和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

処方箋。

2012-11-28 | 短文紹介
産経新聞11月27日の一面「朝の詩」。
ふだん読まないのですが、たまたま目にはいりました。
それを引用。


   効能
       神奈川県逗子市 中原かおり(53)

 言葉は
 時に
 鎮痛剤より強烈で
 便秘薬よりスッキリし
 胃薬より 壮快で
 かゆみも 緩和され

 しかも
 自分で使用した時より
 他人に もらった時に
 さらに
 効果倍増
 一回の投与で
 元気回復の場合もある


うん。思い浮かぶのは
E・ケストナーの「人生処方詩集」(ちくま文庫)の序文。

「・・・淋しいとか、失望とか、そういう心の悩みをやわらげるにはほかの薬剤が必要である。そのうちの二三を挙げるなら、ユーモア、憤怒、無関心、皮肉、瞑想、それから誇張だ。これらは解毒剤である。ところで、どんな医者がそれを処方してくれるだろう?どんな薬剤師がそれを瓶に入れてくれるか?この本はプライベートな生活の治療に捧げられたものである。・・・」

文庫の帯には
「皇后陛下美智子さまご紹介の詩『絶望第一号』収録・・・『子供時代の読書の思い出』で触れられました。」とあります。


うん。そういえば、絶望第一号という詩は、テレビ番組「はじめてのお使い」で、お金を落としてしまったような詩なのでした。
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今週の必読。

2012-11-26 | 短文紹介
産経新聞11月24日に
花田紀凱(かずよし)の「週刊誌ウォッチング」があり、
その最後には、こうありました。

「今週の必読は『週刊文春』、曽野綾子さんと葛西敬之JR東海会長の特別対談『経営者よ、国家ぐるみの詐欺にダマされるな』。中国13億市場に誘惑される日本の経営者を痛烈に批判。この対談は『WILL』でお願いしたかった。」

これが、気になっていたので、今日になって『週刊文春』を買う。

曽野】 子どもの『椅子取りゲーム』と同じで、領土は決して手放してはならない。それが国際社会の常識です。


葛西氏の言葉も少し引用。

葛西】 戦後日本は、国家として劣化しつづけた六十余年でした。アメリカに国防を依存し、自ら立つ努力をしないまま高度成長を成し遂げました。その結果、現実を直視しない空気が蔓延してしまった。財政破綻の危機に目を瞑り、累積債務を先送りし続け、中国による侵略の危機にも、何ら手を打たずにいる。私には、現在の日本が、破綻直前の国鉄の姿と重なるのです。

うん。あまり丁寧に引用するつもりはないので、
よければ、「今週の必読」を読まれますように(笑)。



そういえば、週刊文春の「ベストセラー解剖」をひらくと、
佐藤優著「読書の技法」(東洋経済新報社)がとりあげられておりました。
そこに『基本書は最低三回は熟読』とある。
うん。再読をしようかどうか思案している場合じゃないようです。
もうすこし引用。

「とにかく【実践的】だ。『それは私がもともと行政官だったからでしょう。行政官というのは具体的に役立つことにしか興味を示しませんから(笑)。特に注意したのは、平均的な努力をすれば必ず実践できる内容であること。楽をして得られる知識というのはないですから』」

担当編集者の中里有吾氏の言葉もありました。

「口絵写真では仕事場や書斎も披露。『この口絵ページだけでも面白く、買いたくなるという声も多いです』(中里氏)まさに『知の怪物』佐藤優の『読書のすべて』がわかる一冊なのである。」と短文は終っておりました。

う~ん。「発売後わずか17日で10万部突破」という文字もありました。
私は買わず。ただ、古本になるのを待つばかり。
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一割も読んでいないだろう。

2012-11-25 | 短文紹介
新刊の丸谷才一・池澤夏樹編「分厚い本と熱い本」(毎日新聞社)を注文。
それが昨日届きました。
さっそくパラリと、あとがきをひらく。
選者二名を代表して池澤夏樹氏が書いておりました。
ここでは、あとがきの最後を引用。

「自分が読んだことがある本の書評に出会うと、そうかこういう深い読みがあるかと感心し、知らない本の書評を読むとその本が読みたくなる。ぼくも丸谷さんもこの『名作選』が取り上げた本の一割も読んでいないだろう。それで編纂の途中で読みたくなって注文した本が数十冊。古びない本を取り上げてきたからこその誘惑である。この三巻にはそういう危険な一面があることを警告しておく。読者諸姉諸兄くれぐれも散財にご用心を。」

誠実で懇切で、しかもユーモアのある書評を読めるよろこび。
いまなら、古本で読めるのだろうなあ。でも散財のご用心。
そううけとめました。

あとがきには、
「・・ちっぽけな領土がどうなろうと、我々は文化的には大いに栄えている」とあります。あとがきの日付は2012年10月。
あと十年二十年たってから、振り返ってみたい、
そんな池澤夏樹氏の一言。


あとがきの前、つまりこの書評本の最後には「書評者が選ぶ‘11『この3冊』」がありました。さてっと、3・11を読もうとするのに、
手掛かりとなる本はというと、『この3冊』からさがしてみます。

五百旗頭真氏のとりあげている
河田恵昭著「津波災害」(岩波新書)。
それにそえた言葉は
「『津波災害』。本書を手にしておれば、もう少し津波から生き延びた人が多かったろう。今さらというなら、同じ著者がリードした『災害対策全書』全四巻を、次なる災害に備えて見ておきたい。」
ちなみに、五百旗氏は2011年1月23日の『今週の本棚』で、この本の書評をしておりました。それもp406~407に掲載されております。

つぎいきましょう。
池内紀氏の『この3冊』のはじまりは
山口弥一郎著「津浪と村」(三弥井書店)です
池内氏のはじまりは
「本の世界でも、衝撃的な3・11なしには考えられない年だった。
『津浪と村』は昭和8年(1933)の大津波のあと、若い研究者が八年がかりで調査・分析した記録。丁寧な解説つきで68年ぶりに復刊された。問題点と対策がはっきり指摘されていたにもかかわらず、再び二万人に及ぶ死者・不明者が出た。」
池内氏の2冊目は山本義隆著「福島の原発事故をめぐって」(みすず書房)。

池澤夏樹氏による3冊のなかには
昭文社出版編集部編「東日本大震災 復興支援地図」があります。

川本三郎氏の3冊は、最初に
長谷川櫂著「震災歌集」(中央公論新社)。
「大震災というすさまじい現実を突きつけられ心が震える。どうしたらいいか分らない。それでも言葉は発したい。『震災歌集』はその切羽詰った気持から生まれた。現代を代表する俳人が俳句ではなく歌を詠んだ。次から次へと短歌が湧き上がってきた。それは読者の気持と強く触れ合う。」

小島ゆかり氏の3冊は、最初に
池澤夏樹著「春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと」(中央公論新社)

「震災以降の不安定な心と体を、どうしたらいいのか。『春を恨んだりはしない』を、被災地の現実から出発して、混乱した思考の迷路をゆっくりとほどく。日本はどういう国で、わたしたちはどのような精神史をもつ民族なのかを考える。性急な答えではなく、茫漠とした問いに向かって、心身の軸がしずかに定まる。」

中西聖子氏の3冊は、最後に
加藤寛・最相葉月著「心のケア 阪神・淡路大震災から東北へ」(講談社現代新書)

「原発事故に関する本を何か一つと思ったが、あまりにも差し迫った話題で、まだ本としての距離を置いて選べない状況である。落ち着いた『心のケア』を推しておくことにする。」

田中優子氏の3冊は、
開沼博著「『フクシマ』論 原子力ムラはなぜうまれたのか」(青土社)
「「『フクシマ』論」は今年だから出た本だ。時流に乗るのではなく足もとを見つめて書いた。そこには著者がこれから生きて行く上で大事な課題があったからだ。そこの原発事故が起こり出版された。なぜ地域が原発を受け容れたか、痛みと共に多くのことが分かる。」

次には
海渡雄一著「原発訴訟」(岩波新書)があげられております。

中村達也氏の3冊も、最初に
開沼博著「『フクシマ』論」をあげておられます。

「・・既に3・11以前から福島の現地に通いつめ、『原子力ムラ』がいかにして原発を『抱擁』するに到ったかを、当事者・地元紙・町村史にまで踏み込んで書き上げた作品。・・・」

ほかに文学作品としての3・11をとりあげた人もおられました。
それは省略します。
いちおう、掲載順に引用してきましたが、最後に
湯川豊氏の3冊の、最後
池澤夏樹著「春を恨んだりはしない」

「『春を恨んだりはしない』――東日本大震災と大津波の年。私自身も三陸海岸を中心に被災地に何度か足を運んでみたが、言葉を失って沈黙するのみ。池澤氏のこのリポートを読んで、考える場所、発言する場所を取り戻すことができるように思った。ありがたかった。」


さてっと、以上取り上げられた震災関連本。
私は、ほとんど読んでおりませんので、読んでみます。

ああ、忘れちゃならないもう一冊がありました。
本村凌二氏による3冊の最後でした。
梯久美子著「昭和二十年夏、子供たちが見た日本」(角川書店)

「『昭和二十年夏、子供たちが見た日本』――現在の大学生の祖父母にあたる七十歳代の方々は、この大戦を肌身で知る最後の世代だ。なかでも『散るぞ悲しき』の著者が狙い定めた著名人の戦争・戦後体験は、大震災後の今日だから、なおさら心ゆさぶるものがある。」
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たちまち「他人」。

2012-11-24 | 本棚並べ
梅棹忠夫著「知的生産の技術」(岩波新書)の
9「日記と記録」に、忘れられない箇所がありました。

「・・『自分』というものは、時間とともに、たちまち『他人』になってしまうものである。形式や技法を無視していたのでは、すぐに、自分でも何のことがかいてあるのか、わからなくなってしまう。日記というものは、時間を異にした『自分』という『他人』との文通である、とかんがえておいたほうがいい。・・・」(p162)

さてっと、文章についての本には、推敲についての箇所があるのでした。
その推敲と、「たちまちの『他人』」というキーワードとが
具体的な指摘となると、こうなるのだなあという箇所を引用。

「というわけで、結局、推敲の要諦は、『時間をおく』というところに落ち着く。・・推敲は、書いているときとは別のアタマで、『読み手』として読む環境を整えた上ではじめないといけないということだ。もうひとつ、ワープロを使っている書き手にとっては、『印刷する』という手順が、有効な手段になる。というのも、印刷した原稿は、自分の原稿を客観視するための適度な距離をもたらしてくれるからだ。
ワープロの作業画面は『書く』ためのフィールドだ。一方、原稿をプリントアウトした紙は、純粋に『読む』ための視野を提供してくれる。と、読み比べた結果は意外なほど違う。同じ原稿でも、液晶画面をスクロールさせて読んだ場合と比べて、印刷結果を紙で読み直すと、より大づかみに、読み手の速度で把握することが可能になる。
液晶画面で見ると、どうしても近視眼的になる。最終段階の推敲を、画面上だけで間に合せる態度は、ぜひ避けなければならない。」(p168~169)

以上は、「小田嶋隆のコラム道」(ミシマ社)に出てきます。
ひとりだけ、引用するのも何ですから、
もうひとり。

藤原智美著「文章は一行目から書かなくていい」(プレジデント社)では、
こう指摘しておりました。

「推敲は必ず紙にプリントアウトしてから行います。
不思議なものですが、同じ文章にもかかわらず、紙で推敲すると画面で見た場合と比べて何倍もの粗が見えてきます。たとえばモニターでは気づかなかった誤字脱字を紙の上で発見することも少なくありません。文章そのものの稚拙さも紙のほうがはっきりと浮び上がる気がします。」(p128)

うん。二人の実例で、私は満足。
プリントしてから眺めるってことは、
自分にも納得、腑に落ちるのでした。


さてっと、以下は余談。
藤原智美氏は、この次がありました。
フムフム、そこまでやるのだなあ、と思って読みました。

「かつては文章を自分で音読してテープに録音し、ふたたび聞いてみるということをやったこともあります。実際に自分で声を出して読むと、『てにをは』の間違いや、主部と述部がかみ合っていないところがすぐわかります。
文法的な間違いがなくても、聞いていてリズムに違和感があるところは、文章として美しくない場合が多いものです。このようなときは句読点の位置を変えるなどして、リズムを整えます。
テープによる推敲は、文章力を鍛えようとしている人にとって試してみる価値のある方法だと思います。私自身、この方法でかなり文章力が磨かれた気がします。いまでも文章の音読は続けています。」(p128)

う~ん。すごいなあ。
私には、とうてい出来ないでしょうが、
やっぱり、気になるので引用しておくのでした。

そういえば、
谷崎潤一郎著「文章読本」の「用語について」で
「分り易い語を選ぶこと」という箇所があるのでした。

「特に私がこれを強張する所以は、現今では猫も杓子も智識階級ぶつた物の云ひ方をしたがり、やさしい言葉で済むところを故意にむづかしく持つて廻る悪傾向が、流行してゐるからであります。昔、唐の大詩人の白楽天は、自分の作つた詩を発表する前に、その草稿を無学なお爺さんやお婆さんに読んで聞かせ、彼等に分らない言葉があると、躊躇なく平易な言葉に置き換へたと云ふ逸話は、私共が少年の頃しばしば云ひ聞かされた有名な話でありますが、現代の人は此の白楽天の心がけを余りにも忘れ過ぎてをります。・・」


う~ん。余りにも忘れすぎている「白楽天の心がけ」。
そういえば、武部利男訳「白楽天詩集」が、
どこかに買ってあったはずなので、読んでみます。

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読書二遍。

2012-11-23 | 短文紹介
谷沢永一著「古典の智恵生き方の智恵」(PHP)に

谷崎潤一郎の文章読本から引用された文がありました。
「感覚を研くには」

 感覚を研くにはどうすればいいかと云うと、
 出来るだけ多くのものを、繰り返し読むこと
 が第一であります。次に
 実際に自分で作ってみること
 が第二であります。
 右の第一の条件は、あえて文章に限ったことではありません。
 総て感覚と云うものは、何度も繰り返して感じるうちに
 鋭敏になるのであります。

こうして文章読本からの引用をしたあとに、
谷沢氏自身の言葉が、書き込まれているのでした。
そこも、すこし引用。

「・・・文章力その他の場合は仲間と競いあって、適当な刺激を受けるのが有効なのではあるまいか。とくにまだ幼い時や若い頃に、周囲から励まされると成長が早いようである。人が成長してゆく時期において最も幸福な条件は、身近かな周囲に、自分を認めてくれる人、従って期待し励ましてくれる先輩や仲間を見出す喜びであろう。『周囲から励まされると成長が早いようである』という観察は至言である。
人間には必ずなにかどこかに得手がある。それを自覚して励みとするまでには修練が要る。まだ至らぬ技能をくりかえして真髄に達するよう、辛抱を重ねるしかほかに途はないであろう。」(p27)


うん。「くりかえし」ですか。
そういえば、梅棹忠夫著「知的生産の技術」の
6「読書」に、「本は二どよむ」というのがあったなあ。

「一ぺんよんでからつんどくのである。よみおわって、鉛筆で印をつけた本は、しばらく、書斎の机の上に、文字どおりつみあげてある。・・・数日後、または数週間後におこなうのである。・・・こういうやりかたをやってみると、これは、実質的には一冊の本を二どよむということなのだ。ただし、二ど目のよみかたは、きわめて能率的である。短時間で、しかもだいじのところだけはしっかりおさえる、ということになる。この段階ではじめて気づくこともおおいし、全体の理解がすすむのがつねである。・・・今日のように本をたくさんよまねばならぬ時代にあっては、一冊の本をなんどもよむなどということは、事実上できはしないのだ。しかし、なんどもよむほどに理解がすすむのは事実である。そこで、実際的で効果のある方法として、わたしはこういう『読書二遍』法を実行しているのである。二どの読書のあいだにはさまった『つん読』も勘定にいれると、三どよんだことになるであろうか。」(p110~111)

うん。『読書二遍』は、
しているつもりでも、していないなあ。
これから、することにいたします。
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良識、公正、不偏不党を信用しない。

2012-11-22 | 短文紹介
毎日新聞2012年11月18日「今週の本棚」。
そこに、渡辺保氏の書評。
佐高信著「飲水思源 メディアの仕掛人(プロデューサー)、徳間康快」をとりあげておられました。気になって本を取り寄せ読んでみました。第一章は、私にはつまらない。でも渡辺氏の書評のおかげで、放り投げずに、最後から読み始めると、これが面白い。
書評のなかに「ここに登場する人物は百人に近いだろう。」とありました。
たしかに、さまざまな人が登場しております。

私がおやっと思ったのは、竹内好氏が登場する箇所でした。
そこにこんな六か条が引用されております。

「編集権は『中国の会』にあり、ユニークな六ヵ条のとりきめを掲げていた。

  一、民主主義に反対はしない
  二、政治に口を出さない
  三、真理において自他を差別しない
  四、世界の大勢から説きおこさない
  五、良識、公正、不偏不党を信用しない
  六、日中問題を日本人の立場で考える

私はこの雑誌を購読し、毎号載る竹内のエッセイを愛読していた。
多分、徳間も六ヵ条のほとんどに賛同していただろう。緒方竹虎に熱心に誘われ、自らもかなり心動いていた政治家の夢があった故に、あるいは、二の『政治に口を出さない』には共感しなかったかもしれないが、『世界の大勢から説きおこさない』や、『良識、公正、不偏不党を信用しない』は、そのまま徳間の姿勢でもあった。・・・・そして、1972年、日中国交回復が成った年の12月号で、使命を終えたとして休刊したのである。・・・・」(p116~117)


カラオケの話が出たかと思うと、
つぎに、高倉健につながったりしております(p72~74)。

「高倉がロケ中に廃屋のビルの三階から二階に転落し、骨折しただけでなく、精神的にも参って悩みの底にあった時、大映を引き受けた徳間が高倉の所に何度もやって来て、『健ちゃん、仕事はどんどんやらんといかんぞ。悩むのは後でいい』と励ました。『迷う暇もないモーレツな誘い』だったと高倉は振り返っているが、『悩むのは後でいい』とは、いかにも徳間らしい。」


「週刊金曜日」に連載されたというこの一冊。
渡辺保氏の書評を読まなければ、手にしてなかったろうなあ。
書評っていいですね(笑)。

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時には有害なもの。

2012-11-21 | 短文紹介
谷崎潤一郎著「文章読本」は
古本の最後のページをひらくと、昭和9年10月28日印刷
昭和9年11月5日発行となっております
(ちなみに、手持ちのは昭和17年140版発行とあります)。

さてっと、昭和9年のころ
「支那」という言葉はごく普通に使われておりました。
谷崎潤一郎の「文章読本」には、こんな箇所、

「我等日本人は戦争には強いが、いつも外交の談判になると、訥弁のために引けを取ります。国際聯盟の会議でも、しばしば日本の外交官は支那の外交官に云ひまくられる。われわれの方に正当な理由が十二分にありながら、各国の代表は支那人の弁舌に迷はされて、彼の方へ同情する。古来支那や西洋には雄弁を以て聞えた偉人がありますが、日本の歴史には先づ見当たらない。その反対に、我等は昔から能弁の人を軽蔑する風があつた。・・・・」


ついつい、現在の尖閣諸島問題をダブらせてしまいます。
現在は、昭和9年頃と、
どこが、同じで、
どこが、かわったのか?

そういえば、文章読本の最初には、
こうあるのでした。

「かえすがえすも言語は万能なものでないこと、
 その働きは不自由であり、
 時には有害なものであることを、
 忘れてはならないのであります。」


この言葉を、かみしめるためにも、
あらためて、谷崎潤一郎著「文章読本」を読み直そう。
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おもしろい『自我』。

2012-11-20 | 短文紹介
本の入った段ボール箱をみてたら、
多田道太郎対談集「ことばの響き」(筑摩書房)がある。
目次に立原正秋氏との対談「方丈の思考」とあり、
『方丈記』にまつわる対談。
未読の、その箇所だけ読み始めると、
これが、たいそう面白い。

たとえば

立原】 こいうことはいえると思うのです。つまり、中世の人たちはどこかで地獄を見てきているはずなんです。ところが、「自我だ、自我だ」と騒いでいる近代の人たちは、ぼくは地獄を見てきていないような気がします。
  ・・・・
多田】 保元・平治の乱とか、平家の滅亡とか、たいへんな事件を同時代にもちながら、そういう戦乱のことをいっさい書いてない、という批評をする学者があるわけですね。ぼくはしかし、そういう、時代の大きな激変、滅亡してゆくというそのことで、やはり自分という、自我というものを、長明なりにはじめて摑めるような視点というのが出てきたのだと思います。・・・日本ふう、――自我か自分かわからないけれども、空虚さにしろ何にしろ、そういうものが鋭いかたちで出てきているということは間違いないですね。(p187)


この対談で、あれっ、と思った箇所は

多田】 ・・・・さっきの即物性といいますか、外面性といいますか、そういうものとつないで考えると、自分の外にある身のまわりのものですね、とくに家とか、道具とか、庭木とか、こういうものが『第二自我』、『第二自分』みたいに感じられて、そこに、自分の気分を投射するわけですね。それによって自分の気分というものを整える。日常性とか日常の美学とかいうものとさっきの、自我の中心点が空虚な感じがする、――その無常観とね。この二つがつながったおもしろい『自我』の構造があるのじゃないかという気がする。
立原】 それ、ひとつ追究してくださいよ。 (p183)
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感性を研く。

2012-11-19 | 本棚並べ
谷崎潤一郎著「文章読本」(昭和19年・140版発行)の古本を棚からとりだして、パラパラ。その本の最後は、こうありました。

「私は、文章道の全般に亘り、極めて根本の事項だけを一と通り説明致しましたが、枝葉末節の技巧について殊更申し上げませんのは、申し上げても益がないことを信ずるが故でありまして、もし皆さんが感覚の練磨を怠らなければ、教はらずとも次第に会得されるやうになる、それを私は望むのであります。」

ここにある「感覚の練磨」というのは、
第二章「文章の上達法」にある、「感覚を研(みが)くこと」で、具体的に触れられておりました。そこを少し引用。

「そこで、感覚を研くのにはどうすればよいかと云ふと、
出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと
が第一であります。次に
実際に自分で作つてみること
が第二であります。
右の第一の条件は、敢て文章に限つたことではありません。
総じて感覚と云ふものは、何度も繰り返して感じるうちに鋭敏になるのであります。」


本棚の整理をしていると、
こういう本を忘れていたと、
思い出させてもらえます。
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二十年たっても。

2012-11-18 | 短文紹介
文學界12月号の追悼鼎談を、
もう少し引用。
池澤夏樹・辻原登・湯川豊の3名。

そこでは、密葬の様子もチラリと知ることができました。

「密葬で、長男の亮さんが『父は戦前という時代が大嫌いで、戦後が大好きだった。息子としては、父はちょっと戦後贔屓がすぎると思ったけれども』と挨拶されました。」と池澤さん。

辻原さんは「池澤さんが密葬の弔辞で言ってましたね。『この葬儀に一つだけ欠けているものがある。丸谷さんのスピーチだ』って。」
それに、池澤さんが答えて
「なんだか、最後に丸谷さんから『みんな、ありがとう』っていうスピーチがありそうな気がして。おかしいですよね。追悼文を書いても、こうして鼎談をやってても、丸谷さんが読まないのが理不尽な気がする。」

池澤】 今、『毎日新聞「今週の本棚」20年名作選】全三巻を選んでいてつくづくそう思います。二十年たっても読めるんですよ、書評が一個の短いエッセイとして。で、とてもいい気分になるんです。われわれはこの二十年で、バブルの崩壊もあったし、大事件や震災も経験したけれど、しかしこれだけいい本を出してきたじゃないかという意味において、人を明るくするのね。人を明るくすることは、丸谷さんのおおきな力だと思う。(p251)


鼎談の最後の方も引用させてください。

辻原】 僕、丸谷さんに怒られたことが二回あります。一つは読売新聞にも書きましたが、文学賞受賞式で僕がしたスピーチについて。もう一つは、銀座で新聞記者の人たちと飲んでいて、ある作家のゴシップになった。僕はつい調子に乗って、あの人は小説が下手だみたいなことを言ったんです。そしたら丸谷さんがキッとなって、『きみね、ヘボな将棋指しのことをヘボだって言うのは、もっとヘボだ』。それはやっぱり、すごく効きました。
  ・・・・・・・・
湯川】 僕は叱られたのはほんとに一回だけ。編集者として会った最初の頃に、頼まれたことを不義理して一ヵ月ぐらい放っておくうちにだんだん重荷になって、しばらく丸谷さんのところへ行けなくなってしまったんです。二ヵ月ぐらいたってからやっと、長い長いお詫びの手紙を出したら、電話がかかってきて、『きみねえ、ああいう長い手紙なんか書く必要ないんだよ。間違ったときにすぐに謝る。電話で謝るのがいちばんいいんだよ』。それ以後、肝に銘じています。
池澤】 確かに、筆まめでいらした。これは特筆すべきですね。すぐにはがきが来る、ファックスが来る。これも社交。大事なこと。
辻原】 結局、楽しかったな。丸谷さんがいて、小説を書いたり書評したり、ときどき会ったり、あるいはこうして丸谷さんがいなくなっても、丸谷さんの話をする時間は・・・・。



そうそう。11月18日。つまり今日の今週の本棚は湯川豊さんが、松家仁之著「火山のふもとで」(新潮社)の書評をしておりました。
その書評はこうしめくくられております。
「これは五十歳を過ぎた作者が書いた初めての長編小説であり、小説を書くことへのあふれるような意欲と、既にして身についていた固有の文体と技巧がごく自然に結びついて、まぎれもない傑作が生まれたのである。」

読んでいただきたい丸谷才一氏がいなくとも、「今週の本棚」に、書評を書く湯川氏がおりました。
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待てました。

2012-11-17 | 短文紹介
ハルキ文庫から小松左京著「日本アパッチ族」が出たようです。
待ってました。ありがたいなあ。
うん。以前読んだ
加藤秀俊著「わが師わが友」の
「『貝食う会』の五人」に、こんな箇所があったのでした。

「わずか一年とはいえ日本を留守にして帰国・・・
この一年の空白を埋めることなど、とうていできた相談ではないけれども、もしもこの一年のあいだになにか必読の書が出ていたら、それを読むことぐらいはできるだろう。
わたしは、知友の誰かれをつかまえては、いったいなにを読むべきかをたずねてまわった。すると多田道太郎さんや山田稔、それにあの謹厳な高橋和巳までが異口同音に、必読の書は小松左京という人物の『日本アパッチ族』(1964年、光文社)であるという。わたしはさっそく書店におもむき、この小説を読んだ。そして、その中に山田捻(ひねる)という名前で山田稔が登場していることなども知ったのだが、読みながら抱腹絶倒するとともに、こんなかなしい小説を書いた小松左京という人物につよく惹かれた。」


うん。この箇所を読んで以来、この「日本アパッチ族」を読みたいと思っていたのですが、そのままに忘れておりました。よかった新刊の文庫で読める。とりあえず、明日注文しよう。

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丸谷書評論。

2012-11-16 | 短文紹介
日経の古新聞をもらってきました。
なんか、廃品回収か?

その10月16日の文化欄に
菅野昭正氏が、丸谷才一さんを悼むということで、
「八面六臂のひと」という文を載せておりました。
はじまりは

「古めかしい言いかたになるが、丸谷才一は八面六臂(はちめんろっぴ)の文学活動を成しとげた作家だった。小説、評論、書評、随筆、日本語論、文明批評、社会批判等々。連歌や俳句の制作も余技ではなかった。・・・」

ああ、ここは引用しておきたいなあと思った箇所は

「書評は批評の大事なひとつの形態である。
それが丸谷書評論のエッセンスで、
そんなことを話しあった記憶が私にはある。
どんな文学批評あるいは文明批評も、
ある書物をきちんと読んで確かな評価から
出発しないかぎり、実りある説得力を
獲得することはできないのではないか・・・。
同時にまた、書評はそれ自体で独立して、
愉しく興味をもって読める作品でなければならない。
・・・・」


うん。文芸雑誌に掲載された
丸谷才一追悼文を、全部手に取って読みたいのですが、
ここまで。
う~ん。深追いは禁物でござる(笑)。
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追悼鼎談。

2012-11-15 | 短文紹介
文学界12月号に
追悼丸谷才一とあるので、
そこだけ読みたく、注文。
それが今日とどきました。
池澤夏樹・辻原登・湯川豊の追悼鼎談が掲載されております。
湯川氏の言葉が、私は印象に残ります。

湯川】 丸谷さん自身の言葉でいうと社交ですよね。ただ、何度もインタビューして思ったのは、丸谷さん自身は、生まれながらの社交的人間ではなかった。東京育ちの人のように談論風発なのではなく、一生懸命準備しないと話せなかった人です。実は。社交性というものを自分でつくりながら、世界への認識の根本にしていったんじゃないかと思います。
池澤】 だから、きっちり挨拶文も原稿を書いていった。
湯川】 ほんとに都会育ちの洒落た人はあれはやらないです。僕も隣の県の人間ですからよくわかります。・・・・立て板に水ではなく、朴訥にやるんですよ。銀座なんかに行くと、そういう話をふっとやる。


うん。そういえば、丸谷氏と同じく山形県鶴岡市出身の渡部昇一氏のことを思い浮かべるのでした。WILL2011年5月号に渡部昇一氏の追悼文「谷沢永一先生に教わったこと」がありました。そこでは、カラオケクラブへ行くことに触れられておりました。

「・・谷沢先生とお会いする機会が特に増えたのは、松下幸之助さんが作った『京都座会』ができてからでした。山本七平氏や堺屋太一氏をはじめとして十人前後のメンバー・・・その研究会の後には毎回、『もう一席』ということで赤坂のカラオケクラブへ行っていました。谷沢先生は座持ちがうまくて、話題豊富、世間話の宝庫のようで、談論風発。非常に面白い。明るく楽しいお話しされるので、ホステスたちも喜んで聞いていました。華のある方なのです。
ところが、いざ歌う段になると、選ぶ歌は『昭和枯れすすき』や『風の盆恋歌』など。どの歌もみんな湿っぽく貧乏臭くて辛気臭い、景気の悪い歌ばかり。『さびしくなければ谷沢永一ではない』などと冷やかされていました。その対比を本当に懐かしく思います。
また、そのクラブに行くと私はトイレが近いもので――女房も初デートの時に『よくトイレに行く人だな』と思ったというほど――赤坂のクラブで二、三時間のうちに二回ほどトイレに行くのがいつものことでした。」

こういう際に、渡部氏は丸谷氏のように、「朴訥にやる」のでしょうか?
などと思ったりするのでした。

私は文学界の追悼文しか読まないのですが、
(小説は苦手)それでも追悼鼎談とほかの追悼文で満腹感を味わえました。
あれこれと思い浮かぶ読み甲斐のあるものでした。
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まあだだよ。

2012-11-14 | 短文紹介
徳間書店「まあだだよ 黒澤明」の
第一部「『まあだだよ』と百先生の生きた時代」を
黒澤明さんが書いておりました(語っていたのかなあ?)。

そこに、戦争中の回想が出てきておりますので、
引用しておきたくなります。

「『まあだだよ』で門下生達が、仰げば尊しを唄っていると、空襲警報のサイレンが鳴りだすところがある。そこに効果音の空襲警報の音を入れたときは、嫌な気がした。1945年、僕は渋谷の恵比寿に住んでいたが、そろそろ恵比寿も燃えそうなので、会社からトラック一台出してもらって、世田谷の祖師谷に新婚早々引っ越した。その翌日に、恵比寿の家は燃えてしまった。
しかし祖師谷でも毎晩空襲を受けて、『今晩でお終いかな』という思いをしていた。毎日毎日何百機と、夜となく昼となく飛んで来る。『ああ、今晩も死なないですんだ』という毎日だった。その空襲は、三列縦隊になってB29がやって来る。真ん中の飛行機は小田急線の上を通ってやって来て、もう一機は甲州街道の上、後の一機は玉川線という具合だった。
その頃、成城に労働科学研究所(という名称だったと記憶しているが)というのがあって、その建物の上に高射砲があったが、その高射砲が飛んで来たB29を当ててしまった。そのB29は燃えているから、自分の機体が爆発すると困るので、爆弾を全部落っことした。爆弾は祖師谷大蔵に落ちて、祖師谷大蔵が燃え出したら、そこが攻撃目標だと勘違いして、後からきた飛行機が爆弾を落とし始めた。『よけいなことしやがるな』と思っていると、そのうち止めて都心に行ったということがあった。
東京湾方面から入って来て祖師谷の上を通り、所沢を爆撃する飛行機があったが、昼間、下から見ていると、祖師谷の上で爆弾槽を開けるのが肉眼でも見えた。祖師谷の上で開けたのなら、もっと先で落とすのだけれども、あまりいい気持ちはしないものだ。
日本の飛行機が攻撃して、敵機が撃ち落されたりすると、バラバラになってエンジンやその他の残骸が落っこちてくる。本当は相当離れたところに落ちるのだけれども、そらが全部自分の頭の上に落ちてくるように見える。・・・・」(p31~32)

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お経のように読んで。

2012-11-13 | 短文紹介
徳間書店「まあだだよ 黒澤明」。
大判A4サイズ。1993年発行。定価4800円。
これがネット古書店で安いのが840円。
つぎに安いのが1500円。
けっして映画パンフではありません。

第一部は黒澤明の文が32ページもあります。
それも引用したいのはやまやまですが、
ここでは、第二部の絵コンテとシナリオを紹介。

ナレーション 「この先生の家も空襲で焼けて了った」
   ・・・・・・
先生「いやいや・・・不思議と焼け残ったこの小屋にめぐり合ったのは望外の幸運だ・・・しかも、この持ち主は面識のあるバロンでね」
高山「バロン」
先生「男爵だ」
高山「男爵がこんな家に?!」
先生「馬鹿言っちゃいかん・・・ここはね、その男爵の屋敷の庭番の爺さんの小屋だ・・・屋敷の方は、私の家と一緒に焼けた・・・焼け出されたその朝、私達がこの小屋を見つけて一休みしている時、屋敷の焼け跡を見に来たそのバロンに会ってね・・・この小屋を貸してくれないか、と頼んだら、どうぞどうぞって訳でね・・助かったよ、全く」
 先生、ふところから本を出して見せる、
 その本の表紙。

   方丈記 鴨長明

先生「これ、知ってるだろう」
 みんな、うなずく。
高山「はい」
  と、手にとて見て、返す。
先生「本は重くてね・・・・好きなこの本だけ持って逃げた・・・この鴨長明という人は、平安時代の都に住み、戦乱、大火、飢饉、その他いろいろな災厄を経験し、この世の無常を儚んで、山の中に庵をむすんで隠遁した、私も近頃、全くこの鴨長明の心境だよ。・・・」

ちょうど、この本の真ん中へん。
p94~95には
絵コンテで先生が小屋の中で本を両手でもって読んでいる図。
ちゃんと本には、表紙に方丈記と書いてあります。

そのコンテの少し前のページにはシナリオがありまして、そこを引用。

  先生、『方丈記』を声を出して、お経の様に読んでいる。
『たびたびの炎上に、ほろびたる家、またいくそばくぞ・・・ただ仮りの庵のみのどけくして、おそれなし・・・ほどせばしといえども、夜臥す床あり、昼いる座あり、一身をやどすに不足なし』
  秋―冬―春。
 方丈よりなお狭い家で、ひっそりと暮している先生と奥さん。秋は、二人、トタン屋根をころがる落葉の音を聞いているかも知れない。冬は、二人、七輪に身を寄せて窓の雪を見ているかもしれない。春は、二人、硝子戸を開けて、春の陽射しを浴びているかも知れない。そして、青葉の五月が来る。


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