曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)を
ポツリポツリと引用しているのですが、そういえば、
パウロの言葉を直接引用してなかったかもしれない。
すこしは、引用しておくことに。
その前の曽野綾子さんの言葉から引用をはじめます。
「 『人生何をなすべきか』などという質問は、
青春にしか思いつかない問いである。若い時、
人間はこういう言葉を始終自分に投げかけ、
しかも、全く答えの出ないのが普通なのである。
しかし、パウロはそのことに、
もののみごとに答えている。
しかも胸を打つような表現で、である。
『 畏(おそ)れおののきながら、
自分の救いを力を尽くして達成しなさい。
あなたがたのうちに働きかけて、
ご自分のよしとするところを望ませ、
実行に移させるのは神だからです。
何ごとも、不平を言ったり理屈をこねたりしないで行ないなさい。
・・・ゆがみ、ねじ曲がった世代にありながらも・・・
そして、いのちのことばを自分のものとすることによって、
人々の中で、この世に輝く星のように光り輝きます 』
( フィリピ2・12~16 ) 」
( p185 「心に迫るパウロの言葉」単行本 )
はい。こうして引用していると、私は次に聖書をひらかなければ
いけないような、そんな気持ちになってきております。
ということで、「心に迫るパウロの言葉」にでてくる
気になった『聖書』という言葉を引用しておくことに。
「・・・私が爽やかに思うのは、働かなければ食べられないのだ、
というような大原則が、次第に社会から薄れて行き、
社会がどんな人間も生きられるように保証すべきだ、
というような論理が次第に強くなりつつある時、
聖書は決してことの本質を見失うような、
あるいは社会の考え方の流行に迎合するような
姿勢を見せてはいないということなのである。・・・ 」(p250)
最後にもう一ヶ所引用しておわります。
「 今の時代に、肉と霊との闘いとは古い、と言うか、
肉と霊が闘わねばならないようにさせているのは、
『 政治の貧困か社会が腐っているからでしょう 』
と言うことになってしまって、そのもっとも
人間らしい分裂の状況をはっきりと認識さえしないのである。
パウロは二千年近くも前の人だが、その人が真っ向に
取り組んだ苦悩さえ、現代の我々は避けて通るようになってしまった。」
( p287 単行本 )
さあ、私のことですから、いつになるかもわかりませんが、
とりあえずは、新約聖書を購入しておこうと思うのでした。
それよりも、まずはパウロの書簡と呼ばれるものから・・。