和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ポイント。

2012-12-28 | 本棚並べ
ネット書店hontoのポイントがたまったので、
どの本をいただきましょう。
と思案するたのしみ(笑)。

佐藤優著「読書の技法」(東洋経済新報社)
「曽野綾子自伝 この世に恋して」(WAC)

2冊を思い浮かべる。
うん。本は読む前の楽しみも捨てがたい。
養老孟司氏の新刊も覗いてみたいなあ。
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2月号。

2012-12-19 | 本棚並べ
「新潮45」を買ったと思っていたら、
あれ、今日、WILL2月号が届いておりました。
ということで、
文藝春秋・Voice・新潮45・WILLと4冊が机の上にあります。
さてっと、言葉を探すたのしみ。
月刊雑誌で、言葉をさがそうじゃありませんか(笑)。
と、誰かに語りかけたくなる昨今。
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「大津波を生きる」

2012-12-17 | 短文紹介
山文彦著「大津波を生きる 巨大防潮堤と田老百年のいとなみ」(新潮社)を読む。すんなりと内容がはいってくる。よく咀嚼された内容が、読みやすく一冊にまとめられており、たいへんにありがたい。
吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)の解説を書いておられた方として、この本を買いました。


まあ、もう一度読み直すとして(笑)。
ここでは、とりあえず一か所だけ引用。

第四章「関東大震災」に

「相模湾を震源とする大地震は、おびただしい余震をひき起こした。三分後には揺り返しの大地震が起こり、午後1時半までに強烈な地震が7回にわたって襲い、その後も夕方まで3度の強震があった。そうした強震以外にも軽度の地震が絶え間なくつづき、12時間後の午前零時までに総計128回の余震が被災地を揺らしつづけた。
翌2日午前11時46分には、前日の大地震につぐ強烈な地震が起こり、きのうの最初の一撃とほぼ同じ時刻に大きな揺れが来たものだから、人びとは恐怖に震えあがった。これは房総半島勝浦沖を震源地とするもので、相模湾を震源とした前日の大地震に誘発されたものだったが、このふたつの震源地から発する余震が入り乱れて幾日も被災地を襲ったのである。」(p111)

うん。地震は一回では終わらない。
と、漠然とは思っているのですが、
こうして書かれた余震のなかにわが身を置くことを、
あらためて、思い描くのでした。
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風が吹き始めた時代の。

2012-12-15 | 短文紹介
12月14日の新聞に、

宮崎駿監督が来夏新作「風立ちぬ」

とある。

「・・宮崎駿監督(71)の5年ぶりの新作『風立ちぬ』が来夏公開されることが13日、製作のスタジオジブリから発表された。・・」

うん。
宮崎駿著「本へのとびら」(岩波新書・2011年10月20日発行)を本棚からとりだす。
その第2章「3月11日のあとに」は「吹き始めた風のなかで」となっておりました。
最初から引用したいのですが、思い浮かんだ箇所のみとします。


「今ファンタジーをつくってはいけない。
・・・今ファンタジーを僕らはつくれません。
子どもたちが楽しみに観るような、
そういう幸せな映画を当面つくれないと思っています。
風が吹き始めた時代の入り口で、
幸せな映画をつくろうとしても、
どうも嘘くさくなってだめなんです。
21世紀が本当に幕をあけたんですね。
僕はそれから目をそらさないようにするので、
せいいっぱいです。」(p157~158)
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どこに眠っているか。

2012-12-14 | 短文紹介
文藝春秋新年特別号が創刊90周年記念。
購入しました。

気になったのが文藝春秋BOOK倶楽部特別篇の
「14人の書評委員が選ぶ『わたしのベスト3』」。

本のうわさを読めるたのしみ。
うわさも直接、文字で聞けるのは、うれしいなあ。
私は、本よりも、その書評のほうが好きだと、
なんか、思い至るのでした(笑)。

それはそうと、『わたしのベスト3』。
ドナルド・キーン著「正岡子規」を、
まずあげていたのが野崎歓氏。
題して『優れた評伝とは』
うれしいから、最初の口上を引用しておきます。

「どんな文学者、芸術家でも、生きているあいだは自分の書きたいものを書き、作りたいものを作ろうと、ただがむしゃらに突き進むのだろう。そこにひとつの完結した人生を見て取ることができるのは、後世の人間である。ただし、作者をめぐる紋切り型のイメージもつきまといがちだ。紋切り型をくつがえし、人生と作品に対する新鮮な理解を可能にしてくれるのが優れた評伝である。それは対象との長年にわたるつきあいに加え、書き手としての練達の手腕があって初めて成り立つ、極めてぜいたくなものなのではないか。・・・」(p534)

うん。ドナルド・キーン著「正岡子規」を語るには、こうあるべきという口上を聞く思いで嬉しくなる。といっても、私は、まだこの本を再読していない。これを機会に再読、再読。

どなたも、とりあげないような本を、おもむろに取り出しているのが
高島俊男氏の3冊。私が興味を持ったのは、その2冊目。
そこも引用。

「『戦争していた国のおらが里』の著者酒井キミ子さんは昭和3年(1928)富山県の稗田という村に生れ、今も住んでいる人。20年ほど前孫娘が学校で昔のくらしについて学ぶと聞き、戦前の稲作のようすを絵にかいて持たせた。これが先生がたに好評で、種々質問が寄せられ、応じて詳細具体的な絵を多くかき足し、さらに子供たちの遊びや対米戦開始後の絵もかいた。計約280枚。今はすっかりなくなった、50年以上も前の生活や物事や作業である。絵であるから、人の身なりも用具も何も、あったままに、しかも興味深くかかねばならない。それをありありと記憶していて、みごとに再現したのが、何でもないふつうの農家のおばさんである。まったく才能というのはどこに眠っているかわからないものだなあ、とつくづく思った。」(p545)

うん。気になるので、この本注文。

文藝春秋の今回の特集は「激動の90年、歴史を動かした90人」。
雑誌の面白さを満喫できるので、うれしい。
90人をさまざまな書き手がとりあげるので、
その顔ぶれを見るのもたのしい。
歴史の紅白歌合戦みたいなバラエティさ。
パラパラとどこから読んでもよさそうで、
よっ、雑誌の真骨頂。
「弔辞2012 忘れられぬ人々の記憶」というのまである。
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「ミラボー橋」あとがき。

2012-12-12 | 前書・後書。
杉山平一詩集「ミラボー橋」の
あとがきが印象に残ります。

「・・私は詩を書いてゐたが、詩集『夜学生』を出したあと、詩がどうあるべきかを考へるにつれ、私は詩をつくるために自らをひどくゆがめなければならないのに次第にくるしくなつてきた。そして自分が最も素直に自分であるために、これら数々の散文を試みてみた。だが更にこれを小説にするためには、やはりまた姿勢をまげねばならないのを感ずる。・・・・
この本が詩集であるか、エッセイ集であるか、小説集であるかを私はあまり気にしない。ただ私の独自のものであるかどうかを心配してゐる。・・・・
昭和27年6月 」
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郵便物。

2012-12-10 | 短文紹介
「季」2012年秋・97号の
杉山平一追悼号に
木股初美さんが「父と暮らせば」と題して書いておりました。
「父がこの世を去ってしまった」とはじまっております。
そこから10行あとに、
「・・私を最も悩ませたのは、父が毎日楽しみしていた郵便物。本や雑誌がどんどん狭い部屋に積み重なっていくので、私がたびたび不満を漏らしていたが、父が亡くなってから急に本が来なくなってしまった。『何も来ないと寂しいものだよ』と言っていた父の言葉を思い出す。かつて破産宣告を受けた時、手紙や年賀状まですべてが止められて何も届かなかった正月の寂しさを、後年父は何度も語っていたのだった。・・」

手紙といえば、ちょうどひらいている
「ミラボー橋」にあるところの「動かぬ星」に
こんな箇所がありました。

「永い間誰からも手紙が来ず、返事も来ず、うなだれてある夜帰つてきた彼は、入口の郵便函に白い一枚の手紙が入つてゐるのを見つけた。誰から、どこからきた手紙だろう。しばらく空想をたのしむやうにゆつくりして、彼は手をのばした。そしてそのまま立ちすくんでしまつた。それは手紙ではなかつた。函の入口から洩れる白い月光なのであつた。見上げると澄んだ月が、淡い雲の間を走つてゐた。ふつと目頭があつくなつた。なさけないよりも、その天上の手紙が彼を感動的にしたのであつた。」(p137・杉山平一全詩集下巻・編集工房ノア)
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バンザイ。

2012-12-09 | 前書・後書。
杉山平一全詩集のあとがきに、

「・・・下巻を編み『ミラボー橋』などを読んでいると、伊東静雄さんが、杉山は別の山にのぼってバンザイしているといわれた通り、自分は一周二周おくれではなく皆と別の場所を走っていたらしいという気がしてきた。
昔『ミラボー橋』を出したとき、鶴見俊輔さんからこれらを支えている思想は私などの思想とはちがうものです。しかし独自の場所を占めていることをみとめます。といわれたのをいまあらためて思い出す。・・・」

この『ミラボー橋』を読もうと思って、
まだ、読んでいない。
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キャッキャッ。

2012-12-07 | 詩歌
関西四季の会の
「季」2012年秋・97号は杉山平一追悼号。
ありがたいことに、96号とともに、手にすることができました。

そこには、木股初美さんの「父と暮らせば」が載っております。
「父がこの世を去ってしまった。」とはじまっております。
今度、読み直してみたら、
木股さんの文に、こんな箇所がありました。
「ある時、全詩集の中に収められている『父と子』を読んで、私はびっくり仰天してしまった。・・・読んで思わず笑ってしまった・・・」とあるのでした。

それが気になって
杉山平一全詩集(編集工房ノア)をひらくと、
下巻にありました。
読み始めると、こんな箇所があります。


「もともと、僕が子供に接するのは日曜日だけである。子供がものごころつく時分から、僕の事業は傾むき、苦悶、苦難の歳月が続いていた。・・・給料がずっと滞ってばかりいたので、子供の玩具は、殆ど駄菓子屋で買った。・・・僕にはそれが面白くてたまらなかった。しかし、子供は次第に父の買ってくるものは珍しいが、安っぽいことに気づき、不平をいうようになった。しかし、父はこんなものしか買えないのだという悲哀が、僕の気持にぴったりしていた。汚れた服をきていたり、傘もささずに雨にぬれているほうが、気持にぴったりするときがあるように。僕は僕と遊んでいたのかもしれない。」

杉山平一氏の詩を読んでいる気分を、
まるで、杉山氏に教えてもらっているような表現もありました。

「・・・子供と話をするときは、僕が石につまづいてひっくり返ったとか、道でまよってしまったとか、忘れものをしたとか、失敗の話ばかりして、いつも子供たちを笑わせていたからである。キャッキャッという子供の笑い声をきくときほど、たのしいものがあろうか。母親が、あるとき僕に、『あんまり、ばかな話ばかりしないで下さい。しつけができませんよ。このごろ、おとうさんをばかにしていますよ』といった。僕は意外だった。」

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最低3度読む。

2012-12-06 | 短文紹介
朝日の古新聞をもらってくる。
気になる箇所をチェック。

11月28日の松浦寿輝さんの「文芸時評」は、
「丸谷才一氏が亡くなった。」と書き始められておりました。

「・・ジョイス的なモダニズムの流れを汲む実験的な『エホバの顔を避けて』を、著者自身は若書きの習作と考えていたようだが、わたしは美しい音楽的散文で書かれた、日本近代文学史上に類例のない孤高の傑作だと考えている。・・」

つづいて文芸誌の時評にうつっているのですが、何とも歯切れがいい。
うん。衆院選挙の予想も、どなたか、このような歯切れの良さで、
語ってくださる方はいないものかなあ。
私は小説は読まないただの傍観者なので、ここまで。
時評を読めて満足。

12月2日読書欄の「売れてる本」は、
佐藤優著「読書の技術」を、佐々木敦氏が取りあげておりました。
そこに、

「『速読』は手っ取り早く知識や情報の摂取を行うメソッドなのではなく、実は『熟読』すべき本をあぶり出す前段階なのである。なぜならひとりの人間が持つ時間は必ず限られているからだ。そして『熟読すべき本』は書き込みをしながら最低3度読む。本書には、このような佐藤流読書術(速読術+熟読術)が、豊富な実例を挙げながら丁寧に述べられている。」

う~ん。この箇所だけで満腹。
なんとか、『最低3度読む』を目標としていきたい。
最低3度。最低3度。
う~ん。これで
わたしの来年の読書目標が決まりました。

来年は、
この読書目標を、おぼつかなくも、こなしながらのある日。
なにげなく、
古本の佐藤優著「読書の技術」に出合えますように(笑)。
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地方(ぢかた)を読む。

2012-12-05 | 短文紹介
中野三敏
磯田道史
都司嘉宣
と三人を補助線でつないでみたくなりました。


都司嘉宣著「千年震災」(ダイヤモンド社)は
産経新聞に連載されていたものを一冊にしたようです。
序章に、こんな箇所があります。

質問に答えているかたちの序章となっております。

――地震の研究者で、手書きの古文書類を読める人は何人ぐらいいるのでしょう。

4人でしょうか。その内、地球物理学で博士号を取った理系の専門家はわたし一人です。江戸時代の標準的な字で書いてあるものなら読めます。あと3人のかたは日本史の専門家で津波や地震の防災に興味があって研究されるようになったんです。

――どのような史料を読むのですか。

お寺の文書、個人の日記、大名の文献もありますが、もっと土臭いといいますか、文字の書けない庶民の証言を名主・庄屋が代筆して代官所に提出したような地方(ぢかた)を読むことが一番多いですね。

――それはどのようにして入手されるのですか。

歩き回るんですね。教育委員会に連絡すると、どこの家にどんな文献があるのかというリストだけがある。そこに『安政の地震で』という記述があると、その家に行くんです。和歌山県の印南という町でミカンの収穫の季節でしたが、旧家に上がり込んで、一日中ずっとそれを読んでいたこともありました。今考えると、迷惑だっただろうなと思いますがね。そういう調査をするとき、その人の前で古文書を読めないといけない。読めないです、では話にならないんです。 (p24~25)
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Gaman 

2012-12-03 | 他生の縁
先週の水曜日。
東京へ行ったので、昼飯のあとに、
東京藝術大学美術館でひらかれている
「The Art of Gaman」を観にゆく。
上野駅から歩いての行き帰り。
受付でお金を払おうとすると、無料とのこと。
置かれてあるガイドブックと展示品リストをもらってくる。

ガイドブックにメッセージが載っております。
日系三世のデルフィン・ヒラスナさんは、こうはじめておりました。

「私が、第二次世界大戦中に強制収容された日系アメリカ人の芸術作品に初めて興味を持ったのは、2000年に母親を亡くした後でした。ある日、両親の収納部屋を物色していた私は、隅の方でほこりをかぶった木製の宝石箱を見つけました。古びた品物の数々が集められた箱の中には、安全ピンの留め金がついた、小さな木製の鳥型ブローチが入っていました。私は、その箱の中身すべてが1940年代から引き継がれてきたものであることに衝撃を受けました。・・・・」

うん。出かけていってよかった。
東京展は12月9日まで、そのあと福島・仙台・沖縄・広島へと開催場所がうつるとあります。

ガイドブックの題は「尊厳の芸術展」とあります。
これじゃ、題名がおごそかで空疎な感じをうけて、言葉が浮いてしまいます。
それが残念な気がしました。

ああ、美術館というのは、こういうのを展示すると、俄然、地を踏みしめている気がしてくるのでした。


そのあとに家にかえってから、背中がゾクゾクとしてきて、
どうやら風邪気味。ノドもいがらっぽくなり、
ここ数日、早く寝るようにしておりました。
夜中にせき込みます。
空気が乾燥しているせいかなあ。

どなたさまも、お体たいせつに。
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