映画「あちらにいる鬼」を映画館で観てきました。
映画「あちらにいる鬼」は直木賞作家井上荒野が自身の父井上光晴と瀬戸内寂聴(晴美)との不倫関係を中心に描いた小説の映画化である。寺島しのぶが潔く髪を剃った予告編に目を奪われ、寺島と腐れ縁のような豊川悦司が共演で、荒井晴彦が脚本を書くというだけで楽しみにしていた。すぐさま映画館に向かう。
1966年、長内みはる(寺島しのぶ)が故郷徳島文化の講演会で作家の白木篤郎(豊川悦司)と一緒になる。白木には妻(広末涼子)と娘がいて、みはるも同居している腐れ縁の若い男(高良健吾)が同居していた。それなのに、お互いに魅かれる2人が急接近して、みはるが九州の講演に行った時に、白木がホテルに訪れ2人の関係が始まる。
それからはつかず離れずの関係が続いていく。
みはるは若い男と縁を切り、白木の浮気癖はまったく直らないけど、関係はずっと続く。
淡々と2人の関係を描く。
映画のリズムはおだやかである。ピンク出身の廣木隆一が監督で荒井晴彦の脚本だけにねちっこい絡みが予測されたが、最初に激しく結ばれる時を除いてはさほどでもない。長回しの演出が目立つ廣木だが、割と普通だ。広末涼子演じる白木の妻が嫉妬深くないので、激情する場面も多くはない。それだけに居心地は悪くない映像が続く。
作者井上荒野は関係が進んでいる時はまだ子どもだ。こんなリアルな関係を知るはずもないだろう。おそらくは、瀬戸内寂聴がこんな感じだったというのを井上荒野に語ったに違いない。まあ、すごい関係である。瀬戸内寂聴が出家しなかったらどうなるのであろう。
⒈豊川悦司と井上光晴
それにしても豊川悦司演じる井上光晴(白木)のダメ男ぶりには驚く。公表している素性は出身地から何から全部デタラメだ。ウソをつかないと生きていけない。そんな最低な奴だ。ウソで固められた人生って詐欺師によくいる。たまたま、少し本が売れたからいいものだけど。どうなのかしら?
最初に出会った時に、当時40歳の白木が44歳のみはるのトランプ占いをしてあげる。エースのカードが出て、あなたは書くものが変わっていくと予言する。改めて白木の本を読んだみはるが白木が住む団地に行き近づいていく。恋のはじめの盛り上がりからスタートする。
女グセは最高に悪い。
飲み屋の姉妹の両方に手を出すは、みはると付き合ってからも別の女に手を出す。家まで乗り込んでくる女もいる。
マメなのかなあ。この男。でも、映画では白木の妻(広末涼子)が文章を清書するだけでなく、ゴーストライターになっていると匂わせるセリフもある。ひでえ野郎だ。
⒉寺島しのぶと瀬戸内寂聴
寺島しのぶはこの作品を代表作にしようと思ったのかもしれない。トコトン瀬戸内寂聴になり切ろうとした。髪を剃ったその心意気を買う。しかも、40を過ぎてバストをあらわにして体当たりの演技をする。寺島には「赤目四十八瀧心中未遂」という傑作がある。尼崎で底辺の暮らしをする朝鮮人の娼婦を演じた。それを上回ろうと考えたのであろう。
家に文学全集があって、その中に瀬戸内晴美の本があった。子どものころから名前を知っていたけど、読んだことがなかった。世間をアッと言わせた出家の時に初めて存在を意識したのかもしれない。日本経済新聞で瀬戸内寂聴の私の履歴書を読んだ時、その男性遍歴に驚いた。普通に結婚した後、夫の教え子とくっつく。その男が腐れ縁でこの映画でも少し触れられる。
「夏の終リ」はもう少し若いころだ。子宮作家と言われた時期もある。ここでは井上光晴(白木)とつかず離れずの関係が描かれる。。「どうしようもない男だけど、愛おしい。」そんな寺島しのぶのセリフがある。その辺りのセリフの選択のうまさはいかにも荒井晴彦だ。
今回は、広末涼子もいい感じだった。一皮むけた感じがする。それがうれしい。ただ、長期に渡る3人の関係を描いていて焦点が絞りきれていない。瀬戸内寂聴の出家にも焦点をあてているので時間が間延びする感じもする。もともと左翼思想の井上光晴を描くとなると、荒井晴彦だけに少し左巻きの要素もある。それでも、主演2人と広末涼子の熱演には拍手を送りたい。
映画「あちらにいる鬼」は直木賞作家井上荒野が自身の父井上光晴と瀬戸内寂聴(晴美)との不倫関係を中心に描いた小説の映画化である。寺島しのぶが潔く髪を剃った予告編に目を奪われ、寺島と腐れ縁のような豊川悦司が共演で、荒井晴彦が脚本を書くというだけで楽しみにしていた。すぐさま映画館に向かう。
1966年、長内みはる(寺島しのぶ)が故郷徳島文化の講演会で作家の白木篤郎(豊川悦司)と一緒になる。白木には妻(広末涼子)と娘がいて、みはるも同居している腐れ縁の若い男(高良健吾)が同居していた。それなのに、お互いに魅かれる2人が急接近して、みはるが九州の講演に行った時に、白木がホテルに訪れ2人の関係が始まる。
それからはつかず離れずの関係が続いていく。
みはるは若い男と縁を切り、白木の浮気癖はまったく直らないけど、関係はずっと続く。
淡々と2人の関係を描く。
映画のリズムはおだやかである。ピンク出身の廣木隆一が監督で荒井晴彦の脚本だけにねちっこい絡みが予測されたが、最初に激しく結ばれる時を除いてはさほどでもない。長回しの演出が目立つ廣木だが、割と普通だ。広末涼子演じる白木の妻が嫉妬深くないので、激情する場面も多くはない。それだけに居心地は悪くない映像が続く。
作者井上荒野は関係が進んでいる時はまだ子どもだ。こんなリアルな関係を知るはずもないだろう。おそらくは、瀬戸内寂聴がこんな感じだったというのを井上荒野に語ったに違いない。まあ、すごい関係である。瀬戸内寂聴が出家しなかったらどうなるのであろう。
⒈豊川悦司と井上光晴
それにしても豊川悦司演じる井上光晴(白木)のダメ男ぶりには驚く。公表している素性は出身地から何から全部デタラメだ。ウソをつかないと生きていけない。そんな最低な奴だ。ウソで固められた人生って詐欺師によくいる。たまたま、少し本が売れたからいいものだけど。どうなのかしら?
最初に出会った時に、当時40歳の白木が44歳のみはるのトランプ占いをしてあげる。エースのカードが出て、あなたは書くものが変わっていくと予言する。改めて白木の本を読んだみはるが白木が住む団地に行き近づいていく。恋のはじめの盛り上がりからスタートする。
女グセは最高に悪い。
飲み屋の姉妹の両方に手を出すは、みはると付き合ってからも別の女に手を出す。家まで乗り込んでくる女もいる。
マメなのかなあ。この男。でも、映画では白木の妻(広末涼子)が文章を清書するだけでなく、ゴーストライターになっていると匂わせるセリフもある。ひでえ野郎だ。
⒉寺島しのぶと瀬戸内寂聴
寺島しのぶはこの作品を代表作にしようと思ったのかもしれない。トコトン瀬戸内寂聴になり切ろうとした。髪を剃ったその心意気を買う。しかも、40を過ぎてバストをあらわにして体当たりの演技をする。寺島には「赤目四十八瀧心中未遂」という傑作がある。尼崎で底辺の暮らしをする朝鮮人の娼婦を演じた。それを上回ろうと考えたのであろう。
家に文学全集があって、その中に瀬戸内晴美の本があった。子どものころから名前を知っていたけど、読んだことがなかった。世間をアッと言わせた出家の時に初めて存在を意識したのかもしれない。日本経済新聞で瀬戸内寂聴の私の履歴書を読んだ時、その男性遍歴に驚いた。普通に結婚した後、夫の教え子とくっつく。その男が腐れ縁でこの映画でも少し触れられる。
「夏の終リ」はもう少し若いころだ。子宮作家と言われた時期もある。ここでは井上光晴(白木)とつかず離れずの関係が描かれる。。「どうしようもない男だけど、愛おしい。」そんな寺島しのぶのセリフがある。その辺りのセリフの選択のうまさはいかにも荒井晴彦だ。
今回は、広末涼子もいい感じだった。一皮むけた感じがする。それがうれしい。ただ、長期に渡る3人の関係を描いていて焦点が絞りきれていない。瀬戸内寂聴の出家にも焦点をあてているので時間が間延びする感じもする。もともと左翼思想の井上光晴を描くとなると、荒井晴彦だけに少し左巻きの要素もある。それでも、主演2人と広末涼子の熱演には拍手を送りたい。