映画とライフデザイン

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映画「社長洋行記」 森繁久彌&新珠三千代

2016-12-07 20:37:59 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「社長洋行記」は昭和37年(1962年)の東宝映画


おなじみ森繁久彌主演の社長シリーズの作品で、香港ロケをおこなっている。

晩年の森繁のイメージしか知らない人からすると、コメディアン森繁久彌のイメージがなかなかわかないようだ。傑作とされる淡島千景共演「夫婦善哉」のダメ男ぶりのあと、東宝で社長シリーズで能天気でエロな社長のイメージを確立させる。

毎度のことながら、久慈あさみ扮する社長夫人の目を盗んで浮気をしてやろうとする森繁久彌の前に美女が次々と現れるが、あともう少しのところでうまくいかないというワンパターンは、そののちのフーテンの寅さんがマドンナとの恋をあと一歩のところで実現できないパターンと似ている。


サクランパスという貼り薬で知られる桜堂製薬は、東南アジア販路拡張に苦戦していた。本田社長(森繁久弥)は東海林営業部長(加東大介)から国外販売は加藤清商事にまかせきりだと聞く。改善をお願いすべく社長(東野英治郎)に直談判しようとしてゴルフに誘った。ところが、ゴルフの当日娘が男を自宅に結婚したいと連れてきてビックリ、アポをすっぽかしてしまう。汚名挽回に社長は悦子マダム(新珠三千代)のいる香港亭へ加藤清商事の社長を招待したが、ちょっとしたことからケンカ別れになってしまう。社長は自力で国外に売り出そうと決心し、社長秘書の南(小林桂樹)と営業課長の中山(三木のり平)が同行して香港に向かうことになる。


中山は、図々しく送別会を準備して大騒ぎ。そんなとき、東海林の行きつけの割烹の女将あぐり(草笛光子)の義兄(フランキー堺)が香港の商社にいることがわかる。社長は商売上のつてがあるという東海林を中山のかわりに随行員にさせる。送別会の当日、それを知り中山はションボリうなだれる。

出発の日、羽田でジェット機にのり込んだ社長一行は、香港亭の悦子にばったり会う。彼女も香港で経営する日本料理屋へ行くところだ。香港に着き、女将の義兄にあったが、その日は自由行動となる。社長が香港亭のマダムとデートの約束をしていたからだ。東海林営業部長は西洋式のお風呂になれず、水びだしにしてしまう。秘書の南は街に散歩に出ると、大学の後輩柳宗之に出会った。柳は妹の秀敏(ユーミン)と共に香港を案内してくれて南はニコニコだ。そして社長はマダムと中華料理屋で待ち合わせをして楽しいデートとしようとするのであるが。。。

このころの社長シリーズの4人のレギュラーの顔をみると、なぜか安心感がある。子供のころ、家の近くにそのあとTOCとなった星製薬の廃墟のような建物があり、東宝映画の看板が掲げられていた。子供心にゴジラの看板が一番インパクトあったが、森繁、加東、三木、小林という怪優たちと美女の組み合わせの看板もよく見ていた気がする。

1.社長シリーズのワンパターン
源氏鶏太原作「三等重役」の映画化で軽薄でずるい課長を演じた後、40代で社長役を演じるようになる。この「社長洋行記」で社長を演じた時で49歳だ。今の自分より全然若い。この当時の重役連中は皆戦争を経験しているはずだが、いかにも能天気でお気楽なところは苦労知らずに思えてしまう。



ロイド眼鏡の奥でエロな雰囲気を醸し出す森繁久彌の滑稽な姿は、新珠三千代や淡路恵子などの常連たちの前でより好色な匂いをだす。当然金のある社長のところに美女が寄ってくるのであるが、小林桂樹扮する秘書のガードでなかなかうまくいかず久慈あさみ扮する奥方の登場でがっかりというワンパターンだ。

村上春樹都築響一との対談の中で
「森繁の社長は人ごとながらとてもかわいそうな気がする。あともうちょっとのところなのに。」と同情する。
一方都築響一
「大映映画だと、浮気やその先にあるドロドロしたところからお話は始まります。」たしかに増村保造監督作品などはそのパターンかも。東宝映画独特の家族でも見れる安心感があるのだ。

2.香港ロケ
香港好きな自分からすると、昭和30年代の香港が実際の映像として映る日本映画は見逃せない。どちらかというと、東映映画となると香港マフィアの黒社会との絡みとなり暗くなる。東宝映画は人気シリーズ、クレージー映画、若大将シリーズいずれも香港ロケ作品がある。クレイジー映画も杉江敏男監督がメガホンをとっているのだが、香港は藤本真澄プロデューサーの趣味なのかなという感じがしてしまうのであるが


3.三木のり平
コメディ映画の笑わせ役というよりも桃屋のコマーシャルでの三木のり平の印象が我々には強いインパクトとして残る。社長シリーズでは宴会課長で「パァーッといきましょう」とこの映画でも自称宴会嫌いの社長を強引に壮行会に誘う。そこで踊る宴会芸はいかにも古典的宴会芸で、現代のサラリーマンでは出来る人は少なくなっている。


小林信彦は名著「日本の喜劇人」の中で三木のり平をこう評する。
「主役を張れないタイプで、映画、舞台、ともに主役の場合は、成功していない。あくまで脇の、しかも、完全な<ぼけ>でないとうまくいかない。」せっかく海外出張できると思ってはりきっていたのに、上司に譲るという場面はなぜかさみしさを感じさせる落胆ぶりだ。こういう役柄も良く似合う。






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