映画「男嫌い」を名画座で観てきました。
映画「男嫌い」は1964年(昭和39年)の東宝映画、名画座の越路吹雪特集で観る。この映画の存在自体知らなかった作品だ。具体的年齢は言及されないが、妙齢の独身の4人の女性が主演である。長女が越路吹雪、次女が淡路恵子、三女が岸田今日子、四女が横山道代である。その弟に唯一の男性坂本九がいる。現在、横山道代以外は鬼籍に入った。
父親が亡くなり、親戚の小うるさいオバさんたちにお見合いをさせられる四姉妹の物語だ。一種の集団見合いに近い状況になる。その親戚のおばさんが「肝っ玉母さん」の京塚昌子で、お見合い相手が青島幸男と森雅之と神山繁だ。出演者は当時の人気スターばかりで、昭和40年代の日本のお茶の間のTVでよく見る顔ぶれだ。それだけで映画館に引き寄せられるものがある。
正直言って破茶滅茶な映画であった。
セットが中心だ。父親が亡くなって、四姉妹とその弟が住む家が舞台である。笑えるシーンもある。参議院議員になる前の青島幸男がマザコンの独身でおちゃらけていて笑いを呼び、僧侶役で左卜全が出てくると存在だけで場内が笑いの渦になる。それでも現代の映画に比べると、稚拙なところだらけである。後世に残る作品には到底見えない。それなのによくここまでスターを集めたものと感心する。同名で同じキャストのTV番組があったようだ。残念ながら自分は幼少期なので知らない。
東宝映画でもプロデューサーは藤本真澄でなく、渡辺美佐の名前がある。当時36歳だけど、ナベプロ全盛時代に向けて芸能界を牛耳っていたのだろう。人気絶頂だった坂本九はマナセプロダクション所属で、渡辺美佐はマナセプロダクション社長の娘だから引っ張るのは容易だ。
ストーリーについて触れても仕方ないので、四姉妹それぞれの俳優にとって1964年(昭和39年 前の東京オリンピックの年)がどういう立ち位置だったのかを見てみる。
⒈越路吹雪
今回は越路吹雪特集でメインの存在だけど、特別でなく4人フラットの立場だ。1924年生まれで当時40歳だ。宝塚の男役出身で夫の内藤法美とはすでに結婚している。越路のマネジャーでもあった作詞家岩谷時子による日本語訳の歌をリサイタルで歌っていて地位をすでに築いていた。有名な日生劇場のロングランコンサートが始まるのは1965年からである。
当時、越路吹雪はNHK紅白歌合戦に連続して出演していた。自分は1965年から紅白を見ていたと記憶する。その年に自宅にカラーTVが来た。ただ、越路吹雪の顔が怖くて見れなかった。舞台化粧して出演していたのだと思うが、子どもの自分には気味が悪かったのだろう。
(後記 7月27日)
パリオリンピックのルーブル美術館横の劇的な聖火リレーの後で、セリーヌディオンの「愛の讃歌」の絶唱に感動した。日本人の自分は岩谷時子作詞の歌をハミングしてしまう。当然、越路吹雪の声が脳裏で響く。
⒉淡路恵子
次女役で化粧が最も派手だ。1933年生まれで当時31歳だ。晩年の嫌味ぽいオバサンの雰囲気はない。SKD(松竹歌劇団)出身で、若き日の姿が黒澤明監督「野良犬」に映る。まだ清純なイメージだ。その後も「駅前シリーズ」などの当時の東宝喜劇には欠かせない存在だ。成瀬巳喜男監督「女が階段を上がる時」の売れっ子銀座のホステス役が似合う派手さだ。この映画はカラーなのでその妖気が感じられる。中村(萬屋)錦之助と再婚するのは1966年だ。
⒊岸田今日子
三女役で自分で事務所を持っているインテリの役柄だ。1930年生まれで当時34歳だ。淡路恵子より年上だったと気づく。女性に年齢を聞くのはどうかと、周囲も気づいていなかったのか?劇作家岸田國士の娘で文学座を経て、1963年劇団雲を脱退した仲間と結成している。ちょうど女優として脂がのった時期で、名作とされる主演作「砂の女」や「卍」も同年に公開している。
この映画から10年後になるが、「傷だらけの天使」の綾部社長役がわれわれにとっては印象深いだろう。平成生まれの人には馴染みは少ないだろうが、昭和から平成初期の時代にはあの独特の声はナレーションも含めて毎日のように聞いていた気がする。
⒋横山道代
四姉妹の1番下で妹キャラだ。1936年生まれで当時28歳だ。この中で唯一健在だ。貫禄あるお姉さんたちとの共演なので、もう少し年下に見えてしまう。黒柳徹子や里美京子と自分が物心ついた頃にNHKで共演していた記憶がある。明るいキャラクターが多く、この映画が公開される頃は喜劇で若手OLのような役が多かった。その後もずいぶんと長い間TV番組で見ていた。
他に印象的なのは、京塚昌子、青島幸男、神山繁、中尾ミエ、賀原夏子などで、俳優を見るだけで当時の雰囲気を楽しめる。
映画「男嫌い」は1964年(昭和39年)の東宝映画、名画座の越路吹雪特集で観る。この映画の存在自体知らなかった作品だ。具体的年齢は言及されないが、妙齢の独身の4人の女性が主演である。長女が越路吹雪、次女が淡路恵子、三女が岸田今日子、四女が横山道代である。その弟に唯一の男性坂本九がいる。現在、横山道代以外は鬼籍に入った。
父親が亡くなり、親戚の小うるさいオバさんたちにお見合いをさせられる四姉妹の物語だ。一種の集団見合いに近い状況になる。その親戚のおばさんが「肝っ玉母さん」の京塚昌子で、お見合い相手が青島幸男と森雅之と神山繁だ。出演者は当時の人気スターばかりで、昭和40年代の日本のお茶の間のTVでよく見る顔ぶれだ。それだけで映画館に引き寄せられるものがある。
正直言って破茶滅茶な映画であった。
セットが中心だ。父親が亡くなって、四姉妹とその弟が住む家が舞台である。笑えるシーンもある。参議院議員になる前の青島幸男がマザコンの独身でおちゃらけていて笑いを呼び、僧侶役で左卜全が出てくると存在だけで場内が笑いの渦になる。それでも現代の映画に比べると、稚拙なところだらけである。後世に残る作品には到底見えない。それなのによくここまでスターを集めたものと感心する。同名で同じキャストのTV番組があったようだ。残念ながら自分は幼少期なので知らない。
東宝映画でもプロデューサーは藤本真澄でなく、渡辺美佐の名前がある。当時36歳だけど、ナベプロ全盛時代に向けて芸能界を牛耳っていたのだろう。人気絶頂だった坂本九はマナセプロダクション所属で、渡辺美佐はマナセプロダクション社長の娘だから引っ張るのは容易だ。
ストーリーについて触れても仕方ないので、四姉妹それぞれの俳優にとって1964年(昭和39年 前の東京オリンピックの年)がどういう立ち位置だったのかを見てみる。
⒈越路吹雪
今回は越路吹雪特集でメインの存在だけど、特別でなく4人フラットの立場だ。1924年生まれで当時40歳だ。宝塚の男役出身で夫の内藤法美とはすでに結婚している。越路のマネジャーでもあった作詞家岩谷時子による日本語訳の歌をリサイタルで歌っていて地位をすでに築いていた。有名な日生劇場のロングランコンサートが始まるのは1965年からである。
当時、越路吹雪はNHK紅白歌合戦に連続して出演していた。自分は1965年から紅白を見ていたと記憶する。その年に自宅にカラーTVが来た。ただ、越路吹雪の顔が怖くて見れなかった。舞台化粧して出演していたのだと思うが、子どもの自分には気味が悪かったのだろう。
(後記 7月27日)
パリオリンピックのルーブル美術館横の劇的な聖火リレーの後で、セリーヌディオンの「愛の讃歌」の絶唱に感動した。日本人の自分は岩谷時子作詞の歌をハミングしてしまう。当然、越路吹雪の声が脳裏で響く。
⒉淡路恵子
次女役で化粧が最も派手だ。1933年生まれで当時31歳だ。晩年の嫌味ぽいオバサンの雰囲気はない。SKD(松竹歌劇団)出身で、若き日の姿が黒澤明監督「野良犬」に映る。まだ清純なイメージだ。その後も「駅前シリーズ」などの当時の東宝喜劇には欠かせない存在だ。成瀬巳喜男監督「女が階段を上がる時」の売れっ子銀座のホステス役が似合う派手さだ。この映画はカラーなのでその妖気が感じられる。中村(萬屋)錦之助と再婚するのは1966年だ。
⒊岸田今日子
三女役で自分で事務所を持っているインテリの役柄だ。1930年生まれで当時34歳だ。淡路恵子より年上だったと気づく。女性に年齢を聞くのはどうかと、周囲も気づいていなかったのか?劇作家岸田國士の娘で文学座を経て、1963年劇団雲を脱退した仲間と結成している。ちょうど女優として脂がのった時期で、名作とされる主演作「砂の女」や「卍」も同年に公開している。
この映画から10年後になるが、「傷だらけの天使」の綾部社長役がわれわれにとっては印象深いだろう。平成生まれの人には馴染みは少ないだろうが、昭和から平成初期の時代にはあの独特の声はナレーションも含めて毎日のように聞いていた気がする。
⒋横山道代
四姉妹の1番下で妹キャラだ。1936年生まれで当時28歳だ。この中で唯一健在だ。貫禄あるお姉さんたちとの共演なので、もう少し年下に見えてしまう。黒柳徹子や里美京子と自分が物心ついた頃にNHKで共演していた記憶がある。明るいキャラクターが多く、この映画が公開される頃は喜劇で若手OLのような役が多かった。その後もずいぶんと長い間TV番組で見ていた。
他に印象的なのは、京塚昌子、青島幸男、神山繁、中尾ミエ、賀原夏子などで、俳優を見るだけで当時の雰囲気を楽しめる。