わたしは何年も前からほとんどテレビを見ないので
社会の出来事はもっぱら新聞・ネットニュースで知る生活です。
この5年の間 ニュースとして 新聞記事として
『東日本大震災』 『被災者』 『福島原発』 などの言葉が載らない日はないんじゃないのか。
『釜石』 『大槌』 の話題や 在住の方の話しが載ると
hanaさん絶対知ってる所だろうな 知ってる人だろうな・・・と必ず思う。
復興のために頑張って活動してるhanaさんのことも 今まで何度も取り上げられてる様子だけど
版が違うからか見落としてるからか 残念ながら目にしてはいない。
過去にA新聞に問い合わせたところ 東北は東京本社の管轄だそうで
名古屋本社とは内容が違ってくるとのこと。
こういう時こそネットを活用すればいいのに・・・言われそうな気がするんだけど。
2011年の翌年から 2月半ばになると毎年特集が組まれる新聞記事。
今日3月11日は一段と多く 別刷りもあり。
ダメなんです・・・何と形容したらいいのか・・・心がズド~ンと重くなるんです。
親たちが悲惨な思いをした太平洋戦争とは比べようはないけど それと同じように
忘れてはいけないこと 後世に伝えていかなきゃいけないこと ということはわかってる。
だけどだけど・・・映像や写真を見たり 記事を読んだりすると
漠然とした悲しみで胸がいっぱいになり 未だ涙が溢れる。
遠く離れて住み 大地震の恐怖も生活の不自由も体験していない私でさえこんなんだから
被害に遭われた方々の気持ちはどんなものか・・・
『あれから』半年後に 形は違えど家族を突然亡くすということがなければ
後片付けのお手伝いに時々足を運び続け(3回で終わってしまった・・)
ほんの・・ほんの僅かだけど 復興のお手伝いをし(自己満足に過ぎないけど)
立ち直ってゆく経過を間近で目にし 歓びも味わえてたかも。
いろいろな矛盾や憤りは今もあるようで み~んなが納得できる復興は難しいと思われるけど
時を戻すことは出来ず 前に進むしかないんですよね。
人生に 『たら・れば』 はないのですから。
今日も無事一日が終わった また朝を迎えることができた
それだけでもじゅうぶん幸せなことなんだね
そう思うのです。
戦争を知らない 私達ですが 震災から多くの事を学び
ましたね。忘れては ならない事態です。
体験した人でないと 怖さは分からないわ。
被害のない 私達に何が出来るのか!何をするべきか
自覚して 生活したいものです。
ヨッコさんも あの状況の中 駆けつけましたね。
私なりに あの日から 自分に言い聞かせてます!
ワタシの誕生日でしたから そして70の古希祝いも
やりません。静かな 今の生活に感謝しながら・・・・
冥福を祈っています。
震災直後は私の人生が終わったとまで思うくらいの衝撃でした
皆様のお陰でここまで来ました
私に出来ることは微々たることで空回りの方が多かったです
この5年が10年にも感じました。まだまだ復興までには道のりは長いけど見守っていきたいと思っています!!
3月11日はどらさんのお誕生日なんですね。
多くの方の命日でもあるわけで
それを思うとお祝いの気持ちも失せるかもしれませんね。
でもお母様からこの世に誕生させていただいたことは
感謝と共にお祝いしてもいいかと思いますが。
この震災でhanaさんの安否を通じてどらさんと出会えたように記憶してます。
あの時は居ても立ってもいられず後先考えずクルマに積めるだけ積んで出かけたっけ。
この世のものとは思えない惨状を目の前にして言葉は出ず。。
ほんと…今こうして『普通に』生活が出来てることに感謝ですね。
すごいな…といつも思ってます。
一個人の力は微々たるもの、でも周りに賛同者がいて
やがてどんどん増えそして大きな力になっていきます。
核となってこれからも活動されることを願ってます。
が…無理をせずそして疲れないよう出来る範囲内でね!
長期戦ですもん。
時と共に直接支援する人は減ってきたとしても
復興を願わぬ人は皆無だと思います。
形として何も表せないけど心ん中ではいつも応援してます!
先日に他県の方から震災5年目として感じてることや災害に必要なものとかのアンケートの依頼がありました。
私は被災してないけど被災してなくても食料や物が手に入らなかったことなど、行政はあの時点では私たちには役には立たなかった旨を書き、ブログを通して知り合った方から支援して頂いた事を書きました。
それはこれから起きるかも知れない災害に対しての外とのつながりの大切さを伝えました。
ブログにはいれなくて書けないのでこちらで書かせてくださいね!!カレンダーの売上の経費を除いた10%の8万円を先日に大槌高校へ寄付させていただきました。写真も撮してたのですがブログに載せれません
新しいブログをと考え中です
協力ありがとうございました
パスワードいろいろ試してもダメでしたか
hanaさんにとってFBが主流となった今ではBlogは必要ないかもしれないけど
楽しみにしてるBlog仲間は多数いらっしゃると思います。
ぜひぜひ再開してください、私も楽しみに待つ一人です!
hanaさん宅も住むには支障なかったけど
壁が落ちたりヒビが入ったりして被災された一軒
こんな言い方はとても失礼だけど『中途半端な被害にあった家』は支援物資も手にすることは出来なかったんですよね。
ボラで支援物資会場を手伝った時、あまりにも理不尽なやり方に
怒りとともに涙が止まりませんでした。
当事者のhanaさんのやるせなさは計り知れません。
>行政はあの時点では私たちには役には立たなかった
よくぞ書いてくださいました!
カレンダーは評判上々でしたね!
差し上げた友人たちもきれいな写真に見入ってました。
少しでもお役に立てたこと嬉しく思います。