日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

Go To トラベル を利用して 岩手~福島へ

2020-10-11 07:00:00 | 国内旅行

 

Go To トラベルを利用してみた。

これから行く人の参考になればと・・・

今回の記事ではGo To トラベルに関することのみで、温泉・宿については後日書くつもり。

 

 

※ この記事は10月8日に書いたが、その後変更があったらしく、10月10日より国内宿泊のクーポンの割引上限金額が1人1泊当たり3,500円となったようだ。

Go To トラベルクーポンをなるべく多くの人に利用してもらいたいからということらしい。

10月10日以前に予約したものは以前のままの割引額が適用される。

(10月10日に予約した宿は1泊1人15,000円だったが、割引額は3,500円だった)

 


10月13日、またこれが元に戻った。

方針がコロコロ変わるので、ついて行くのが大変。

じゃらんのHPには、10月10に予約した宿は一度キャンセルして、再度取り直して欲しいとかいてあった。

 

 


以下の記事は10月10日以前のもの。

 

準備について

移動手段については「大人の休日倶楽部パス」を利用したので、宿だけの適用となった。

① 宿の予約は泊まる宿直接ではなく、予約サイトから予約する。

今回の予約は「じゃらん」を利用した。

じゃらんのサイトで、「Go To トラベル」適用の宿から選んだので、宿泊費の半額が支援された。

支援金の内訳は7割が宿代から引かれ、3割が地域共通クーポン券として宿からもらえることになった。

(例えば1泊20,000円の宿ならば半額支援されるので、支援金は10,000円となり、そのうちの7割の7,000円が宿代から割引され、3割が地域共通クーポン券でもらえることになる)

ちなみに支援額の限度は20,000円。

 

② 「じゃらん」で予約後、地域共通クーポンをもらうためのQRコードが発行されたのでそれを控えておき、宿にチェックイン時に提示した。

この地域共通クーポンは予約サイトによって紙のクーポンか電子クーポンの2種類に分かれている。

「じゃらん」の場合は紙のクーポンだった。

 

 

実際に使用して

1泊目に選んだのは岩手県の湯田温泉郷の中にある湯川温泉にある宿。

10月3日〜10月4日の1泊だった。

この宿は2人で22,000円だったので、支援金は11,000円、内訳は宿代が7,700円割引され、地域共通クーポン券は3,000円分となっていた。

(クーポン券は1,000円単位で端数は四捨五入)

チェックイン後地域共通クーポン券のQRコードを提示して、1,000円の券を3枚もらった。

このクーポンは発行された県隣接する県で、利用登録されている店でのみ使用できる。

利用期限はその旅行中のみ、1泊の宿ならば当日と翌日の2日間。

だから、宿でもらったクーポンは10月3、4日の2日間で利用しなければならなかった。

ところが利用できるお店が付近にはなかったため、10月3日には利用できなかった。

岩手県で発行されたものは岩手県、隣接する青森、秋田、宮城県で利用できる。

でも、次の予定は山形県の蔵王温泉に行くことになっていたので、北上線の終点の横手で乗り換え時にしか使えないということが分かった。

クーポンの使える秋田県は横手だけで、そこを過ぎれば山形県になってしまう。

そのため予定を早めて横手で時間をとることにした。(北上線は本数が少ないため大変だった)

横手でも使える場所があまりなく、結局駅のコンビニで使うしかなかった。

旅程の関係で3,000円のクーポン券を無駄にしないために苦労した。

 

横手からは奥羽本線で新庄に出て、山形新幹線で山形まで行った。

山形駅からは蔵王までバスを使い、蔵王の宿では宿泊代の割引は2人分で13,860円、地域共通クーポンが6,000円分となっていた。

今度は山形県のクーポンだったので、隣接していて利用できるのは宮城、秋田、福島、新潟県となっていた。

山形駅や蔵王温泉のようにある程度大きな場所ならば使えるお店も多く、ホテルでも宿泊費以外に使えたので6,000円を苦労せずに使い切った。

 

そして最後の日は福島県。

この宿は宿泊代の割引は2人分で11,165円、地域共通クーポンが5,000円分となっていた。

帰りがてら福島駅では食事しようとした店、お土産を買おうとした店がクーポンが使えなかった。

両方とも申請をしているのに間に合わなかったらしい。

それでもクーポンを使える別の店で買ったから良かったのだが、店にしてみたらそのためにお客を逃してしまったことになる。

こうした間に合わなかった店も多くあるようだった。

 

クーポンが利用できる店にはこのシールが貼ってあった。

 

 

感想として

支援金について

※ 予約サイトから申し込むのはサイトに登録していない宿などはどうするのか?

(以前泊まった宿では、予約サイトの登録料が高いと言っていた)

※ どうして半額の支援などと面倒なことをするのか、最初から宿代の35%を引くことにして、クーポンは15%にすればいいのに

(これは多分、宿泊費の半額の70%と30%にすれば、見た目数字が大きいので割引額が多いと感じるからかもしれない)

 

地域共通クーポンについて

※ 紙のクーポンと電子クーポンに分けないで、統一した方が良い

(電子クーポンはスマホを持っていない人や操作ができない人には無理なので、予約サイトに偏りができてしまう)

※ 地方ではクーポン券を使える店が限られているので、限られた日数では使い切れなくて無駄になってしまう場合がある

※ せっかくこのような制度を作ったのだが、まだ見切り発車の様な気がする

(もう少し後になって十分に準備できてからでも良かったのではないか)

 

 

久し振りの温泉旅行が思いがけず安く上がって嬉しかった。

反面、クーポンを無駄にせず使い切るために結構な時間をとられてしまったような気もした。

もう少し時間が経てば難点も改良され、この制度も良くなって、支援される業者、旅行者共に満足できるものになると思う。

泊まった宿すべてが神経質なくらい感染症対策をしていたのを見ると、すごく努力している様子が感じられた。

自分たちの方も気をつけながら旅行することで少しでもお役に立てればいいかなと思った。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ周遊ツアー⑧ イスタンブール2日目

2020-10-10 07:00:00 | 海外旅行

トルコ最終日。

 

この日は帰国日だった。

午後2時に空港へ出発するまではフリータイムとなっていた。

フリータイムは嬉しいのだが、グランバザールは行ってしまったし、他には治安のこともあって個人で動くのは難しいと思い、午前中だけのオプショナルツアーがあったのでそれに参加した。

「ボスポラス海峡クルーズとリュステムパシャモスク観光」という3時間のツアーだった。

このツアーは参加してすごく良かった。

 

ツアーのコースは最初にリュステムパシャモスクを見学してからボスポラス海峡クルーズになっていた。

 

リュステムパシャモスクに入った。

このモスクは街の中、商店街の2階にある小さなモスク。

階下にある商店の賃料がこのモスクを維持するために使われているらしい。

シンプルな外観だったが、中に入った途端、感動した。

それもそのはず、ここは知る人ぞ知る有名な観光スポットらしく、2007年にはニューズウイーク誌で「ヨーロッパでもっとも美しい歴史的モスク」に選ばれたとか。

何に感動したのかというと、一面に貼られたイズニックタイルの見事なこと、昨日見たブルーモスクよりも素晴らしかった。

もちろんブルーモスクも素晴らしかったが、ここのは入り口のところからすでに青一色で、濃い色と薄い色などさまざまな青いタイルが貼られていた。

その数5000枚以上とも。

今ではこれらのタイルは価値が高いものが多いらしく、オスマン芸術の傑作とも言われているようだ。

青を基調としたタイルの中で所々に配置された赤い色のタイルがあった。

これは「トマトレッド」と呼ばれ、16世紀に、ほんの短期間しか作成されなくて、現在では同じ色を出すのが難しいとのことだった。

 

[入り口付近]

 

[貼られているタイル]

 

トルコの国花チューリップが描かれているタイル。

数種類のデザイン化されたチューリップの図柄があった。

 

チューリップの原産地はトルコ。

そのためどこに行ってもチューリップをデザイン化した絵を見ることができた。

土産物用のお皿、鍋敷き、マグネット、バッグやポーチなどほとんどがチューリップ柄だった。

このモスクの入り口に手頃な値段のポーチが売られていた。

タイル模様の生地で作られていて、かわいいポーチだったのでたくさん買ってきた。

 

リュステルパシャモスクの方に話を戻すと、内部に入ってタイルの素晴らしさに圧倒されながら写真を撮りまくった。

特に撮影については禁止事項は無かった。

 

 

[説教壇]

壁面、柱、ミンバル(説教壇)などすべてにタイルが貼られていた。

 

 

[2階のロイヤル専用ボックス]

 

たくさんの小さな窓からは光が差し込んでいて、青と白の天井を映し出していた。

 

見学中に一人の男性が入ってきて、見物客など見向きもしなく床にひざまずいてお祈りを始めていた。

階下の商店街で働く人たちが仕事を中断してお祈りに来るのは良くあることだとか。

 

リュステルパシャモスクは今回のトルコツアーで一番の収穫だと思った。

 

素晴らしいタイルを見た後はボスポラス海峡のクルーズだった。

トルコはアジアとヨーロッパの境界となっている。

「ボスポラス海峡」がその境界線で、マルマラ海と黒海を結んでいる。

そこにあるイスタンブールは、世界で唯一アジアとヨーロッパ両方にまたがる都市になっている。

 

エミノニュ桟橋から出航してすぐに見えたのが、海上からしか全貌を見ることができない「ドルマバフチェ宮殿」。

 

[ドルマバフチェ宮殿]

皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されていた。

海側に正門と桟橋があり、宮殿から公道には出ずに、船でイスタンブール市内を自由に移動していたらしい。

 

更に進むと目の前に大きな橋が見えてきた。

「7月15日殉教者の橋」と呼ばれている吊り橋だった。(第一ボスポラス大橋とも呼ばれている)

 

[7月15日殉教者の橋]

 

橋の下をくぐり、その先にあるもう一つの大きな第二ボスポラス大橋まで来た。

この第二ボスポラス大橋は日本が建設したもので、1988年に開通した。

この橋の下、海の中には地下鉄も走っている。

もちろんこの地下鉄も日本が建設したもの。

 

[第二ボスポラス大橋]

 

 

第2ボスポラス大橋のたもとにある、城塞ルメリ・ヒサール、ここが折り返し地点となっていた。

 

「ルメリ・ヒサール」はボスポラス海峡のヨーロッパ側、アジア側には「アナドル・ヒサール」があった。

 

3時間の短いツアーは終了して、ホテルに戻った。

これで1週間のトルコ周遊ツアーは終わった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ周遊ツアー⑦ イスタンブール1日目

2020-10-09 07:00:00 | 海外旅行

トルコ7日目。

 

この日の予定は午前中はフリータイム、午後からイスタンブールの歴史地区観光だった。

午前中のフリータイムを使ってグランドバザールへ行ってみた。

グランドバザールは旧市街中心地にある巨大な市場で、15世紀中頃に作られたらしく、その後に焼失、再建されて、現在では4,000軒以上の店が並んでいる。

ホテルから歩いて5分くらいで行くことができた。

 

 

[グランドバザール]

 

グランドバザールの中は小さな通路があちこちに入り組んでいて、ぶらぶらと歩いて店をのぞくだけでも楽しかった。

歩いていると片言の日本語で声をかけてくる、やはり親日の国なのだと思った。

値札が付いていないものも多く、何か買うときには値段交渉をすると必ず値引きしてくれた。

買った後、そばにいた男性が「アリガトウ」と・・・

でも、店の人ではない。

このようにあちこちの店の人が集まってきたりしていた。

あまり自分の店に引き込むようなことはせず、観光客とのやりとりをみんなで楽しんでいるような感じだった。

トルコは果物天国なので、さまざまなドライフルーツがある。

特に乾燥イチジクが有名なのでたくさん買い、珍しい絞りたてのザクロのジュースを飲んだりした。

 

午前中のフリータイムはグランドバザールだけで終わってしまった。

ホテルに戻る途中に美味しいパン屋さんがあると聞いたので、そこにも寄ってみた。

トルコの主食はパンで、毎朝必ず出来たてのパンを買いに行くらしい。

それほどトルコの人たちはパンに対して思い入れがあるようだ。

ホテルでも朝からたくさんの種類のパンが並んでいた。

それがとても美味しかった。

 

午後からの観光に向かう途中に昼食をとった。

この日の昼食はケバブだった。

旅行中の食事は毎日がほとんどパン、主菜ともう一品あとはサラダくらいだったが、旅行社でも工夫をしているらしく、毎日何かしらのトルコ料理が入っていた。

食事を済ませて最初に行ったところはスルタン・アフメット広場にある「ブルーモスク」。

 

[ブルーモスク]

 

[ブルーモスク]

 

[ブルーモスク]

 

 

「イスタンブール歴史地区」の中心にあるモスクが「スルタンアフメット・ジャーミィ」。

別名はブルーモスク、トルコ語でモスクのことはジャーミィと言うらしい。

巨大なドームを中心にそれよりも小さな4つのドーム、そのほかにももっと小さなドームが30あまりもある。

外観は大理石とタイルで作られていて、トルコ最大のモスクとなっている。

イスラム教の国に来ると必ず、モスクから流れてくるアラビア語の歌?のようなものが聞こえてくる。

これが「アザーン」と言って、イスラム教徒への礼拝を呼びかける合図らしい。

それも1日5回もあるという。

その「アザーン」を流すためにモスクには「ミナレット」と呼ばれる塔がある。

多分、昔は肉声だったと思うが今はスピーカーに変わっているようだ。

この「ミナレット」の本数がモスクの力を示しているらしい。

ブルーモスクには6本の「ミナレット」がある。

でもこれにはエピソードがあって、王様は「アルトゥン(黄金)のミナレットを」と命令したつもりが、造る人が「アルトゥ(6つ)のミナレット」と聞き間違えてしまったらしく、その結果6本になってしまった、とガイドさんの説明にあった。

 

[6本のミナレットが見られる]

 

ブルーモスクの内部は素晴らしいとしか形容する方法がなかった。

圧巻なのは大小のドームが連続的に広がる大天井。

天井にはイスラム文化独自の細かい文様が描かれていた。

各ドームの下部分には採光窓が造られていて、それぞれが淡い色のステンドグラスになっていた。

これは採光のために淡くなっていて、濃い色は装飾用のものらしい。

ドームからは無数のワイヤーが下がっていて、照明器具を吊り下げていた。

 

 

[ドーム内部の天井]

 

 

ブルーモスクを見学した後はスルタン・アフメット広場を挟んだ「アヤソフィア」へ。

アヤソフィアには有名な地下宮殿もあるが、残念ながら見学の時間はとっていなく、外観を眺めるだけだった。

 

[アヤソフィア]

「アヤソフィア」はキリスト教の聖堂で、現在は無宗教の博物館として公開されていたが、2020年7月、アヤソフィアがイスラム教のモスクに変更された。

現在は1日5回の礼拝時以外は観光客の入場と拝観はできるらしい。

面白いことに、礼拝の際はキリスト教のモザイク画などは布で覆いがかけられているとのこと。

 

ブルーモスクとアヤソフィアのあるスルタン・アフメット広場の隣にあるのがヒッポドロム広場。

ここはビザンツ帝国時代は競馬場だったらしいが、今では三つのオベリスクが残っているだけだった。

 

[テオドシウス帝のオベリスク]

これは三つあるオベリスクでも保存状態が良いもので、象形文字が描かれてれているのは、当時植民地化していたエジプトから持ってこさせたものらしい。

 

この後は「トプカプ宮殿」へ。

ほとんどの見どころは徒歩圏内にあった。

 

[アフメット3世の噴水]

トプカプ宮殿の入り口前の広場にあった。

ヨーロッパで流行していたロココ様式とオスマン帝国伝統の様式の両方を取り入れてある。

 

 

そして「トプカプ宮殿」に入った。

「トプカプ宮殿」はオスマントルコの36人の王様の大部分が住んでいた宮殿で、現在は博物館になっている。

 

[トプカプ宮殿・挨拶の門]

 

トプカプ宮殿は広大な宮殿だったが、その中の宝物館だけに入った。

すごく混雑していたし、撮影も禁止だった。

ダイヤモンドやエメラルドが散りばめられ、贅を尽くしたた豪華な装飾品など、今まで見たこともないようなものがたくさんあった。

86カラットのダイヤモンドを見たときなど、こんなに大きな宝石ってあるの? とかそんな言葉しか思い浮かばなかった。

 

トプカプ宮殿のもう一つの見どころは庭園で、4つの中庭に分かれていて、第一の庭までは入ることができた。

 

宮殿は高台にあったので、庭園の奥からはボスポラス海峡がよく見えた。

 

これでトルコ7日目の日程はすべて終わり、ホテルへ戻った。

帰り際に夜のグランドバザールに寄った。

昼間とは違った雰囲気の市場になっていた。

 

[夜のグランドバザール]

 

 

外にテーブルが並べられて、大勢の人が食事をしていた。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ周遊ツアー⑥ トロイ

2020-10-08 07:00:00 | 海外旅行

トルコ6日目。

 

アイワルクからトロイ遺跡のあるチャナッカレへ移動した。

朝7時半に出発して3時間後、トロイに着いた。

トルコには数多くの世界遺産があり、エーゲ海を見下ろす小高い丘の上にあるトロイ遺跡もその一つで、古代ギリシアの詩人ホメロスの叙事詩「イリアス」に登場する伝説の都市ではないかと言われている。

でも、今だにその証明はされていなく、現在でも発掘調査が続いている。

 

すぐに古代遺跡を観光した。

目に付いたのが観光用の巨大な木馬、観光用だからこんなものか、という感じの木馬のそばからガイドさんが定番のコースを案内してくれた。

その前に木馬に入って顔を出すといった写真タイムがあった。

 

 

[トロイの木馬]

ギリシャ神話の「トロイの木馬」、10年間続いたトロイ戦争を終結させるために、木馬の中に兵士が隠れていたとされている。

 

ガイドさんと一緒に遺跡を歩いた。

トロイの時代は長かったので、遺跡は第1市から9市までの9つの時代に分けられていた。

最初は東の塔と城壁、これは第6市時代のものらしい。

 

 

[第6市時代の城壁]

石垣の組み方は素朴で、日本のお城の石垣に似ているようだった。

石垣の前の道幅は狭く、敵を狭い通路におびき寄せたらしい。

 

 

その後は小高い丘の頂上まで行った。

多分、アテナ神殿があった場所らしく、説明版はあったが他には何も残っていなかった。

 

ずっと回って、下の方に比較的よく形が残っている遺跡があった。

「聖域」と言われる場所で、第 8 ~ 9市時代、アレキサンダー大王の時代、神に羊や馬を生贄として捧げる儀式を行った場所らしい。

 

[第9市の聖域]

右の低い壇は生贄を載せる場所。

井戸は生贄の血を貯めるもの。



今まで多くの遺跡を見てきたが、トロイはちょっと違って、発掘跡は多いが、遺跡としては見るべきものがないような気がした。

遺跡に関してはあまり知識がないので、目に見える形の建造物らしきものが残っていないからかもしれない。

まだ発掘中なので今後を期待した方がよさそう。

 

この日の予定はトロイ遺跡だけで、この後はイスタンブールに向けて約350kmの移動となった。

この移動はマルマラ海の南側を走るものだとばかり思っていたら違った。

チャナッカレのフェリー乗り場まで行き、そこからダーダネルス海峡をフェリーで渡ってマルマラ海の北側を走って行った。

 

マルマラ海から続く狭いダーダネルス海峡でも渡るのには45分ほどかかった。

 

フェリーを下りてから長い道のりを走り、イスタンブールに着いたのは夜6時を回っていた。

イスタンブールのホテルは市内中心部にあった「クラウンプラザオールドシティ」。

トルコ到着後、すぐに泊まったホテルとは違って、5つ星の立派なホテルだった。

きっと旅行社もツアーの印象を良くするために、最後のホテルにここを選んだのかも。

泊まったホテルによってツアー自体の印象が違ってくるものだと思うから。

 

 

 

[クラウンプラザオールドシティ]

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ周遊ツアー⑤ ベルガマ

2020-10-07 07:00:00 | 海外旅行

トルコ5日目。

 

クシャダスから「イズミール」を通って「ベルガマ」までエーゲ海沿岸を移動した。

イズミールは車窓からの風景を見ただけだったが、車は多く、工場らしきものもたくさんあり、海に面した工業都市といった感じだった。

ベルガマに着いたときにはもうお昼になっていた。

 

ベルガマはかつてはペルガモンと呼ばれ、ペルガモン王国の都として非常に繁栄した場所。

今ではペルガモン王国の都跡地であり、丘の上にあるアクロポリス遺跡が有名な観光名所になっているが、このツアーはそこには行かず「アスクレピオン遺跡」だけを見学した。

 

[アスクレピオン遺跡から見たアクロポリスの丘]

 

 

昼食後「アスクレピオン遺跡」の観光をした。

ベルガマ郊外にあるアスクレピオンはギリシャ神話に登場する医学の神アスクレピオスの神託を授かる場所だった。

さしずめ今ならば総合病院のようなもので、ギリシャのエピダウロスにもあった。

その昔、ひとりのペルガモン人がエピダウロスの近くで怪我をしてアスクレピオンへ行き、治療を受けて完治した。

その人は自分の故郷にもアスクレピオンを造ろうと、エピダウロスを模範に建設したと言われている。

完成したこの施設は800年近くも機能していたらしい。

ガイドさんは「この遺跡は病院跡です」と言っていた。

 

入口から石畳の道の両側に大きな丸い柱が並んでいた。

かつてはこの柱の道は「聖なる道」と呼ばれ、1km近くもあったらしい。

その先には広場があり、右の奥には半円形の段が並ぶ劇場の跡がある。

かつて広場の前には門があり、ここから先は神域で、そこへ入る前には医学の知識のある神官による予診を受けなければならなかった。

この施設は「ここへ入院した患者は絶対に死なない、必ず良くなって退院する」とあがめられていたそうだが、予診で治る見込みがないと判断された人は門前払いされていたのでそれは当たり前だと思う。

この施設には治る見込みのある人だけが入れたのだから。

治るか治らないかの判断方法は「聖なる道」を走らせたらしく、完走した人は治る人、途中で走れなくなった人は治らない人、と簡単に振り分けていたらしい。

1kmの道を走れたら病気ではないと思うけど・・・

 

 

ここから柱の道が始まる。

 

柱の道の先にある聖なる広場。

 

広場の右側には半円形の劇場があった。

 

劇場から柱の道を見たところ。

 

この半円形劇場は音楽や演劇に使われていて、それも治療の一つだったらしい。

劇場の向かい側には診療所に行くための約80mの地下道がある。

患者が治療所に向かって中を通ると「あなたの病は治る」と神の声が聞こえる仕掛けがあったとか。

それは天井に穴があり、診療所スタッフがその穴から患者に暗示をかけていたようだ。

「病は気から」という言葉はこの時代からあったのかな。

何だかなぁ・・・それでも昔の人は信じたのかも。

 

劇場の石積みの中に「フクロウ」がいたので写真を撮った。

フクロウって昼間からいるものなのかな?

 

これで「アスクレピオン遺跡」の見学を終え、この日のホテルのある「アイワルク」へ向かった。

アイワルクまでは60km、この日は少し早めにホテルに入れた。

 

ホテルは「ハリッチ・ パークホテル」、街からエーゲ海にかかった橋を渡って行った。

ツアー用のホテルらしいが、プールやスパもあり、エーゲ海がよく見えた。

 

[ハリッチ・パークホテル]

 

 

[ハリッチ・パークホテル内部]

 

[部屋から見えたエーゲ海とアイワルクの街]

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする