和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

李承晩ラインは忘れた頃にやってくる。

2018-05-31 | 短文紹介
「正論」7月号届く。
巻頭随筆が髙山正之「折節の記」。
そこに、この箇所。

「今度の米朝会談を前に、
ジョージタウン大のエリザベス・スタンリー准教授は
『朝鮮人たちは気が付くと端役に回っている』の
タイトルで寄稿し、他国を巻き込んではいつの間にか
舞台中央から消える狡い性格を指摘している。

その例に彼女が出しているのが昭和25年に始まった
朝鮮戦争だ。ソ連傀儡の金日成はスターリンの許可を貰って
6月25日未明、38度線を一気に侵攻して、
釜山に逃げた李承晩を日本海に追い落とす勢いだった。

米軍が出た。
日本人の知恵もあって仁川逆上陸が成功して形勢は逆転。
米軍は鴨緑江にまで達したが、今度は支那軍が出て
結局、米対支那の戦いになった。

その間、朝鮮人たちはさっさと端役に回り、
李承晩は李ラインを敷いて竹島を占領し
328隻の日本漁船を拿捕、漁船員44人を殺し、
約4千人を抑留、狭い牢に20人も詰め込んで虐待した。

李承晩は漁船員の釈放の条件として日本の
刑務に繋がれていた韓国人殺人犯など
472人の犯罪者を釈放、永住権を与えさせた。

戦争はよその国に任せ、
自分たちは舞台裏で身勝手な国益追及をやる。
スタンリー女史も
『二つの朝鮮は同じ仕掛けを今、懸命に企んでいる』
と見る。」(p37~38)


「日本は蚊帳の外、安倍外交の失敗だ、
このままでは孤立すると福山哲郎が騒いでいる。
・・・・・
福山は必死に日本を巻き込もうとする。
しかし日本人は彼の言葉には乗らないだろう。
だって歴史は何度も彼らと関わらない方が
ベストだと教えているから。」(~p39)


朝鮮戦争は
1950年6月~1953年7月まで。
李承晩ラインが敷かれたのは1952年。
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「僕は言葉が好きじゃない、最初から。」

2018-05-29 | 詩歌
大岡信と谷川俊太郎と。
二人が気になるので、

古本で
菅野昭正編「大岡信の詩と真実」(岩波書店)を買う。

そこに、
谷川俊太郎と三浦雅士の対談「詩人ふたり」
というのがありました。さっそくひらく。

三浦】 僕は大岡信と谷川俊太郎というお二人は、
とても似通っているところと非常に違っているところがあって、
その対比がたいへん興味深いと思っています。・・・

谷川】・・大岡も本当に字を書くのが嫌いじゃないんです。
俺、字を書くのが嫌いなんですよ。だからワープロが
出来た時は本当にうれしかった。大岡は生涯ワープロなんか
使わないっていう人で、使えるのはファックスだけっていう人だから。
見ていると大岡は手が器用ですよ。・・・・
 大岡の字、書が、僕は好きなんです。
若い頃のはがきなどを見るととても細かい字で書いてるでしょ。
大岡が字を書くのが好きだというのと同時に、
僕はその書いた字が好きだという両方なんです。
大岡はとにかく言葉が好きだけれど、
僕は言葉が好きじゃない、最初から。
何か言葉に疑問を持って、詩に疑問を持つ
ところからスタートするんですね。
だけど、大岡はそうじゃないなっていうのを
・・・ますます実感しました。
(p75~76)


思潮社の新選現代詩文庫108
「新選 大岡信詩集」は、積読本にありました。
まず、「詩人論・解説」のページをひらくと
吉田健一氏が「大岡信『悲歌と祝祷』」と
題して書いている。
うん。読んで、はじめて大岡信の詩は
こう読むんだとわかる。
詩よりも詩の解説からわかるという私の悪い癖(笑)。

さてっと、この「新選 大岡信詩集」には
長い題の詩がありました。
その題というのは、
「初秋午前五時白い器の前にたたずみ
谷川俊太郎を思つてうたふ述懐の唄」。

そこから、この箇所を引用。

 君のことなら
 何度でも語れると思ふよ おれは
 どんなに醜くゆがんだ日にも
 君のうたを眼で逐ふと
 涼しい穴がぽかりとあいた
 牧草地の雨が
 糞を静かに洗ふのが君のうたさ

 おれは涼しい穴を抜けて
 イツスンサキハ闇ダ といふ
 君の思想の呟きの泡を
 ぱちんぷちんとつぶしながら
 気がつくと 雲のへりに坐つてゐるのだ
 坊さんめいた君のきれいな後頭部を
 なつかしく見つめてゐるのだ 
 ぱちん・・・・
 ぱちん・・・・


  ・・・・・・・


 だからおれは
 君のことなら何度でも語れると思ふ
 人間のうちなる波への
 たえまない接近も
 星雲への距離を少しもちぢめやしないが
 おとし穴ならいつぱいあるさ
 墜落する気絶のときを
 はかるのがおれの批評 おれの遊び


長い詩の三分の一を引用してみました。
へ~。こんな詩があったのだ。
と思いながら。
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ほかならぬ韓国なんですよ。

2018-05-28 | 本棚並べ
雑誌WILL7月号の対談。
髙山正之氏と石平氏。

対談は、朝鮮歴史への招待。
なるほどと、一読のお薦め。

たとえば、朝鮮戦争。

石平】 ・・北朝鮮の金日成が、
韓国に攻め込んだのがそもそもの始まりだけど、
時の大統領、李承晩がアメリカに泣きつき、
アメリカは国連の決議に基づいて軍を派遣しました。
それによって北朝鮮を撃退するわけですが、
次に北朝鮮は毛沢東のところに泣きつき、
中国は北朝鮮の要請に応じて軍を派遣する。

韓国と北朝鮮がお互いに戦ったのは、
せいぜい数カ月、あとの三年間は
国連軍と中国軍の争いなんですよ。

髙山】 その通り。
朝鮮人はいつの間にか傍観者になっている。

石平】 中国軍だけでも百万人以上の死傷者です。
しかも、李承晩は戦争そっちのけで、
国内の政治闘争に明け暮れていました。
金日成も内ゲバ状態。
本当に致し方がない(苦笑)。

髙山】 北朝鮮が攻め込んできたとき、
李承晩は釜山へ一目散に逃げていった。
そして、山口県に六万人規模の人間が
収容できる亡命政府をつくろうとした。
そのとき、山口県は丁重に断った。
あんなの入れたら大変なことになっていた。

・・・・・・・・・・

髙山】 朝鮮は常に拱手傍観(きょうしゅぼうかん)
しているだけで、漁夫の利を得ている。
いやあ、すごいところだ。

石平】 三年間の戦争で国連軍と中国軍は
戦争にうんざりして、終戦に持ち込もうとした。
北朝鮮も条件を呑もうとしたのですが、
一国だけ戦争を続けようと主張したところがある。
どこだと思いますか?
ほかならぬ韓国なんですよ。

髙山】 一番血を流していないじゃないか。

石平】 だから、今でも朝鮮戦争は休戦状態で、
終戦状態ではない。・・・・(p102~104)


これは新刊の
石平著「結論!朝鮮半島に関わってはいけない」
(飛鳥新社)にあわせての対談のようです。
うん。単行本を買うことにします。

飛鳥新社、ガンバレ。
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テレビ画像感覚と、外交感覚。

2018-05-27 | 産経新聞
雑誌WILL7月号に
産経新聞論説委員の阿比留瑠比氏が
書いております。すこし引用。


「たとえば、立憲民主党の
辻元清美国対委員長の発言。

『大きな緊張緩和に向けて動き出している流れに、
安倍首相だけが『蚊帳の外』、日本政府だけが
置いてきぼりになっているのではないか』

その批判はまったく妥当ではありません。

そもそも、これまで外交らしい外交をしたことがない
金正恩が、どうして対話に乗り出してきたのか。
日本が主唱した経済制裁や圧力路線を、
トランプ大統領が採用し国際社会をリードしてきたからです。
オバマ前大統領の時には『戦略的忍耐』と言って何もせず、
北朝鮮を好き勝手にさせてしまったのですから。

つまり、日本の主張をアメリカが取り入れて、
そのまま動いているわけだから、
もうその時点で『蚊帳の外』ではない。

もう一つ、アメリカの北朝鮮政策は、
大部分がトランプ大統領と安倍首相が相談し、
『こうしよう』と共通の意思を持って進めているのです。

トランプ大統領は、米朝首脳会談を板門店で行おうとしていました。
しかし、安倍首相が『板門店だとどうしても北朝鮮のペースになるし、
日本のリエゾン(連絡調整係)も現地に派遣できないので反対だ。
シンガポールはどうか』と進言。結局、シンガポールに決定しました。

つまり、開催場所まで日本が主導しているわけです。
それを『蚊帳の外だ』と言うのは、
まったく意味不明ではありませんか。」(p70~71)

これが阿比留氏の文のはじまりの部分。
これからが、本題になるのですが、
それはそれ、雑誌で読んでください。
読まずに、辻元清美氏の発言を鵜呑みに
するなら、別に私が文句を言うこともありません。

そういえば、
雑誌WILL7月号は女性の花盛り。
ほかにも
「望月衣塑子(いそこ・東京新聞)記者の歪んだ正義感」
と題する文があるかと思うと、
山口敬之氏の
「望月氏は記者のフリした活動家か」
では、伊藤詩織氏が登場しております。

すっかり忘れておりましたが、
伊藤詩織氏に触れておられてありがたい。

「伊藤詩織という人物が、準強姦の被害に遭ったと主張し、
被害届を出したということは確かにファクトである。
そして東京地検が、ありとあらゆる証拠と証言を検証した結果、
『犯罪被害に遭った』という伊藤氏の主張を退けて
不起訴としたことも同様にファクトである。

さらに、伊藤氏が処分を不服として
検察審査会に訴えたものの、
一般国民から不作為に選ばれた11人の審査員が、
再度伊藤氏の主張を退け、不起訴妥当の結論を
出したこともまた動かすことのできないファクトである。

これにより、『犯罪被害に遭った』という伊藤氏の
主張が刑事事件として最終的に退けられ、
この件は完全に終結した。

ところが驚くべきことに、
望月(衣塑子)氏は講演の中で、
検察と検察審査会が出した結論を、
何の根拠も示さずにいとも簡単に
ひっくり返しているのである。」
(p233)

検索してたら、
月刊Hanada2017年12月号に
山口敬之氏の独占手記があったのでした。
題して『私を訴えた伊藤詩織さんへ』。
古雑誌をさがしてきて、読みました。
うん。読み甲斐がありました。
読めてよかった。
恥ずかしいことに、
私は伊藤詩織氏がテレビで
訴えた場面までで、映像がストップしておりました。
独占手記の方が、頭の中に
生き生きとした映像を結び、
あきらかに参考となります。


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現在、やる気のあるのは一人だけ。

2018-05-26 | 短文紹介
WILL7月号も届く。

う~ん。
HEADLINEという巻頭随筆に
日下公人の「繁栄のヒント」という連載。
そこから引用しておきます。


「・・・そもそも、官と政との争いは
明治維新以来いまだに続いている。
そこで最も大事なことは、
仕事から逃げるか、それとも
進んで引き受けるかということだ。
この問題は、今も昔も
『国家の根本を考える精神とやる気』
の問題である。

現在、やる気があるのは安倍首相一人だけで、
他はすべて自分の利益を考えていると思えばよく分かる。
自分の利益の中でも最も大きいものはテレビ映りで、
第二は自分のミスの書き換えである。

どちらも首相の仕事とは思えない。
野党とマスコミが火をつけただけである。

以上はあまりにも根本的な話なので・・・」(p30)

この連載コラム。今回は題して
『働いているのは安倍首相だけ』。

そういえば、同じ巻頭随筆で
門田隆将氏はこうはじめておりました。

「18連休という恥ずべき野党の『職場放棄』が
終ったのに、国家の行く末にかかわる問題が
国会で議論される兆しは、ほとんどない。」

門田氏の文の最後も引用しておきます。

「ことの『本質』を提示することさえできない
マスコミに惑わされず、賢明な議論を待ちたい。」
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圧倒的多数の言論人たち。

2018-05-25 | 道しるべ
月刊Hanada7月号が届く。

さっそく、小川榮太郎氏の文を読む。

「朝日新聞の開き直りの凄さ」(p48)

「この新聞社の狂乱の最中、
他のマスコミや圧倒的多数の言論人たちは
一体何をしていたのか。
そしていまなお、一体何をしているのか。

産経新聞を除く大手マスコミが、
朝日新聞の『疑惑の捏造』に対して
疑問視し、独自に検証し、厳しく窘(たしな)めた
例を私は寡聞にして知らない。

そしてまた、有識者、言論人と称する
無数の物書き諸氏もこの土俵に乗ってしまい、
土俵そのものの異常さを告発する声は僅かだ。」
(p48)


「世論への強大な影響力のある『嘘』に対して、
『それは「嘘」だ』と言い続けることが、
なぜ日本の言論人たちには
こんなにもできないのか。」(p49)


「内容はお笑いだが、事態は恐怖社会そのものだ。
どんな些事でもナンセンスな言いがかりでも、
マスコミがニュースにすると決めれば大ニュースになり、
ターゲットとされた人間や組織は大打撃を被り、
誰もその被害を償うために立ち上がる人はなく、
社会もこの人身御供(ひとみごくう)を平然と見捨てる。
最大の人身御供は日本国民だ。

自分たちで選び、信任している政権を
ここまで妨害されていながら、
多数の国民は妨害されている事実さえ知らない。」
(p54)


ちなみに、小川榮太郎氏の文のはじまりは、
朝日新聞の論説委員、高橋純子氏による
『政治断簡』の一節(2018年5月13日付)の引用。

小川榮太郎氏は、この論説委員の文を

『ここまで悪臭漂う文章も珍しい。』
(p44~45)

うん。この高橋純子氏のコラムだけでも、私は、
朝日新聞の論説委員の文章として参考にします。

『悪臭漂う』高橋純子氏の文。
『朝日新聞の開き直りの凄さ』。

この『凄さ』。公称六百万部の発行部数なら怖くない。
朝日新聞『見出し』で繰り返される刷り込みの職人技。
『開き直りの凄さ』という土俵の異常さに、
君は指摘されても気づかないふりの恐怖社会。

小川榮太郎氏の文は、題して
「日本は今、『お笑い恐怖社会』」。
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「よし、やるべえ」

2018-05-24 | 詩歌
伊達得夫著「詩人たち ユリイカ抄」(平凡社ライブラリー)。
これを、古本で購入。解説は大岡信。
本文には、谷川俊太郎についての短文もある。
その短文は、まるで四コマ漫画を、
言葉だけで表現している鮮やかさ。
その四コマ漫画風なのが「谷川俊太郎のこと」(p131~132)。
ちなみに「売れない本の作り方」(p116~120)では、
谷川俊太郎ならぬ、谷底落太郎という詩人が登場しており、
こちらは、出版屋が詩集を作ることに関して、

「詩の本は売れない、というのが、一般の常識です。
だから、出版屋は詩集を作る場合、反動的にか、ヤケになってか、
いよいよ売れないような本に作りがちなものであります。
それはすでにわが国における詩集出版の伝統的な傾向となっています。
・・・で、ぼくは考えます。詩の本は売れない、と言い切る前に、
『詩集』というものに対して持つ造本上の偏見を、
出版屋がまず捨てること・・・・」(p119~120)

解説を読んでから、チラリとこんな箇所をめくっていたら、
いつのまにか、パラパラと全文を読みはじめておりました。

うん。ここを引用しておきます。
それは「ふりだしの日々」という章にありました。

「『書肆ユリイカ』は足かけ四年を経ていたが、
売れたのは『二十歳のエチュード』だけであった。・・・・
ある日、ぼくの高校時代の同級生で、
女学校の教師をしている詩人那珂太郎を訪ねて言った。

『おれは出版をやめようと思うんだ。とってもつづかねえや』

『そうか、いよいよやめるか。
それじゃ最後におれの詩集を作らんか。
おれの詩集は生徒が買ってくれるからな。売れるぜ』

『よし、やるべえ』とぼくは答えた。

濃紺の函に入った純白の詩集『ETUDES』は果たして
かれの言葉通り教え子たちの手によって売り切れた。
『中村真一郎のところに詩集持って行ったらな、
おれもこんな詩集作りたいから頼んでくれって言ってたぜ』
那珂は自分の詩集を先輩詩人たちに寄贈していた
・・・・・
『中村真一郎詩集』と前後してぼくは中村稔詩集『無言歌』
も発行していた。この両中村の詩集は好評で
新聞や雑誌に書評が現われたが、そのころから
ぼくは次から次へと詩集の発行を依頼されることになった。
自費出版もあったし、そうでないものもあった。
ぼくははじめて
世の中には驚嘆すべく詩人の多いことを知った。
『出版をやめようと思うよ』などともらした日から
ぼくは続々とそれらの詩集を出版する羽目に
なろうとは思いもよらぬ仕儀であった。」
(p27~29)

せっかくなので、十年後の、
もう一箇所も引用。

「ぼくが手工芸めく詩書の出版をはじめて十年たっている。
・・・・十年このかた、『喫茶店だがバーだか』の二階の
うすぎたないオフィスで『ユリイカさーん』『はーい』と
いうような商売をつづけている・・
ぼくはすでに二百点に近い詩集を世に送って来た。
しかしその殆どがコマーシャリズムに載らなかった。
せいぜい五百部。最高で千部くらいしか売れていない。
・・・・しかし、アウト・サイダーには、やはり
アウト・サイダーらしい彩りはあるものだ。それは、
入れかわり立ちかわる若い詩人たちとのつき合いだ。
かれらは詩の話なぞ全くしない。こまごました
家庭的なナヤミから壮大な恋愛事件までが、
ぼくの前にうちあけられる。」(p110~111)

うん。
入れかわり立ちかわる若い詩人たちとの、
『ユリイカさーん』『はーい』の世界。
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「東大全共闘」の、他では聞けない世界。

2018-05-22 | 短文紹介
聞けないけど読める、現代史の世界。

佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬舎)の
なかに、東大安田講堂事件への経過報告の記載が
あります。辞典には載っていないかもしれない。
それじゃ、引用しておいてもよいかもしれない。

「東大安田講堂封鎖解除警備が行われた
1969(昭和44)年1月18日の前夜、
真っ先に東大から逃げ出したのは、
代々木(共産党)系の民青だった。
黄色のヘルメット、樫の鍬の柄で武装して、
1月10日には8000名はいた民青は、
『一年後の第二次安保反対闘争のため勢力を温存しよう』
として、本郷キャンパス教育学部の建物から撤退した。
あとには黄ヘルひとつ、鍬の柄一本残さぬ、
実に統制のとれた転進だった。

これに次いで脱出したのが、
法文系一号館と二号館に籠城していた革マル派だった。
今でも続く中核と革マルの陰惨な内ゲバは、
この東大紛争の裏切りから始まった。

そして攻防戦の前夜、東大紛争の核ともいうべき
東大全共闘は、山本義隆議長を中心に会議を開き、
『七〇年闘争までの勢力の温存』を口実に
東大本郷キャンパスから、安田講堂から脱出したのだった。

念のため、東大安田講堂事件における逮捕学生の内訳を詳しく記すと、

 安田講堂に籠城していた極左過激派 377名
 この逮捕者のうち、東大生は    20名

 東大構内、工学部列品館、医学部など
 22か所に籠城していた全共闘    256名
 うち東大生は           18名

 合計逮捕者 633名中、 東大生 38名

東大生はわずか六%で、あとの九四%は
東大全共闘を助けようと全国からはせ参じた『外人部隊』だった。
外人部隊は最後まで愚直に戦い、逮捕され、
前述のごとく人生を大きく狂わせてしまった。
東大全共闘はその外人部隊を尻目に、
前夜『敵前逃亡』していたのである。

それゆえに七〇年闘争のあいだじゅう、
全共闘は『敵前逃亡』した東大全共闘を
『卑怯者』として軽蔑し、嫌悪し続けた。

仙谷由人氏が所属するフロントは、
安田講堂の立てこもりには参加せず、
後方支援や法廷闘争を手伝っていた。

報道によれば、すでに在学中に
司法試験に合格していた仙谷氏は、
同志たちから『弁護士になって、自分たちが
逮捕されたときの救援対策をやってほしい』
と言われたという。

1971(昭和46)年、25歳で弁護士となった仙谷氏は、
極左過激派の学生たちの弁護士として、
第五機動隊庁舎ピース缶爆弾事件の被疑者を
全員無罪にするなど辣腕を振るい、
一躍極左過激派の『守護神(ガーディアン・エンジェル)』
となった。弁護士時代は日教組など労組に
関連する案件や事件に携わり、
1990(平成2)年の衆議院選に
社会党から立候補して当選している。」
(p128~129)

うん。素人にも分かりやすい記述となっております。
気になる方は本文を直接ご覧ください。





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誰もがビビった時代。

2018-05-21 | 産経新聞
「報道裁判」として身近な三冊。

佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬舎)
髙山正之「渡部昇一の世界史最終講義」(飛鳥新社)
小川榮太郎著「徹底検証『森友・加計事件』
 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」(飛鳥新社)

ちょうど、
佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」を
本棚からとりだしたので、
その頃が思い出されます。

佐々氏のまえがきには
当時の状況が、書かれております。

「2009(平成21)年の総選挙では・・
民主党に投票して306議席を与えたのだった。
しかし、民主党はこの国民の期待を裏切った。
それは詐欺に等しい。・・・
『民主党は日本を滅ぼす』として信念を貫いた
平沼糾夫氏の姿勢の正しさを、私は高く評価する。」
(p6~8)

本文の中からも引用。

「相次いだ失言の中でも、きわめつきが
仙谷前官房長官による『自衛隊は暴力装置』という
発言だった。・・参院予算委員会で、防衛省の関連行事の
来賓に政治的発言を控えるよう求める事務次官通達が
言論統制ではないのかという、自民党の世耕幹事長代理の
質問に対する答弁として、この大暴言を吐いたのだ。
・・すぐ撤回し『実力組織』と訂正し、
『自衛隊の皆さん方には謝罪をいたします』と陳謝したが、
その際『法律上の用語としては不適当だった』と妙な弁明を
した。『法律用語』?『法律上の用語』というのもおかしな話である。
場所は参院予算委員会の席上であって、法廷ではない。
『政治用語』での失言である。・・
仙谷氏は練達の人権弁護士で法律通かと思っていたら、
内閣法、国家行政組織法、国会公務員法など行政法に疎く、
組織運用、指揮命令、情報の取り扱いはまったく未経験、
国際感覚、外交知識を欠いた全共闘あがりの権力主義者だった。
仙谷氏は海上保安庁のことも、『武力を持った集団』と呼んだ。」
(p111~112)

本文の最後の方も引用。

「どういうわけか、日本に国家危機管理上の
大事件・大事故が起きるときには、
平和主義者(パシフィスト)で、市民派で、
弱くて、不決断で、ときとして無為無策で無能な、
左翼かリベラルな内閣総理大臣が官邸にいるのだ。
・・・・1995(平成7)年、阪神大震災、
オウム真理教地下鉄サリン事件が起きたときには、
なぜ、好々爺で人柄がよいが社会党の村山富市氏が
内閣総理大臣なのか。・・・・
そして今、この日本沈没の危機に、
元極左過激派で総括を済ませていない全共闘の市民派で、
治安・防衛・外交を後回しにする、およそ
危機管理に向かない菅直人氏が総理大臣である。
さらに、2010年、一連の尖閣・ビデオ流出事件で
およそ日本の国益に反する言動ばかり取り続けた
中心人物が東大安田講堂攻防戦で後方支援部隊として
参加して、極左過激派学生たちの守護神として
辣腕を振るった人権派弁護士である仙谷由人前官房長官である。
アジテーターではあってもリーダーシップに欠ける総理と、
権力主義者で官房長官という組み合わせであった。」
(p207~208)


裁判ということで、
思い浮かんだのが
髙山正之『渡部昇一の世界史最終講義』(飛鳥新社)。

そこに「共産党に叩かれると、誰もがビビった時代」
を振り返っておられます。


渡部】 産経新聞に、日本人は感謝
しなければいけないと思うのは、
共産党と裁判で争って勝ったことです。
昭和48(1972)年12月、自民党が日経と産経に
意見広告を出し、日本共産党が翌年の参議院選挙に
向けて掲げた『民主連合政府綱領案』と党綱領との
矛盾を批判しました。
共産党は猛烈に反発し、名誉毀損と反論の
無料掲載を求める仮処分を東京地裁に申請しました。
全国紙に全7段抜きの謝罪広告を出せ、
仮処分が出ても謝罪しないなら、
1日につき30万円の罰金を取るという内容です。
これは却下されましたが、
日経新聞は謝罪しました。

共産党に叩かれると、誰もがビビった時代です。
しかし学習院大学教授だった香山健一さんが本気になって、
産経新聞社に共産党と専門に戦う一室を作り、
ついに裁判に勝った。それ以降、
共産党がマスコミを脅かすことができなくなりました。
私は、言論人が共産党から邪魔されなくなった意義の
大きさを、身をもって感じたものです。」
(p175~176)

裁判で現在進行形なのが、
小川榮太郎著
「徹底検証『森友・加計事件』
朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪」(飛鳥新社)。

うん。こちらの本は、
裁判中なので、各新聞での広告は載らない。
ですが、本はあり、読もうとすれば読めます。

こちらは、現在進行形で
「私は、言論人が朝日新聞から邪魔されなくなった意義の
大きさを、身をもって感じたものです。」
と言えるかどうかの、大事な訴訟です。

「朝日新聞に叩かれると、だれもがビビった時代」
に幕をひくための、大事な訴訟です。

そうNHKもマスコミも、取り上げない訴訟ですが、
NHKもマスコミも、黙っていても注目の訴訟です。




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震災は、忘れた頃に菅直人。

2018-05-19 | 産経新聞
5月19日産経新聞一面コラム「産経抄」の
はじまりは、

「『私の知る限り歴代自民党総理で安倍総理が最悪です』。
菅直人元首相(立憲民主党最高顧問)が14日付の自身の
ブログで安倍晋三首相について、こうこきおろした・・・」

このコラムの前半部分を、もうすこし引用。

「『あなたがそれを言うのか』という反応が目立つ。
菅氏というと、首相在任中に起きた東日本大震災での
『震災処理の不手際』や『復興計画の立案と実行の遅れ』が、
高校歴史教科書にも記載された特異な存在である。
尖閣諸島沖での中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした際、
超法規的に中国人船長を釈放したことも忘れ難い。
8人の衆参両院議員を支えたベテラン政策秘書、朝倉秀雄さんの
著書『戦後総理の査定ファイル』は、戦後歴代首相31人を
『能力』『資質』『手腕』など5項目にわたりチェックし、
採点している。結論から言えば菅氏は歴代最低の計25点だった。」


うん。このくらいの引用でやめときます。

さてっと、思い出したので本棚から
佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」(幻冬舎)を取り出す。

「左翼の体質」として、佐々氏はこう指摘しております。

「左翼人士は、他者を批判するときは容赦なく徹底して攻撃し、
恫喝まがいに責め立てる。しかし、自分たちに対する批判には
非常に過敏な反応を見せる。これは左翼の体質として特徴的だ。」
(p137)

「『言論の自由』を主張するのは、『右』よりも『左』の
リベラルな党派だと思われがちだが、
権力を得たときに徹底的な言論統制に走るのは左翼政権と
相場が決まっている。本質的に『自分たちと相容れない考え方』
を排除するからだ。」(p135)

そうでした。
菅直人については、学生時代までも登場しております。

「私は、学生時代の菅直人氏をよく知っている。
菅直人総理も、あの第二次反安保闘争の学園紛争花盛りの当時、
バリケード封鎖された東京工業大学の輝ける闘争委員長だった。
・・東工大学生たちを反安保闘争にかり立てる名アジテーター
であったことは間違いない。・・・・
加藤学長は、『あの菅という学生には手を焼いております。
彼がアジ演説をすると、すぐ500人くらい集まって騒ぐので
困っております』と、窮状を私に訴えていた。」(p1409

そして、デモの四列目で検挙をすべて逃げおおせる。
『四列目の男』として名を馳せたことが記載されております。


なぜ、あらためて菅直人氏なのか。
というのが、次の疑問なのですが、

「震災は、忘れたころの菅直人」。


新潮45の6月号が発売となりました。
そこに掲載されている
堤堯氏の文のはじまり。

「もはやこれは集団ヒステリーというしかない。
野党とメディアが寄ってたかってする安倍叩きだ。
モリ・カケ・日報の三点セットを掲げて
『安倍は退陣しろ』の大合唱。
狂気は伝染する。街を歩けば
『私たちは安倍政治に反対します』と
書いたタックをハンドバッグにぶら下げた
女性らを見かける。
ウチの嫁が友人に言われた。
『貴方のお義父さん、なぜ安倍の見方をするの?』
なじられるように言われて返答に詰まったという。」

うん。菅直人総理の場合はどうだったか?

「国民の大きな人気を得ることで、
市民運動家からのし上がってきた菅直人氏にして、
『支持率1%になっても総理は辞めない』とは、
なんという民意無視の暴言なのだろうか。
有権者を愚弄するにもほどがある。」
(佐々淳行著「彼らが日本を滅ぼす」p145)

うん。あの頃にも
「私たちは菅直人総理に反対します」と、
菅叩きに熱狂していた方々だったのなら、
それなりに、スジを通しているわけで、
こちらは、何もいうことはありません。

そうそう。
堤氏の文のはじまりだけじゃいけませんね。
もったいないけど、真ん中をはしょって、
堤氏の文の最後を引用しておきます。

「第二次安倍政権の発足から約五年。
その間、各国首脳は交代した。
いまやG7で残っているのは、
安倍とメルケルだけだ。
新参のメイ、マクロン、トランプらは
何かと安倍に助言を求めて来る。
いまや安倍は国際政治のキープレーヤーだ。
こんな芸当の出来る者が、
安倍に代わって他に誰がいる?
米朝首脳会談が行われれば、
日本にとって一番困る事態は、
トランプが北の核保有を認め、
その代償に米国本土に届く
ICBMの開発中止で妥協することだ。
その種の議論がすでにアメリカでは出ている。
そうはさせないとトランプの尻を叩いているのが
安倍首相だ。米朝会談次第で日本の命運が来まる。
この大事なときに『安倍退陣』を叫ぶ輩は
〇〇というしかない。
古代ローマの諺にも
『川を渡る途中で馬を代えるな』
とあるではないか。」(p27)


はい。雑誌「新潮45」6月号に
堤堯氏の文は、p21~27までの7頁。
立ち読みで、全文をご覧になれます。
この文の内容が一人でも多くの方に、
届きますように。どうか、ご一読を。

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「解釈魔」であった詩人の鑑識眼。

2018-05-18 | 短文紹介
注文してあった
ユリイカ平成29年7月臨時増刊号
「大岡信の世界 1931-2017」。
編集後記には
「本誌は4月5日に逝去した大岡信さんの
追悼特集として編まれた。」とあります。

キーワードとして
「道元」「正法眼蔵」という言葉が
この追悼号のどこかにあるかなと、
思いながら、辞書で言葉を探すように
パラパラとめくるのですが、
この言葉は見つからなかった。

しいていえば、
こんな箇所でしょうか?

「歌謡・和讃の形式による仏教思想の
表出はとりわけそのような様相を
つよく備えている。」(p209)

うん。正法眼蔵という言葉は見つからない
追悼号でしたが、大岡信という山への
登山道への道案内地図はありました。
ありがたいことに、
中西恭子氏の文によってなら、
大岡信著「日本の古典詩歌」(全六巻)に
チャレンジできそうな気がしてきました。

はい。ポツポツと大岡氏の著作は、
本棚に散見しているのですが、
いままで、食わず嫌いで通しておりました。
谷川俊太郎との関係から読めそうな気がするし。
もちろん、正法眼蔵という芝生に寝そべってみたい
気にもなってきました。


そうそう。中西恭子氏の文に『解釈魔』と
ありましたので、その近辺を引用しておきます。

「『折々のうた』は1979年1月25日から2007年3月27日に
及ぶ長期連載となった。物心ついたときには、
気づいたときには『折々のうた』がすでに
日常の一部であったと回想する読者も多いことだろう。
形式の古典詩歌と近現代詩歌が有名無名を問わず、
作者が明らかな作品も、詠み人知らず作例もともに、
日刊全国紙で日々180字のコラムとなって紹介される。
『解釈魔』であった詩人の鑑識眼によって
よりぬかれた詩と示唆的な評釈が。
日常と生活に新鮮な風を吹き込む。
読者は選者を意識して読むとは限らない。
選者はときに黒子に徹していると
読者には感じられることもあるだろう。
日々詩歌と読者が出会う稀有な『うたげと孤心』の
場が開かれたのである。・・・」(p211)

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放蕩息子の帰郷。

2018-05-17 | 詩歌
青土社「大岡信著作集」第七巻は、
「蕩児の家系」「現代詩人論」他が入った一冊。

うん。谷川俊太郎理解に欠かせない一冊。

「現代詩人論」には、谷川俊太郎があり。
ほかに、谷川俊太郎小論も載っています。

うん。ここでは
『蕩児の家系』あとがきから引用。

「蕩児の家系という題名は、いうまでもなく、
『蕩児の帰郷』という例の物語に由来する。・・
近代日本における新しい詩的表現は、
いわゆる近代詩・現代詩という形をとって
歴史をきざんできたが、短歌、俳句、あるいは
文語定型詩という旧家からとびだした放蕩息子である
口語自由詩の足跡を、ぼくなりの観点から追跡し、
再構成してみようとしたのが、
この本のおおよその成りたちである。
言う必要もないことだろうが、
蕩児の家系といい、帰郷といい、
かつての旧家への復帰を意味しているのでは毛頭ない。
放蕩息子は放蕩息子の天地を見出すであろう。
その、新しい天地こそ、放蕩息子の帰郷する天地である。
それはどのような場所なのか、
それをぼくは考えてみたかった。」(p506)


ひとつ、困るのは(笑)。
谷川俊太郎の詩よりも、
この詩論のゾクゾク感。
詩よりも詩論の面白さ。

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人間ばなれをした。

2018-05-16 | 詩歌
河合隼雄対談集「あなたが子どもだったころ」(楡出版)。
ここに、谷川俊太郎氏との対談がありまして、
それが印象深く、後々尾を引いてしまいます。

対談には、対談相手の名前の脇に、
副題のように、短いコメントがありました。
「谷川俊太郎」の脇には、
「人間ばなれをした孤独を知る人」。

う~ん。たとえば、こんな箇所でしょうか。

「うちは、父が直接ぼくに、泣くなとか、
男らしくとかって全然いわない家庭だったから、
そういうしめつけはなくて割と心おきなく
泣けたことは泣けたんだけど、
自分だって嫌なんですよね。
なんか情けなくてね。」(p66)

お母さんとの小さい頃のやりとりも
印象深いものでした。

「ぼくは独りっ子で、母親っ子なんだけども、
割と生意気な子だったんです。
小学校三年生ぐらいだったと思うけど、
ある日、母と病院へ行ったんです。
体が弱くってしょっちゅう病院へ行ってたんだけど、
そのとき、診察された後で、
母が先生に話を聞いている間に、
診察室の中を歩き回って、看護婦さんに、
この器具は何のために使うのかとか、
何かそういう質問をしたらしいんですね。
その帰りの電車の中だったと思うんだけど、
母親がもう烈火のごとくぼくに怒ったわけね。
つまり、生意気だっていうんですよ。
こまっしゃくれていて・・・」

このあとに、
実例が登場しておりました。


河合】 お母さんのその怒りもちょっと
わかる気がしますけどね(笑)。

谷川】 ええ。今になるとよくわかるんです。
この間も、ぼくが小学校一年生のときに父と
一緒に写っている読売新聞のコピーを持って
きてくれた人がいて、家庭訪問みたいな
記事なんだけど、もうギョッとしちゃった。

河合】 写真じゃなくて記事の内容ですか?

谷川】 そうなんです。・・・・
ぼくがね、母と記者が話しているときに
客間に出てって、そこにあった瀬戸物に対して、
『お母さま、これは元禄時代の焼き物でしょう』
っていうの(笑)。

河合】 ええっ(笑)。

谷川】 そうすると母はね、
『違うわよ。これは朝鮮の物よ』っていうの。
と、ぼくはね、
『朝鮮でも時代は元禄でしょう』(笑)。
もうこれは慄然としたね。
そういう下地があったから、
母はそこでもうドカンと怒ったんだと思いますね。

河合】 その元禄の会話も載っているんですか。

谷川】 載っているんですよ(笑)。
ぼく、自分の子がそうだったら、
やっぱり張り飛ばすかなんかすると思う(笑)。


この対談は以前にも
私は読んだことがあったらしく(笑)。
ちゃんと線がひいてあるのですが、
この箇所ではなかったのでした。
いろいろと考えさせられる対談で、
忘れなければ、また再読したくなります。


そいういえば、思い出した本があります。
児童図書の分類になるのでしょうか。
岩崎書店「美しい日本の詩歌」(1995年)。
その⑥は、谷川俊太郎詩集。
その解説は、北川幸比古氏でした。
102ページの短い本文を七部に詩をわけて
おりまして、その第六部について、
北川氏はこう書いておられます。

「第六部『ひとり』には、
ばるん舎、三輪暁子が出した、
『ぼくは ひとりで いるのが すき』
とはじまる編者愛蔵の絵本『ひとり』の全文を入れた。
学校でこういう本を使うようになるかもしれないと
本気で思う。私は大学の教室で毎年のように
この絵本を学生に読む。
こういう子が学校にいるのである。
しだいにふえて、多数派になるのだろう。」
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表現の行き方。

2018-05-15 | 詩歌
気になったので古本を注文。
エナジー対話・第八号
「批評の生理 大岡信×谷川俊太郎」(昭和52年発行)。
それが、今日届く。

谷川俊太郎の詩について

「去年の秋、谷川が『定義』という詩集と
『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』
という詩集を、二冊同時に別々の出版社から出した。」

と大岡さんが語りながら、この二冊の詩集について
話がはじまるのでした。
全部を読むのは、めんどうなので(笑)。
パラパラめくっていると、こんな箇所があります。

大岡さんの語りのなかに、こうあります。

「道元の『正法眼蔵』などを読んでいると、
例えば人間が無数にいるってことを
『三々五々』とか、まあそういう限定された数字で
表現している。無限というようなことはいわずに
無限大を捉える一種独特の表現法なんだな。

谷川の『定義』にはちょっとそれに似た
方向があるようにも思う。
非常に簡潔に言えばいえるようなことも、
二十行ぐらい使って言ったりしている。
それは谷川流の『三々五々』のやり方かもしれない。

谷川の表現の行き方には、
道元的な行き方と似たところがあるのじゃないかな。」
(p64)

うん。ここまでにしておきます(笑)。

なあ~んだ。両者には、
もう道元が対話のなかに登場していたのか(笑)。

うん。でも、谷川俊太郎の詩に
道元をもってくる大岡信のセンス。
私は、そこに興味がもてるので、
ここからなら、道元と
そして、大岡信を読んでいけそうな気がしてきた。



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正法眼蔵 縁ふかく いたる所に めぐりあう。

2018-05-14 | 古典
大岡信の「日本の古典詩歌」
(岩波書店・5巻+別巻)がありました。
はい。いつかは読もうと思いながら
本棚でホコリをかぶっている(笑)。

それはそうと、
大岡信の「日本の古典詩歌」の
別巻を、今回はとりあげます。
そのあとがきをひらくと、こうあります。

「本巻についていえば、実はこの選集では
『別巻』という巻立てなのだが、・・・・
本巻こそ、私の・・・最も自由に自分の考え方を
のべることができた文章が集められている巻だと
いうことができるかもしれない。」(p425)

この前には、こうありました。


「・・・・若いころから、
本当はまるでわかってはいないかもしれないのに、
一人合点と疑問の往復運動を重ねつつ読んできた
日本仏教の巨人たち、とりわけ道元の『正法眼蔵』
のような謎の一大団塊については、
自分で何かそれにふれたことを書いてはみても、
一向にぴたりと決まったことを書くことはできずにいる。

けれども、『正法眼蔵』を毎日々々新聞社への
通勤電車の中で立ち読みするような日々を重ねたとき、
私をとらえていたあの魅力と磁気は、
それから数十年を経た今でも私の中に生きていて、
結局その魅力の大きな部分は道元の用いる言葉、
つまりは日本語というものの畏るべき威力にあったと、
これは昔も思っていたが、
今はますます、そのように思っている。」(p424~)


ちなみに、この別巻のはじまりの文には
こんな箇所があるのでした。

「・・私は『正法眼蔵』は日本語の表現の観点からすると、
まぎれもなく最もすぐれた文学的言語構造体のひとつだと思っています」
(p4)


このくらいにして、
谷川俊太郎の父・谷川徹三に「道元」と題する文が
ありました。その初めの方にこんな箇所

「私は道元を語る資格をもつ者とは自ら思っていない。
私は道元の教えを奉ずる者でないばかりか、
道元の教えに常に違背しているだらしない生活者である。
しかし、もう永い間、折があると『正法眼蔵』を、
ひとりで勝手に読んでいる。・・・」


うん。大岡信と谷川徹三と二人の『正法眼蔵』に
ふれたところで、ここで、最後に、
谷川俊太郎の『芝生』に思いを馳せることにしたいのでした。

それは詩集『夜中に台所でぼくはきみに話かけたかった』の
はじまりの詩でした。詩全文を引用。


   芝生

 そして私はいつか
 どこかから来て
 不意にこの芝生の上に立っていた
 なすべきことはすべて
 私の細胞が記憶していた
 だから私は人間の形をし
 幸せについて語りさえしたのだ


うん。私はこの『芝生の上に』というのは
谷川徹三の上にということだと思うわけです。
そしてそれは、道元の芝生なんじゃないかと、
思ったりします。



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