映画とライフデザイン

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どん底  黒澤明

2011-03-29 20:15:11 | 映画(日本 黒澤明)
黒澤明監督がゴーリキーの「どん底」をベースにつくった1957年の時代劇である。
セットが中心で演劇を見ているがごとくの作品だ。江戸の長屋を舞台に、そこに住む個性的な住民と地主との人間関係のもつれを描いていく。セリフは巧妙、でもセット内だけにとどまるのがどこか単調に思えてくる。

江戸の場末の長屋が舞台だ。アバラ屋には、さまざまな連中が住んでいる。年中叱言を云っている鋳掛屋こと東野英治郎。寝たきりのその女房。夢想にふける八文夜鷹こと根岸明美。中年の色気を発散させる飴売り女こと清川虹子。アル中の役者くずれこと藤原鎌足。御家人くずれの“殿様”こと千秋実。そして向う気の強い泥棒捨吉こと三船敏郎。
この長屋にお遍路の嘉平老人こと左卜全が舞い込んできた。この世の荒波にさんざんもまれてきた老人は長屋の連中にいろいろと説いて廻った。病人のあさには来世の安らぎを、役者にはアル中を癒してくれる寺を、そうした左卜全の言動に長屋の雰囲気は変ってきていた。泥棒こと三船は大家の女房こと山田五十鈴と既に出来ていたが、その妹こと香川京子にぞっこん惚れていた。山田は恐ろしい心の女で、主人である因業大家こと中村鴈治郎にもまして誰からも嫌われていた。



黒澤明の映画は、たとえセットであってもその情景の美術が次々と変化するのに一つの楽しみがある。ここではほぼ単一のセットだ。閉塞感すら感じる。そういった意味で、他の作品とは志向が異なる。演劇を映画でやる実験のような作品と自分は感じた。正直自分には物足りない。
ただし、ここでいろんな個性の俳優から発せられるセリフは実におもしろい。ユーモアを感じさせる。それを楽しむべきではないか?個人的には山田五十鈴の存在感に凄味を感じた。前作の「蜘蛛巣城」で三船とものすごい演技を展開させていた。いずれも憎たらしい役柄だ。このころはまだ若く、娘の嵯峨三智子を連想させる美貌だ。いまだ存命と聞くとより凄味を覚える。
よく知った黒澤映画の常連たちが黒澤に徹底的な演技指導をされる姿が目に浮かぶ。ここには明らかな主役はいない。この長屋にたむろう全員が主役と感じさせる。黒澤作品で志村喬の姿が見えないのは極めて珍しい。なぜなのだろうか?

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