トルコ2日目。
ホテルを出発して向かったのがカッパドキアの観光。
このホテルもカッパドキアの一部に入っているのだが、中心から少し離れていた。
カッパドキアはエルジエス山の麓にあり、標高1,200mほどの高原地帯となっていて、火山活動と侵食により奇岩が連なっている場所。
「ギョレメ国立公園とカッパドキア奇岩風景」として世界遺産に登録されている。
最初はユルギュップからギョレメに向かう道路沿いにあるスリーシスターズから。
スリーシスターズはカッパドキアを代表する奇岩で、3本の岩が並んで見えるのでこう呼ばれている。
日本ではスリーシスターズと呼んでいるが、欧米では妖精の煙突、そしてトルコでは親子岩と呼ばれている。
どうみても中央の岩は小さくて子どもに見えるから、トルコの呼び方に軍配が上がると思う。
[スリーシスターズ]
見る角度によって色々と変わるから面白い。
ここからは傾いているのが分かる。
スリーシスターズがある周辺はこのような感じだった。
スリーシスターズのから「ウチヒサールの城塞跡」に向かった。
ウチヒサール城塞はローマ帝国時代に、ギリシャ人がローマ帝国からの弾圧から逃れるために築いたと言われている。
この城塞跡はこの辺りで一番高い場所にあるので、ここからはカッパドキア全体を見渡すには絶好の場所らしいが、時間の関係で残念ながら上らなかった。
[ウチヒサールの城塞跡]
[ウチヒサールの城塞跡付近]
岩山には、住居として空けられた無数の人工の穴があった。
ウチヒサールは要塞跡を見ただけで、ギョレメに向かった。
ギョレメに行く途中にあった、ギョレメ・パノラマからはカッパドキアの代表的な風景が見られた。
[ギョレメ・パノラマからの風景]
遠くかすんだ山の麓にはギョレメ村がある。
ここにある展望台でドンドゥルマ(Dondurma)を売っている店があった。
パフォーマンスが派手で客を呼び寄せる、有名なお店らしい。
トルコアイスと言われているが、正式にはドンドゥルマで固く粘りがあるのが特徴になっている。
ギョレメに到着した。
ギョレメ国立公園はカッパドキア観光の中心地で、火山岩を彫り抜いて造られた街になっている。
どこを見ても奇岩だらけだった。
キリスト教徒たちはこの奇岩の中に教会や修道院などを造り、隠れて暮らしていたらしい。
今ではギョレメ谷にある岩窟教会群を総称して「ギョレメ野外博物館」としていて、約30の教会が公開されている。
代表的なものはリンゴの教会、バルバラ教会、ヘビの教会、暗闇の教会、サンダルの教会などがあった。
教会のには鮮やかなフレスコがあったりもした。(撮影禁止だった)
野外博物館近くにある民家にもお邪魔した。
このお宅は夏だけここで過ごすらしいのだが、涼しくて快適だと言っていた。
岩をくり抜いて部屋や台所などを造り、上手に利用していた。
[居間]
[部屋の中にあった機織り機]
この家には大勢で押しかけたのに、紅茶(チャイ)を出してくれた。
お茶を飲んだ後は「ゼルベの谷」へまた移動した。
ゼルベの谷には妖精が住んでいると言われている多くのキノコ岩が立っている。
別名は妖精の煙突。
強い風と火山灰がこの風景を造り上げたようだ。
でも難しいことを考えるよりも妖精が造ったと思った方が夢があっていいのかも。
本当に変わった岩の形で、スリーシスターズの辺りとは少し違っているようにも思える。
ここも「ゼルベ野外博物館」になっていて、教会、モスクや多くの住居跡を観ることができる場所になっている。
この村の多くの住居は地震や浸食によって崩れてしまったために、住民全員が新しい村に移住したらしく、現在は廃墟となっている。
ゼルベの谷でカッパドキア観光は終わり、この日のホテルのあるコンヤまで220km移動することになったが、1ヶ所だけゼルベの谷から100kmくらいのところにあるスルタンハンという街に寄った。
ここにあるキャラバン・サライ(隊商宿)が比較的保存状態が良く、当時の様子が分かるということで、見学した。
[キャラバンサライ全景]
思ったよりも大きな建物だった。
この建物は一般的に2階建てになっていて、1階で取引をして、2階は宿泊所になっているらしい。
隊商宿だからテントのようなものに泊まるのかと想像していたがとんでもなかった。
商人は歩くときは全財産を持ち歩いていた訳だから、しっかりした造りの宿でなければならなかったようだ。
[隊商宿の入り口]
大きな建物だがセキュリティーがしっかりしているので入り口は一ヶ所だけ。
[中庭]
門を入ってすぐところにある中庭には四角い建物があり、中に礼拝所があった。
[1階のダーラーン(通廊)]
卸売商人が小売商に品物を卸す取引場になっていた。
キャラバン・サライを利用する商人はよその土地の商人だったので、その街をよく知っている仲買人が必要だった。
その仲買人の斡旋によってここで取引をしていたようだ。
こういったキャラバン・サライはトルコだけでなく、中東の国々などたくさんあったらしい。
キャラバンと聞くと、「月の沙漠」の歌のラクダに乗って砂漠を歩いているイメージが思い浮かんだ。
残りの100kmを走り、2日目のホテルのあるコンヤに着いた。
コンヤもカッパドキアと系列のホテル「デデマン・コンヤ」だった。
[デデマン・コンヤ]