比叡山延暦寺は滋賀県大津市にあり、比叡山全域を境内とする天台宗の総本山。
標高848mの山の上の広大な敷地には100余りの建物がある。
根本中堂や大講堂のある「東塔(とうどう)」、釈迦堂やにない堂のある「西塔(さいとう)」、横川中堂や元三大師堂などがある「横川(よかわ)」の三つのエリアに分かれていて、それぞれに本堂を持っている。
歴史上では有名な織田信長の焼き討ち事件があったが、その後、豊臣秀吉や徳川家康などにより復興された。
現在では世界文化遺産に登録されている。
比叡山に行くにはいくつかの方法があるが、湖西線に乗ってみたくて、湖西線経由の方法を選んだ。
そのため、必然的にケーブルカーを利用して行くことになった。
湖西線比叡山坂本駅からバスで5~6分ほどのところにある「ケーブル坂本駅」、ここから「ケーブル延暦寺駅」までは11分、でもこのケーブルカーは日本最長だとか。
車窓から琵琶湖を眺めながら登っていった。
[坂本駅]
駅舎は1927年の開業以来の建物で、1997年に国の登録有形文化財に登録された。
[延暦寺駅]
延暦寺駅から歩いてすぐ「東塔」エリアに着いた。
延暦寺は各エリアを結ぶシャトルバスが運行されているほど境内が広いお寺なので、ゆっくりと時間をかけて回ればよいのだが、この日は半日しか時間が取れなかったため、「東塔」エリアだけを見ることにした。
東塔は最澄が延暦寺を開いた場所で、延暦寺発祥の地となっている。
やはり最初は「根本中堂」から拝観した。
ここは延暦寺の総本堂でご本尊は薬師如来。
ご本尊の前にあった、「不滅の法灯」も見たが、これは1200年間もずっと消えることなく燃え続けているということだったが、本当に消えてしまったことはなかったのかな?
案内書によると、仏教の「仏凡一如」という考え方から、内陣は参拝者のいる中陣や外陣より低くなっていて、本尊や法灯が参拝者にとって目の高さにある、ということだった。
(「仏凡一如」とは、迷いから離れられない普通の人と、迷いをのりこえた聖者とは、 性質は違っていても、本質的に同じであるということ)
根本中堂の前で参拝者があげているお線香の香りが何とも言えない、癒やされるような良い香りだった。
根本中堂の向かい側には高い石段があり、その上には「文殊楼」があった。
比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門で、楼の上には学問の仏様である「知恵の文殊菩薩」が祀られている。
[文殊楼]
息を切らせながら階段を上り、上から根本中堂を見たところ。
この階段は結構きつかった。
根本中堂から少し離れた場所にあり、東塔地区で最も標高の高い場所に建っているのが朱塗りの鮮やかな「阿弥陀堂」。
ご本尊は阿弥陀如来で、信徒たちの先祖回向の道場となっている。
創建から1200年という延暦寺だが、このお堂は建てられて百年ほどなので、比較的新しい建物らしい。
お堂の前には水琴窟があり、きれいな音を出していた。
[法華総持院東塔]
阿弥陀堂と並んでいるのが「法華総持院東塔」で、ここは最澄が国民の安楽を祈念して建てた六所宝塔の一つとなっている。
一通り東塔エリアを回り終え、根本中堂近くの売店にいたところ、付近に大勢の人が集まってきて賑やかになってきた。
何が始まるのだろうと思って売店の人に聞いてみた。
そうしたら、延暦寺の年中行事で最も重要な法要「御修法(みしほ)大法」が始まるのだとのことだった。
一瞬? と思ったが、パンフレットに詳しく記されていた。
延暦寺で毎年数日間、天皇陛下の衣装「御衣(ぎょい)」を前に国の平和や安寧を祈る法要を行っているらしく、行った日がちょうどその日に当たったということだった。
参拝者の中には「御修法」の初日に毎年訪れている人もいるらしい。
雅楽が流れ、厳かに始まった。
大勢のお坊さんが大書院から出てきて、行列を作り、根本中堂まで進んで行った。
この人たちは各地から選抜された、偉いお坊さんたちらしい。
1年の内数日しかない行事の日に巡り合えたなんて、本当に良かった。
これで延暦寺の東塔の見学を終えた。
帰りは東塔のバスターミナルから路線バスを使って京都市内まで戻った。