昨年9月より毎月一回日帰りで始めた 西國33所お参り・・・一年かけ先月満願!
そして月末に【飯田の元善光寺】【長野の善光寺】【上田市の北向観音】とお礼参りに。
観音様・・・今もって全くといっていいほどわかりゃしません・・・情けない(泣)
観光寺 と呼ばれる立派なお寺さんが多く 心に残ったお寺さんは次の2ヶ寺
*番外のお寺さんで 【元慶寺(がんけいじ)】 ご本尊:薬師如来
こちらではホワァ~とした気分になれ穏やかな気持ちに・・・
*33所でも番外でもないけどお参りした 【補陀洛山寺(ふだらくさんじ)】 ご本尊:十一面千手観音
こちらではズドンときてなぜか涙ぽろぽろ出てしまって・・・
だいたいが ≪牛に引かれて善光寺詣り≫ の意味も大きな勘違いしてたし。
≪一生に一度は 牛に引かれて(牛車)でもお参りするべき≫・・・なんちゃって(恥)
本当は・・・
不信心の欲深婆さん⇒干しておいた布を隣りの牛が角に引っかけて走り出す⇒追いかける⇒
やがて善光寺に辿り着きそれをきっかけに度々善光寺詣り⇒改心⇒信心の道へ
いわく・・・
思いがけず他人に連れられて ある場所へ出掛けること。
また 他人の誘いや思いがけない偶然で よい方面に導かれること。
そういうことだったのね。。。
【長野善光寺】だけでは片詣りといわれるそうで 【飯田元善光寺】と両詣り。
そのいわれは・・・
推古天皇十年に信州麻績の里(現在の飯田市座光寺)の住人、本多善光卿が難波の堀から一光三尊の御本尊様をおむかえしたのが元善光寺の紀元で、その後皇極天皇元年にその御本尊様は現在の長野市へ還座され、できたお寺が善光卿の名をとって「善光寺」と名付けられました。それから飯田の方の当山は勅命によって、木彫りで同じ御尊像が残され「元善光寺」と呼ばれるようになりましたが、仏勅によって「毎月半ば15日間は必ずこの麻績の古里に帰りきて衆生を化益せん」というご誓願を残されたとのことで、長野の善光寺と飯田の元善光寺と両方にお詣りしなければ片詣りと昔から云われるゆえんであります。 (元善光寺HPより引用)
でも先ほどネットで見てたらこんな記述が・・・
北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願い、また善光寺様は南向きに建立され阿弥陀様を御本尊として未来往生を願います。現在と未来の片方だけですと片詣りと言われおり、たまたま向き合ってる両方をお詣りしたほうが良いと言われるようになりました。今の時代の幸せを願い極楽世界でも幸せであるようお詣りください。 (北向観音HPより引用)
????? 先達さんは前者の内容でお話しされてたし 他の人からもそう聞くことが多いし。
話しは変わりまして・・・
ずっと日帰りのこのお参りツアーはお礼参りだけが一泊
相部屋希望の人 全員がなんとツインに変更!
普通だったらグレードアップと喜んでよさそうなものだけど 今回はガックリ。。。
四国お参りから徐々に仲良くなり この日は相部屋で語り合うことを楽しみにしてた仲間4人
畳の部屋でテーブルを囲んでお茶なんぞを飲んで・・・そんな夢を見てたわけ。
結局一つの部屋に集まり 「これからの予定は?」 なんて話しはできましたけどね。
他の団体さんで埋まっちゃった・・・ってことかしらね
ちっとも本題にはいれないから この日の夕飯もついでに載せておこう!
最初に席に着いた時のお料理で あとからお蕎麦やご飯やデザートあり
次回 簡単に(?)その弐お参り編を記したいと思ってま~す!
沢山の神社仏閣訪問で ヨッコさんは人より何十倍も
手を合わせてますね
信心深いので 神様仏様に見守られてるわ
毎回 お弁当の画像記録も忘れずに
いつもコメありがとうございます
手を合わせる機会は多かったけど
イコール信心深いとは言えなくって…それが問題なのです
ここ2年間で少しだけ…ほんの少しだけ変われたかな?
残りの人生を穏やかな顔&心で過ごしたいものです