日々是好日

撮った写真や思っていることなどを気の向くままに書いています。

飛鳥

2021-03-27 07:40:08 | 国内旅行

奈良駅から1時間ほどの距離にある明日香村。

「明日香村」なのに、どうして「飛鳥」と書くのかをボランティアガイドが説明してくれた。

元来日本には漢字がなく、ただ「アスカ」と呼ばれていたのが、漢字の伝来後は「明日香」となり、その後地名は2文字がしっくりくるということで「飛鳥」と表記されるようになった、と。

 

この村の観光は「飛鳥駅」から始まった。

駅前でレンタサイクルを借り、一応モデルコースと言われているコースを走った。

まず最初に寄ったのが大きな石のある場所で、それぞれ「鬼のまな板」「鬼のせっちん」となっていた。

これらは古墳時代の石棺の石材らしいが、鬼の伝説をからめてあり、現在では、欽明天皇陵の石室の底石と蓋ではないかと言われている。

そのすぐそばにあったのが、「天武・持統天皇陵(檜隅大内陵)」、ちょっと長いが「ひのくまのおおうちのみささぎ」と読む。

天武・持統合葬陵となっていたので、”合葬”されていたことに驚いた。

 

当たり前だと思うが、立て看板は宮内庁となっていた。

 

そして、次に出てきたのが「亀石」

長さ3.6m、幅2m、高さ1.8mの大きな石の下に動物の顔のような彫刻がされていて亀に似ていることからそう呼ばれている。

 

 

このような歴史に触れられるものが普通にあり、古代から続いている場所だと言うことを感じさせてくれた。

 

続いて向かったのが「橘寺」

お寺の前にあった立派な桜が「左近桜」で、京都御所紫宸殿に植えられた桜に倣っているのかも。

 

 

ここは聖徳太子生誕の地と言われていて、このお寺も聖徳太子が建立したお寺の一つになっている。

現在の本堂は江戸時代に建てられ、ご本尊として「聖徳太子勝鬘経講讃像(しょうとくたいししょうまんぎょうこうさんぞう)」が祀られている。

 

 

 

「橘寺」の敷地内にある「往生院」という建物の天井には素晴らしい天井画があるらしいのだが、今回は桜を探す旅だったので、天井画も見ずに次の桜を探して先を急いだ。

 

次は「石舞台古墳」へ。

「石舞台古墳」は古墳時代後期に造られた日本最大級の古墳で、巨大な石を用いた横穴式の石室になっている。

元々は土で覆われていたらしいが、現在では土がなくなり、石室が露出している状態で、誰のお墓なのかも分かっていない。

ここに行くまでの道は狭く、町並みを過ぎて坂道を登ったところで突然、古墳が姿を現した。

大昔の人がこの数個の巨石をどのように積んだのか、不思議に思いながら内部に入ると更にスケールの大きさが分かり、同時に当時の蘇我氏の権力の大きさも実感した。

 

 

石舞台古墳を後にして、次は北に向かい、自転車で15分ほどの「飛鳥寺」を目指した。

 

 

「飛鳥寺」は蘇我馬子が建立したお寺で、本堂には日本最古の仏像である釈迦如来坐像・通称「飛鳥大仏」があり、この大仏をご本尊として祀っている。

 

 

このお寺ではご住職が案内してくれ、詳しく説明もしてくれた。

この大仏、正面から見ると、頭部だけが少し右を向いた格好になっていて、説明によると、聖徳太子生誕の地である橘寺の方向を向いているということだった。(珍しく写真撮影はOKだった)

「飛鳥大仏」は推古天皇が、聖徳太子や蘇我馬子に命じて造らせたらしく、制作者は鞍作止利(くらつくりのとり)。

そういえばそんな名前の人のこと歴史の授業で習った覚えがあったな・・・と。

 

お寺の中に展示されている、さまざまな出土品を見た後、西門から少し歩いて行くと、「五輪塔(ごりんとう)」があった。

 

 

これが「入鹿(いるか)の首塚」で、蘇我入鹿は蘇我馬子の孫で、「乙巳の変(いっしのへん)」の際、中大兄皇子と中臣鎌足によってはねられた蘇我入鹿の首が、ここまで飛んできたという伝説になっている。

周辺はのどかな田園風景が広がっている中にポツンと「首塚」があった。

蘇我入鹿の首がここまで飛んできた後、「大化の改新」があったのだなぁ、などと思いながら「首塚」にお参りした。

 

「首塚」の後は頑張って自転車をこいで、飛鳥の中心にある標高150mほどの緩やかな丘、「甘樫丘展望台」に登った。

この展望台は蘇我氏の邸宅があった場所らしいが、頂上からは明日香村、大和三山(耳成山、畝傍山、天香久山)、当時の都の跡地などが一望できた。

高い建物もなく、昔と同じ風景なのだろうなと思いながら、村を見下ろしてしばらく休んだ。

 

 

1日中走り回り、モデルコースも一通り回ったので、後は駅に向かうだけだった。

駅に着く前にもう1ヶ所だけ「高松塚古墳」に寄った。

 

 

「高松塚古墳」は昭和47年に内部から鮮やかな壁画が発見されて有名になったところ。

当時のニュースはまだ覚えている。

でも、この古墳が誰のものかはまだ分かっておらず、かなり高貴な人物とではないかとされている。

古墳自体はあまり大きなものではなかったが、形はきれいで、良く整備されていた。

内部に入ることはできなかったが、古墳西側には高松塚壁画館があって、極彩色の壁画が復元されたものを見ることができた。

 

こうして飛鳥のサイクリング観光は終わった。

桜を追っての旅だった。

桜ももちろん良かったが、古代史を改めて勉強したくなるような、実りのある旅だった。

村の中をを流れる飛鳥川や田園風景、その中にある飛鳥時代のたくさんの古墳、史跡、お寺など、万葉の世界をもっと知りたいと思うようになった。

 

コメント (2)
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