和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

貴重な、切実な。

2020-09-30 | 本棚並べ
忘れられない箇所がありました。

「源氏物語に『あはれ』の語の多いに対し、
枕草子に『をかし』の語が多いのも、
両者の特質をよく示すものである。」
(p67 伊藤正雄・足立巻一著「要説日本文学史」現代教養文庫)

ということで、枕草子の『をかし』について
思い浮かんだ本があります。

織田正吉著「笑いとユーモア」(ちくま文庫)の
文庫解説は田辺聖子。

田辺聖子さんの、その解説から引用。

「私たち人間族は、『笑い』が大好きであるが、
それでいて、『笑い』の種類をごちゃごちゃに
していることが多い。本書は明快に鋭く『笑い』を区分する。
笑いには三種類あること。

 人を刺す笑い(ウィット)
 人をたのしませる笑い(コミック)
 人を救う笑い(ユーモア)

ーーこの分析によって私たちは、日頃、人生で、
笑いながら何となくあと味わるい思いをさせられたことや、
笑いながら後めたく思ったことの原因を知らされる。」(p311)

はい。田辺聖子さんの解説は4頁なんですが、
その最後を引用しておかなければなりません。

「いま『笑い』はたいそう貴重な、切実な、人間の必需品に
なっている。ストレス過重の現代、身心不調の人々は生き悩み、
笑いを忘れる。この本は『笑い』についてさまざまの考察の
しるべとなるとともに、われわれの生きる姿勢のヒントとも
なるであろう。」(p313)

ちなみに、この本は1979年に単行本。
1986年に文庫化されております。
そうそう。織田正吉氏には筑摩書房から
「日本のユーモア」という3巻本があり、
その②「古典・説話篇」に15ページほどの
スペースをとって枕草子をとりあげております。

はい。本棚を整理していたら、
読み直そうとして、すっかり忘れていた本が
枕草子つながりで結びついたのでした。


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「あわれ」に対し「をかし」。

2020-09-29 | 本棚並べ
現代教養文庫の「要説日本文学史」(1977年)は、
伊藤正雄・足立巻一著とあります。

ひらけば、枕草子をとりあげた箇所が、短いながら、
印象深いのでした。

「わが国随筆の祖『枕草子』」と指摘されております。
はい。短い2頁ほどの文をさらに短く引用します。

「枕草子は約300段に分かれ、日常の見聞や随時の感想を
雑然と記したものである。作者は、気を負い才に誇る勝気の女性であった。
同性の儕輩(せいはい)について語ることきわめてまれで、
凡庸の男性もこれを揶揄して憚らなかった。
堂々たる男子をして後(しり)へに瞠若(どうじゃく)たらしめるところ、
本書はあたかも作者の自讃録(じさんろく)たる観さえある。

本書の生命は、
犀利な観察と、鋭敏な感覚と、縦横の機知とに存する。
四季自然の描写のごとき、いかにも着眼が清新で、
微妙な詩趣を随所に捉えている。
人事に対する観察もまた奇警で、事件を長編の物語に
構成するような組織的手腕には欠けていたが、
刹那の印象を把握する感覚と機知の閃きとにおいては、
まれにみる天才であった。

『何々なるもの』という「ものは尽し」の段のごときは、
最も作者の素質を発揮した独擅場(どくせんじょう)であろう。

その文章は、よく漢文の特徴を咀嚼して、
完結奇勁(きけい)、長短錯落、変化の妙を備えて、
悠長な宮廷女流文学中に大きな異彩を放っている。

源氏物語に『あわれ』の語の多いに対し、
枕草子に『をかし』の語が多いのも、両者の特質をよく示すものである。
かれが人情の上より美を創造したのに対し、
これは感覚の上より美を発見したものともいえよう。

枕草子の後世文芸への影響は、源氏物語ほど大きくはないが、
『徒然草』以下の随筆を起こし、江戸時代の俳文などにも
少なからぬ関連をもっている。・・・・」(p66~67)

『よく漢文の特徴を咀嚼して』と本文にありますが、
その枕草子の魅力を語るに際して、難しい漢字をもってきて、
人間関係の微妙な深みを、簡略自在に示す手腕。
現在では望むこともできない文学史となっておりました。
読めてよかった。2頁で枕草子をまとめておられました。
そのあとに、例文として『憎きもの(24段)』と
『香炉峰(かうろほう)の雪(354段)』とを引用されて満足。

うん。これを読まなければ損するところでした。

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枕草子。宝塚。

2020-09-28 | 本棚並べ
世界文化社のグラフィック版「日本の古典」に
「枕草子 蜻蛉日記」(1976年)がありました。
枕草子の現代語訳は田辺聖子さん。

最後の方には、村井康彦氏と田辺聖子さんの対談
『後宮サロンと女房文学』があって、楽しめます。
そこから引用することに、

田辺】・・・定子(ていし)皇后のことは枕草子の
至るところでほめてありますが、女が女をほめるときは、
人生の好みとか嗜好とか趣味とかが一致していることのほかに、
美しくないとほめないんですね。女の人というのは。

村井】やっぱり女性と対談しているとわからぬことが多いね(笑)。

田辺】 ほめるだけでなくて、何か憧れの君みたいな感じで
書いているわけでしょう。だから、若いお嬢さんが
宝塚のスターに憧れるみたいに・・・・。

村井】なるほどね、私もいまその宝塚を連想していたんですけれど(笑)。

 ・・・・・・・

村井】やっぱりああいう女主人とそれに仕える女房たち
とでつくられる世界、これを後宮サロンというふうに言うなら、
道長時代にもより多くのそういうものがつくられたはずですけれども、
しかし、典型的な後宮サロンというんはやっぱり定子、清少納言を
中心としてとり結ばれた中関白家の、あの正暦年間のサロンだろうと
思いますね。彰子(しょうし)ではだめなんで、あの定子の存在と
いうのはやっぱりたいへんなものだと思いますよ。これは
大げさに言や、日本文学史の中でもね。

田辺】やっぱり定子がいてつくり上げた女房文学ということに
なるかもしれませんね。

  ・・・・・・

村井】そうですね、花だし、典型だと思います。
枕草子も理解は、いろいろあるでしょうけれども、
日付をもって書かれているようなのは女房日記ともいうべきもの
でしょうけれど、類聚(るいじゅう)的文章というんですか、
『ものはづけ』というんですか、ああいうふうなものにしても
どうなんでしょう、みんなが集まって話をする中で、
『すさまじきものは』というふうな一種のテーマを出す。
そうすると『いや、これは・・』『あれはこう・・』だとか
というふうな話で出された話題ではないか。つまり、
まさにサロン的な話題であり、それを文章にしたものがあの
『ものはづけ』じゃないかなというふうに思うんですけれどね。
ですから、随筆であるとかいうふうな言い方もされますけれども、
もとはといえば、そういう雰囲気の中で、場で、お互いに
しゃべられた話題じゃなかったんでしょうかね。

田辺】なるほど、そうするとやっぱりたくさんの英知を結集した
という部分もあるかもしれませんね。彼女だけじゃなくて。
いいお話伺って、よかったわ。だって、あんまり連想が激し過ぎてね。

これは一人の人が考えたんだったら天才だと思ったんですよ、
それは先生の話でよくわかりました。たぶんそうですよ(笑)。
もの書きの嫉妬です、やっぱりあんなに書けたらたいへんですよ。

『ありがたいきもの』に、『ものをよく抜くる毛抜』というのが
ありますでしょう。それからすぐパッと飛んで、
『舅によく思わるる婿の君』というのがありますね、たしか。
その飛躍というのがちょっと考えられない。

『むつかしげなるもの』のところに『ぬひ物の裏』『猫の耳』
というのは、これもまあ女から見てわかりそうですけれど、
『猫の耳』に飛躍するのは大変なことなんですよ。
私、いつもそういうふうな『ものはづけ』を読んだときに
劣等感を感じるの(笑)、これはうれしいなあ。


はい。こんな風にして対談はすすむのでした。
うん。読めてよかった。
って、枕草子は読んでいない癖してね。
でもね。枕草子とかけて、宝塚というのは、
これも、対話の妙でしょうか。

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本棚スペース追加。

2020-09-27 | 本棚並べ
地方にいる利点は、本を捨てないですむこと。
それなりに、場所があり、安い古本がたまっても、
それなりに、ストックできてしまう。
また、私は買った雑誌など捨てないタイプです。
時が過ぎると、溜まってゆく。
そういえば、新聞紙も捨てにくい未練がましさ。
どうしても、年月過ぎると溜まってしまいます。

はい。何十年ぶりなのですが、本棚をまとめ購入。
組み立て式パイプラックを数台購入して、大幅に、
本を整理することに。ラックの棚数が既製品では
きまっているので、一番下の棚を床から60センチくらいに
することで、各棚が単行本の高さにあわせられる。
床からのスペースには、段ボール箱に入った本を、
横着にもそのままに積み上げる。
うん。グウタラ整理には、これがいいようです。
そうして、下のスペースが埋まってゆくと、
なにか、整理しているなあという実感(笑)。

パイプラックは奥行きが45センチくらいのもの。
これだと、壁面に据えると、本が前・中・後と、
3段に詰め込める。一番奥にはどんな本があるのか
そんな心配はしないことに。もとは段ボール箱に
眠っていた本です。高さは178センチくらいのパイプ。
いちばんてっぺんにも段ボール箱を置くようにして、
整理整理一辺倒。ちなみに、床は地面にコンクリート。
なので本の重さの心配はしなくてもいいのでした。

本棚の設置場所をきめて、その周りを片付けてゆく。
はい。段ボール箱の本は、そのままにして、
ひらくと、整理の手がおろそかになります。
とりあえず、棚に箱を積み上げた状態にはなりました。
はい。秋らしくなってきたから、できました。
後は、本棚に本を並べるのですが、
こちらは、時間がかかりそう。ですが、
枠の形をきめたので、あとはゆるりと。

そうそう、枕草子を読んでいないけれど、
枕草子を紹介した本が数冊出てきました。
明日にも、紹介していきたいと思います。

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枕草子の女性。

2020-09-26 | 古典
宝島社文庫の「古典の愉しみ」は、
ドナルド・キーン著・大庭みな子訳。
その文庫解説を、瀬戸内寂聴さんが書いておりました。
その解説のはじめの方を引用。

「・・・私など必要に迫られると日本の文学者の本より
本棚に並んでいるキーン氏の著作の中から必要なものを
引き抜いて参考にさせていただく、正確無比で、わかり易く、
文章が明晰なので、失礼だが、『役に立つ』御本ばかりなのである。」

うん。なるほど、それではドナルド・キーン著
『日本文学の歴史』③古代・中世篇3(中央公論社・1994)をもってくる。
この単行本の回は、「清少納言と『枕草子』」という箇所から
はじまっております。単行本で注もいれて30ページ。
うん。文学史で枕草子を、これだけのページ取り上げる
日本の学者は、はたして男性でいるかどうか。
そのキーンさんの枕草子の文の最後の箇所を
ここでは、引用してみます。

「『枕草子』は、『古今集』と『源氏物語』という平安時代が
生んだ他の二傑作ほど後世に読まれなかった。そのため、
古い写本は比較的少ない。ときおり模倣作品が書かれ、
なかには『徒然草』のような傑作も出たが、
『枕草子』に匹敵する随筆はついに現れなかった。
『枕草子』は、日本文学のなかで最も機知の富む
気のきいた作品であり、ジョージ・メレディスが
『Essay in Comedy』でいった『ウィットは、
男女が平等に交わる社会ではじめて可能になる』
という言葉を思い出させる。
 ・・・・・・・・・

時代が下がり、武士が支配階級にのしあがると、
清少納言のような考えは好ましくないと排斥され、
男女間の平等も儒者によって否定された。
女性の社会的地位が目覚ましく向上した現代でさえ
『枕草子』は日本の古典文学研究の主流からはずれている。

作品を流れるユーモアが肌に合わず、都合のいい
社会的メッセージをそこから引き出せない学者たちは、
ときに『枕草子』をけなすこともあったが、
そのような中傷で『枕草子』の価値が変わるものではない。
驚くべき女性によって書かれたこの作品は、着想から1千年を
経た今日でも新鮮さと個性を失わずにいるのである。」
(p34~35)

昨日、200円だった古本が届く。
西田正好著「花鳥風月のこころ」(新潮選書・昭和54年)。
冒頭近くに写真で鴨長明の『長明方丈石』が載っており、
以下引用されている本をパラパラとおってみるけれども、
方丈記・万葉集・古今集・伊勢物語・山家集・徒然草
良寛歌集・芭蕉・正法眼蔵とつながってゆくのですが、
本文を読まず引用だけを追ってパラパラひらいていっても、
枕草子はここには、登場していないようです。

どうやら、「花鳥風月」という視点からでも、
枕草子は、その裾野から除外されているようなのです。
とくれば、これは初めて読みには、読み甲斐のある枕草子。
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65歳を過ぎて「枕草子」。

2020-09-25 | 本棚並べ
とりだしたのは
吉田精一著「随筆入門」(河出ペーパーバックス・昭和38年)。
はい。こういうのは古い方が楽しいですね。

「・・・・日本古典におけるいわゆる随筆に当たるものは
非常な数で、群書類従、続群書類従、国史大系などに収まっている
中世以前のものだけでも大へんな数である。江戸時代となると、
それがまたとんでもなく多い。ここでは今日の随筆という常識を
標準に裁断して、単なる記録、考証の類を除外し、日記をものけ、
広い意味の芸術的意義をもつもの、即ち単なる『随筆』ではなく、
『随筆文学』として価値のあるもののみをとって、大ざっぱに
代表的なもののみを通覧することにする。」

はい。ここまでが前置きでして、
カットしてもいいのですが、引用しました。
ここからです。

「そうしてみると、
まず平安時代における唯一の作品は『枕草子』である。
同時にそれは今日残っている最古の随筆文学であり、
そして『源氏物語』とくらべて、簡単に価値の高下を
つけがたい、世界随筆文学中の傑作ということになる。
随筆もここまでくれば、りっぱなものだ。

『枕草子』の著者は清少納言。・・・・
彼女の家は学者の系統で、かつ代々優秀な歌人を出している。
彼女も当時の女性として珍しく深い漢学の素養があったが、
和歌はあまり得意ではなかった。歌人としては和泉式部はもちろん、
紫式部にも及ばない。その代りに直観的に働く鋭い機知や、
きわめて個性的な感覚があった。頭のきらめきの早いことでは、
女流作家中第一だったろう。

私生活についてはよくわからないが、多分二十七、八歳の頃、
才をみとめられて一条帝の皇后定子に仕えた。そしておそらく
十年足らずの宮中生活の見聞、体験をもととして編んだのが
『枕草子』である。

彼女は美貌ではなく、むしろ普通以下の顔かたちであったらしい。
しかしその才と、快活で明朗な性格と、また主君たる定子に対する
献身的な愛情などによって、皇后の愛顧をうけた。・・・」

うん。ついついダラダラと引用してしまいますが、
すこし端折っていきます。

「ところで『枕草子』の内容だ。実はこれが難問なので、
というのはこの書物はまだ本文が十分確立していない。
異本によってひどい異同がある。順序すらまったく変っている。
そういうことでどういう形が一番最初の原型だったかも、
まだ定説がないのである。

で、それはそれとしていったいどんなものが入っているかといえば、
だいたいどの本も三通りの部分がある。一つは類纂的といって、
ある種類のものを並べた部分である。
 ・・・・・

 遠くて近きもの、極楽。舟の路。人のなか。

・・・・・『遠くて近きものナアニ』『男女の仲』と
いうような、一種のなぞとき形式である。クイズでもあれば
知恵のあそびでもあるようなものだ。これが宮中のような、
一種のサロン、即ち気の利いた会話やその場の気分を享楽する
高級女性の社会では、なかなか重要なものだった。
いわば、『一座の興を買う』優雅俊敏な知性のはたらきである。
今日のとんち教室やその他のクイズ流行を思い合わせれば、
そうした遊戯が、どれほど人の心をのびやかにし、
気分転換に役立つか、説明の要もあるまい。」

はい。引用はこのくらいにしておきます(笑)。ここで、
清川妙著「あなたを変える枕草子」(小学館・2013年)の
「はじめに」から引用させていただきます。

「・・・・なかでも『枕草子』は、私の心を明るくしてくれる、
わが親友とも言える古典である。

少女時代にはじめて出会ったときから、私は、
作者、清少納言と波長が合うことを直感した。
当時の女学校の先生などには『知ったかぶりの生意気な女性』
として評判が悪かったこの人に、私は、かしこさがもたらす
意志的な明るさをかぎとり、すてきだな、と思ったのだ。
・・・・・・
清女(清少納言)が心をこめて仕えた中宮(のちの皇后となる)
定子(ていし)の実際の身辺は、不穏で不安定な空気に充ちて
いたからだ。しかし清女は、あえて光を見つめることに決めた。
鋭い眼力(めぢから)で物事を観察し、どんなことにも
喜びを得られるよう、精神を鍛えあげて。
『枕草子』を読めば読むほど、人は変わる。
明るい方へ、温かな方へ、楽しい方へ、幸せな方へと。
・・・・」

ちなみに、私はまだ枕草子を読んでいない。
山口仲美著「すらすら読める枕草子」(講談社・2008年)
の帯には「男と女のマナー集」とあり、さらに帯には、
「忍ぶ仲のマナー 人としてのエチケット 
 他を思いやり、感動する心」ともあります。

山口仲美さんは、プロローグをこうはじめております。

「『枕草子』は、三百近くの章段から成り立ったエッセイ集。
この本では、そのうちの40くらいの章段を選んで採り上げていきます。
どんな採り上げ方をしたら、現代人にも『なるほど面白い』と
思ってもらえるのでしょうか?
私は、『枕草子』を現在に生きる人々にも通用する
魅力的なエッセイ集として蘇らせたいのです。
そこで、まず、『枕草子』をエチケット集として読むことにしました。」

ついでに、
少年少女古典文学館『枕草子』(講談社・1991年)は
大庭みな子訳でした。その大庭(おおば)さんの「あとがき」には

「年齢によっておもしろいと思うところもちがう。・・・
わからないところはどんどんとばして、
わかるところだけ自由に読むがいい。これが読書の原則である。

わたしはずっとそのようにして本を読んで来たし、
ときにはまちがった読み方をしたこともあったかもしれないが、
自分の感性で読む力をいつのまにか独習したように思う。」

う~ん。
「枕草子」読書歴のたけた女性陣に
まずは、古典水先案内のお神酒をいただいた感じです。
これなら、65歳過ぎの「枕草子」を、読み始められそうです。





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花鳥風月と枕草子。

2020-09-24 | 京都
うん。徒然草と方丈記は読んだのですが、
枕草子を、きちんと読んだことがなかった。
短いのだし、今度最後まで読んでみよう(笑)。

伊東静雄は、先生で学生の庄野潤三へと語った言葉に、
『枕草子は、その書きぶりが賢そうで嫌いだったけれども、
書いてあることは非常に大切。日本の美感の源泉で、
これを知っているといないとでは大へんな違いとなる。』
(p118・庄野潤三著「前途」講談社・昭和43年)

うん。日本画の花鳥風月を味わうには、枕草子かもね。

せっかくなので、『前途』からあらためて引用。
庄野潤三が伊東先生のお家へ行った場面でした。

「・・・配給のお酒を一緒に飲む。
『全部飲んだらいけませんで』と云われる。
晩、先生も元気が出てきて、文学の話が弾んだ。
 ・・・・・・
話は国文学の読みかたに移る。先生はこう云った。
和文脈の中心となるものは、先ず
源氏物語、伊勢物語、枕草子、徒然草、倭漢朗詠集の五つ、
日本の美感はこれに尽くされている。
このうち源氏物語が大本であるが、全部読むのは面倒ゆえ、
好きなところを引っぱり出して読めばいい。特に大切なのは
枕草子と徒然草で、これは是非とも読む必要がある。
 ・・・・・・・・
自分が書きたいと思うことがあると、
昔の人はそれをどう書いてあるか、すぐに見てみる。
こうなると、文学の本道に入って来たと云ってよい。
・・・・・・
たとえば菊のことを思えば、すぐ菊のところを
枕草子でも徒然草でもいい、引っぱり出して読んでみる。
通読しなくてもよいから、気の向いた時、
すぐ出して、そこだけを読む。
・・・・
枕草子は、その書きぶりが賢そうで嫌いだったけれども、
書いてあることは非常に大切。日本の美感の源泉で、これを
知っているといないとでは大へんな違いとなる。」


はい。最近、京都は京都でも、
日本画への興味がつのります。
その花鳥風月は、枕草子なのかもしれない。


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てんぷら ぴりぴり

2020-09-23 | 詩歌
借りている畑には、この夏、
雑草といい勝負で、シソの葉がひろがっておりました。
そういえば、まど・みちお。
まど・みちおの詩に「てんぷら ぴりぴり」がありました。

   てんぷら ぴりぴり

 ほら かあさんが ことしも また
 てんぷら ぴりぴり あげだした

 みんなが まってた シソの実の
 てんぷら ぴりぴり あげだした

 ツクツクホウシが けさ ないたら
 もう すぐ ぴりぴり あげだした

 子どもの ときに おばあさんから
 ならった とおりに あげだした

 秋の においの シソの実の
 小さな かわいい つぶつぶの
 てんぷら ぴりぴり あげだした

はい。そういえば、シソの実の天ぷらって
食べたことがあっただろうか、意識したことないなあ。

ちなみに、
まど・みちおで、私が好きな詩は「おならはえらい」。

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画文集「バウルの歌」

2020-09-22 | 本棚並べ
秋野不矩著「バウルの歌」(筑摩書房・1992年)は以前に読み、
また、読み直そうと思いながら本棚に眠っておりました。
スケッチブック(1977年)がそのまま載せてあったりと、
興味ぶかい一冊なのでした。
すこし読んだので、すこし引用。

「私がインドへ行ったのは1961年・・・
それから渡印すること8回、そのうちの3回は、
一年がかりの旅だったから、インド滞在はのべ4年になる。
・・・・・・
私はインドについては何も知らなかった。ただ若いころから
描きたいと思った絵のことを思い出す。太陽が真上から直射する
炎天下、救いようのない熱さの中でわっと泣いている裸の子ども
の姿である。・・・・

そのころ(1961年当時)私は京都市立美術大学で
日本画を教えていた。あるとき、仏教美術の研究でインドから
帰られたばかりの佐和隆研先生が日本画の研究室に来られ
『日本画の先生でインドの大学に行ってくださる方はありませんか』
と聞かれた。私は即座に『私、行きます』と言ってしまった。」
(p83~84)

『マドバニの絵』という4頁ほどの箇所は、
スケッチと言葉が、溶けこんでいるようです。
ここでは、その言葉だけを引用。

「マドバニの村落はビハール州の北端、
ネパールには歩いてゆける地域にある。
その日暮しの、貧しい農村であるが
この村に入ると、家という家の庇(ひさし)の下、
壁という壁、堀という堀、いたる処、
壁絵がサンサンたる陽光の下に唄うように、
あふれるように色彩豊かに描かれている。

これらはすべて村の女人によって描かれたもので、
その家の信仰するデゥルガ女神、カーリー女神、
クリシュナ物語のクリシュナとラダ、クリシュナとゴビ、
花や鳥、象や羊、壁を埋めたこれらの絵は明るく
笑うように人々の心に問いかける。

村祭りの図。
子どもも羊もうれしそうに踊っている。

いのちの樹のシンボル。
壁いっぱいにひろがって、
実に大胆なデザインである。」(p113~118)

はい。完成度の高い、白黒のデッサンに
そえられた言葉を紹介しました。


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年取ったことを忘れてる。

2020-09-21 | 本棚並べ
大岡信著「古典のこころ」(ゆまにて選書)の
「はしがき」にこうあったのでした。

「はっきりしていることの一つは、
私にとって『古典』は、私がかつて読んだもの
の中にしかないということ。・・・」

こう明快に指摘しております。それなら、私の古典はなんだろう。
そう、自分を振りかえってみたくなるのでした。

小中学校は、漫画とテレビ。
高校の頃も、長い読書は付け焼刃でおしまい。
それでも、ありました。
文藝春秋の「新編 人生の本」(江藤淳・曽野綾子編)というシリーズ。
全12巻で、テーマごとの短文のアンソロジーを編み上げたシリーズでした。
その9巻目「生活の中の知恵」という本が、どういうわけか今でも
本棚の隅にあります。
今頃になって、『新編』という箇所が気になって、
それ以前にも、このシリーズはあったのだろうと、
目星をつけて検索すると、ありました。まえに、
「人生の本」(亀井勝一郎・臼井吉見編)で別巻を含めて11巻。
それに「生活の本」(臼井吉見・河盛好蔵編)でこちらも11巻。
新編の方が、昭和47年に出ております。
「人生の本」は昭和41年。「生活の本」は昭和43年。

うん。どちらも好評だったのでしょうね。
さて、興味深いのは、
『人生の本』の第一巻目が、「生活の知恵」とあります。
『生活の本』の第10巻目は、「生活の中の美」と題しておりました。
そして、新編の第9巻目が、「生活の中の知恵」と題している。

はい。私の古典は、新編になるまで、いろいろと道筋があったようです。
新編の第9巻で私が気になったのは、幸田文の文「水」でした。
『人生の本』の①「生活の知恵」に、幸田文の「あとみよそわか」が、
『生活の本』の⑩「生活の中の美」に、幸田文の「おしゃれの四季」がある。
はい。題名に生活とあるアンソロジーには、幸田文がどちらにも登場する。

ここで、おもむろに『人生の本』の①「生活の知恵」から、
そのはじまりの解説を読んでみました。解説は河盛好蔵。
はい。ここでも、横着して「解説」のはじまりを引用。

「生活の知恵というと、なにか卑俗なもののように考えられやすいが、
それは毎日のパンのように、人間の生活には欠くことのできぬ大切な
ものである。それは私たちの日常生活をできるだけ快適な、
わずらいの少ないものにするための工夫である。もしくは
その日その日を最も充実して生きるための技術である。

人生の意味について考えたり、人生いかに生きるべきかについて
哲学的考察を巡らすことも、むろん大切なことであろう。・・・・・
・・そのためにはまず毎日の生活を賢く生きなくてはならない。
私たちの一生は一回きりのもので、くり返しのきかないものである
ことは誰でも知っているが、それが毎日の生活の積み重ねである
ことについては、大ていの人はあまり切実には考えない。そのために
日常生活をともすれば粗末に扱いやす。とくに若いときはそうである。

いや、単に若いときとは限らない。私などは、もういくら長生きをしても、
さきの知れている年齢になりながら、いまだに毎日を大切に生きているとは
云いがたい。自分が年をとっているということすら忘れていることが
しばしばである。そういうことに対して警告を発してくれるのも
生活の知恵といおうものである。

すでの述べたように、生活の知恵とは、毎日の生活を賢く生きる術
であるから、すべての人間が多かれ少なかれ、それを備えている。
・・・・」(p3~4)

はい。こうして、短文の各編をおもむろに紹介しはじめております。

ちなみに、『生活の知恵』が発売された昭和41年は、
河盛好蔵氏は64歳でした。

あれれ。幸田文へと言及するのを忘れました。





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土の祈り。中庭の祈り。

2020-09-20 | 本棚並べ
インドといえば、秋野不矩の絵が思い浮かびます。
本棚から取り出してきたのは、1985年の図録
「秋野不矩自選展」(監修:京都国立近代美術館内山武夫)。

この図録は、見開きの右ページに絵が、左ページは白紙で
白紙の下に絵の題名と作品解説。秋野不矩ご自身が解説を
書いておりました。
そこから2つの解説を引用してみることに
まずは、絵『土の祈り』(1983年・昭和58年)の解説。

「マドバニ村落の家に描かれた絵は、ふとモダンな
ミロの絵でも思いおこさせる様な楽しいものである。
古くからこの村に伝えられた風習であろう。
凡て女達の手によって描かれる。祭り(プージャ)の時に
お正月(デワリ)に又結婚の祝いのために新しく描かれた
ものが剥落しながらいつも壁に残っている。
彼らの祈りのあかしのように。
これこそほんとうの絵である。」

つぎの絵は『中庭の祈り』(1984年・昭和59年)

「中庭は掃き浄められて、更に
牛糞を溶かした水がまかれると神の依り代としての聖地となる。
娘たちはラクシュミ女神を念じながら、
中庭の中央から女神のシンボルの模様を、白い米の粉で描き展げる。

次にそのまわりに彼女らの願い事がしるされてゆく。
どうぞ幸せになりますように。それは美しいサリーであり、
首飾りであり、又よき連れ合いをねがい、父母兄弟の息災を祈る。

蓮の花びらが入口から屋内に誘うのはラクシュミの足跡であろう。
この床絵のアブストラクトの様な感覚とうづくまる黒牛の対照を
面白く感じた。やはり信仰の絵というものには不思議な美しさがある。」


はい。ここまで引用してきたら、
この図録のはじめにある秋野不矩の挨拶文から
すこし引用しておわります。


「・・・・インドの計り知れない大地、信仰、これを享受する
人々の複雑な深い生の悲しみはいつも私を強く打ちました。

それはえぐる様な悲痛の底に見る美しさであり、
常にみたされぬ中の人間の、動物たちの生きる
したたかさであり又やさしさでありました。

インドの世界に誇る文化遺産もさることながら、
私はこの裸のインドにふれて示唆されたさまざまな意味をこめて
表現したいと思いました。然しそれらはまだまだ深く
私の手には及ばないのですが・・・・・」







コメント (2)
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河合隼雄という名が。

2020-09-19 | 本棚並べ
河合隼雄著「箱庭療法入門」(誠信書房)の
はじまりに、

「箱庭療法は、ロンドンにおいてローエンフェルトによって、
1929年に、子供のための心理療法の一手段として考案された
ものである。その後、彼女に教えを受けたカルフは、ユングの
分析心理学の考えを導入して、スイスにおいて、これを成人にも
効果のある治療法として発展させた。

河合は、ユング研究所に留学中、カルフに教えを受け、わが国に
紹介するとともに、1965年から、天理大学と京都市カウンセリング
センターで、この技法を用いることになった。・・・・・」(p3)


そういえば、河合隼雄には「ユング研究所の思い出」という
一読忘れられない文があったのでした。はじまりはこうでした。

「スイスのチューリッヒにあるユング研究所の所長リックリン博士
から、『日本人として最初の』という祝福を受けながら、ユング派の
精神分析家の免状を受けとったのは、1965年の2月のことであった。」

うん。1965年にユング派の精神分析家の免状を受けとったのでした。
その1965年から天理大学と京都市カウンセリングセンターで、この
技法を用いることになった。となっており、帰国してすぐに
河合隼雄氏は箱庭療法を日本で用いはじめたのだとわかります。

うん。それはそうと、ここでは、
「ユング研究所の思い出 分析家の資格試験を受ける話」から
引用しておきます。この文が入っているのは、
河合隼雄著「母性社会日本の病理」(中公叢書)で10ページほど。

免許の資格は「最小限度5年はかかることを覚悟しなければならない。
多くの人が途中であきらめてゆくのも当然である。」(p108)
と前段で紹介しております。
こんな箇所もありました。

「・・できるだけ言語化をおさえ、全体的なニュアンスを生かして
ゆこうとするか、逆にある程度のロスはあっても、明確にし得ることを
できるかぎり言語化しようとするかは、分析家の個性、あるいは
『好み』にかかわっているとも言える。しかし、これが日本人と
西洋人となると『好み』の次元を越えて、質的なものと感じられる
までになってくる。われわれ日本人から見れば、彼らはあまりにも
明確化しすぎ、言い切りすぎるように思えるし、端的に言うと
『西洋人はどうして、あれほど簡単に信じることができるのだろう』
という感じになるのである。これを、彼らから言わせると、
日本人のやり方はあまりにも不明瞭で、
『解っているのか、解っていないのかも解らない』
状態と見えるのである。」(p110)

こうして研究所の重要なメンバーであるJ女史を主査とする
試問を受ける場面につながってゆきます。
このJ女史について河合氏は語ります
『著書もあって有名な人である。ところが、この人の講義を聞くと、
あまりにも単純にものごとを割り切りすぎていると思われ、
私はどうも感心できないのである。』(p110)

こうして、臨んだ試験場では、J女史との対決となるのでした。
「陪査として同席していたフレイ先生は、場をとりなすような
発言をしてくれ、私自身も何とかスムースに事が運ぶようにとは
努力するのだが、駄目なのである。それは雪道でスリップを始めた
車のように、いくらハンドルをまわしても運転者の意図を無視した
暴走を続け、衝突を避けることができない。・・・」(p112)

そのあとに、一応パスさせようという申し入れを、今度は河合氏が
『単なるお情けで資格を呉れるなら、そんな資格は要らない』と
つっぱねる場面にまで展開するのでした。

すると、仲介にはいったフレイ先生は
「資格を貰えぬ可能性が大きいが、その覚悟があるかと念を押された。
『私は生まれながらに、河合隼雄という名があって、それだけで十分です。
その上にユンギャンという飾りがついてもつかなくても、
私の存在には変りがありません』と私は答えた。」(p113~114)

うん。短文に内容が詰まっているので、
本来なら、読んでいただきたいのですが、
こちらも、引用しておきたくなります。

「委員会は私に資格を与えることを決定した。
それは相当長時間にわたる激論の末であったらしい。
その決定の趣旨は、リックリン所長が免状を授与するときに、
『ミスターカワイ、あなたは今まで何事もあまりスイスイとやって
ゆくので、イエスマンではないかと、われわれは危惧していた。
しかし、最後になって研究所をゆるがすほどの大きいNo!を言ってくれた。
これで、われわれは安心してあなたに資格をあげられると思いました』
と述べたことに端的にあらわれている。

フレイ先生とこのことを話合ったとき・・・・・
西洋人なら自分の方が正しくてJがまちがっている、
だから免状を呉れるべきだと言ってけんかをするだろうが、
あなたは免状はいらないと言ってけんかをしたのだから、
そのところは日本的と言うべきだろうと言われた。これには、
私もなるほど参ったと感じたことであった。また、先生は、
資格を取る人はすべて教育分析の過程のなかで、一度は相当な
危機におちいり、それを乗り越えるプロセスがあるのだが、
あなただけは一度も危機に陥ることなく成長してゆくので
不思議だったが、一番最後になって相当なデプレッションを
体験しましたね、と言われたことも非常に印象に残った。・・」
(p115)

はい。私はこの文を、雑誌掲載時に読み、切り抜いておりました。
ここで、はじめて河合隼雄の名前を知りました。

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「夏は去らねばならない」

2020-09-18 | 詩歌
『庭』のことを思っていたら、
そういえば、伊東静雄の詩に庭が登場していた。
というので、伊東静雄の詩を引用するのことに。

    廃園 

 身を野性に放たうとする
 お前の努力は
 生ひ茂る雑草や濁つた糸藻でこそ
 消し難く その古い物語を甦らす
 廃園の様だ

詩集をひらくと、この『廃園』の前に『秋』があった。

   秋
 
 事物が 事物の素朴を失ふ日
 夏は去らねばならない
 そして澄み渡つたその空虚に
 衆人の悔恨で
 目に見えぬ伽藍は建ち始める



詩集をひらくと、
『庭の蝉』とか『庭をみると』とか
「庭」と題する詩はあるのですが、
それから、『夏の終り』とかあるのですが、
うん。二つの詩を引用して私は満腹。


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インドの『ゴンド画』の祈り。

2020-09-17 | 安房
クリシュナ智子さんが、直接いらして、
手渡してくれた、絵の本をひらく。

その本の「あとがき」のはじまりを引用。

「1987年に日本を出てから、随分と長い歳月が流れた。
2018年、やり場のない未消化な感情をたっぷりかかえて、
米国コネチカットから故郷の南房総へ戻って来た。
祖国だと思っていた日本は異国で、日々右往左往している私を
見かねた友人が、『猫の絵を一枚描いてみない?』と
グループ展に誘ってくれた。その時に描いた絵が、
私の第一作目のゴンド画『なかよし』である。

ゴンド画は、インド中央部のマディヤ・ブラディーシュ州の
先住民族(ゴンド族)によって描かれる絵画である。モチーフを
自在に分割し、点、線、青海波等でひたすら埋めてゆく描法は、
ある意味祈りのようでも、まじないのようでもある。

一作描き終える頃には、そのひたすらさ、繊細さ、大らかさ、
あり得なさにすっかり心捉えられ、明けても暮れても絵を描き続け、
現在に至っている。気がつけば雨は上がり、
遠くに青空がのぞいている。
 ・・・・・・       」

9月18日~9月23日(11時~19時・最終日は17時まで)
OPA gallery (http://opagallerey.net)で、個展開催。
クリシュナ智子個展「雨上がりの動物園」。

頂いた本の題名は、「雨あがりの動物園」。
本のはじまりには、俵万智さんが短文「いつまでも」を寄せていて、
そのさいごを引用。

「短歌と写真や、短歌と絵画のコラボレーションは珍しくない。
けれど同一の作者によるものは稀だ。
言葉と色彩との両面からカタチ=命を
与えれらた動物たちの、なんと幸せそうなこと。
いつまでも心を遊ばせていたい動物園である。」
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京都の庭と、箱庭療法。

2020-09-15 | 本棚並べ
注文してあった古本が届く。はい。400円。
河合隼雄編「箱庭療法入門」(誠信書房・昭和44年)。
河合氏の序から引用。

「箱庭療法(Sandspiel,sand play technique)は、
もともとヨーロッパにおいて発展させられた心理療法
のひとつの技法である。これは本文にも示すように、
箱庭をつくらせることを主体として心理療法を行うものであるが、
筆者はスイスに留学中、この技法を知ったとき、
『日本人向き』にできていることを直感的に感じたのであった。
言語を主体とせず、感性に訴えて治療を行うことは、
日本人の国民性に合っているのではないだろうか。

そこで、この方法を早速、天理大学の教育相談室、および
京都市カウンセリングセンターにおいて用いてみると、
相当の治療効果を生じることが明らかになった。・・・・・」

序の真ん中も大事なのですが、
ここでは、はぶいて最後の方を引用。

「箱庭療法は心理療法の一技法としてとりあげたものであるが、
『箱庭』という作品による表現であるため、
児童の遊びや表現活動に興味を持つ幼稚園や小学校の先生方、
あるいは絵画や彫刻などに関心のある人、
象徴の問題に関心のある宗教学者なども、
本書に興味を感じられるのではないかと思う。

最後に、このような新しい技法をわが国に導入するにあたり、
京都市教育委員会、カウンセリングセンター、および
天理大学の多くの方々のご理解と支援に頼るところが
大であったことを記して、心からお礼を申し述べたい。
  
        1969年8月        編著者 」


はい。京都のお寺の庭から、はじまって、
この箱庭療法へつながってゆくのでした。
連想からの補助線は、自由なほど楽しい。
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