和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一目小僧。

2009-10-31 | 短文紹介
加藤秀俊著「メディアの発生」は、愉しい読書でした。
おかげで、日本の中世史と現代とがバイパスでつながり、往路復路を楽しむことができるようになったような、そんな爽快感が読後にのこります。
あとは中世史の読物を、この本を水先案内書として読み始めればよいわけですが、いつもここで頓挫してしまうのが、私の悪い癖(笑)。せっかくですから、こんかいは一冊でも中世史の古典を読み込めたらと、せめてもの願望。

それはそうとして、今月も今日10月31日で終り。年賀はがきも、郵便局で発売になっており。親戚にあげる来年のカレンダーも届きました。新聞の整理をしていたら、10月1日の産経新聞「正論」欄が加藤秀俊氏でした。題して「メディアが作る現代『王様殺し』」。
このコラムに背中をおされて、私は「メディアの発生」を注文したのでした。
それまでは、3150円の著作に、躊躇しておりました(笑)。

ここでは、コラム「正論」の加藤氏の文を紹介してみます。

「『一目小僧』というバケモノのことはご存知だろうが、あれは神様にイケニエをささげる慣習があったころの遺制だ、という説がある。・・・」こう始まっておりまして、具体的にはこうつながります。

「なぜこんなめんどうな民俗学の学説をひきあいにだしたか、といえばテレビのタレント某々の麻薬事件の報道があまりにしつこいからである。わたしは不覚にして、そのタレントたちのことをなにも知らなかった。しかし、事件発生以来、テレビのワイドショーが各局そろってこの人物たちのことを取り上げ、この話題に触れない日はほとんど一日としてなかった。事件の発覚からふた月が経過してもまだ余燼(よじん)がくすぶっている。これは尋常ではない。・・・」

とつづくのでした。そういえば、民主党が圧勝する選挙の時、選挙の報道をそっちのけにしてこの事件を大々的にとりあげていたことを、苦々しく思い出します。
こちらは、選挙の様子を知りたいのに。
考えてもごらんなさい、コマーシャルでも国会討論を模してまで、わざわざコマーシャルセットをつくっては放送しているほどの状況でもって、肝心の政治のことを、さらりとかわして麻薬事件ばかりを追う、そらぞらしさ。

私は、ひょっとして酒井法子さんが、民主党を圧勝させたのじゃないかと思っております。それほどに、酒井法子さん(他のタレントもおりました)と選挙とが、民主圧勝の際にダブって記憶に残りました。

横道へとそれましたが、加藤秀俊氏の「正論」の文章の最後を引用しておきましょう。

「こうした『祭り上げ』と『王様殺し』の役割を一手にひきうけているのがマス・メディアである。ついきのうまで、才能がある、利口だ、美女だ、と口をきわめて絶賛していた芸能リポーターが、突如としてこんどは醜聞を報じ、脱税を難じ、酒乱、暴行、あげくの果てに麻薬まで、悪事をことごとく暴露する。いったいぜんたい、同一人物がどうしてかくも豹変できるのであろうか。わたしにはリポーター、ジャーナリストなるものの心性が納得できかねるのだが、占い師のいなくなった現在、『一目小僧』を選定するのはマスコミなのだからしかたない。
政治、政党、政治家についても『祭り上げ』と『王様殺し』の循環がここ何十年もくりかえされている。・・・・」
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けれども。

2009-10-30 | 短文紹介
谷沢永一著「古典の智恵生き方の智恵」(PHP研究所)のp111。

そこでは、カール・ヒルティの「幸福論」から引用したあとに
谷沢永一氏のコメントがついておりました。
そのコメントの最後を引用。


「いかに平凡で取り柄のない人でも、他人の欠点を論(あげつら)う場合だけは、鋭利この上ない批評家となる。普通の同輩において然り、競争相手であれば尚更、いわんや敵の眼ほど恐ろしいものはない。けれどもそこで萎縮したらおしまいである。他人の冷酷な眼線を浴びて、それはむしろ自分の至らざるところを映しだす鏡であると観念すればよいのである。」


うん。この谷沢氏の本は、再読してみたいと思います。
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どまんなか。

2009-10-29 | 短文紹介
山野博史編「われらの獲物は、一滴の光り」(kkロングセラーズ)のまえがきは谷沢永一。そして、あとがきは山野博史。そのあとがきのはじまりは

「開高健(1930~89)は、夏目漱石の文学に少なからぬ感心を寄せ、『喜劇のなかの悲劇』、『漱石の明暗の全域を』、『読むための漱石』と律義につきあいながら、『吾輩は猫である』と『坊っちゃん』を漱石文学のどまんなかに位置づけ、評価するという独自の漱石理解を示したことで知られる・・・」

う~ん。ここで、私が思い浮かべるのは、
朝日新聞学芸部編「一冊の本 全」(雪華社)にある、大岡昇平氏の一冊。その一冊は『坊っちゃん』。最初からすこし引用を重ねます。

「本のよしあしをきめるには色々基準があろうが、まず再読出来るかどうかというのが、よい本の条件であろう。」こう明治42年東京生まれの大岡昇平氏ははじめております。

「三読四読ということになれば、『愛読書』ということになる。
私は若いころからスタンダールをやっていて、『パルムの僧院』を二十遍以上読んでいる。ところで漱石の『坊っちゃん』の方は、多分その倍ぐらい読み返しているのである。」

こうはじまている大岡氏の短文をさらに短く引用するのは気がひけます。けれども、真中を端折って、最後の方は、丁寧に引用しておきましょう。

「・・漱石の後期の作品は、近ごろはあまり読み返さない。作為が目立って、文章をたどるのが、面倒になるのである。処女作『吾輩は猫である』も十遍ぐらい読んでいるので、もし『猫』と『坊っちゃん』を漱石の代表作とする意見があれば、私はそれに賛成である。しかし『猫』は少し人を面白がらせようとして無理をしている。学をひけらかしてキザになっているところがあるが、『坊っちゃん』にはそれがない。これは明治38年の春、『猫』を連載中の間奏曲のように、書かれた。
今日の四百字詰原稿紙に直すと、二百五十枚ぐらいの分量だが、二十日足らずの間に、一気呵成(かせい)に書かれた。漱石は『猫』の好評に気をよくして希望にみちあふれていたのであろう。感興にまかせて書いていて、のびのびとしたいい文章で、ある。といって決して一本調子ではなく、漱石という複雑な人格を反映して、屈折にみちているのだが、作者の即興の潮に乗って、渋滞のかげはない。こういう多彩で流動的な文章を、その後漱石は書かなかった。また後にも先にも、日本人はだれも書かなかった。
読み返すごとに、なにかこれまで気がつかなかった面白さを見つけて、私は笑い直す。この文章の波間にただようのは、なんど繰返してもあきない快楽である。傑作なのである。さきごろ、どこかの読書調査で、たしか『坊っちゃん』が、文芸作品として最高点だったと記憶する。同好の士が多いのはうれしいことである。」


さて、この「一冊の本 全」が単行本として出たのが、昭和42年とあります。この本の中で、開高健はサルトルの「嘔吐」をとりあげておりました。むろん前後するでしょうが、開高氏は大岡氏のこの文を読んでいたにちがいないと私は思うのです。山野博史氏が、独自の漱石理解とする「漱石のどまんなか」と、そう開高氏が書いたのは、大岡昇平氏よりあとだったのかどうか?それはいつ頃の文に掲載されていたのか。その文ははたしてどのようなものだったのか。別に調べようともしないのですが、ちょっと気になったりします。
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履歴・遍歴。

2009-10-28 | 短文紹介
加藤秀俊著「メディアの発生」(中央公論新社)を一応最後まで読み、あらためて「序章 わたしのメディア論」を読みかえしてみました。

序章は26ページあります。気になる加藤秀俊氏の履歴を拾ってみます。

「学生のころから社会学という学問に興味をもち、とくにコミュニケーション学を勉強してきた・・ありがたいことに、わたしは南博先生に社会心理学を学び、日高六郎先生の社会学講義をきいた。おふたりともまだ三十代の若手助教授で、コミュニケーション理論や社会調査の方法などを指導された。」(p12)

「1950年代のはじめにハーバードとシカゴの大学院で学んだ・・要するにわたしは『洋学』の徒として出発したのである。・・・わたしがアメリカの大学で師事したリースマン、マートン、さらにパーソンズといった先生たちの講義やゼミでも話題や例証としてとりあげられていたのは、ことごとくアメリカの歴史と現代にいたる社会的事実であった。つまりわたしがアメリカでまなんだのはアメリカ社会に即した『アメリカ学』だったのである。」(p14)

「そもそもわれわれが勉強している。『人文学』という学問は『科学』のように普遍、客観を特徴とするものではなく、すべて個別の社会・文化から離脱できないのである。いや、できない、というよりもしないのが趣旨なのである。・・・
そんな疑問や不満をもっていたわたしを力づけてくれたのは、柳田国男先生をはじめとする学者たちがこれまで一世紀にわたって開拓し、蓄積してこられた『民俗学』とよばれる学問であった。・・・・ひとことでいえば、『民俗学』というのは、わたしのみるところ『自国人類学』とでもいうべき学問である。・・・人類学といい、あるいは『民族学』といい、それらは『異国研究』の学問だったのである。それを『自国研究』という方向にむかわせて、みずからを研究対象としたのがおそらく日本の『民俗学』なのだろう、とわたしはかんがえるようになってきた。」(p15~16)


「ありがたいことに、その民俗学との出会いはすでに学生時代にやってきていた。そのころわたしのアルバイト先は『思想の科学研究会』。わたしの兄貴分は事務局長の鶴見良行さんである。良行さんのイトコにあたる鶴見和子、俊輔のおふたりが研究会の中心メンバーだ。そんなある日、和子さんが『加藤さん、柳田先生のところにゆかない?』と誘ってくださった・・・」

「やがて京都大学人文科学研究所に助手として採用されてからしばらくして、桑原武夫先生が『加藤君、これを読みなさい』とおっしゃって一冊の本を手わたされた。題名をみると『遠野物語』とある。ご父君のジツ蔵先生の蔵書印が押された昭和10年の郷土研究社版である。わたしはこの本に収録されているいくつものふしぎな物語から『民俗学』の世界にひきこまれていった。そしてその読書経験に刺激されて遠野に足をはこんだ。昭和33年のことである。柳田先生にはすでに拝眉の機をえていたから、これは民俗学研究への第一歩としてうれしいことであった。
また、柳田先生の著作にふれているうちに宮本常一先生のおしごとを知り、いつのまにか宮本先生に教えをうけるようになった。そんなご縁で昭和50年に『日本の村を考える研究会』という研究会をつくったときには宮本先生を顧問としてお招きすることができた。宮田登、神崎宜武といった民俗学者とのあいだで交友がうまれたのもそれがキッカケであった。
ほぼ同時期にわたしは林屋辰三郎先生をはじめとする歴史家たちの教えをうける機会にもめぐまれていた。林屋先生はいうまでもなく日本中世史の大家だが、とくに芸能史に深い造詣をおもちで、先生を中心にして結成された『藝能史研究会』の発足にあたって、参加しませんか?と声をかけてくださった。昭和38年のことである。民俗学が『文字以前』の口承メディアをそのおもな対象とし、『はなしことば』でつたえられる庶民の世界に力点をおいているのと対照的に、歴史学というのは『文献』という『文字』をたよりにして過去を再構築するのがその趣旨だから、この研究会に出席すると文献学的な議論が中心で勝手がだいぶちがった。しかし、この研究会で知り合った歴史学者たちをつうじて、『古典』というものの読みかた、解釈のしかたをわたしなりに勉強するのとができた。」
「とくに、神楽や能、茶道にいたるもろもろの『芸能』がほとんど例外なしに聖なる世界とつながっていると知ったことがわたしには刺激になった。寄席芸術の代表、落語もその淵源が唱導文学にあることをこの会で関山和夫さんからくわしく教えられた。『芸能史』というのは『メディア史』であり、それは神様、あるいはこの書物の文中で採用した『カミ・ホトケ』の世界と人間とのあいだのコミュニケーションの歴史にほかならなかったのである。」(p18)

「『カミ・ホトケ』の世界への興味をさらにかきたててくれたのは今西錦司先生を中心とする京大人文科学研究所での社会人類学研究班の研究会であった。この会のことをくわしく書いていたら際限がないが、これはフィールド・ワークによる一次情報を基礎として、そこから突飛ともみえる仮説だの推論だのがとめどもなく火花を散らす討論会の連続。梅棹忠夫、中尾佐助、上山春平、伊谷純一郎、和崎洋一、岩田慶治、佐々木高明、藤岡喜愛(よしなる)、米山俊直、角山栄・・・いま思いだすだけでもたいへんな知的豪傑の集団であった。その研究会が一時期『比較宗教』という主題をたててえんえんと議論をしたことがあった。昭和30年代後半のことである。・・・この研究会には『宗教』の専門家などひとりもいない。しかし、チベットであろうとアフリカの諸地域であろうと、現地調査で確乎たる観察データをもったひとびとがそこにはあつまっていた。本に書かれたことよりみずからの体験をだいじにする、という今西班の思想はすばらしいものだった。わたしはこの研究会をつうじて『宗教』だの『神』だのといった人間精神の『発明品』を身近に感じることができるようになった。

まったくの偶然だが、ちょうどそのころ、わたしは開高健さんにさそわれて『わらえ亭』という会合に何回か参加していた。永六輔さんが世話人になっての雑談会。場所は赤坂の喫茶店である。わたしはそこで小沢昭一さんにはじめてお目にかかったように記憶している。みずから俳優でありながら小沢さんが日本の芸能、とりわけ社会の底辺でたくましく生きている放浪芸をあたたかいまなざしで見つめながらすばらしい研究をなさっていることを知った。やがてその編集になる『芸能東西』という季刊誌を購読して感銘をうけた。これはたいへんな人物だとおもった。
そんなわけで、1980年代に放送大学に勤務し、社会学関係の科目の編成の責任者になったとき、わたしはすぐに『芸能の社会学』という講座をつくり、小沢さんを客員教授として招聘することにした。小沢さんは熟慮のうえ快諾され、テレビ講座はたいへんな評判になった。その講義録は『ものがたり芸能と社会』という書物にまとめられた。名著である。そしてわたしは小沢さんの書物をつぎつぎに読みながら、節談説教(ふしだんせつきょう)をはじめおおくの芸能について学んだだけではなく、あちこちに旅するようになった。わたしはもともと旅することの好きな人間だが、この書物のなかで紹介したいくつかの旅行先はひとえに小沢さんから教示をえたものであった。『芸能史』というのは『メディア史』であり、その先達のひとりは小沢さんだった、といって過言ではない。」


「以上にしるしたような学問的な遍歴があった・・・
ひとことでいえば、『わたしのメディア論』というのは『洋学』に端を発しながら、それを『国学』のなかで解釈しなおす、というこころみ以外のなにものでもなかった。いうなれば、それはわたしなりの『新国学』である。あるいは『自国メディア人類学』であり、その一部を試論としてとりまとめてみたのがこの本である。」(p21)

「わたしにとっての『メディア』の原点は『カミ・ホトケ』と『ヒト』をむすぶための通信手段にほかならない・・」(p28)



以上が序章に書かれた履歴・遍歴。
本文は、その履歴の出会いの、内容ばかりがつまっているのでした。
と、あらためて思ったりします。


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整理すること。

2009-10-27 | 短文紹介
加藤秀俊著「メディアの発生」(中央公論新社)を、とりあえず、そそくさと読了。文中に、参考本が散りばめられているので、そちらへも興味がいきます。その参考文献が、きれいに関連付けられているものですから、読みごたえがありました。

そういえば、梅棹忠夫著「知的生産の技術」に、
「整理と整頓」(p80~)という箇所がありました。
そこには、先に出た加藤秀俊著「整理学」(中公新書)に言及した箇所があります。
「整理学」にふれて
「現代社会における整理の問題を要領よくおしえてくれる。」と指摘して、そのあとに
「整理というのは、ちらばっているものを目ざわりにならないように、きれいにかたづけることではない。それはむしろ整頓というべきであろう。ものごとがよく整理されているというのは、みた目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐとりだせるようになっている、ということだとおもう。」(p81)

それでですね。加藤秀俊著「メディアの発生」を読みながら、
私は「知的生産の技術」のこんな箇所を思い浮かべたのでした。

「わたし自身の書類の整理法の歴史をふりかえってみると、まったくばかげたことをくりかえしてきたものだとおもう。・・はじめのころは、たまった書類を、ひもでくくるか、いくらか分類して糸でとじるか、していた。しかし、これでは全然整理したことにならない。このやりかたは、文書を保存しているというだけで、実際問題としては、必要なときに過去のデータをよびだすことはできないのである。過去は、おしいれのくらやみのなかで、永遠にねむりこんでしまう。必要に応じて、過去を現在によびおこすということこそ、整理ということなのである。」(p83)

この「必要に応じて、過去を現在によびおこすということこそ、整理ということなのである。」という言葉が、「メディアの発生」の読後感としてピッタリとします。

それほどに、現在と過去とが、加藤秀俊氏の整理の妙で味わい深い読後感として浮かびあがってきます。何いってんだか。
あとがきで加藤氏は「これはわたしの八十代へむけての卒業論文のようなものだ、とじぶんではおもっている。」とあります。整理学の、実際の卒業論文なら、こうなるんじゃないかという、すばらしい見本のようにわたしは読みました。錯綜した卒業論文を分かりやすいエッセイの趣で踏破してゆくのです。すばらしかった。時間を置いて、もう一度、線を引いたところを読み返すことにします。
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足かけ五年。

2009-10-26 | 短文紹介
加藤秀俊著「メディアの発生」を、まだ読んでいます(笑)。
ただ、遅読なだけ。
でも、いいかなあ。
つい、あとがきを引用。

「まとまった自由時間のなかで、気ままに本を読んだり、旅にでたりしながらすこしずつ書いていたら、いつのまにか足かけ五年の歳月がすぎて、わたしはいつのまにやら七十九歳の誕生日をむかえていた。いうならば、これはわたしの八十代へむけての卒業論文のようなものだ、とじぶんではおもっている。筆のすすむまま書きつづけ、気がついてみたら原稿の量は千二百枚をこえていた。こんな長編を書き下ろしたのは生まれてはじめての経験だった。」

 とりあえず、関連本で、次にのぞいてみたい気になる本。

 沙石集
 説経節
 日本の古典芸能9「寄席」
 関山和夫著「説教と話芸」
 加藤秀俊著「世間にまなぶ」
 梁塵秘抄
 水上勉著「説経節を読む」

「足かけ五年」を、丁寧に読むと、じつに分かりやすく書かれております。そう、簡単に読みすごしてしまい、簡単に忘れてしまうような気がしたりします。ということで、遅読。
 
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のど自慢。

2009-10-25 | 短文紹介
10月25日(日曜日)。NHKのど自慢は、ゲストが藤あや子・氷川きよし。
場所は熊本県。県民の雰囲気がつたわるような和やかさがありました。

今日は、加藤秀俊著「メディアの発生」(中央公論新社)をパラパラと開いておりました。その第二章「宮中のど自慢 『梁塵秘抄』の知識社会」。

そこに
「わたしが『今様』をあつめた『梁塵秘抄』という書物を本気になってよみはじめたのは70歳をすぎてからのことであった。」
とあります。加藤秀俊氏はつづけます。

「『今様』というのは『当世風』ということである。もっとわかりやすくいえば『流行歌』ということである。」
「『梁塵秘抄』にはこれといって明快な『編集方針』があったわけではない。これは後白河があちこちで耳にして、おもしろい、とおもったものをランダムに書き留めたフィールド・ノートとしてみるのがよかろう、とわたしはかんがえるようになってきた。」(p88)

「『口伝集』第十巻によると、かれは『十余歳の時より今に至る迄、今様を好みて怠る事なし』という熱中ぶり。この文章がかかれたのは後白河六十歳のときだから四十年以上にわたる研鑽ということになる。・・・・なんのことはない、現代風にいえばマイクを手ばなすことなくカラオケに熱中し、芸人たちといっしょになって『のど自慢』に明け暮れていたのが後白河という奇抜な帝王だったのである。その『のど自慢』は『歌合』という行事にまで昂揚した。もともと『歌合』というのはその起源は古くは『歌垣』までたどることができるだろうし、また吉凶を占う『年占』の洗練されたものとかんがえてもよい。類似のものを左右にわけて比較対照しながら均衡をとってゆく、といういわばヤジロベエ的なバランス感覚がそこにある。・・・そんな事情があったのだろうか、後白河は独自の『歌合』を承安四(1174)年秋に法住寺で開催してのである。そこでは歌人30名がえらばれ、それが左右にわかれて15日間にわたって歌をきそいあったという。もちろん後白河じしんもそれに参加し、その行事は民衆にも公開されていた。なるほど、いま年中行事として定着した『紅白歌合戦』の原型はこんなところにあったのか、とわたしは感嘆した。」(~p91)


もったいないなあ、この本の題名が分かりづらくしているように思えます。
「メディアの発生」というよりも、「日本歴史」を新しい側面から浮かび上がらせる素敵な歴史書なのです。さまざまな「語り」の歴史を浮かびあがらせる。その自然体。
加藤秀俊氏はこう語っております「わたしなどむずかしいことをわかりやすく語ることが学問というものだ、と信じてこれまで生きてきたから」(p402)。もったいなくて、とてものこと、簡単に通読してしまうわけにはゆきません。この本を私はワクワクしながら、まだ読み終わっていないのでした(笑)。


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31万円。

2009-10-24 | 短文紹介
「産経抄」2009年10月21日。
この日の一面トップは、
日本郵政の西川善文社長が正式に辞意を表明。
口をヘの字に結んだ西川氏の記者会見写真。
その下の産経抄のはじまりはというと

「日本はいつから社会主義国になったのか。日本郵政は、法律で民間会社になったはずである。6月の株主総会で承認された社長を政治家が陰に陽に圧力をかけて辞任に追いやったのは、ルール違反というよりいじめに近い。・・・株主総会で堂々と解任すればよい。会社経営では筋道を通すのが何より肝心だ。鳩山由紀夫首相は『亀井静香担当相のところで素晴らしい方を(後任に)考えている』と語ったが、その言い方はないだろう。『解任』の手段をとらぬのなら、西川氏の労をねぎらうのが先だ。・・・・

鳩山政権が打ち出した子ども手当や農家の戸別所得補償、高速道路無料化といったバラマキ策も社会主義のにおいがプンプンする。子供がいるだけで1人当たり年31万2000円もらえるのは、親にとってはうれしいが、半額支給だけでも2兆3000億円もかかる。鳩山政権がまとめた来年度予算の概算要求は、あれほど批判していた麻生政権下の要求額をはるかに上回り、95兆円台になった。赤字国債の発行額も50兆円を軽く超える。選挙前に民主党の偉い人が『財源なんてどうにでもなる』と吠えていたのを覚えているが、政治は魔術ではない。

家計に例えれば、月給が40万円弱なのに、食費や教育費、ローン返済で100万円近く浪費しようというわけだ。売り食いにも限度がある。民主党に国民が託したのは、社会主義化ではなく政治の刷新と無駄遣い一掃のはずだ。 」


たまった新聞の整理をしていたら、この日の一面が印象に残ります。

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書評の味。

2009-10-23 | 短文紹介
オンライン書店bk1の書評欄に、自分も参加しているせいで、他の方の書評に興味があります。それはたとえば、釣り好きが、情報を集めるのに似ているかもしれません。どこそこのどの場所が釣れるという情報みたいなものでしょうか。
私は小説は読まない方で、評論・随筆等に興味があります。それはたとえば、海釣り、川釣りとわけるような発想かもしれませんね。小説という海より、評論・随筆と云う川の方が合っている(笑)。
さてっと、昨日そのbk1にハンドルネーム塩津計さんが書評をあげておりました。魚じゃなくてその本はというと、草森紳一著「中国文化大革命の大宣伝 上」。書評の題は「『この本を読まずに死ねるか!』あるいは『この本読んだら死んでもいい!』」(塩津計 2009/10/21 11:00:05)。書評に、こんな大それた題をつけるのが、また楽しい。私には釣り好きが、大物を釣り上げた時の興奮をこめているように思えてくるのでした。
ということで、塩津計さんの書評の半分ほどを以下に引用。


本書の読後感は、正に圧巻と言っていい。慶應大学文学部中国文学科を卒業した著者は漢籍に通じており、いまだ多くが謎に包まれている「中国の文化大革命」を「広告宣伝」という視点から縦横に読み解いていく。・・・・・彼の分析手法は米国のCIAや英国のMI5、MI6、日本の公安警察のような諜報機関のそれと同じだ。諜報機関というと007のような体育会系のスパイをイメージしがちだが、実は諜報機関の業務の大半は公開されている資料の読み込みである。「必要な情報の90%以上は公開情報の分析を通じて得ることが出来る」というのがこの世界の常識で、これを草森氏はほぼ一人でやってのけたのである。・・本書に引用されている書籍の数々は実際、ものすごい。真実を報道しすぎて北京から追放された産経新聞の柴田穂「報道されなかった北京」「文革の3年」、毎日新聞の大森実「天安門炎上す」、「ワイルドスワン」の著者ユン・チアン、映画監督陳凱歌「私の紅衛兵時代」、W・ヒントン「百日戦争 清華大学の文化大革命」、鄭念「上海の長い夜」等等。本書は良質の読書案内としても活用できる。
本書の本質は「中国人とは何か」に迫ったものであり、その結論は「中国という国家は徹頭徹尾自分たちこそが地上で最も偉い、偉大な民族だとうぬぼれ、思い上がり、世の中の全ては政治で、政治の本質は宣伝であると割り切った人々に指導された専制国家」であるということだ。中国は常に「如何に自らを強く巨大に見せ、自分たちが常に躍進しているかを世界に見せかける」ことに全神経をそそいでいる。・・・「私は中国のいたるところで見かける『アメリカ帝国主義は張り子の虎である』という標語ほど、中国人の気質を丸出しにしたものはないと思っている。中国人は、常に自分を内容以上にいかめしく、恐ろしげに装うことを知っているから、いかめしく、おそろしげに見えるが、実はそれほどいかめしくも、おそろしくもないことをも知っているのである。なぜならば、中国人自身が張り子だからである」・・・本書を読んでいると、確かに中国の政治家が恐ろしいまでの冷血漢であることが分かる。そもそも文化大革命なるものを毛沢東が始めたのは、大躍進政策の失敗で中国で5千万人を超える餓死者が出てその威信が失墜し、劉少奇・トウ小平に政治権力が移りかけたのを妬み、青少年を焚き付けて全土で騒乱を起こし、この混乱の責任を現政府に押し付けて権力を奪還しようとしたからである。革命の創始者毛沢東は次第に神格化され、彼の言葉は絶対化され、それに後押しされた「紅衛兵」は全土で虐殺を始める。その数や3千万とも言われる。しかしこの紅衛兵を焚き付けすぎて全土に広がった騒乱の収拾が出来なくなると、毛沢東は情け容赦なく紅衛兵の切捨てを断行する。紅衛兵の主力は学生であり、学生の多くは恵まれた家庭の子弟だった。これを成敗したのが名も無い農民で、学生を取り締まるに毛は貧乏な農民を使うのである。毛の支持を一夜にして失った学生たちは辺境の不毛の大地に「下放」される。これで世をはかなんで自殺した学生も多いという。日本の全共闘がやったことやポルポトのやったことは毛沢東のやったことのコピーである。ポルポトが殺した人数は300万人とも言われるが、毛沢東のやった虐殺に比べればそのスケールは児戯に等しい。・・・
それにしても思うのは、いわゆる日本の親中派と呼ばれる人々の甘さである。草森は日本人が一方的に中国に対し共感、連帯感を憶えてしまう愚かしさを指摘している。・・・日中の溝は深い。




う~ん。この本の手ごたえが伝わります。
あとは、この本を注文するかどうか。
さらに、この本を読むのかどうか。
自分に、いま読める本が、ほんの少しばかりと思いながら
まずは、この本の手ごたえを、書評で知らされる面白さ。
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遠くを見よ。

2009-10-22 | 短文紹介
谷沢永一著「執筆論」(東洋経済新報社・2006年)に
「読解(コメント)つき名言摘出(ピックアップ)」を語った箇所があります。

「一度は鬱におちこみながらやっとの思いで書きあげた『百言百話』は、今後の私の前途の行程を拓く道標(みちしるべ)となり、ありがたくも十数年にわたって継続的に版を重ねる次第となった。このとき思い立った新しい様式である読解(コメント)つき名言摘出は、以後の私にとってはいつも念頭に置く主要な仕事の柱となってゆく。
平成五年秋、PHP研究所の発起で、また別個の名言読解集を出すことになった。今回はいささかあわただしく、PHPエディターズ・グループが選んだ古今の名句一覧に、例によって読解をつけるべしであるのだが、遅筆の貴方に書いてくれるよう頼んだところで、何時になることやらわからないだろうから、このたびは一気に語り下ろすべし、という方針である。そこで名句の表を置いて睨みながら、四時間ほど休みなく語ってできたのが『古今東西の珠玉のことば』と副題する『名言の智恵人生の智恵』(平成六年)である。新書版サイズで特製クロス表紙仕上げに艶(つや)のあるカバーつきという神長文夫による装幀が目立ったのか、私の本としては珍しく出足が早い。それどころか10年ひきつづき版を重ね、五十五刷に及んだ。あとから文庫に入れて同時並行したところ、また次第に版を重ねつつある。まことに不思議な編年の売れゆきが今のところまだ止まらない。
そこで読者の要望に応えるべしと独り合点の気分になり、今度は、私自身が慎重に新たなお目見えの句を選び、全編を書き下ろして同じ版型と装幀で『古典の智恵生き方の智恵』(平成10年)を刊行したところ、初版どまりでまったく動きを見せず今日に至っている。たった四時間ほど語ったのみの本が10年以上も続けて求められ、逆に十分に用意して時間をかけ全力をふるって執筆した本が読者からあっさり見捨てられた。」(p173~174)

そういえば、私は「名言の智恵人生の智恵」を購入したあとに、同じ副題の同じ版型の本で、気にもしなかったような気がします。前の「百言百語」がとてもすばらしかった。それでつい期待して覗いた「名言の智恵人生の智恵」を、何だこんな内容かと思ってしまったのでした。それで次の本は、確認もせずに、その時は購入しないでおりました。あとになって「執筆論」を読んでからあらためて古本屋でネット購入。

ところで、話はかわりますが、ろこさんのブログ「言葉の泉」を拝見したら、

「オリオン座流星群は、10月19日(月)から10月23日(金)未明までが、ピークとか。夜10時ころから、月が見えなくなるので、オリオン座の方を注目。一晩に40~50個ほどのオリオン座流星群『流れ星』が見えるそうです。特に、明け方になるにつれて多くの『流れ星』が見えるそうです。」(10月21日日記)とありました。

いつも夜中に星を仰ぐようなことはありません。
う~ん。見れたらいいなあ。ということで、谷沢氏の「古典の智恵生き方の智恵」の名言摘出から一箇所(p134)。

「憂鬱病の人には、わたしはたった一つしか言うことがない。
『遠くを見よ』 と。
憂鬱病の人は、ほとんどつねに、読みすぎる人である。人間の目は、そういう近距離のためにつくられているのではない。広々とした空間を見て休まるものだ。星や海や水平線を眺めていれば、目はすっかりやすらいでいる。目がやすらいでいれば、頭は自由になり、足どりももっとしっかりしてくる。すべてがくつろぎ、内臓までしなやかになる。しかし、けっして意志の力でしなやかになろうと試みてはいけない。自分の意志を自分のなかにさし向けたのでは、なにもかもがうまくゆかなくなって、ついには自分の息の根をしめるようになる。自分のことを考えるな。遠くを見よ。」
   アラン「幸福論」(「世界教養全集5」平凡社88、89頁) 
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珠玉言葉。

2009-10-21 | 短文紹介
以前読み逃した、谷沢永一著「古典の智恵生き方の智恵」を、とりあえずパラパラと読む。すると最初の方に、谷崎潤一郎著「文章読本」からの引用がある

「感覚を研くのはどうすればよいかと云うと、
 出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと
 が第一であります。
 次に実際に自分で作ってみること
 が第二であります。
 右に第一の条件は、あえて文章に限ったことではありません。
 総べて感覚と云うものは、何度も繰り返して感じるうちに
 鋭敏になるのであります。」

う~ん。谷崎「文章読本」には、こんな文句があったのだ。
そして、この文句に恥じない本として「文章読本」がありました。
これで、また読み返したくなりました。

さてこの谷沢氏の本は、格言アンソロジーという体裁。
短文を引用して、その現代語訳と、そのあとに谷沢氏のコメント。

ちょいと、谷沢氏のコメントを拾ってみます。


「二十歳前後から飲みはじめて、六十八歳になるこの齢まで、一杯やろうと誘われながらことわったことなど一度もない。酒を酌みかわしてこそ得られる知己との交歓は、なにものにもかえがたい喜びである。・・・さすがの私も酒癖の悪い人には閉口する。一方、私の著書ではかなりの冊数が、編集者と酒場で談論風発するうち、意気投合して生まれた企画にもとづく。・・」

これは、若山牧水の言葉を引用したあとのコメント。(p191)
う~ん、これって編集者の腕のみせどころ、酒の飲みどころ?

坂口安吾著「続堕落論」を引用したあとのコメント最後(p171)
「本をたくさん読むのが能ではない。本当に大切な書物をどうして探しだすかが問題なのだ。人間関係もまた同じである。お人好しがしっかりした仕事に成功したためしはない。」

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審査論文。

2009-10-20 | Weblog
検索していたら、9月の新刊に
「日本神話と心の構造  河合隼雄ユング派分析家資格審査論文」(岩波書店)が ありました。内容説明には、こうあります「日本人初のユング派分析家の資格を得るためにチューリヒのユング研究所に提出した、日本神話について論じた論文を、英語原文とともに収録。エラノス会議講演録、ユングの理解を巡り激論を交わした審査員への手紙なども併録。」
訳者は河合 隼雄著 河合 俊雄訳 田中 康裕訳 高月 玲子訳。

う~ん。河合隼雄の文で、私がはじめて読んだのは、岩波書店の定期購読雑誌「図書」に掲載された「ユング研究所の思い出」でした。単行本「母性社会日本の病理」にある初出一覧を見ると、それは「図書」1975年4月号とあります。

へ~え。こういう方がおられるんだ。と、その当時は思っておりました。
その審査論文が、今度日本語訳されて出たばかり。
さて、私は買っても読むだろうか。きっと、私には歯が立たない本なのだろうなあ。
というのは、分かるのですが、ここはひとつ注文しよう。
何てことを、昨日は迷っておりました(笑)。

エイやあ。
新刊本はケチると決めていたのに、
なにやかにやと、
今月は、贅沢な本購入となります。
うん。本が来たらしっかり読むぞ。
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ハザードマップ。

2009-10-19 | 地震
昨日(10月18日)津波に関する講演とワークショップがあり、
自動車で40分ほどかけて富山公民館へ。
講演は地元の教育委員会教育長・青木氏による「元禄地震と津波」
インド洋津波のビデオから、地元各地区の場所へいっての地形の映像をまじえての語り。
その次が、細川顕司(ほそかわけんじ)氏による「津波ハザードマップ作成ワークショップ」。こちらは各地区ごとに五地区のテーブルにわかれ、拡大された白地図に想定される津波。避難の経路などの書き込み。
私は他所の地区からの見学なので、後ろの方の椅子で作業の動きを見ておりました。
ワークショップの講師・細川氏は、聞くほどに、なるほどという指摘があり、たいへん参考になりました。
細川顕司氏のプロフィール。
 1943年北海道生まれ。
1967年国学院大学文学部卒
1967年東京消防庁・機関紙「東京消防」編集長、池袋都民防災センター長等歴任。
2004年(財)市民防災研究所入所 事務局長兼調査研究部長

この細川講師の話が体験に根ざしており貴重に思えました。
共著のかたちで出ている本を、帰ってからネット注文。

あと、防災マップの間違いを指摘した富山の渡辺正司氏に挨拶できたのが収穫。いぜんに、朝日新聞の記事でお名前を拝見しており、会っておきたいと思っておりました。
はじめてなのに、話し始めたら「高崎浦地震津波記録」の現代語訳コピーを頂戴。
ありがたい。コピーは農山漁村文化協会発行「日本農書全集66 災害と復興1」にあるもの。帰ってからネット古本屋で検索すると、安い値段で購入できるので、こちらも注文。


午後一時からだったのですが、充実した半日を過ごさせていただきました。


それでは。
津波ハザードマップ作成ワークショップの講師・細川顕司氏の語りが印象に残っているので、メモ書きを、とりあえずそのままに、列挙。

ご自身は、浦安に住んでいるとのこと。
そこは、どうやら団地らしい。区費(?)を払わない方が20%(?)おられるが、
それでも、地区でつくる回覧等の防災に関する通知は全戸へと配布するようにしている。
東京には、30年以内に70%の確率で地震がおきる。
東京湾で発生する地震での津波は、海水の量がきまっているので、それほどの被害はおきないだろう。

東京では、避難場所の運営が区市町村にまかせられているため、
避難人数が多い負担が、各地区にまわって、辻褄をあわせることになる。
避難所畳一枚に3人ほどの避難民となる計算。トイレもない。
各自が自分の身近から判断してゆくより現在は方法がない。

防災マップ等は、ひじょうにアバウトなもので
今より一歩すすめる気持をもつことが大切。
行政にやれといっても、まず自分がやらなければ。
正しいかどうかでなく、気がつく情報を得る。

深いところでおこる津波は、ジェット機の速度7~800kmでおしよせる。

津波の避難勧告で行動を起こすのは、まず5%という統計結果がある。


こういうワークショップには、今日も男性ばかり、
本当に被災地で活躍するのは、女性です。
こういう会には、女性に入ってもらって、女性に知らせることが大切。
そこまで会の報告がつたわっていない。
被災地では、人が一番役に立つ。

たとえば、給水車は何台もあるはずがなく、
テレビで、映し出すのは給水車がおとずれるほんの少ない場所だけ、
あとテレビで映し出された以外のまわりの地域は、全体といっていいほど給水車がおとずれない場所だと考えて行動するように。うちには給水車がこないなどという発想では困る。自分からとりに行く、自分たちでやる。黙っていたらいっさい出来ない。
必要な情報をとりにゆく気持が必要。防災に100点はない。防災地図はつねに平均値でしかない。


奥尻島は、災害援助や寄付によって、塀のようなブロック壁ができており、
考えようによっては閉じこめられているようになっている。
それでもいいのか、どうかは、各地域で判断してゆくこと。


以上、私がメモした単語をもとにつなげたもの。
私に印象深い箇所だけとりあげたので、講師の言葉の流れとは別で
だいぶ私の解釈がまじっているかもしれません。その分を割り引いて。



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文章読本さん。

2009-10-18 | 短文紹介
谷崎潤一郎著「文章読本」
 これは、文章読本なのですが、読後感は文学を味わったような濃密感。

清水幾太郎著「私の文章作法」(中公文庫)
 御存知、山本夏彦氏推薦。その推挙で文庫になった一冊。解説は「狐」。

丸谷才一著「思考のレッスン」
 楽しみながら、教えられる、この阿吽の呼吸。
丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」「挨拶はむづかしい」

堺利彦著「文章速達法」(講談社学術文庫)
 
杉谷代水著「書翰文講話及文範」

桑原武夫著「文章作法」

鶴見俊輔著「文章心得帖」

週刊朝日編「私の文章修業」

板坂元著「考える技術・書く技術」「続考える技術・書く技術」
    「何を書くか、どう書くか」

木下是雄著「日本語の思考法」(中公文庫)
これは2009年4月に出たばかり、著作集の一冊をそのまま文庫に。

村田喜代子著「名文を書かない文章講座」

「清水義範の作文教室」

以上が何となく、本棚に置いてある本。

ちなみに、
谷沢永一著「大人の国語」(PHP)には、最後に付録として
「『文章読本』類書瞥見」とあり、類書一覧が並んでおります。
それが、読んでいない本ばかり、一回読んだ本を読み直そうか。それとも今だ読んでいない本にチャレンジしようか。何って思っているうちに読まないで済ますのが、いつものパターン。
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・・力なのだ。

2009-10-17 | 短文紹介
清湖口敏著「校閲部長の言葉の手帳」(産経新聞社の本)に
「老人力」と題したコラム。そこに

「『老人力』が呼び水となって人間力、面接力、監督力などと『~力』がブームのように氾濫しだした。ちょうど西欧文化紹介のために漢語が次々と量産されていった明治期とよく似ている。当時、『~的』とともに『~力』も盛んに造られ、魅力や速力、引力のように今に残る語だけでなく、愛力、思力、感力といった語も使われていた。」(p97)
とあります。

そういえば、斎藤孝氏の新刊が量産されているのも、この頃は一段落した感じがあります。その斎藤氏の量産本に「・・力」というのがありました。ということでネットで調べて並べてみます。

段取り力
五感力
読書力
家族力
眼力
教え力
日本語力と英語力
潜在力
コミュニケーション力
文脈力
人間力
退屈力
学び力
坐る力
仕事力
質問力
書く力
教え力
教育力
聞く力
求心力
コメント力
悩み力
マンダラ力
未完成力
少年力
恋愛力
四字熟語力
加速力
などなど

ちなみに、「校閲部長の言葉の手帳」の最後のコラムは「のだ!!」と題して
斎藤孝著「バカボンのパパはなぜ天才なのか?」(小学館)を取り上げておりました。
う~ん。気になるので、後学のために古本屋へと注文しておきました。
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