杉本秀太郎の「夏涼の法」を探すと、
あんがいに、簡単に見つかりました。
杉本秀太郎著「洛中生息」(みすず書房・1976年)。
目次では、第4章「心象風景」にはいっておりました。
はい。「夏涼の法」は、はじめて読みます。
といっても、4ページほどです。ありがたい。
大阪生まれで京都びいきの友人との話が出てきます。
その友人は「冷暖房自在の家を、京都の南郊に建て」たのでした。
そのルームクーラーの友人が、杉本さんに語りかける場面でした。
「――やっぱり夏はああ暑う、あついなあ、いうて、
なんにもせんと、ひっくり返ってるのがええわ。
夏は暑がっているのが文化いうもんや。君がうらやましいわ。
クーラーを使ってはいない私の苦笑もかまわず、彼はつづけて、
東京の文化人のように別荘避暑地というものをもつ習慣のない
ことを京都人の長所として指摘し、別荘避暑地代りに工夫された
町なかの夏の年中行事を称賛するのであった。
七月の、ほとんど一箇月つづく祇園祭、
土用丑の日の上賀茂みたらし参り、
六道さん、五山の送り火、地蔵参り、等々。 」(p199 単行本)
これに同感する杉本さんは、考えます。
「 もともと京都人の夏涼の法は、
霊(たま)の信仰行事に托した遊楽によって暑さを忘れる法か、
さもなければ、一種の見立ての方式にもとづいているのだ。
・・・・ 」
うん。短い文のなかに、あれこれ詰まっているのでカット。
それでも、なけなしの京都の夏の長所も、あげております。
「 昼のあいだが耐えがたく暑くても、
日が落ちて、夕闇が深まるにつれ、
京都の市中には、北の山地から
涼しい空気が流れこんでくる。
これが救いである。 」
うん。私には分かったようで分からない。
分からないようで、分かったようなチンプンカンプン。
そう思いながら、ページを閉じ、単行本の表紙を見る。
表紙のカバーには、祭りの装束姿なのでしょうか
『棒振り』(明治初期 四條派の画師 村瀬玉田 画)。
そのカバーをとってみると、表紙には
『大原女』(「浅井忠図案集」より)がニッコリ。
見返は、「京町絵図細見大成(天保2年7月)より」
建仁寺と川をはさんで京町のゴチャゴチャ絵図。
扉には、「祇園囃子の譜帖より」とあり、
譜帖にカタカナが読める。
「ヨヲイ トントコトントコトン トコトントコトン
ソコジャ ソレ テテ ・・・・」
うん。なにやら七月の祇園祭に町屋に招かれて、
祇園囃子の練習の音でも、もれ聞いている気分。
これって、装幀による一種の見立てなのかなあ。