

     

       経蔵はただ今改修中

 

     

     

     山門入って右手にあったような六地蔵の説明は写真で・・・読めます?

 

 

ここから後は 写真を見てもどこか名前も分からず・・・案内人さんの話しを聞いてなかったようでして

ただ今ネットで調べ・・・あぁそういえばそうだった・・・って感じでほんとお恥ずかしい次第。

 

  

カメさんが甲羅干ししてる池 反対側は蓮の葉っぱがぎっしり・・・に架かる橋を渡って 

     

        大勧進堂 山門

     

       本堂 萬善堂 

正面に本尊善光寺如来が祀られ 

その右側には本田善光卿を中心に奥方の弥生・息子の善佐像が安置されていました。

     

こちらが・・・どこかわからないのです(汗、、、)

誰にお参りしたのか 誰にお願いしたのか・・・トホホ・・・。 

 

とある宿坊で昼食をとるためゾロゾロ移動  その時に見かけた結婚式前撮り光景・・・お幸せにね!      

                       

 

  

    精進料理をいただきました

食事後は お数珠や掛け軸を作ってもらう相談時間や おみやげ購入時間で 門前町をブラブラ。

途中2号車の先達さんにバッタリ 「12時からまた御開帳あるから本堂へ行きましょう!」

「はい今度はこちらへ行きましょうか」 「この穴はね・・・」などなどあっちへこっちへ 忙しく移動。

いっぱい説明を受けてもわたしはわかりゃしないし・・・

ただ心残りは・・・信州味噌味ソフトはな~んとなくわかるからいいけれど 甘酒ソフト ってどんな味? 

 

 

以上終了!  

やっぱり長くなってしまった。。。読んでくださったかた ありがとうございます!

そして貴重な時間を拝借してごめんなさい。

 

お仲間さん始めバス車内からは

「四国別格お参りへ」 「坂東33観音霊場へ」 「来年1月から四国逆打ちお参りへ」 

「お金も時間もないから知多四国へ」など いろんな声が飛び交っていました。

どうしてそんなにお参り三昧なんでしょう 人それぞれ理由があるんでしょうが

それにしても皆さんすごいです!

またそういうツアーがいっぱい出てるんですから。

さて信心の薄いわたし どうしましょ。

西國・坂東・秩父と100観音目指したい! と思ってたけれど 観音様ピーンとこなかったし。

・・・・・まずはちょっと休憩です。

 

 


善光寺 満願お礼参り その弐

2015年10月02日 | 西国33所

9月26日 1号車29名 2号車25名 バス二台で名古屋駅8時40分出発

 

【元善光寺(もとぜんこうじ)】  ご本尊:善光寺如来

前回の記事にもHPから引用させてもらいましたが 飯田市出身の本多善光(ほんだよしみつ)卿が

難波の堀から一光三尊の御本尊様をお迎えしたのが元善光寺の起元であり

長野市に遷座されできたお寺さんの名前が 『善光寺(ぜんこうじ)』 といわれるそうで

今でも月に半分ご本尊様はこちらにお戻りになるとか。 

     

     階段を上がって

     

      山門

     

        本堂

堂内でお経を上げたあと 住職さん?から法話・・・といってもダジャレばかりで笑いが絶えず。

何でも『おもしろ法話』と言われてて参拝客には大好評・・・とのこと。

 

戒壇巡りも体験!

本堂奥にある宝物殿にも足を運び 元善光寺の霊宝といわれる『座光の臼』もしっかりと。 

(リンクしてあるのでよろしかったらどうぞ)

御本尊をこの臼の上で安置して供養されること41年間 この臼から光明が輝いていた・・・とのこと。

何もわからないわたしでも 結構へぇ~・・・と多くの展示物を興味津々で見ることができた宝物殿。

 

こちらをお参りしたらちょうどお昼・・・30分走って昼食のお店へ・・・アツアツの五平餅もあり!

     

 

おみやげタイムもはいっていて1時間後【北向観音】へ向けて出発。

岡谷I.Cを出てからなおも走る・・・結構遠い。

そうそう! 

今回のドライバーさんは 開創1200年記念で出かけた高野山と同じで方で呟きがめっちゃ面白い人!

トイレ休憩から戻った時はいつもステップ踏みながら・・・これは運動不足解消のため?

何かしら面白いことを言われるし。

ある有料トンネルの料金所で  「1000ペソでお願いしま~す」  って言って千円札渡してた!

前の方に座ってたわたしたちにも聞こえて爆笑!

そりゃ料金所の男性も「はっ?」の直後には笑いがきて当然。

 

【北向観音(きたむきかんのん)】  ご本尊:千手観音

本堂が北を向いたお寺さんは 全国でもほとんど例がないとのこと。

     

 

  

階段を下りて参道をちょっと歩いてまた階段を上がったら  本堂

 

 

そちらのお堂には何があるの?  皆の後を付いて行ったら・・・なんと仁王様が!

 

    

こちらは『愛染カツラ』の木     どうってことない手水場・・・珍しいのはイオウ臭漂う温泉!

 

観音様に向かう途中一瞬目が点になったのが『フルーツ入りたこやき型まんじゅう』の張り紙。

「どんなんだと思う?」 なんだかんだとまだ見ぬまんじゅう談義に花を咲かせ 「帰りに買ってみよう!」

お参りも無事済ませ 例のお店を探しながらお花にも目がいく。

   

あれ?駐車場に着いてしまった・・・お店がなかった・・・時刻は5時・・・店仕舞い?残念!

 

 

やっぱり無駄話が多いです その参 へ続きます。。

 


善光寺 満願お礼参り その壱

2015年10月01日 | 西国33所

 

昨年9月より毎月一回日帰りで始めた 西國33所お参り・・・一年かけ先月満願!

そして月末に【飯田の元善光寺】【長野の善光寺】【上田市の北向観音】とお礼参りに。 

観音様・・・今もって全くといっていいほどわかりゃしません・・・情けない(泣)

観光寺 と呼ばれる立派なお寺さんが多く 心に残ったお寺さんは次の2ヶ寺

*番外のお寺さんで 【元慶寺(がんけいじ)】 ご本尊:薬師如来

   こちらではホワァ~とした気分になれ穏やかな気持ちに・・・

*33所でも番外でもないけどお参りした 【補陀洛山寺(ふだらくさんじ)】 ご本尊:十一面千手観音

   こちらではズドンときてなぜか涙ぽろぽろ出てしまって・・・

 

 

     

だいたいが ≪牛に引かれて善光寺詣り≫ の意味も大きな勘違いしてたし。

≪一生に一度は 牛に引かれて(牛車)でもお参りするべき≫・・・なんちゃって(恥)

本当は・・・

   不信心の欲深婆さん⇒干しておいた布を隣りの牛が角に引っかけて走り出す⇒追いかける⇒

   やがて善光寺に辿り着きそれをきっかけに度々善光寺詣り⇒改心⇒信心の道へ

いわく・・・

   思いがけず他人に連れられて ある場所へ出掛けること。

   また 他人の誘いや思いがけない偶然で よい方面に導かれること。

そういうことだったのね。。。

 

 

【長野善光寺】だけでは片詣りといわれるそうで 【飯田元善光寺】両詣り。

そのいわれは・・・

推古天皇十年に信州麻績の里(現在の飯田市座光寺)の住人、本多善光卿が難波の堀から一光三尊の御本尊様をおむかえしたのが元善光寺の紀元で、その後皇極天皇元年にその御本尊様は現在の長野市へ還座され、できたお寺が善光卿の名をとって「善光寺」と名付けられました。それから飯田の方の当山は勅命によって、木彫りで同じ御尊像が残され「元善光寺」と呼ばれるようになりましたが、仏勅によって「毎月半ば15日間は必ずこの麻績の古里に帰りきて衆生を化益せん」というご誓願を残されたとのことで、長野の善光寺と飯田の元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣りと昔から云われるゆえんであります。 元善光寺HPより引用)

でも先ほどネットで見てたらこんな記述が・・・

北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願い、また善光寺様は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願います。現在と未来の片方だけですと片詣りと言われおり、たまたま向き合ってる両方をお詣りしたほうが良いと言われるようになりました。今の時代の幸せを願い極楽世界でも幸せであるようお詣りください。 (北向観音HPより引用)

????? 先達さんは前者の内容でお話しされてたし 他の人からもそう聞くことが多いし。

 

 

話しは変わりまして・・・

ずっと日帰りのこのお参りツアーはお礼参りだけが一泊

     

相部屋希望の人 全員がなんとツインに変更!

普通だったらグレードアップと喜んでよさそうなものだけど 今回はガックリ。。。

四国お参りから徐々に仲良くなり この日は相部屋で語り合うことを楽しみにしてた仲間4人

畳の部屋でテーブルを囲んでお茶なんぞを飲んで・・・そんな夢を見てたわけ。

結局一つの部屋に集まり 「これからの予定は?」 なんて話しはできましたけどね。

     

他の団体さんで埋まっちゃった・・・ってことかしらね

 

ちっとも本題にはいれないから この日の夕飯もついでに載せておこう!

   

最初に席に着いた時のお料理で あとからお蕎麦やご飯やデザートあり  

 

次回 簡単に(?)その弐お参り編を記したいと思ってま~す!