今日で2月も終わり。今月は三好達治著「諷詠十二月」を読みました。その二月の箇所を、ちょいと引用して、2008年2月を惜しみましょう。
「 手洟かむ音さへ梅のさかり哉
春もややけしきととのふ月と梅
うめがかにのつと日の出る山路かな
・・・・・・
手洟かむ音さえ、梅花の真盛りの農家のほとりなんどにて聞けば、また詩趣なしとせずとしたのであろう。面白い句である。俳諧は『のつと日の出る』底の平談俗語をいとわないのみか、蚤も虱も馬のしとする音も、勢いのいい手洟の声も、ことごとく無差別に摂取してこれに詩趣を付与するその手柄は、誰人も常に驚異し讃嘆するところであって、まったく世界に類例のない貴重な珍しい詩境を打開したものと称していい。」
3句とも、芭蕉です。三好達治氏が「詩趣を付与するその手柄は」と語れば、思っても見なかった詩の雄大な視野を付与されたような気持ちになりました。今年の二月は三好達治著「諷詠十二月」を読めたのでした。
「 手洟かむ音さへ梅のさかり哉
春もややけしきととのふ月と梅
うめがかにのつと日の出る山路かな
・・・・・・
手洟かむ音さえ、梅花の真盛りの農家のほとりなんどにて聞けば、また詩趣なしとせずとしたのであろう。面白い句である。俳諧は『のつと日の出る』底の平談俗語をいとわないのみか、蚤も虱も馬のしとする音も、勢いのいい手洟の声も、ことごとく無差別に摂取してこれに詩趣を付与するその手柄は、誰人も常に驚異し讃嘆するところであって、まったく世界に類例のない貴重な珍しい詩境を打開したものと称していい。」
3句とも、芭蕉です。三好達治氏が「詩趣を付与するその手柄は」と語れば、思っても見なかった詩の雄大な視野を付与されたような気持ちになりました。今年の二月は三好達治著「諷詠十二月」を読めたのでした。