映画とライフデザイン

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映画「キネマの神様」沢田研二&山田洋次

2021-08-08 09:22:50 | 映画(日本 2019年以降主演男性)
映画「キネマの神様」を映画館で観てきました。


高校の大先輩山田洋次監督の新作ということで早々に映画館に向かう。ジュリー(沢田研二)が主役ということ以外は予備知識はなし。「キネマの神様」という題名から映画が題材と推測される。あの沢田研二もいい年だ。今回はギャンブル好きの78歳のダメ老人を演じる。その昔の妖艶さは見る影もない感じだが、風貌が変貌したのでこの役にあっている。


バクチで借金をつくって同居の妻や娘に迷惑をかけている沢田研二演じる不良老人が、若き日に映画の助監督をやっていた杵柄で一発逆転を狙うという話だ。不良老人の若き日を菅田将暉、のちに妻になる松竹撮影所近くの食堂の看板娘を永野芽郁が演じて50年以上前の恋物語を並行して語る。看板女優を演じる北川景子はいつものキツイメイクから若干変えていて悪くない。

映画自体は、ここ数作の山田洋次作品のテイストと大きく変わらない。殺しが絡むとかエグい話はない。序盤戦は、いつもながらの松竹系アカ抜けないセリフが続く。ありきたりだ。それなのに、次第に心をつかむ。若き日の助監督時代の自分を菅田将暉にかぶらせているのがよくわかる。もうすぐ90歳になる山田洋次監督の思いに映画の出来以上に心に感じるものがあり泣けてきた。

無類のギャンブル好きなゴウ(沢田研二)は妻の淑子よしこ(宮本信子)と娘の歩(寺島しのぶ)にも見放されたダメ親父。そんな彼にも、たった一つだけ愛してやまないものがあった。
それは「映画」−−− 。行きつけの名画座の館主・テラシン(小林稔侍)とゴウは、かつて映画の撮影所で働く仲間だった。


若き日のゴウ(菅田将暉)は助監督として、映写技師のテラシン(野田洋次郎)をはじめ、時代を代表する名監督やスター女優の園子(北川景子)、また撮影所近くの食堂の看板娘・淑子(永野芽郁)に囲まれながら夢を追い求め、青春を駆け抜けていた。
そして、ゴウとテラシンは淑子にそれぞれ想いを寄せていた。しかしゴウは初監督作品の撮影初日に転落事故で大怪我をし、その作品は幻となってしまう。
ゴウは撮影所を辞めて田舎に帰り、淑子は周囲の反対を押し切ってゴウを追いかけて行った・・・。(作品情報 引用)

⒈沢田研二のダメ男
何せ太った。いかにも怠惰なこの役柄にピッタリな風貌である。ギャンブル好きで借金を重ねて、娘のところまで借金取りがやってくる。でも、映画界を去ってこの年まで何を生業としてやっていたのかと思ってしまう。ただ、フーテンの寅さんをはじめダメ男に妙に愛情を示すのが山田洋次監督である。そこは巧みに操縦する。


何かというと、金貸してくれとしか言わない主人公ゴウは家族中から呆れられている。白いヘビの夢を見たので、ツキがまわるとばかりにカネを貸せと孫にいう。でも、オタクでネットのweb designをやっている孫がゴウが昔書いたシナリオ「キネマの神様」が面白いとばかりに、一緒に書き直して映画会社主催の賞に応募しようという。ある意味ギャンブルでない正統派の一発逆転だ。孫と一緒にシナリオを整えようとする沢田研二のおじいちゃんぶりがなんかいじらしく見えてくる。いいシーンだ。

⒉沢田研二の全盛時代
沢田研二は今でもコンサートはやっているというが、往年のファンの前でこの風貌で歌っているのであろうか?そもそも今の若い人はソロ時代のジュリーのことも知らないのではないか。そんなことを思っているうちに、沢田研二が主役を演じる映画を映画館で見るのは53年ぶりということに気付いた。

もちろん3億円事件の犯人を演じた、TVドラマ「悪魔のようなあいつ」を高校時代に喰い入るように見ていたし、videoでいくつかの主演作を見ている。思い起こせば、1968年メキシコオリンピックの年に有楽町で小学生の自分は母と一緒にジュリーの映画「世界はボクらを待っている」を観た。「銀河のロマンス」が映画のメインの曲で、繰り返し流れた。今でも口ずさめる。主演はタイガースとなっていても、沢田研二を引き立てるための映画だった。ヒロインの女の子久美かおりが思春期に入る前の自分でもきれいだなと思った記憶がある。


⒉狂ってしまう時代の設定
たぶん、ラグビーワールドカップやコロナ騒ぎを映画に取り入れることで、時代の設定が狂ったのではないかと思う。主人公は78歳ということで普通に考えると、1942年(昭和17年)生まれである。今の奥さんと知り合った助監督時代が25歳と仮定すると、1967年になってしまう。映画で、北川景子演じる人気俳優は原節子を意識しているが、もうその前の1962年には映画界から引退している。映像に映る車は1950年代のものだ。矛盾だらけになる。


2019年から2020年という時代設定でなく、2010年前後にして、山田洋次監督と同年齢の設定にしたら、時代設定は合っていたのであろう。当初志村けんさんを主役に考えていたこともあり、まずは、コロナのことを組み入れざるを得なかったというのが主眼だった気がする。助監督時代の振る舞いでは、おそらくは直接師事した野村芳太郎監督や当時のスタッフのことなどを意識したと思しきセリフが取り入れられている。カメラアングルなどのセリフはいい感じだ。リリーフランキー演じる亡き名監督もいつもながらの好演である。


時代考証はちょっと合っていないとはいえ、永野芽郁には山田洋次監督が亡き妻の昔の面影をかぶらせているというコメントもある。明るくて感じがいい。この女の子がちょっとネクラな役の宮本信子みたいになるかしら?でも、いちばんしっくりいったのが、めがねをかけたそのお母さん役だな。こういう顔って大正生まれの女性にはよくいたタイプである。昭和40年代までの親戚の寄合で、こういう顔をしたおばさんに囲まれた自分の写真がある。自分にノスタルジックな感触を呼び起こさせる。

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