立花隆氏が亡くなったと伝えられている。現代の著述家の中では最も尊敬すべき人であり、強い影響を受けた。今後、立花隆の著述が読めないのは本当に残念である。心からお悔やみ申し上げたい。
「人間の肉体は結局その人が過去に食べたもので構成されているように人間の知性はその人の脳が過去に食べた知的食物によって構成されている。」一体どれだけ知的食物を食べたら、あんな知的巨人になれるのであろうか?いつも思っていた。立花隆というと、一般的には「田中角栄研究」を1974年文藝春秋に発表して、田中金権政治を糾弾した仕事が最も知られている。とはいうものの、その仕事からは47年の長い年月が過ぎている。若い人には発表された時の衝撃を知らない人も多いだろう。
1冊も彼の本を読んでいないと、立花隆を完全なる左翼人間と思っている人も多いだろう。世の中にはリベラルというイメージだけで金儲けしている人がTVにウジャウジャいる。しかし、立花隆は世間がリベラルと呼ぶ方向に偏っている訳でない。自らの人生を振り返った「知の旅は終わらない」からいくつかピックアップする。
日本の運動では立場がミックスした議論は起きない。日本人は群れるのが習性だから同じ立場の人間が集まってマスターベーションのような議論をして喜ぶのが普通である。ただデモをやって警察官と押し合いもみ合いの肉弾戦をやって自己満足して終わりといった具合で議論の部分がない(立花隆 知の旅は終わらない p86 )
ヨーロッパで様々な人に会って会話を交わしているうちにおかしいのは日本の学生運動の方だと気づいた。世界が見えてないし歴史が見えていないのは日本の学生運動の活動家だと思うようになった。日本の政治運動と言うのは口では民主主義を唱えながら全然民主的でない。共産党にしろ中核革マルにしろその組織の内部はほとんど戦前の天皇制に近いものになっている。(同 p108)
若き日にヨーロッパに行き、議論を一方通行で進めず対抗する議論も含めて具体的に積み重ねていく人たちを見て、日本の左翼活動家のおかしな部分に気づく。帰国してあらゆる左翼一派に自分の陣営に入るように勧められたが、断っている。東大紛争についても全否定である。むしろ、彼らが大学の講義をぶち壊しにしたことを恨んでいる。
あの時大学解体を叫んで運動していた連中には本当に腹が立つ。だから僕は東大全共闘の連中の事はまるっきり信じていない。(同 p132)
立花隆の著述で何と言っても圧巻なのは「日本共産党研究」である。若い時は自分自身に読解力がなかったせいか途中で断念した。年を経るごとにこの本を理解できるようになる。いかに日本共産党がひどい組織だということが理解できる。戦後美化された戦前の日本共産党が、ソ連に率いられたコミンテルンの言うがままだったこと。内部闘争に明けくれ、数多くのスパイに忍び込まれていったんは破壊した組織であることを示し、死亡者が出た共産党リンチ事件の全容を丹念に資料を調べ上げ詳細に書いている。このレベルを超える著述はそうはない。
でも、これを書いて日本共産党とかなり対決したようだ。
共産党はどうあっても私を「反共分子」に仕立て上げたいらしい。私の基本的な社会観はエコロジカルな社会観である。多様な人間存在、多様な価値観、多様な思想の共生とその多様な交流こそが健全な社会の前提条件であると考えている。あらゆるイデオロギーとイデオロギー信者の存在に寛容である。思想とか価値観とかの間には批判的交流があればあるほど豊かになると思うからである。(日本共産党の研究 p5)
共産党とその批判者の間に交わされてきた論争にはこの対話のかけらもない。これは弁証法をその信条としているはずの共産党としてはおかしなことと言わねばなるまい。(同 p6)共産党がヒステリックに繰り広げる反「反共」キャンペーンのほうによほど危険な芽生えを感じる。「赤狩り」が危険であると同じように「反共狩り」も危険である。(同 p7)
まったく同感である。時折共産党がブレない政党だという人がいる。結果的にいかにブレてきたのかがよくわかる。
あとは「天皇と東大」に凄みを感じる。歴史の教科書で知るだけのものだった「天皇機関説」の学説が天皇を代表とする国家主権だということよく理解できたと同時に、昭和天皇がこの学説を悪いと思っていないにもかかわらず、相反して世論が美濃部達吉攻撃に終始した話がもっとも印象的であった。
二二六事件において、反乱軍を天皇陛下が支持してくれると思っていたことに反して、青年将校たちをきびしく処遇した話は近代日本史にて語られることが多い。でもその解説だけに終わらない。むしろ異常な極右思想というべき蓑田胸喜や極度の皇国観を持つ平泉澄をクローズアップする。特に平泉澄と秩父宮との関係が不気味だ。両者をここまで言及してよく調べている文献はあまりなく、たいへん参考になった。
また、立花隆が猛烈に本を読んでいるのは周知の通りである。書評も寄稿していて、本にもなっている。そこで推薦しているおかげで自分が読んだ本も数多い。読解の難易度が高い本は少なく、硬軟両方において読んでいて実に面白いノンフィクションを推薦してくれる。立花隆は少年時代から神童だった。自分から見ると別世界である。生まれながらの頭脳もずば抜けている。もともと少年時代にありとあらゆる小説を読んでいたのだが、文藝春秋に入社して先輩からの影響でノンフィクションを読むのが基本となったようだ。影響されてか自分も小説を読むことが少なくなった。
これほどまでの知の巨人がこの世から去ったのは実に残念である。立花隆が取り上げるジャンルは幅広いが、サイエンスものは残念ながら自分の理解に及ばない部分も多々ある。「脳死」「臨死体験」に関わる記述はためになった。臨死体験は死後の世界体験ではなく死後の直後に衰弱した脳が見る夢に近い現象であること。(知の旅は終わらない p402)結局死ぬと言うのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだからいい夢を見ようとする気持ちで人間は死んでいくことができるじゃないかと言う気持ちになった。( 同p403)
立花隆がどのように死を迎えたのか知りたいものである。
「人間の肉体は結局その人が過去に食べたもので構成されているように人間の知性はその人の脳が過去に食べた知的食物によって構成されている。」一体どれだけ知的食物を食べたら、あんな知的巨人になれるのであろうか?いつも思っていた。立花隆というと、一般的には「田中角栄研究」を1974年文藝春秋に発表して、田中金権政治を糾弾した仕事が最も知られている。とはいうものの、その仕事からは47年の長い年月が過ぎている。若い人には発表された時の衝撃を知らない人も多いだろう。
1冊も彼の本を読んでいないと、立花隆を完全なる左翼人間と思っている人も多いだろう。世の中にはリベラルというイメージだけで金儲けしている人がTVにウジャウジャいる。しかし、立花隆は世間がリベラルと呼ぶ方向に偏っている訳でない。自らの人生を振り返った「知の旅は終わらない」からいくつかピックアップする。
日本の運動では立場がミックスした議論は起きない。日本人は群れるのが習性だから同じ立場の人間が集まってマスターベーションのような議論をして喜ぶのが普通である。ただデモをやって警察官と押し合いもみ合いの肉弾戦をやって自己満足して終わりといった具合で議論の部分がない(立花隆 知の旅は終わらない p86 )
ヨーロッパで様々な人に会って会話を交わしているうちにおかしいのは日本の学生運動の方だと気づいた。世界が見えてないし歴史が見えていないのは日本の学生運動の活動家だと思うようになった。日本の政治運動と言うのは口では民主主義を唱えながら全然民主的でない。共産党にしろ中核革マルにしろその組織の内部はほとんど戦前の天皇制に近いものになっている。(同 p108)
若き日にヨーロッパに行き、議論を一方通行で進めず対抗する議論も含めて具体的に積み重ねていく人たちを見て、日本の左翼活動家のおかしな部分に気づく。帰国してあらゆる左翼一派に自分の陣営に入るように勧められたが、断っている。東大紛争についても全否定である。むしろ、彼らが大学の講義をぶち壊しにしたことを恨んでいる。
あの時大学解体を叫んで運動していた連中には本当に腹が立つ。だから僕は東大全共闘の連中の事はまるっきり信じていない。(同 p132)
立花隆の著述で何と言っても圧巻なのは「日本共産党研究」である。若い時は自分自身に読解力がなかったせいか途中で断念した。年を経るごとにこの本を理解できるようになる。いかに日本共産党がひどい組織だということが理解できる。戦後美化された戦前の日本共産党が、ソ連に率いられたコミンテルンの言うがままだったこと。内部闘争に明けくれ、数多くのスパイに忍び込まれていったんは破壊した組織であることを示し、死亡者が出た共産党リンチ事件の全容を丹念に資料を調べ上げ詳細に書いている。このレベルを超える著述はそうはない。
でも、これを書いて日本共産党とかなり対決したようだ。
共産党はどうあっても私を「反共分子」に仕立て上げたいらしい。私の基本的な社会観はエコロジカルな社会観である。多様な人間存在、多様な価値観、多様な思想の共生とその多様な交流こそが健全な社会の前提条件であると考えている。あらゆるイデオロギーとイデオロギー信者の存在に寛容である。思想とか価値観とかの間には批判的交流があればあるほど豊かになると思うからである。(日本共産党の研究 p5)
共産党とその批判者の間に交わされてきた論争にはこの対話のかけらもない。これは弁証法をその信条としているはずの共産党としてはおかしなことと言わねばなるまい。(同 p6)共産党がヒステリックに繰り広げる反「反共」キャンペーンのほうによほど危険な芽生えを感じる。「赤狩り」が危険であると同じように「反共狩り」も危険である。(同 p7)
まったく同感である。時折共産党がブレない政党だという人がいる。結果的にいかにブレてきたのかがよくわかる。
あとは「天皇と東大」に凄みを感じる。歴史の教科書で知るだけのものだった「天皇機関説」の学説が天皇を代表とする国家主権だということよく理解できたと同時に、昭和天皇がこの学説を悪いと思っていないにもかかわらず、相反して世論が美濃部達吉攻撃に終始した話がもっとも印象的であった。
二二六事件において、反乱軍を天皇陛下が支持してくれると思っていたことに反して、青年将校たちをきびしく処遇した話は近代日本史にて語られることが多い。でもその解説だけに終わらない。むしろ異常な極右思想というべき蓑田胸喜や極度の皇国観を持つ平泉澄をクローズアップする。特に平泉澄と秩父宮との関係が不気味だ。両者をここまで言及してよく調べている文献はあまりなく、たいへん参考になった。
また、立花隆が猛烈に本を読んでいるのは周知の通りである。書評も寄稿していて、本にもなっている。そこで推薦しているおかげで自分が読んだ本も数多い。読解の難易度が高い本は少なく、硬軟両方において読んでいて実に面白いノンフィクションを推薦してくれる。立花隆は少年時代から神童だった。自分から見ると別世界である。生まれながらの頭脳もずば抜けている。もともと少年時代にありとあらゆる小説を読んでいたのだが、文藝春秋に入社して先輩からの影響でノンフィクションを読むのが基本となったようだ。影響されてか自分も小説を読むことが少なくなった。
これほどまでの知の巨人がこの世から去ったのは実に残念である。立花隆が取り上げるジャンルは幅広いが、サイエンスものは残念ながら自分の理解に及ばない部分も多々ある。「脳死」「臨死体験」に関わる記述はためになった。臨死体験は死後の世界体験ではなく死後の直後に衰弱した脳が見る夢に近い現象であること。(知の旅は終わらない p402)結局死ぬと言うのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだからいい夢を見ようとする気持ちで人間は死んでいくことができるじゃないかと言う気持ちになった。( 同p403)
立花隆がどのように死を迎えたのか知りたいものである。