和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

「下から来る地震はこわいよ」

2024-07-29 | 地震
「安房震災誌」をパラパラめくっていたら、
富浦村の「人の被害」という箇所に

「 富浦村は曾て安政の大地震にも可なりの
  災害を被りしと伝へらるるも確然たる記録は勿論、
  是れといふ言ひ伝へもないが・・・  」(p97)

うん。安政の大地震の内容については語られていないのですが、
ここに『安政の大地震』という言葉が出て来ておりました。

「大正大震災の回顧と其の復興」上巻にも、安政の大地震に
触れた箇所がありましたので、短いから全文引用(p878~879)。
富津尋常高等小学校 八田知栄という方の追憶談でした。

「大正12年9月1日・・・児童を帰して職員大部分は職員室に
 集まってゐた。私は広尾訓導に認印を押して貰ふ用事があったので、
 高等科の教室に行って見ると3人ばかりの児童が残ってゐた。

 やがて下から持ち上げられる様な気持でドーンと来た、
 私は『地震だ。出ろ』と思はず叫んだ。
 広尾訓導は『大丈夫だ』と云った
 ( 其の大丈夫だと言ったのは倒潰することはない、
   夏休中に教室の柱を修理したからの意味で有った )

 私は『何に出ろ』と言って外へ出た。
 ころころと転げて畑の中まで転げ落ちた。
 頭を上げて見ると『ガラガラ』と砂煙りを上げて
 東側の校舎が倒れるのを見た。
 私も広尾訓導も命を拾った、児童も早く逃げ出して居った。

 私の父母は江戸で生れて安政の大地震のとき恐ろしい目に遭った。
 母は常に『下から来る地震はこはいよ』と教えてくれた。
 今更に母の言葉の有難味を覚える、
 下から来る地震東京湾沿岸、三、四尺も隆起した
 ところを見ると下からまくし上げたに違ひない。  」

そういえば、寺田寅彦のエッセイに安政地震のことが出てくる
箇所がありますので、最後にそこも引用して終ります。

「・・困ったことには『自然』は過去の習慣に忠実である。
 地震や津波は新思想の流行などには委細かまわず、がんこに、
 保守的に執念深くやって来るのである。

 紀元前20世紀にあったことが紀元20世紀にも
 まったく同じように行われるのである。科学の法則とは
 畢竟(ひっきょう)『自然の記憶の覚え書き』である。

 自然ほど伝統に忠実なものはないのである。
 それだからこそ、20世紀の文明という空虚な名をたのんで、
 安政の昔の経験を馬鹿にした東京は、
 大正12年の地震で焼き払われたのである。

 こういう災害を防ぐには・・・・しかしそれができない
 相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し
 過去の記録を忘れないように努力するよりほかはないのであろう。 」

(p184~185 寺田寅彦エッセイ集「科学と科学者のはなし」岩波少年文庫)

はい。8月28日(水曜日)に「安房郡の関東大震災」という題で
1時間の講座を語るのですが、これを導入部としましょうか。
安政の大地震と比べ、ありがたいことには関東大震災は過去の記録が
きちんと残されております。そして、その安房の記録を紐解いてゆく。


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2 コメント

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下から突き上げる (阿智胡地亭辛好)
2024-07-31 19:08:07
神戸で体験した阪神淡路大震災のとき、地中から強大な蒸気機関車が轟音を上げて驀進しつつ地上に躍り出
てきたという感じを受けながらはいつくばって布団の
上で体が躍ってただ震えているしかありませんでし
た。後で知りましたが須磨寺に過去の大地震の有様を
記した古文書が多数あったそうです。しかし当時は神
戸には地震はないと殆どの住民は思い込んでそう言っ
ていました。
返信する
おはようございます。 (和田浦海岸)
2024-08-01 08:50:54
おはようございます。阿智胡地亭辛好さん。
コメントをありがとうございます。

世界中をアチコチと行ってらっしゃるのは
拝見しておりましたが、まさか震災の当日に
神戸におられたというのは、知りませんでした。

貴重なコメントをありがとうございます。
今日から8月となりました。
講座「安房郡の関東大震災」は
1時間でまとめられるかどうか、
いまだに、下書きが出来ていないのでした。
けれども、あれこれと思いめぐらす楽しみ。
返信する

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