日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

トルコ周遊ツアー④ エフェソス

2020-10-06 07:00:00 | 海外旅行

トルコ4日目。

 

パムッカレから西へ200km離れたエフェソスへ。

エフェソスの遺跡については過去記事に詳しく書いた → エフェソスの記事はこちら

 

 

エフェソス古代遺跡の追加写真

[大理石通り]

 

 

 

 

午後から半日、エフェソス遺跡を見てエーゲ海沿いに出て「クシャダス」へ。

クシャダスまでは100kmあった。

毎日の移動距離がものすごい、この日も300km走った。

クシャダスはトルコのエーゲ海沿岸有数のビーチリゾート地として、海外からの観光客にも人気がある街。

大型リゾートホテルが立ち並び、クルーズ船の寄港地にもなっている。

 

この日のホテルはクシャダスの「コルマール」というリゾートホテルだった。

ホテルの部屋からはクルーズ船や沖に浮かぶピジョン島が見えた。

ピジョン島は本土とは繋がっていて、城塞が張り巡らされたビザンチン様式の城があるらしい。

その昔、このお城が海から襲ってくる敵を防御していたとのことだった。

 

ホテルのプール、一番奥に見える小さな島がピジョン島。

 

 

豪華客船が入港してきた。

 

 

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トルコ周遊ツアー③ コンヤとパムッカレ

2020-10-05 07:00:00 | 海外旅行

トルコ3日目。

 

「コンヤ」はトルコの内陸部にある主要都市の一つ。

セルジュク朝時代には首都であったため、芸術、科学の文化の中心地となっていたらしい。

そして宗教色の強い街のためか、華やかさよりも落ち着いている街と言った雰囲気だった。

 

午前中は「メブラーナ博物館」を訪れた。

エメラルドグリーンの塔が目立ち、敷地内ではドームや尖塔など多くの建築物があった。

庭園もきれいに整備されていた。

 

[メブラーナ博物館]

 

[博物館内部]

 

この博物館にはイスラム神秘主義の一つ、メブラーナ教の創始者、メブラーナの棺や遺品、マホメットのあごひげなども展示されていた。

メブラーナ教はイスラム教の一派で音楽と踊りによって神と一体化することを目指していたという宗教だったが、トルコ共和国初代大統領のアタチュルクによって解散させられた。

その時に使用していた僧院や修行地が現在の博物館になっている。

解散した後も熱心な教徒たちの姿が絶えないようだ。

実際にこの博物館を訪れると、観光客よりも信者の方が多いような気がした。

だから博物館というよりも宗教施設のようだった。

 

博物館近くにあった土産物屋の店先にメブラーナ教の信徒の人形があった。

このように円錐形の帽子と、丸く広がるスカートのような衣裳を着てクルクル回って踊るということだった。

そして毎年12月には、ユネスコの無形文化遺産にも登録されている「セマー」というメブラーナ教徒の旋回舞踏も行われているようだ。

 

昼食後は「パムッカレ」まで約450kmのバス移動となった。

途中で「ディナル」という街のドライブインに寄った。

他には寄る場所もないらしく、ツアーバスはほとんどがここで休憩するらしい。

実はこの「ディナル」がヨーグルト発祥の地らしく、売店にはハチミツとケシの実をかけたヨーグルトがたくさん並んでいた。

ちょっと試食したらねっとりとしたヨーグルトで美味しかった。
 
ケシの実を見て、そういえば途中にケシ畑があったなと思った。
 
現地ガイドさんに聞いたら政府が許可をしている人だけが栽培できるとか。
 
ケシの実はヨーグルトに使うだけでなく薬にも使っているとのこと。
 
 
コンヤを出発してから休憩と昼食をはさんで約6時間、やっとパムッカレに着いた。
 
長かった。
 
車窓からの写真が撮れなかったので、バスは結構スピードを出していたのだと思う。
 
 
パムッカレはトルコ語で「綿の宮殿」という意味らしい。
 
昔からこの辺りは綿花の一大生産地だったようだ。
 
ヒエラポリス-パムッカレは世界遺産になっていて、入場ゲートを入ると一番上に、かつてローマ帝国のヒエラポリスという都市の遺跡がある。
 
遺跡の中にはローマ円形劇場などもあったが、結構壊れているものも多かった。
 
 
 
[ローマ劇場跡]
 
 
 
 
 
「兵どもが夢の跡」といった感じで、咲いているのはクロッカス。
 
写真左の溝はたぶん水道施設の跡だと思う。
 
 
 
[南ビザンツ門付近の風景]
 
 
 
 
 
 
 
ヒエラポリスの遺跡の一部にクレオパトラも入浴したと伝えられている温泉があった。
 
 
 
 
 
温泉に入るのは有料だが、見るだけだと無料だった。
 
良く見ると温泉の中に古代遺跡が沈んでいた。
 
ちなみにこの温泉は炭酸泉らしい。
 
外国の人たちはこの温泉に入るだけのために訪れ、数日間をのんびりとここで過ごすらしい。
 
忙しいツアーの自分たちには何ともうらやましい話だと思う。
 
 
 
そして巨大な石灰棚。
 
ここはあまりにも有名になっている。
 
 
 
 
ヒエラポリスから続く石灰棚。
 
 
 
 
 
人と比べると一つ一つの石灰プールの大きさが良く分かる。
 
 
 
 
 
 
ちょうど夕焼けの時間だったので、白い石灰棚に夕陽が当たってきれいだった。
 
 
 
これで3日目の行程はすべて終了した。
 
この日はパムッカレにある「サーマルホテルパム」に泊まった。
 
温泉、プール付きの立派なホテルだった。
 
 
 
 
[ホテルの温泉とプール]
 
 
 

 

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トルコ周遊ツアー② カッパドキア

2020-10-04 07:00:00 | 海外旅行

トルコ2日目。

 

ホテルを出発して向かったのがカッパドキアの観光。

このホテルもカッパドキアの一部に入っているのだが、中心から少し離れていた。

カッパドキアはエルジエス山の麓にあり、標高1,200mほどの高原地帯となっていて、火山活動と侵食により奇岩が連なっている場所。

「ギョレメ国立公園とカッパドキア奇岩風景」として世界遺産に登録されている。

 

最初はユルギュップからギョレメに向かう道路沿いにあるスリーシスターズから。

スリーシスターズはカッパドキアを代表する奇岩で、3本の岩が並んで見えるのでこう呼ばれている。

日本ではスリーシスターズと呼んでいるが、欧米では妖精の煙突、そしてトルコでは親子岩と呼ばれている。

どうみても中央の岩は小さくて子どもに見えるから、トルコの呼び方に軍配が上がると思う。

 

 

[スリーシスターズ]

 

見る角度によって色々と変わるから面白い。

ここからは傾いているのが分かる。

 

スリーシスターズがある周辺はこのような感じだった。

 

 

スリーシスターズのから「ウチヒサールの城塞跡」に向かった。

ウチヒサール城塞はローマ帝国時代に、ギリシャ人がローマ帝国からの弾圧から逃れるために築いたと言われている。

この城塞跡はこの辺りで一番高い場所にあるので、ここからはカッパドキア全体を見渡すには絶好の場所らしいが、時間の関係で残念ながら上らなかった。

 

[ウチヒサールの城塞跡]

 

[ウチヒサールの城塞跡付近]

岩山には、住居として空けられた無数の人工の穴があった。

 

 

ウチヒサールは要塞跡を見ただけで、ギョレメに向かった。

ギョレメに行く途中にあった、ギョレメ・パノラマからはカッパドキアの代表的な風景が見られた。

 

[ギョレメ・パノラマからの風景]

遠くかすんだ山の麓にはギョレメ村がある。

 

ここにある展望台でドンドゥルマ(Dondurma)を売っている店があった。

パフォーマンスが派手で客を呼び寄せる、有名なお店らしい。

 

トルコアイスと言われているが、正式にはドンドゥルマで固く粘りがあるのが特徴になっている。

 

ギョレメに到着した。

ギョレメ国立公園はカッパドキア観光の中心地で、火山岩を彫り抜いて造られた街になっている。

どこを見ても奇岩だらけだった。

キリスト教徒たちはこの奇岩の中に教会や修道院などを造り、隠れて暮らしていたらしい。

今ではギョレメ谷にある岩窟教会群を総称して「ギョレメ野外博物館」としていて、約30の教会が公開されている。

代表的なものはリンゴの教会、バルバラ教会、ヘビの教会、暗闇の教会、サンダルの教会などがあった。

教会のには鮮やかなフレスコがあったりもした。(撮影禁止だった)

 

野外博物館近くにある民家にもお邪魔した。

このお宅は夏だけここで過ごすらしいのだが、涼しくて快適だと言っていた。

岩をくり抜いて部屋や台所などを造り、上手に利用していた。

 

[居間]

 

[部屋の中にあった機織り機]

 

この家には大勢で押しかけたのに、紅茶(チャイ)を出してくれた。

 

お茶を飲んだ後は「ゼルベの谷」へまた移動した。

ゼルベの谷には妖精が住んでいると言われている多くのキノコ岩が立っている。

別名は妖精の煙突。

強い風と火山灰がこの風景を造り上げたようだ。

でも難しいことを考えるよりも妖精が造ったと思った方が夢があっていいのかも。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に変わった岩の形で、スリーシスターズの辺りとは少し違っているようにも思える。

ここも「ゼルベ野外博物館」になっていて、教会、モスクや多くの住居跡を観ることができる場所になっている。

この村の多くの住居は地震や浸食によって崩れてしまったために、住民全員が新しい村に移住したらしく、現在は廃墟となっている。

 

ゼルベの谷でカッパドキア観光は終わり、この日のホテルのあるコンヤまで220km移動することになったが、1ヶ所だけゼルベの谷から100kmくらいのところにあるスルタンハンという街に寄った。

ここにあるキャラバン・サライ(隊商宿)が比較的保存状態が良く、当時の様子が分かるということで、見学した。

 

[キャラバンサライ全景]

思ったよりも大きな建物だった。

この建物は一般的に2階建てになっていて、1階で取引をして、2階は宿泊所になっているらしい。

隊商宿だからテントのようなものに泊まるのかと想像していたがとんでもなかった。

商人は歩くときは全財産を持ち歩いていた訳だから、しっかりした造りの宿でなければならなかったようだ。

 

 

[隊商宿の入り口]

大きな建物だがセキュリティーがしっかりしているので入り口は一ヶ所だけ。

 

[中庭]

門を入ってすぐところにある中庭には四角い建物があり、中に礼拝所があった。

 

[1階のダーラーン(通廊)]

卸売商人が小売商に品物を卸す取引場になっていた。

キャラバン・サライを利用する商人はよその土地の商人だったので、その街をよく知っている仲買人が必要だった。

その仲買人の斡旋によってここで取引をしていたようだ。

 

こういったキャラバン・サライはトルコだけでなく、中東の国々などたくさんあったらしい。

キャラバンと聞くと、「月の沙漠」の歌のラクダに乗って砂漠を歩いているイメージが思い浮かんだ。

 

残りの100kmを走り、2日目のホテルのあるコンヤに着いた。

コンヤもカッパドキアと系列のホテル「デデマン・コンヤ」だった。

 

[デデマン・コンヤ]

 

 

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トルコ周遊ツアー① トゥズ湖とカイマクル地下都市

2020-10-03 07:00:00 | 海外旅行

数年前の秋、トルコ周遊ツアーに参加した。

周遊ツアーと言っても広いトルコのことなので、西側の半分だけを巡るツアーだった。

今のトルコの治安はどうなのだろうか?

少し前、イスタンブール経由でヨーロッパに行った時、イスタンブールを出て2日後に空港の爆破テロがあった。

自分たちが歩いた場所が爆破されたと聞いて、びっくりしたことがあった。

そういうことを考えるとあの時にトルコに行っておいて良かったと思う。

今では少し怖い気がする。

 

成田から直行便で12時間半、イスタンブールに着いた。

イスタンブールは既に夜になっていたので、ホテルに直行した。

 

トルコ1日目

アンカラに向かった。

アンカラへは朝早い飛行機を使ったため、ホテルの出発は6時だった。

ホテルでパンと卵の朝食を作ってくれたので、空港へ行くまでのバスの中で食べた。

イスタンブールとアンカラの距離は450kmあるが一般的なツアーはこの間もバス移動らしい。

 

アンカラまで約1時間、すぐに300kmのバスの旅に出発した。

目的地はカイマクルとカッパドキア。

車窓から見える道路の両側は広々とした野菜畑、オリーブ畑などしかなく、さすがに食料自給率が100%の国だと思った。

 

途中でトゥズ湖に寄った。

トゥズ湖はトルコで2番目に大きな湖で塩湖となっている。

トゥズ湖という名前はトルコ語で塩湖という意味らしい。

 

 

 

もっと一面真っ白な塩の様子を想像していたが、ちょっと違った。

でもトゥズ湖でこの光景が見られるのは、夏の7月~9月ごろの期間限定らしい。

秋だったからそろそろ塩湖の時期も終わりに近づいたのかも。

雨季に当たる冬の時期には、たまった水に塩分が溶け込んでしまって、ただの湖になってしまうらしく、この光景がみられただけでも良かったと思わないと。

 

トゥズ湖からカイマクルへ向かった。

その間、ツアーによくある途中の土産物屋に寄った。

ここでは絨毯店だった。

絨毯は高価なものだし、誰も買わないと思っていたが、中には買っていた人もちらほらと。

こういうところで買う人はどんな人なんだろうなどど思ってしまった。

だって、数十万円もするものなのだから、ここで買わなくともいいのに・・・と。

よほど気に入ったもので、本人が納得したものならいいけど。

 

カイマクル地下都市の入り口に着いた時は午後3時を回っていた。

地下都市は他にもたくさんあるが、ここは特に規模が大きいらしい。

紀元前から存在している地下都市は、地下8階にもおよぶ巨大な空間で、イスラム教徒からの迫害を逃れたキリスト教徒たちが住みついた場所。

隠れながら何世紀にもわたって掘り進めたので、アリの巣のように複雑な形になっていて、カイマクルだけでも4千人~8千人が住んでいたとも言われている。

内部には教会、学校、食料や物品の貯蔵庫、ワイナリー、そして馬小屋などもあった。

観光で見られるのはほんの一部だけだったが、それだけでもすごいものだと感心させられた。

 

 

[寝室]

大小さまざまな部屋があった。

 

[馬小屋]

地下で馬を飼っていたなんて信じられない。

 

[石の扉のある通路]

敵から攻められた時に使う扉、円盤状の石でできている。

内側からは簡単に閉められるが、外からは開けられないようになっている。

これをどのようにして造ったのかも不思議。

 

トルコの土産物屋でよく見かけたのが「ナザールボンジュウ」と言われるガラス製の青い目玉の飾り物。

魔除けのお守りらしいが、カイマクル地下都市入り口に並んでいたお店は、特にこれ一色だった。

 

 

大小さまざまな「ナザールボンジュウ」があり、お店の人と値段交渉しながら買うのも楽しかった。

 

1日目の行程はこれで終わり。

これからカッパドキアのホテルに向かうのだが、その前にホテル近くの世界的に有名だという「ガーリップ陶器工房」を見学した。

この工房も岩山を掘った洞窟の中にあった。

洞窟になっているので寒暖差がなく、適度な湿度もあるため陶器作りに適しているらしい。

この工房を訪れるのはほとんど日本人観光客らしく、説明係のスタッフは流暢な日本語で陶器が出来るまでの工程を解説してくれた。

ろくろを回していた人がガーリップ氏らしく、彼を「カッパドキアのアインシュタインと呼ばれているガーリップ先生」と紹介してくれた。

確かにガーリップ氏の風貌は白髪交じりの長い髪、口髭があり、アインシュタインの写真そっくりだった。

そして陶器作りを実演してくれた。

 

 

 

これでトルコ1日目の観光は終了した。

ホテルは「デデマン・カッパドキア」、室内・室外プール、フィットネスセンターなどもある大きなホテルだった。

 

 

 

 

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デュランタ

2020-10-02 07:00:00 | 植物

デュランタの和名は「タイワンレンギョウ(台湾連翹)」や「ハリマツリ」と呼ばれている。

葉の先に、白や紫の花を房状に咲かせる。

明治時代からあり、暖かい地方では生け垣などにも使われている。

 

 

[デュランタ・タカラヅカ(宝塚)]

良く見かけるデュランタの代表的な品種。

紫色の花びらに白い縁取りがあり、タカラジェンヌが正装した袴姿を連想させることから名付けられた。

ヨーロッパでは似たような品種の花が「Geisha girl」と呼ばれているらしい。

 

 

[デュランタ・レペンス]

花が薄紫色。

初夏と晩夏に二回咲く。

 

 

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