和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

遠くを見よ。

2009-10-22 | 短文紹介
谷沢永一著「執筆論」(東洋経済新報社・2006年)に
「読解(コメント)つき名言摘出(ピックアップ)」を語った箇所があります。

「一度は鬱におちこみながらやっとの思いで書きあげた『百言百話』は、今後の私の前途の行程を拓く道標(みちしるべ)となり、ありがたくも十数年にわたって継続的に版を重ねる次第となった。このとき思い立った新しい様式である読解(コメント)つき名言摘出は、以後の私にとってはいつも念頭に置く主要な仕事の柱となってゆく。
平成五年秋、PHP研究所の発起で、また別個の名言読解集を出すことになった。今回はいささかあわただしく、PHPエディターズ・グループが選んだ古今の名句一覧に、例によって読解をつけるべしであるのだが、遅筆の貴方に書いてくれるよう頼んだところで、何時になることやらわからないだろうから、このたびは一気に語り下ろすべし、という方針である。そこで名句の表を置いて睨みながら、四時間ほど休みなく語ってできたのが『古今東西の珠玉のことば』と副題する『名言の智恵人生の智恵』(平成六年)である。新書版サイズで特製クロス表紙仕上げに艶(つや)のあるカバーつきという神長文夫による装幀が目立ったのか、私の本としては珍しく出足が早い。それどころか10年ひきつづき版を重ね、五十五刷に及んだ。あとから文庫に入れて同時並行したところ、また次第に版を重ねつつある。まことに不思議な編年の売れゆきが今のところまだ止まらない。
そこで読者の要望に応えるべしと独り合点の気分になり、今度は、私自身が慎重に新たなお目見えの句を選び、全編を書き下ろして同じ版型と装幀で『古典の智恵生き方の智恵』(平成10年)を刊行したところ、初版どまりでまったく動きを見せず今日に至っている。たった四時間ほど語ったのみの本が10年以上も続けて求められ、逆に十分に用意して時間をかけ全力をふるって執筆した本が読者からあっさり見捨てられた。」(p173~174)

そういえば、私は「名言の智恵人生の智恵」を購入したあとに、同じ副題の同じ版型の本で、気にもしなかったような気がします。前の「百言百語」がとてもすばらしかった。それでつい期待して覗いた「名言の智恵人生の智恵」を、何だこんな内容かと思ってしまったのでした。それで次の本は、確認もせずに、その時は購入しないでおりました。あとになって「執筆論」を読んでからあらためて古本屋でネット購入。

ところで、話はかわりますが、ろこさんのブログ「言葉の泉」を拝見したら、

「オリオン座流星群は、10月19日(月)から10月23日(金)未明までが、ピークとか。夜10時ころから、月が見えなくなるので、オリオン座の方を注目。一晩に40~50個ほどのオリオン座流星群『流れ星』が見えるそうです。特に、明け方になるにつれて多くの『流れ星』が見えるそうです。」(10月21日日記)とありました。

いつも夜中に星を仰ぐようなことはありません。
う~ん。見れたらいいなあ。ということで、谷沢氏の「古典の智恵生き方の智恵」の名言摘出から一箇所(p134)。

「憂鬱病の人には、わたしはたった一つしか言うことがない。
『遠くを見よ』 と。
憂鬱病の人は、ほとんどつねに、読みすぎる人である。人間の目は、そういう近距離のためにつくられているのではない。広々とした空間を見て休まるものだ。星や海や水平線を眺めていれば、目はすっかりやすらいでいる。目がやすらいでいれば、頭は自由になり、足どりももっとしっかりしてくる。すべてがくつろぎ、内臓までしなやかになる。しかし、けっして意志の力でしなやかになろうと試みてはいけない。自分の意志を自分のなかにさし向けたのでは、なにもかもがうまくゆかなくなって、ついには自分の息の根をしめるようになる。自分のことを考えるな。遠くを見よ。」
   アラン「幸福論」(「世界教養全集5」平凡社88、89頁) 
コメント (2)
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