昨年の読売新聞2024年2月1日の文化欄に
災害情報論、社会心理学の関谷直也教授への聞書きが載っておりました。
そのはじまりは
「 能登半島地震が起きて改めて、各地で起きている災害を
自分事として考えているか、と思わされた。
まず、各地域で災害の特性が違うことを理解しなければならない。 」
そして、文の最後の方にはこうありました。
「 誰もが病気やトラブルに巻き込まれて身近な人を亡くすことはあるし、
災害では、周囲のたくさんの人が前触れなく突然亡くなる。
『 どうしてあの時対処できなかったか 』と、残された人は落ち込む。
普通の人なら耐えられないし健常な状態ではいられない。
だから忘却は心を守るために必要なのだ。
東日本大震災の調査や被災地の様々な人とかかわってきた経験から、
グリーフケア( 悲しみのケア )の観点で言えば、
転がる石の角が徐々に取れるように、被災の記憶が少しずつ薄れ、
風化するのは自然なことだ。
ただ、社会には何かが残らないといけない。
災害は忘れられることを前提に、
地域で起きた過去の災害を知り、
よその災害を学び、語り継ぐことが、
真の防災だと思う。・・・・・・ 」
また、聞き書きの真中ごろには、こうありました。
「 過去の災害の歴史を正確に学ぶことは大切だ。
理学的に災害のメカニズムを解析すること、
工学的に耐震設計やハード面の安全性を強化することは重要だが、
命を守る行動につながるかは別だ。・・・・・・・・・
個々人の心構えと具体的な防災行動につながって
初めて防災として意味があり、科学も生きたことになる。・・ 」
はい。古新聞で今年になって読んで印象に残っております。
ここに『 過去の災害の歴史を正確に学ぶことは大切だ 』
とありました。思い浮かぶのは、
『安房震災誌』の凡例を記した編纂者・白鳥健の言葉でした。
「本書は記述の興味よりは、事実の正確を期したので・・・
文章も、諸表の様式も、敢えて統一の形式をとらず、
当時各町村が災害の現状そのものに就いて作成したままを
なるべく保存するように注意した。 」
この『安房震災誌』を後世に残すことを企画したのは
安房郡長・大橋高四郎氏であったわけです。
この本が世に出た大正15年3月には、もう前安房郡長の肩書で、
序文に『安房震災誌の初めに』という文を寄せておられました。
ここには、文の後半の箇所を引用しておきます。
「 ・・・・震災誌編纂の計画は、
これら県の内外の同情者の誠悃(まこと・まごころ)を紀念すると
同時に、震災の跡を後日に伝へて、いささか今後の計に資する
ところあらんとの微意に外ならない。
震後復興の事は、当時大綱を建ててこれを国県の施設に俟つと共に、
又町村の進んで取るべき大方針をも定めたのであった。
が、本書の編纂は、もっぱら震災直後の有りの儘の状況を記するが
主眼で、資料もまた其處に一段落を劃したのである。
そして編纂の事は吏員劇忙の最中であったので、挙げてこれを
白鳥健氏に嘱して、その完成をはかることにしたのであった。
今、編纂成りて当時を追憶すれば、身はなほ大地震動の中に
あるの感なきを得ない。聊か本書編纂の大要を記して、
これを序辞に代へる。 」
今年7月の公民館講座は『 地元安房の関東大震災 』と題して
この『 安房震災誌 』を出来るだけ正確にたどってゆきます。