トルコ最終日。
この日は帰国日だった。
午後2時に空港へ出発するまではフリータイムとなっていた。
フリータイムは嬉しいのだが、グランバザールは行ってしまったし、他には治安のこともあって個人で動くのは難しいと思い、午前中だけのオプショナルツアーがあったのでそれに参加した。
「ボスポラス海峡クルーズとリュステムパシャモスク観光」という3時間のツアーだった。
このツアーは参加してすごく良かった。
ツアーのコースは最初にリュステムパシャモスクを見学してからボスポラス海峡クルーズになっていた。
リュステムパシャモスクに入った。
このモスクは街の中、商店街の2階にある小さなモスク。
階下にある商店の賃料がこのモスクを維持するために使われているらしい。
シンプルな外観だったが、中に入った途端、感動した。
それもそのはず、ここは知る人ぞ知る有名な観光スポットらしく、2007年にはニューズウイーク誌で「ヨーロッパでもっとも美しい歴史的モスク」に選ばれたとか。
何に感動したのかというと、一面に貼られたイズニックタイルの見事なこと、昨日見たブルーモスクよりも素晴らしかった。
もちろんブルーモスクも素晴らしかったが、ここのは入り口のところからすでに青一色で、濃い色と薄い色などさまざまな青いタイルが貼られていた。
その数5000枚以上とも。
今ではこれらのタイルは価値が高いものが多いらしく、オスマン芸術の傑作とも言われているようだ。
青を基調としたタイルの中で所々に配置された赤い色のタイルがあった。
これは「トマトレッド」と呼ばれ、16世紀に、ほんの短期間しか作成されなくて、現在では同じ色を出すのが難しいとのことだった。
[入り口付近]
[貼られているタイル]
トルコの国花チューリップが描かれているタイル。
数種類のデザイン化されたチューリップの図柄があった。
チューリップの原産地はトルコ。
そのためどこに行ってもチューリップをデザイン化した絵を見ることができた。
土産物用のお皿、鍋敷き、マグネット、バッグやポーチなどほとんどがチューリップ柄だった。
このモスクの入り口に手頃な値段のポーチが売られていた。
タイル模様の生地で作られていて、かわいいポーチだったのでたくさん買ってきた。
リュステルパシャモスクの方に話を戻すと、内部に入ってタイルの素晴らしさに圧倒されながら写真を撮りまくった。
特に撮影については禁止事項は無かった。
[説教壇]
壁面、柱、ミンバル(説教壇)などすべてにタイルが貼られていた。
[2階のロイヤル専用ボックス]
たくさんの小さな窓からは光が差し込んでいて、青と白の天井を映し出していた。
見学中に一人の男性が入ってきて、見物客など見向きもしなく床にひざまずいてお祈りを始めていた。
階下の商店街で働く人たちが仕事を中断してお祈りに来るのは良くあることだとか。
リュステルパシャモスクは今回のトルコツアーで一番の収穫だと思った。
素晴らしいタイルを見た後はボスポラス海峡のクルーズだった。
トルコはアジアとヨーロッパの境界となっている。
「ボスポラス海峡」がその境界線で、マルマラ海と黒海を結んでいる。
そこにあるイスタンブールは、世界で唯一アジアとヨーロッパ両方にまたがる都市になっている。
エミノニュ桟橋から出航してすぐに見えたのが、海上からしか全貌を見ることができない「ドルマバフチェ宮殿」。
[ドルマバフチェ宮殿]
皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用されていた。
海側に正門と桟橋があり、宮殿から公道には出ずに、船でイスタンブール市内を自由に移動していたらしい。
更に進むと目の前に大きな橋が見えてきた。
「7月15日殉教者の橋」と呼ばれている吊り橋だった。(第一ボスポラス大橋とも呼ばれている)
[7月15日殉教者の橋]
橋の下をくぐり、その先にあるもう一つの大きな第二ボスポラス大橋まで来た。
この第二ボスポラス大橋は日本が建設したもので、1988年に開通した。
この橋の下、海の中には地下鉄も走っている。
もちろんこの地下鉄も日本が建設したもの。
[第二ボスポラス大橋]
第2ボスポラス大橋のたもとにある、城塞ルメリ・ヒサール、ここが折り返し地点となっていた。
「ルメリ・ヒサール」はボスポラス海峡のヨーロッパ側、アジア側には「アナドル・ヒサール」があった。
3時間の短いツアーは終了して、ホテルに戻った。
これで1週間のトルコ周遊ツアーは終わった。