和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

本への『ほめ言葉』

2023-11-30 | 書評欄拝見
落語関連の本を読みたくなる。
さっそく思い浮かんだ本が2冊。
まだ、読んでいないので誰かの『ほめ言葉』を
まず、聞いてみることに。

そういえば書評っていうのは、
本への『ほめ言葉』ですよね。
『けなし言葉』なら読まない。
本をほめるから読みたくなる。

ということで落語本で気持ちよくほめられている2冊。

① 安藤鶴夫著「わが落語鑑賞」(ちくま文庫・1993年)
② 桂米朝著「落語と私」(文春文庫・1986年)

①には、福原麟太郎氏の4ページの文が付いている。
そこから引用。

「・・私は永の安藤ファンで、『落語鑑賞』の初版が出たとき、
 それはいま奥付で見ると昭和27年11月15日らしいが、
 実に感嘆して、たちまち全巻を読み上げ、ぼくが死んだら、
 この本をお棺の中へ入れてくれと、家の者に言った。
 それは家内も覚えているし、私も覚えている。・・・  」(p483)

うん。私の興味も、やっと落語関連本に及びました。
それならばと、読みたい本が安藤鶴夫と桂米朝の2人。

②の巻末解説は矢野誠一。
あれ、ここにも安藤鶴夫が登場しておりました。
うん。その箇所を引用してみることに。

「・・おつきあいのできた桂米朝さんを東京に引っぱり出して、
 紀伊國屋ホールで『桂米朝上方落語会』というのを催して・・

 なにしろ、プレイガイドの女の子が、持ちこんだポスターを見て、
 『ドカタ落語って、なんですか?』といったのだから、
 上方落語も東京では未だしの時代だった・・・・

 いまは亡き安藤鶴夫さんが、『地獄八景亡者の戯れ』をきいて、
 『 大阪にも、素晴らしい落語家がいるね 』と、
 感動のあまり声をふるわせていったのを思い出す。・・・・ 」(p220)

「 そんな活字による『桂米朝作品群』のなかにあって、
 この『落語と私』は、ひときわすぐれた名著で、
 桂米朝の著作ばかりか、こと落語について記された
 多くの類書を圧する存在のものである。

 10年前。『ポプラ・ブックス』の一巻としてポプラ社
 から出たとき一読して、すぐそう思った僕は、
 江國滋と三田純市に電話をかけたものである。

 10年ぶりに再読して、あのときの新鮮な印象が
 少しも失なわれていないことにおどろかされた。・・・ 」(p221)

うん。最後に、向井敏さんの『落語と私』の書評を引用しておきます。

「体裁はジュニア向きでも内容はきわめて高く、
 眼の肥えた大人にこそ読んでほしい本がある。・・・・

 桂米朝の『落語と私』。
 中学生向けの啓蒙書として書かれ、
 文体はやさしく語り口は具体的、

 気軽に読めるように工夫されているが、
 落語という話芸の本質をこれほど的確に把握し、
 鮮明に説いた本はざらにあるものではない。

 わけても注目されるのは、落語を単なる伝統芸能としてでなく、
 生きた通俗社会学としてとらえたことである。

 落語にはほんとうの悪人はめったに出てこない。
 といって、世人の鑑となるほどの大人物も見当らない。
 みんなそのあたりにいそうな人ばかり。

 つまり、落語というのは
『 大きなことはのぞまない。泣いたり笑ったりしながら、
  一日一日がぶじにすぎて、なんとか子や孫が育って
  自分はとしよりになって、やがて死ぬ 』と観念した、
 ごくふつうの世間を描く芸であることを桂米朝は強調する。 」


はい。向井敏さんの書評の半分を引用してしまいました。
さあ。この2冊。私にとってやっとこ読み頃を迎えました。
コメント (2)
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『やぶ入り』と蕪村。

2023-11-28 | 詩歌
吉田光邦著「日本の職人」(角川選書)をひらいてたら、
今まで食わず嫌いのままだった落語関係本に興味がわく。
これから、落語の本が読めるかもしれない(笑)。

さて「日本の職人」のなかに江戸時代の年季奉公を
とりあげた箇所があるのでした。

「・・年季奉公のほかに一年または半年で代る出替り奉公があったが、
 技術を身につけねばならぬ職人の場合は、こうした例はみられない。

 商家でも番頭、手代、丁稚(でっち)、小僧はふつう10年を
 奉公の期限としていたが、職人も同じように10年をふつうとしていた。
 ・・・・・・・・・

 徒弟は衣食住一切を、主人から支給されて働くことになる。
 衣はつまり御仕着(おしきせ)で夏冬二回がふつうだった。

 また正月、7月の2回に3日ずつ藪入(やぶい)りといって
 実家に帰り休養することができた。この1年に6日が
 奉公人の唯一の休日だったのである。・・・・ 」(p271・徒弟制度)



ああ、そういえばと、与謝野蕪村が思い浮かぶ。
ここには、中村草田男著「蕪村集」(大修館書店)から引用。

  やぶ入(いり)の夢や小豆の煮(にえ)るうち

草田男訳】 藪入に帰った子供が、親の心づくしの小豆が煮えあがるまでと、
      しばらく身をやすめて眠っている。いかにも時間が限られた
      あわただしい夢の間だが、そこには楽しくもさまざまな
      想いが通っていることであろう。

そのあとの注に、季題は藪入として
『 毎年正月16日に、男女の奉公人が許されて父母の膝下に帰り、
  一日の休養をとりまた随意に行楽すること。 』

つぎの句は、『 やぶ入りの跨(またい)で過(すぎ)ぬ凧の糸 』


うん。高橋治著「蕪村春秋」のはじまりは、『やぶ入り』でした。
最後に、そのはじまりを引用。

「  やぶ入や浪花(なには)を出(いで)て長柄(ながら)川
   春風や堤(つつみ)長うして家遠し

  ・・・・上掲二句により蕪村不朽の傑作
  『春風馬堤曲(しゅんぷうばていのきょく)』が書き出される・・
  蕪村の前書きによれば、ある日やぶ入りで故郷に帰る若い女と道連れになり、
  同行数里、18首からなる詩句でその女の心を詠んだ作品だという・・

  やぶ入りは正月と盆の16日前後に、昔の奉公人が
  親もとに帰る貴重な休暇である。・・・     」


ちなみに、高橋治氏のこの本には、こうもありました。

「 蕪村吟とされるやぶ入りの句は11句残されている。
  とびぬけて多いとはいえないものの、ひとつの季語
  による作品数としてはかなり目立つことである。

  因みに、芭蕉にはやぶ入りを詠んだ句は一句もない。 」

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職人の古典落語。

2023-11-27 | 古典
『職人』について、どんな本を読んだらよいか?
そういえば、と思い浮かんだのは、
臼井史朗著「疾風時代の編集者日記」(淡交社・2002年)
のこの箇所でした(日記から人物を抜き出して構成された一冊)。

「 昭和41年10月30日
  久しぶりのいい日曜日、書斎にこもって仕事をする。
  何もしないで時間をついやすことはいいことだ。

  吉田光邦氏『日本の職人像』は非常に面白い力作だと思った。

  平安から現代までいわゆる職人というものが
  どのような歩みを続けて来たか、
  時代の移りかわりの中にあってどのような社会的位置にあって
  それぞれの職人気質を形成して来たかを面白く系統的に書いている。
  名著だと思った。・・・ 」(p87)


はい。今朝になって『日本の古本屋』へとネット注文することに。
とりあえず吉田光邦著「日本の職人」(角川選書)が手許にある。
そこから、それらしい、面白そうな箇所を引用。

「 さて彼ら職人といえば、それは威勢がよく、
  気っぷもよく、宵越しの金は使わねえなどと
  巻舌でまくしたてるいきな兄(あん)ちゃんで、
  また一面には職人気質というようにこり性で、
  シニカルで意地っぱりな者と、今日では相場がきまっているようだ。

  だがほんとうに江戸時代の職人はそんなに元気なものだったろうか。
  成程地方の村や小さな町に渡ってくる職人は、明るい元気な楽天的
  な者だったらしい。しかし大都会の職人は、どれも貧しいちいさな
  九尺二間の長屋住居の者ばかりだった。

 『宵越しの金はもたねえ』というのも一日一人扶持の、
  その日暮しの貧しさを表現することばであった。
  職人は貧しいままに社会の下積みの存在であった。

 『 何事もワザを好くいたしたく候はば、
   心のむさきことなきように是第一なり。
 
   細工人は一生貧なるものと心得、
   つねに心のよごれぬようにいたしたく候 』

  と金工土屋東雨は語っている。
  一生貧なるものと心得ねばならぬのが職人であった。
  ・・・・                       」(p275)

「 ・・・・人気をあつめ同情をあつめる主人公となるのは、
  まず商に属する類の人たちであった。

  そこで職人たちはせいぜい落語、軽口のテーマ
  となるより仕方がなかった。

  天明のころの名高い落語家江戸の烏亭焉馬
  (うていえんば)はもともと大工だったし、
  三笑亭可楽は櫛工という風であったほどで、

  長屋住いの庶民の娯楽はそうした同じ類の
  人々からつくり出されたのである。

  そこで落語の主人公はことごとく、いわゆる
  九尺二間の裏長屋の住人であり、その家主で
  ありその地の地主たちということになった。  」(p276)


はい。これがさわりの箇所となります。
古本が届くのが待ち遠しくなりました。

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利休の茶友。

2023-11-25 | 重ね読み
「利休大事典」(淡交社・平成元年)の古本が安い時に買ってありました。
函入りで2キロ。27×20で厚さ5センチ(いづれも函サイズ)。
余りに安くて、もったいない気持から買っておいたものです。

楽しい絵本の挿画のように、魅力のカラー写真がページを彩り、
せめて、目次だけでも引用しておきたくなります。

   時代   村井康彦 ・・ 1
   生涯   米原正義 ・・ 25
   茶友   熊倉功夫 ・・ 115
   茶事   戸田勝久 ・・ 193
   茶具   林屋晴三 ・・ 255
   茶室   中村昌生 ・・ 347
   書状   村井康彦 ・・ 465
   伝書   筒井紘一 ・・ 575
   遺響   熊倉功夫 ・・ 669
        筒井紘一


まずは、気になった『利休の茶友』(p116)だけでも引用。
こうはじまっておりました。

「千利休がその生涯に出会った人の数はいかほどあったか測り知れない。
 ・・・・
 利休が師事した茶人と禅僧、利休の茶会に招かれた人、
 利休と茶会で同座した人、手紙のやりとりがあった人、
 茶湯や道具に関して利休に師事した人、利休の使用人等々。
 記録に残るだけでも千を超える人々がいただろう。・・・・

 利休の青年時代、すでに堺には茶湯が流行し、名人があらわれ、
 彼らによって東山時代以来の名物道具が集められていた。

 そこで利休は武野紹鷗をはじめとする茶の大先達と出会い、
 さらに南宋寺に来住した大林宗套、笑嶺宗訢といった禅僧
 たちの提唱を聞く機会があった。

 やがて利休と同世代の堺の町衆たちに伍して、利休自身の茶湯が認めれ、     
 遠く奈良や京都にも利休の茶名が聞こえていった。

 今井宗久、津田宗及などは茶の道具の点では利休をはるかに凌ぐが、
 利休にはその茶を慕う山上宗二らの茶の弟子がすでにあって、
 茶匠としての地位が確立してきただろう。

 ・・・一変させたのは、永禄11年(1568)の織田信長の上洛と、
 それに続く元亀元年(1570)の堺での名物狩りである。・・・
 やがて・・利休は天下人の茶の接待を受け持ち、多くの武将と
 の交渉が生じ、そのうちの数十人の人々は利休を茶湯の師と仰いだ。

 なかでも主だった弟子である古田織部・細川三斎・蒲生氏郷らを
 利休七哲の名で後世呼び慣わした。・・・・・

 利休の茶を支えていた職人や使用人たちの存在も大きい。
 残念ながら史料が少ないので詳細は不明である・・・・   」(p116)

はい。次のページから人名と、その人となり解説と、カラー写真。
それがp192までありました。もちろん私はそれを読まないのです。

『職人』といえば、生形貴重著『利休の逸話と徒然草』の
はじまりの箇所が思い浮かんできました。

そこを引用しておわることに

「茶の湯の文化の第一の特徴は、日本の伝統的な
 さまざまな分野の文化が結集している、という点でしょう。

 たとえば、茶碗などの土の文化、
 釜や風炉などの金属の文化、
 茶筅や柄杓などの竹の文化、
 こうした茶道具に留まらず、
 茶室に見られる数寄屋建築の文化、
 茶庭に見られる庭園や石の文化など、

 数えきれないほどの分野の伝統文化が
 茶の湯という空間に結集しています。

 さらに、着物などの和装の文化や、
 床に飾られる書画などの芸術、
 懐石料理や菓子に見受けられる食文化なども、
 茶の湯を構成する大切な要素です。

 ・・・茶の湯を構成するさまざまな文化は、
 多くが『職人』と呼ばれる人たちの技術の文化でもあります。

 ・・・茶の湯の文化の特徴は・・
 技術の文化の結集という点にあると思われます。  」(p4)


はい。こうしてはじまる『利休の逸話と徒然草』は
やっぱりきちんと読んでおかなきゃと思うのでした。

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家ごとの祭。

2023-11-24 | 詩歌
定期購読している月刊「Hanada」1月号が今日の郵便で届く。
平川祐弘氏の連載「詩を読んで史を語る」の
第19回は「正月と唱歌と俳句」となっておりました。

うん。この箇所を引用したくなります。

「 ・・他の公的な四大節と違って
  正月とお盆は家ごとの祭である。 」(p324)

このあとに、平川氏は昭和40年代の末に書いて
知友に送った『謹賀新年』の御挨拶の年賀葉書(?)の文面を
引用しております。それは端折って、その次にこうありました。

「 神道は四季の推移と関係する。・・・
  
  西洋でも復活祭と春は結びつくが、
  キリスト教神学は季節無しで成立するだろう。

  だが季節抜きの神道は考えにくい。
  俳句に季語が無くてはならぬようなものだ。
  俳句は神道気分を表現することが多いから、
  神祇(しんぎ)の項目が歳時記にも見える。

  近年の俳句歳時記はその部分が薄目で、それだけ味気ない。
  角川書店版は特にいけない。
  『文化の日』とあって『明治節』はなかったりする。 」(p325)

「 かつて≪君が代≫の悪口を言う首相が日本に登場した時、
  実に厭な気がした。曲が古風に過ぎるという批判だが・・・
  時代遅れ、非科学的という批判だが

  『古今集』に由来する、天皇の治世を寿ぐ和歌であるところがめでたい。
  石にも霊があり、さざれ石が時を経て巌となる、
  という発想がフランスの地方にもあることを
  彼の地の文化人類学者から聞いた時、ほほえましく思った。
 
  そうした古俗の信仰を近代国家の成員が
  うたうところに妙趣がある。         」(p326)


貴重な指摘が、惜しげもなくさらりさらりと語られる連載なのですが、
はじめてきく、うれしい指摘に満ちており、つい引用したくなります。

最後に、もう一箇所、引用しておきます。
それは、この文のはじまりの箇所でした。


「  新しき年の始の初春の
   今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)

 新年を祝う風習は古い。
 『万葉集』巻20の最後の歌は
 大伴家持(717~785)の作だが、
 因幡の国で詠まれた。

 吉事(よごと)とは目出度い事で、
 年の始めの初春の今日、
 降る雪のように、良い事よ、いよいよ積り重なれ、
 と雪にかけて年賀を述べた。
 延暦3年正月の宴の歌で・・・・   」(p316)


はい。雑誌1月号で、平川祐弘氏の文を読めるという幸せ。
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茶の湯の、銘道に云はく。

2023-11-23 | 前書・後書。
本をひらかないと、書くことがないなあ(笑)。
あらためて、本の前書き後書きをひらきます。

生形貴重著「利休の逸話と徒然草」(河原書店)。
こちらも、なかなか読むきにならなくて、
それでも、徒然草のどの段を引用してるのか。
そういう、視点から興味の持続をはかります。

けれども、読む気がしないときは、
本のまえがきとあとがき。そこだけをめくります。
いい本は、そういう箇所をけっして疎かにしない。
ありがたいのは、最近そういうことに気づくこと。

ということで「利休の逸話と徒然草」の「はじめに」から
「茶道開祖とも位置づけられる村田珠光(しゅこう)」
その人の『心の文(ふみ)』からの引用をながめます。

「 此の道、第一悪き事は、
  心の我慢・我執(がしゅう)なり。

  巧者(こうしゃ)をばそねみ、
  初心の者をば見下す事、
  一段勿体無き事共なり。

  巧者には近づきて、一言をも歎き、又、
  初心の者をばいかにも育つべき事なり。・・・ 」

はい。この単行本で11行ほどの文なのですが、
ここを作者はどう書いていたか。

「 ・・『心の文』は、茶の湯におけるもっともすぐれた
  教育論になっていることを読みとるべきだと思います。 」(p14)

著者は説明をつづけておりました。

「 茶の湯に関わる者がもっとも陥りやすい『心の我慢・我執』、
  つまり、慢心と自由勝手な考えがこの道の大敵である事を
  まず述べています。

  そして・・つまり、巧者を妬んだり、初心者を見下したりすることが、
  もっともいけないこととして戒められ、巧者には教えを請い、
  初心者を育てなさいと述べています。・・・ 」

  
こうはじまって、『心の文』の最後の2行はどうだったか。

「 ただ、我慢、我執が悪き事にて候。
  又は、我慢なくてもならぬ道なり。
  銘道に云はく、
 『 心の師とはなれ、心を師とせざれ 』と、古人も云はれしなり。 」


はい。ここだけを読んで満腹感におそわれます。
全く、前書き後書きだけで私は読了の気分です。
それにしても、こんな本と出会えることの幸せ。
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『忘れる』花が咲く。

2023-11-21 | 道しるべ
ネットで本の注文が、習い性となってます。
以前もそうだったのですが、そうすると、
何かの関連で注文したはずの本の、
その関連の結びつきをすっかり忘れてしまってる。

本への興味も、私のことゆえ、すぐ飽きます。
興味にも引き潮があって、齢を重ねると、
そろそろ、この興味も終わり、次の興味へと移るころだと、
何となく分かるような気がしたりして。

すると、引き潮のあとに、残った本が、
これが、どうして買ったか分からない。
すでに、引き潮で興味が失われている。
要するに、すっかり忘れてしまている。

うん。こういう時のための備忘録。
それを書いてみることに。

津野海太郎著「百歳までの読書術」(本の雑誌社・2015年)。
その最後の方に、「もうろくのレッスン」とある。そこに、
「ちくま文庫版の『老人力 全一冊』を購入」(p263)とある。
津野さんが、その文庫をひらくと

「 ふつうは歳をとったとか、モーロクしたとか、
  あいつもだいぶボケたとかいうんだけど、そういう言葉の代りに、

 『 あいつもかなり老人力がついてきたな 』

  というふうにいうのである。そうすると何だか、
  歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい。

  歳をとって物忘れがだんだん増えてくるのは、
  自分にとっては未知の新しい領域に踏み込んでいくわけで、
  けっこう盛り上がるものがある。   」(p263)


ここで、そういえば、と
松田哲夫著「縁もたけなわ」をひらくことに。
「赤瀬川原平さん(その3)」の始まりのイラストは
老人力の本が描かれて、そのわきに
「ものわすれで、いつもからかっていた
 赤瀬川さんに追いついてしまった二人が思いついた・・」
とコメントがあり、
 下には、南伸坊と藤森照信のふたりのイラスト
藤森さんは、笑いながら『老人力ってのはどうか』といい。
伸坊さんは、『いいねエ』と。

はい。このページをめくってみると、こんな箇所。

「・・・そこで、『忘れる』談義に花が咲く。
 
『 若い時って、イヤなことをいつまでも覚えてつらかったこともあった 』
『 記憶力は頑張れば身につくけど、
  忘れるのは頑張ってできることじゃないね 』

 物忘れとか固有名詞が出てこないとかを、
 『 忘れる力がついた 』と裏返そうという
 赤瀬川さんらしい考え方が全面展開される。

 そこで藤森さんは、
『 老化ってマイナスイメージしかない。
  思いきって力強い表現にしちゃおう 』と

『 老人力 』という言葉を口にする。

 こうして、マイナスの価値観を裏返す赤瀬川的思考に
 藤森的パワフル・ネーミングが加わって、最強の言葉(概念)が誕生した。」

はい。「最強の言葉(概念)」の誕生の瞬間ですから、
ここは、繰り返しになったとして構わずに引用します。

「『 スポーツの力は筋トレなどでつけていく。
   でも、いざチャンス、いざピンチという時は、
   コーチや監督が【 肩の力を抜いていけ 】と言う。
   あれも同じじゃない 』

  名前がつくと、一同、俄然張り切って・・・
  老人力のあらたな解釈が積み重なっていく。・・ 」(p210)


もどって、津野海太郎さんの「もうろくのレッスン」は
赤瀬川さんのあとに、鶴見俊輔さんの『もうろく帖』へと
駒をすすめておりました。

はい。『老人力 全一冊』『もうろく帖』『百歳までの読書術』
この3冊で3馬力。老人力に拍車がかかります。


コメント (2)
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豊かな気持ちに。

2023-11-20 | 本棚並べ
松田哲夫著「縁もたけなわ」(小学館)は
副題が「ぼくが編集者人生で出会った愉快な人たち」。

この本に登場する人は、総勢56名ほど。
その一人一人に南伸坊さんの似顔絵・イラスト。

はい。この単行本をバラして、似顔絵イラストごとにとじて
ベニヤ板サイズのスペースに、トランプみたいにひろげます。
うん。一堂にならぶ似顔絵を見ると豊かな気持ちになります。

一番最初は、小学校の時に図画の先生だった安野光雅さんからです。
そうして、山口昌男・長井勝一(ガロの)・水木しげる・つげ義春
佐々木マキ・呉智英・赤瀬川原平・嵐山光三郎・吉岡実・鶴見俊輔
東海林さだお・柴田翔・種村季弘・野坂昭如・井上ひさし・松下竜一
小沢信男・天野祐吉・杉浦日向子・森毅・藤森照信・秋野不矩・和田誠
小林信彦・吉村昭・津村節子・津野海太郎・大田垣晴子・南伸坊・・・・・
うん。書ききれないので何人か端折りました。

はい。南伸坊の似顔絵イラストだけで、何だか豊かな気持ちになります。

小沢信男著「ぼくの東京全集1951‐2016」ちくま文庫の
小沢信男氏のあとがきには、こうありました。

「・・数枚書けば終わってしまった若者が、70歳をまたいで
 3年間ほどの仕事で、じつに700枚。筑摩書房の松田哲夫氏の
 示唆とはげましのおかげで、2000年2月に刊行、達成感がありました。
 おもえば筑摩書房の方角が私の恵方なのか。
 足をむけて寝られません。・・・   」(p538)


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のびた。のびた。

2023-11-19 | 重ね読み
鶴見俊輔著「期待と回想 語り下ろし伝」(朝日文庫)。
その第9章「編集の役割」が、印象深いのでした。
まずは、『平均寿命がのびた』とある箇所を引用。

「これだけ平均寿命がのびたのだから、
 40歳以後は、だれかの話を聴きにいくということじゃなくて、
 自分の動きを含めたサークルがつくれる可能性はだれにでもあると思う。
 ヴィデオやコピーやインターネットも使って、
 さまざまな自主的なことができるはずですよ。 」(p517)

そのすこし前に『かなり年をとっても』という箇所があります。

「森毅とは〇〇新聞の書評委員会で一緒になって、
 宿に帰ってからコーヒー一杯で雑談した。
 夜中の一時くらいまで、3時間も4時間もしゃべるんだ。
 ものすごい安上がりな雑談で、5、6年つづいた。

 これが私にとってのサークルなんだ。
 かなり年をとってもそういうサークルは成立しうるんだ。
 茶の湯の精神だね。   」(p514)


はい。『茶の湯の精神』と『コーヒー一杯』。それで
思い浮かんだのは、季刊「本とコンピュータ」1999冬号。
そこに、鶴見俊輔と多田道太郎の対談が載っております。
その対談の終わりの鶴見さんの話には『伸びてくるんだよ』
という箇所があったのでした。
最後に、すこし長いけれども、引用しとかなきゃ。

鶴見  ・・・・・それとね、私たちの共同研究には、
    コーヒー一杯で何時間も雑談できるような自由な感覚がありました。

    桑原(武夫)さんも若い人たちと一緒にいて、
    一日中でも話している。

    アイデアが飛び交っていって、
    その場でアイデアが伸びてくるんだよ。

    ああいう気分をつくれる人がおもしろいんだな。

    梅棹(忠夫)さんもね、『思想の科学』に書いてくれた
    原稿をもらうときに、京大前の進々堂というコーヒー屋で
    雑談するんです。原稿料なんてわずかなものです。

    私は『 おもしろい、おもしろい 』って聞いているから、
    それだけが彼の報酬なんだよ。
    何時間も機嫌よく話してるんだ。(笑)

    雑談の中でアイデアが飛び交い、
    互いにやり取りすることで、そのアイデアが伸びていったんです。

   ・・・・コンピュータの後ろにそういう自由な感覚があれば、
   いろんな共同研究ができていくでしょうね。 」(p207)




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命が延びる思い。

2023-11-18 | 道しるべ
岡倉覚三著「茶の本」(岩波文庫・村岡博訳)の
第一章は「人情の碗」でした。

「 茶道の要義は『不完全なもの』を崇拝するにある。
  いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、
  何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。 」(p21)


はい。こんな風にはじまっておりました。
何だか腑に落ちたようでいて分からない。

そんな『?』のままでおりました。
最近になって生形貴重著「利休の逸話と徒然草」(河原書店・平成13年)
を買いました。はい。徒然草とあったので古本で買っておきました。

その第二章は「不完全と自然」と題されていたので、そこをひらく。
はじまりは「利休の言葉を記したといわれる『南方録(なんぽうろく)』の
引用があって
「『小座敷の道具は、よろず事たらぬがよし』という有名な言葉で始まる」
とあるのでした。

その次のページにはこうあります。

「現在では、茶道具を取り合わせる場合、
 当然のこととしてバランスというものを考えます。

 あまりよい道具ばかりが並びますと、
 かえって道具の格同士がかち合ってしまい、
 印象が薄れてしまいます。・・・・

 このバランスの意識こそ、じつは『不完全美』
 というべき美意識で、利休が侘び茶の秘訣
 として強調したものなのでした。 」(p54)

このあとに、徒然草の第82段からの引用がありました。
その引用のさいごの方をとりだしてみます。

「『すべて、何も皆、事のととのほりたるは、あしき事なり。
 し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。
 内裏(だいり)造らるるにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり』と、」

はい。この徒然草の段を次に訳してありました。

「そして、『何につけても、万事すべて完全に整っているのは
      悪いことだ。し残したものを、そのままにしているのは、
      趣向があり、命が延びる思いがする』と述べたのち・・・」(p55)

はい。こうして、茶道と徒然草の潜みへとわけいってゆくのでした。
はい。私はもうここで満腹。そういえばと思い浮かんだ言葉は

『 句集づくりのベテランにいわせると、
  名句ばかりを並べてもいい句集はできない。
  あいまにちょっと、ごく変哲のないのを入れておく・・』
                ( p189 「縁もたけなわ」 )
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もういくつ寝ると。

2023-11-17 | 前書・後書。
はい。11月も半分過ぎました。
堀田百合子著「ただの文士 父、堀田善衛のこと」(岩波書店・2018年)
の「おわりに」が思い浮かびます。そこから引用。

「 夏。
  暑い日が続くと、母の運転する車・・蓼科の山荘に移動します。
  初秋まで、ここで仕事をします。どこへも行きません。

  秋。
  山荘のベランダに黄葉、紅葉が降りしきるようになると、
  逗子の家に戻ります。
 『 もうすぐお正月ですね 』としきりに言います。
  なぜか、正月の行事や、おせち料理が好きでした。

  冬。
  毎年、年末になると、父は原稿用紙を折りたたみ、鋏を入れ、
  御幣を作ります。玄関に飾る若松に添えるためです。
  お供え餅には、半紙の代わりに父が原稿用紙を敷きます。
  書斎に新しい原稿用紙を用意して、父は新年を迎えます。 」               
                       ( p209~210 )

堀田善衛の本は、2冊くらいしか読んでいないのですが、
何か、堀田百合子さんの父のこんなイメージが印象深い。
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書評百年のスタンス。

2023-11-16 | 書評欄拝見
朝日文庫の鶴見俊輔著「期待と回想 語り下ろし伝」を
せっかく古本で買ったので、本文をめくってみる。

その第9章「編集の役割」だけを読むことに。
なんてね。私はこの章だけで満腹でした。
9章の最後を引用することに。

「私は本を読みながら青線・赤線を引くんです。
 それが編集だという考え方もできるでしょうね。
 そうすることでもう1つの本をつくっている。

 スキー場で上から下を見下ろすと、凸凹が見えるでしょ。
 その凸凹をどうやって走り抜けるかを考えるように、
 本を読むこともその凸凹を走り抜けることなんだね。

 あらゆる言葉が均等に並んでいたら、本なんて読めるわけないんです。

 ・・・・もとのテキストのどの箇所をこう解釈したと明示すれば、
 ゆがめたということにはならない。
 たとえゆがめたとしても、ゆがめた証拠はのこる。 」(p526~527)

はい。目からウロコ。
「 本を読みながら・・・線を引くんです。それが編集だ
  という考え方もできるでしょうね。 」

はい。そういうことから編集がはじまっているんだ。
うん。鶴見さんの語りの身近さワクワク感がでます。

書評についてもありました。
新聞の書評委員をしていた経験を話したあとでした。

「・・問題は時間なんです。
 本が出てから、二週間のあいだに書評を書かなければならないでしょう。

 読んでみて重大な見落としは、10年、20年の幅をもって現れるんです。
 その期間に重大な見落としがあったといえるような、
 そんな自由を与えてくれる書評欄がほしいですね。・・」(p523)

「原因は時間だと思います。
 百年の幅をもって書評をしてもいいという欄ができればいい。

 それも旧著発掘だけじゃなくて、新解釈を混ぜたようなかたちで。

 いまの短い書評でも『この本おもしろいよ』と
 責任をもっていえますが、その程度のことです。・・ 」(p524)


なんだか、70歳からの読書の腰の据え方を聞いているようです。
津野海太郎著「百歳までの読書術」を読んでるような気になる。
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わかりにくかった時代

2023-11-14 | 本棚並べ
鶴見俊輔著「期待と回想」(朝日文庫・2008年)。
この本の副題は「語り下ろし伝」とあります。

この朝日文庫の解説が津野海太郎。解説の題は
『マチガイ主義がわかりにくかった時代』(p602~608)。

ところで、おさらい。
鶴見俊輔は、1922年東京生まれ。

「鶴見さんに質問をぶつけて、じっくり話を聞いてみたい。
 それをまとめて本にしたらどうか。 」(p596・塩沢由典)

その質問の会が10回(1993年~1996年)。
ちょうど、鶴見俊輔が70歳を過ぎてからの語りが
この本となっておりました。

解説の津野さんの文には、
「 60年代から70年代にかけて、同年配の友人たちにくらべれば、  
  私(津野)は鶴見の著作にけっこう持続的にしたしんでいた
  ほうだと思う。  」(p606~607)

そして、こうありました。

「 むかしの私に『マチガイ主義』がのみこみにくかったのは、
  おそらく私のうちに、なんらかの『マチガッテハイケナイ主義』が
  根をはっていたからにちがいない。・・・・

  なんにせよ私は、まちがいに価値をみいだす習慣を身につけることなく、
  まちがうことをおそれ、正しいことをいわなければとのみ思いつづけて
  若い時代をすごしてしまったらしいや。 ]


それでは、鶴見さんのいう『マチガイ主義』の定義とは。
そこも、解説に引用されておりました。

「 マチガイ主義(falliblism)
  絶対的な確かさ、絶対的な精密さ、絶対的な普遍性、
  これらは、われわれの経験的知識の達し得ない所にある。

  われわれの知識は、マチガイを何度も重ねながら、
  マチガイの度合の少ない方向に向かって進む。
  マチガイこそは、われわれの知識の向上のために最も良い機会である。

  したがって、われわれが思索に際して仮説を選ぶ場合には、
  それがマチガイであったなら最もやさしく論破できる
  ような仮説をこそ採用すべきだ。         」(p603)
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『マチガイ主義』『マチガッテハイケナイ主義』

2023-11-13 | 道しるべ
津野海太郎著「百歳までの読書術」(本の雑誌社・2015年)。
最後の方に、鶴見俊輔と赤瀬川原平のご両人が並んで登場する場面。
うん。ここを反芻する意味で引用しておくことに。

まずは、鶴見俊輔氏の「もうろく帖1」から引用している箇所(p266)

「  70に近くなって、私は、自分のもうろくに気がついた。
   これは、深まるばかりで、抜け出るときはない。せめて、
   自分の今のもうろく度を自分で知るおぼえをつけたいと思った。

 『もうろく帖1』は、1992年2月3日にはじまる。私は69歳8ヵ月だった。」

このあとに、津野さんは赤瀬川氏と比べておりました。

「鶴見さんのいう『生命力のおとろえの自覚からひらけてくる自由』を、
 赤瀬川式にいいかえると『老人力』になる。

 若いあいだはどうしても力んでしまって、うまく力が抜けない。
 したがって自由にふるまうのがむずかしい。でも心配することはない、

『老人になれば自然に老人力がついて力が抜ける』というのが赤瀬川論理。
 すなわち老人になると生命力がおちるのとひきかえに老人力がます――。

 老人力をばかにしてはいけない。

 力を抜くというのは、力をつけるよりも難しいのだ。力をつける
 のだったら何も考えずにトレーニングの足し算だけで、誰でも力はつく。
 問題はその力を発揮するとき、足し算以外に、引き算がいるんだけど、
 これが難しい。

 卓見である。ただし老人になったからといって、かならずしも、ただちに、
 かつ自然に老人力がつくわけではない。それにはやはりなにほどかの
 『引き算』の訓練が必要になる。

 鶴見さんの場合は、それが『もうろく帖』だった。そして
 赤瀬川さんにとっての『もうろく帖』が・・あの『老人力』だったのである。

 では、私の場合は?
 それとはまったく意識していなかったけれども、おそらくは
 この連載が私にとっての『もうろく帖』であり『老人力』ということになる 
 のだろう。・・・・   」(p267)


ちなみに、この津野さんの本のp80にですね。
鶴見俊輔さんの本を紹介し、『機会があったら読んでみてください』とある。
その箇所を引用しておくことに。

「・・人間はかならずまちがう、だから

『 われわれが思索に際して仮説を選ぶ場合には、
  それがマチガイであったなら最もやさしく論破
  できるような仮説をこそ採用すべきだ 』

  という『 マチガイ主義 』の考え方に衝撃をうけた。
  なにゆえのショックだったのか。それまでの私が
  結局は『 マチガッテハイケナイ主義 』の徒だったからだ

という話は、しばらくまえに鶴見の思想的自伝『期待と回想』(朝日文庫版)の解説でも書いたので、機会があったら読んでみてください。  」(p80)


はい。機会がありますので読んでみます。と古本を注文。

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高齢者特有発作的な読書パターン

2023-11-12 | 思いつき
文春ネスコ編「教科書でおぼえた名詩」(1997年)の
「序にかえて」は丸山薫の詩「学校遠望」でした。
 はじまりの3行は

   学校をおえて 歩いてきた十数年
   首(こうべ)をめぐらせば学校は思い出のはるかに
   小さくメダルの浮き彫りのようにかがやいている

詩「学校遠望」の最後の4行は

   ・・・・・
   とある窓べでだれかがよそ見して
   あのときのぼくのようにぼんやりこちらをながめている
   彼のひとみに ぼくのいるところは映らないのだろうか?
   ああ ぼくからはこんなにはっきり見えるのに


はい。どのように『 はっきり見える 』のだろう。
その筋道を、いったい何歳になったらたどれるのか。
ということが、津野海太郎著「百歳までの読書術」(本の雑誌社)を
ひらいていたら、思い浮かんできまいた。そのあとがきには

「このタイトル(百歳までの読書術)をつけたのは私ではない。
 本書のもとになった連載を企画してくれた『本の雑誌』発行人の
 浜本茂氏である。・・・・

 『百歳までの読書術』は、私にとっては
 『七十歳からの読書術』とほとんどおなじ意味になる。・・・・

 このさき、じぶんの読書がどのように終わってゆくのか、
 そのおおよそがありありと見えてきた。・・       」

さてっと、本文に『老人にしかできない読書』という文があり、
はじめの方を引用しておくことに。

「・・まだ少年や青年だったじぶんが大切にしていた
 なんらかのイメージが、何十年かの時間が経過したのち、
 思いがけず発見された新資料や大胆な仮説によって
 ガラリと一変させられてしまう。

 そのおどろきから、とつぜん新旧を問わない
 本から本への集中的な『渡り歩き』がはじまる。・・・
『老人読書』とは、このような高齢者特有の発作的な読書パターンをさす。

 なぜ高齢者特有というのか。
 少年や青年、若い壮年の背後には、ざんねんながら、それから
『何十年かの時間が経過した』といえるだけの時間の蓄積がないからだ。
 だったら当然、かれらにその種の読書があるわけがない。 」                                           
                            (p172~173)


はい。ちょいっと、丸山薫の詩と、老人の読書とを
つなげるのは無理があるでしょうか(笑)。
でも、このように無理してもはじめてみたかった。

ということで、次につながっていきますように。
コメント (2)
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