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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

後日の参考に ③

2025-05-31 | 地域
昨年の読売新聞2024年2月1日の文化欄に
災害情報論、社会心理学の関谷直也教授への聞書きが載っておりました。

そのはじまりは
「 能登半島地震が起きて改めて、各地で起きている災害を
  自分事として考えているか、と思わされた。
  まず、各地域で災害の特性が違うことを理解しなければならない。 」

そして、文の最後の方にはこうありました。
「 誰もが病気やトラブルに巻き込まれて身近な人を亡くすことはあるし、
  災害では、周囲のたくさんの人が前触れなく突然亡くなる。
  『 どうしてあの時対処できなかったか 』と、残された人は落ち込む。
  普通の人なら耐えられないし健常な状態ではいられない。

  だから忘却は心を守るために必要なのだ。
  東日本大震災の調査や被災地の様々な人とかかわってきた経験から、
  グリーフケア( 悲しみのケア )の観点で言えば、
  転がる石の角が徐々に取れるように、被災の記憶が少しずつ薄れ、
  風化するのは自然なことだ。

  ただ、社会には何かが残らないといけない。

  災害は忘れられることを前提に、
  地域で起きた過去の災害を知り、
  よその災害を学び、語り継ぐことが、
  真の防災だと思う。・・・・・・          」


また、聞き書きの真中ごろには、こうありました。

「 過去の災害の歴史を正確に学ぶことは大切だ。
  理学的に災害のメカニズムを解析すること、
  工学的に耐震設計やハード面の安全性を強化することは重要だが、
  命を守る行動につながるかは別だ。・・・・・・・・・

  個々人の心構えと具体的な防災行動につながって
  初めて防災として意味があり、科学も生きたことになる。・・ 」


はい。古新聞で今年になって読んで印象に残っております。
ここに『 過去の災害の歴史を正確に学ぶことは大切だ 』
とありました。思い浮かぶのは、
『安房震災誌』の凡例を記した編纂者・白鳥健の言葉でした。

「本書は記述の興味よりは、事実の正確を期したので・・・
 文章も、諸表の様式も、敢えて統一の形式をとらず、
 当時各町村が災害の現状そのものに就いて作成したままを
 なるべく保存するように注意した。  」

この『安房震災誌』を後世に残すことを企画したのは
安房郡長・大橋高四郎氏であったわけです。
この本が世に出た大正15年3月には、もう前安房郡長の肩書で、
序文に『安房震災誌の初めに』という文を寄せておられました。
ここには、文の後半の箇所を引用しておきます。

「 ・・・・震災誌編纂の計画は、
  これら県の内外の同情者の誠悃(まこと・まごころ)を紀念すると
  同時に、震災の跡を後日に伝へて、いささか今後の計に資する
  ところあらんとの微意に外ならない。

  震後復興の事は、当時大綱を建ててこれを国県の施設に俟つと共に、
  又町村の進んで取るべき大方針をも定めたのであった。

  が、本書の編纂は、もっぱら震災直後の有りの儘の状況を記するが
  主眼で、資料もまた其處に一段落を劃したのである。

  そして編纂の事は吏員劇忙の最中であったので、挙げてこれを
  白鳥健氏に嘱して、その完成をはかることにしたのであった。

  今、編纂成りて当時を追憶すれば、身はなほ大地震動の中に
  あるの感なきを得ない。聊か本書編纂の大要を記して、
  これを序辞に代へる。                  」


今年7月の公民館講座は『 地元安房の関東大震災 』と題して
この『 安房震災誌 』を出来るだけ正確にたどってゆきます。
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もしは・・にても。

2025-05-04 | 地域
昨日5月3日は法事でした。
日蓮宗のお坊さんの読経にあわせて、経本を読んでゆく。
今回はあらたに「妙法蓮華経。如来神力品。第二十一」を読経。
その最後の箇所を引用しておくことに。

「・・・解説書写し。説のごとく修業し。
 もしは経巻所住の處あらん。もしは園の中においても。
 もしは林の中においても。もしは樹の下においても。
 もしは僧坊においても。もしは白衣の舎にても。
 もしは殿堂に在っても。もしは山谷曠野にても。
 是の中にみな塔を起て供養すべし。

 所以はいかん。まさに知べし是の處は。
 すなはち是れ道場なり。

 諸仏ここにおいて。
 阿耨多羅三藐三菩提を得。
 諸仏ここにおいて。
 法輪を転じ。
 諸仏ここにおいて。
 般涅槃したまふ。               」

それが終ると、ほんの10メートルほどの地元の料理へ。
今回は電車で来てくれた人もおり、心置きなく楯野川酒造の生酒を
カラフルに三本ならべて利き酒をしながらの会話となりました。
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テキストあり。

2025-04-26 | 地域
5年前に、公民館の地域推進委員の代表の方が
地元の石碑めぐりの講師依頼に、家に来られた。
それからの縁で、今年の7月でそれが5回目となります。
もう推進委員の方も高齢で、私への依頼も最後になるかも
しれなということを言われる。うん。これが最後だと思って
しっかり5回目の講座をしようと思っております。

思えば、第一回目こそ、依頼に則って話したのですが、
二回目からは、私の思い浮かんだテーマで自由に企画させていただき、
その都度、推進委員の方には、御迷惑をかけたのではないかと思います。
各講座の題名を並べておきます。

第一回目『 石碑が語りかけてくれている地元震災への心構え 』
第二回目『 海と校歌の 和田浦さんぽ 』
第三回目『 関東大震災と「復興の歌」 』
第四回目『  安房郡の関東大震災   』

そして、今年の7月23日(水曜日)の講座の題の予定は
    『  地元安房の関東大震災  』
ということで、これで公民館講座の私の出番は最後かもしれません。
はい。最後のつもりで、しっかりと講座内容を練っておくことに。
はい。どうせ当日は、いつもウッカリ失敗するのが目にみえてる(笑)。
せめて、テキストだけはりっぱなものを提供できるよう今から心します。

じつは、昨年の参加者アンケート結果のなかに、
こんな言葉を寄せてくださった方がおられました。

「関東大震災の内容をもっとくわしく教えてほしい。(もっと時間をかけて)」

「今回の関東大震災の話とプリント等を、もう一度どこかで
 企画してほしいです。たくさんの人に学んでほしい。    」

「歴史と防災を絡めた講座(今日受講できてよかったが)度々催して欲しい。」

これらのアンケートうけて、忖度してくださった
推進委員の方々が、今年の企画をしてくださったのだと思っております。
はい。それに恥じないように、最後だと思って講座を持ちたいと思います。

まずは、公民館の広報で4行ほどの宣伝文を書くのが最初の仕事。
とりあえず、こう試し書きしてみました。最後に、その広告全文

   
        地元安房の関東大震災
 
    今回講座は、授業のような座学の2時間。
    『安房震災誌』等の記録資料をベースに、
    約百年前の安房の大震災をたどります。
    テキストがあり、予約お願い致します。

               防災士・〇〇▽▽


はい。前回アンケートに答えていただいた方々へと今回
の講座の連絡を、短く葉書で伝える気軽さで綴りました。


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家の深呼吸。

2025-01-08 | 地域
今日は、主なき家の深呼吸。
普段は、閉じ締めっぱなし。
10時から、1時頃まで掃除。
雨戸あけ、家に風をとおす。

じつは、1月22日に七回忌の法要。
この家へと、お坊さんに来て頂く。
さしあたって、玄関廻りの片づけ。
普段は、来れば雑草取りと枝払い。
いきおい、玄関の中は器具置き場。
家庭用の粉砕機や、草刈り機など、
網が切れた網戸も立てかけてある。
それらを、他の場所へ移動させる。
そのあと、納戸の整理がはじまる。
ポイントをきめてはじめたはずが、
それだけで手一杯。1時半終了し、
お腹を減らし海鮮丼にカキフライ。
はい。しっかり昼食をたべてから、
少しの用事と買い物とで家へ帰る。
もう3時過ぎ、お風呂をわかして、
後は、ビールを飲んでおりました。

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2025年の元日

2025-01-02 | 地域
朝の6時半頃に、海岸へゆく。はい。今年は一人で。
雲のない水平線に、朝日が昇ってゆく光景が見れる。
朝はお雑煮をみなで食べ、それから、
新年のお墓参り。家族親族一同の安寧をお願いする。
そして姉の家。兄の家へ。
お昼過ぎの1時頃に、また出かけようとする際に、
道路を隔てて向かいの家の長男さんが、お母さんと
いっしょに挨拶回りでちょうど玄関前で出会う。
昨年7月に入籍しましたという挨拶廻り。
お嫁さんといっしょに3人で歩いていたところで、
さっそく、冷蔵庫に冷やしてあった日本酒を
お祝いにわたす。2人して、結婚式は挙げずに、
入籍ですませたのだと、お母さんは説明される。
学生の頃の長男さんのことしか知らなかったので、
大学生そして社会人になってからのことは
知らなかったので、顔がなかなか結びつかなかった。
けれど声を聞いているとわかってきて、
すくない会話のうちに、顔立ちが両親とダブってくる。
新年そうそうに、目出度いお祝いの場面に遭遇できて、
短いながら、初日の出を見るような眩しさを感じておりました。
長男さんから2人して撮影した和式の晴れ着の写真をいただく。
夕飯は手巻き寿司。そして、寝ておきたら、もう2日になってました。


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「 一番始めは 」

2024-10-27 | 地域
弾みがついたので、この際と思い「日本わらべ歌全集」を注文。

それが届きました。「日本わらべ歌全集6下・千葉のわらべ歌」。
はい。さっそく引用。

「全国的に手まりやお手玉にうたわれる『 一番始めは 』に
 出てくる佐倉宗吾や成田の不動さんも・・下総のものである。
 成田市にある宗吾霊堂や成田山新勝寺は、香取神宮とともに
 下総の信仰の中心であるが、わらべ歌によって全国に知られる
 ようになったといっても過言ではない。 」(p19)


      一番始めは    ( 手まり歌 )

   一番始めは一の宮 二は日光の東照宮
   三は佐倉の宗吾さま 四はまた信濃の善光寺
   五つは出雲の大社  六つは村々鎮守さま
   七つは成田の不動さま 八つは八幡の八幡宮
   九つ高野の弘法さま 十は東京二重橋    (東金市宿)

 注: 【一の宮】昔の一国一番の神社。
        その所在地の地名となっている例も多い。
        千葉県下では、長生郡一宮町玉前神社(上総)
        佐原市香取神宮(下総)、
        館山市安房神社(安房)

         ・・・・・・

「 全国の有名な神社仏閣を数え歌にしたもの。
  お手玉歌としてもうたわれる。・・・・・

  佐倉宗吾は江戸時代初期、下総佐倉藩公津村の名主で
  本名は木内惣五郎と伝えられる人。
  重税に苦しむ農民を救うため郡奉行や国家老に嘆願していれられず、
  名主らと共に江戸に上って老中に訴えても却下され、ついに
  宗吾一人が将軍に直訴し、農民の要求はいれられたが、
  宗吾は直訴の罪により磔、子供4人も打首に処せられたという。
  今も成田市宗吾の東勝寺・宗吾霊堂は、その遺徳をしのぶ地として、
  多くの人が参詣する。・・・・    」(~p46)

佐倉宗吾といえば、斎藤隆介作の絵本『 ベロ出しチョンマ 』を
思い浮かべました。さっそくひらけばこんな箇所がありました。

「  去年も今年も洪水や地震や日照りやがあって、
   米も麦もロクロクとれないのに、
   殿様はネングを前よりもっと出せと言って来ている。
     ・・・・
  『 もうこうなったらハァ、ちょうさんだ 』
  『 いっそ打ちこわしでもやっか 』
  『 ごうそするか 』
  『 それよりだれかが江戸へじきそすれば―― 』

  父ちゃんを夜おそく訪ねて来るおじさんたちは、
  じょうだんとも本気ともつかない調子で
  そんなことを言ってはタメいきをついた。
  そしてまた声が低くなって、ヒソヒソ話はいつまでも続く。

  長松はたびたび聞いているうちに、
  聞き馴れない言葉もだんだん分かって来た。
  
  ちょうさん とは田んぼも家もほうり出して、
  よその国へ逃げていくこと、
  打ちこわしとは町の米屋へおしかけて
  米蔵をぶちこわして食う米を取ってくること、
  ごうそ とは殿様の所へおしかけること、
  じきそ は将軍様へ殿様のやり方を言いつけに行くことらしい。
  そしてどれもこれも、つかまってローヤに入れられたり、
  首を切られたりするおそろしいバツがあるらしいのだ。 」

ちなみに、絵本『 ベロ出しチョンマ 』のはじまりはというと、

「 千葉の花和村に『 ベロ出しチョンマ 』というオモチャがある。
  チョンマは長松がなまったもの。このトンマな人形の名前である。

  人形は両手をひろげて十の字の形に立っている。
  そして背中の輪をひくと眉毛が『 ハ 』の字に下がって
  ベロッと舌を出す。見れば誰でも思わず吹き出さずにはいられない。 」


はい。これは千葉県には実在しない人形で、斎藤隆介氏の創作のようです。
ちなみに、
関東大震災の翌年に、安房郡長大橋高四郎は、編纂を白鳥健氏に依頼して
おります。そして大正15年に『安房震災誌』が発行されております。
編纂した白鳥健氏はどのような方か調べていたら、県北で新聞記者をして
いたようでした。その著書に『佐倉宗吾』という本を出しているようです。

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山車引き回し。

2024-10-14 | 地域
ここのところよい天気続き。
13日が山車引回し。今日の14日午前中がその後片づけ。
よい天気に恵まれ、たのしく過ごせました。
隣り地区との合同引回しが、6年ぶりなのだそうで、
祭りの時にしか会わない方々と、目礼したり声をかけたり。
輪になって踊る婦人部の方々をまえに、飲むビールも格別。
さてっと、秋祭りは終りました。練習日から引き続き、
休めず気を張っていた役員さん方ご苦労様でした。
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防災士出前講座の掲載。

2024-10-11 | 地域
わが町は、町村合併で市となったのですが、町に残る
支所から月一回発行で各家へと配布の連絡紙があります。
今月は令和6年10月10日発行。
その最後に、『 防災士出前講座のご案内 』を
載せていただきました。

とりあえず、支所へ掲載お願いにいった文面を引用しておきます。


        防災士の出前講座ご案内

『安房郡の関東大震災』をテーマとして、震災の出前講座をいたします。
ローカルな地震をほりおこし、身近な歴史として記憶にとどめておくことは、
とりもなおさず、これからの貴重な判断の指標となるものと思っております。

  出前講座は正味1時間くらいの予定。はい。無料です(笑)。
  午後6時半以降でしたら、〇〇町のどこへでも伺います。
  お申し込みは、地域やグループでだいたい5名まとまればOK。
  あらかじめ、人数分の参考資料を用意してうかがいます。

公民館講座での私の今年のテーマは『安房郡の関東大震災』でした。
地元に残された紙碑『安房震災誌』をもとに、紐解いてゆきます。
なにぶん出前ははじめて。関心のある方は、お気軽にご連絡ください。

                   住所 〇〇〇〇
                   電話 〇〇〇〇
                   氏名 〇〇〇〇


はい。以上の文面を、すこし修正して載せていただけました。
さてっと、連絡が来るものなのかどうか? 
これから、連絡を待つ時間となります(笑)。
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地域震災出前講座。

2024-09-23 | 地域
『安房郡の関東大震災』の題で、防災士として
出前講座をしようと思いました。

時間は、午後6時半以降ならOKです。
地区や、5人以上のグループの要望で出前うけたまわります。

        口 上

防災の日は、関東大震災(1923年)が発生した9月1日になっておりました。
その日の安房郡を焦点にして、関東大震災の記録と記述とを読み解きます。
さいわい『安房震災誌』などの紙碑が残されております。
防災士として、地元の安房の関東大震災を語りふりかえります。

  出前講座の予約は、電話〇〇〇〇へ
  参加人数分のプリントを用意してお伺いします。
  午後6時半以降でしたら、いつでも、
  講座は、正味一時間くらいの予定。
  ただし、金曜日のみ、午後7時半以降となります。 


はい。思いつくのはさまざまですが、
当ブログでは、思いつきをそのままに記録しておきます。
思いつきを実行するかどうかは、これはまた別とします。
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今年1年1回の講座終了。

2024-08-29 | 地域
昨日は、講座「安房郡の関東大震災」がありました。
まずは、お借りしている高校の先生による学校紹介が30分。
それから、私の番。
きちんと学校紹介されていた後の
私のずぼらな語りでしたので、
何より私自身が焦っちゃいました。
それでかもしれませんが、ペースが乱れて、
資料をあれこれと飛ばしながら進めました。
うん。支離滅裂な具合となりました。
途中、15分のトイレ休憩をはさんで、
そのあと、30分ほど話しました。
さいごに、『復興の歌』を歌って私の話はおわり。
その後に、学校の屋上にあがりまして、四方を見渡す。

そこで私は『復興の歌』の一番だけを一人歌っておりました。

  黒潮かおる東海に 朝日さやかに さしのぼる
  ああ 安房の国うまし国 我ら若きを歌わなん

ちょうど、皆さんが4階の上の屋上から、
太平洋をながめていたときに、歌いました(笑)。
唯一これが当日の私がホッとできたことでした。

われながら支離滅裂な講座だったのですが、
参加された皆さんを前に、とりあえず、
どの資料から語ろうとして無意識にでもとりあげた箇所を、
あらてめてもう一度反芻して、講座を振りることにします。

まったくもって、ブログにあれこれと書きこんでゆくことと、くらべて、
時間をくぎり、その中で人前で語ることの相違を体験させてもらいました。
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8月28日本番。

2024-08-26 | 地域
今日を入れてあと2日。
1時間で伝える内容を選り分けようとするのですが、
思いつきは楽ですが、こういうのの、まとめは苦手。

とりあえずは、『安房震災誌』の本を紹介しながら、
まずは、そこに掲載された図やら一覧を配布して、
それにまつわる、あれこれを解説してゆくことで、
筋道をつくってゆけたならと、思うには思うのですが・・。

う~ん。こういうのは語り出すと支離滅裂になりそうで、
とりあえずは、配布する資料のあれこれを考えてみます。
はい。素材で勝負することに(笑)。


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委細かまわず、がんこに。

2024-08-24 | 地域
全体を俯瞰するのは難しいなあ。
そういうときに、思い出したように
読みたくなるのが寺田寅彦の「津波と人間」という
9ページほどの文章です。

4年ほどまえに、地域の震災碑文などを通してめぐりました。
そのときに、印象深く反芻したのも「津波と人間」でした。
そのときの、気になった箇所はここいらです。

「・・災害記念碑を立てて永久的警告を残してはどうか
 という説もあるであろう。しかし、はじめは人目に付きやすい
 ところに立ててあるのが、道路改修、市区改正等の行われるたびに
 あちらこちらと移されて、おしまいにはどこの山かげの竹やぶの中に
 埋もれないとも限らない。

 そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく言っても、
 たとえば『市会議員』などというようなものは、そんなことは
 相手にしないであろう。そうしてその碑石が八重葎(やえむぐら)
 に埋もれたころに、時分はよしと次の津波がそろそろ準備されるであろう。」

はい。碑文をめぐって少し歩いているのは大抵が旧道の
あまり車の通らない箇所でした。またよく聞いたのは
碑文は、以前はここにはなかったのだよ。ということでした。」

はい。今回再読していて、気になる箇所はここでした。

「しかし困ったことには『自然』は過去の習慣に忠実である。
 地震や津浪は新思想の流行などには委細かまわず、
 がんこに、保守的に執念深くやって来るのである。・・・

 科学の法則とは畢竟(ひっきょう)『自然の記憶の覚え書き』である。
 自然ほど伝統に忠実なものはないのである。・・・   」

「科学が今日のように発達したのは、
 過去の伝統の基礎の上に、時代時代の経験を
 丹念に克明に築き上げた結果である。
 それだからこそ、台風が吹いても
 地震が揺すってもびくとも動かぬ殿堂ができたのである。

 二千年の歴史によって代表された経験的基礎を無視して、
 よそから借り集めた、風土に合わぬ材料で建てた
 仮小屋のような新しい哲学などは、
 よくよく吟味しにとはなはだ危ないものである。

 それにもかかわらず、うかうかとそういうものに頼って
 脚下の安全なものをすてようとする、
 それと同じ心理が、正しく地震や津浪の災害を招致する、
 というよりはむしろ、地震や津浪から災害を製造する
 原動力になるのである。・・・・    」

はい。分かるようで分からないような表現なのですが、
何年か時間をおいてまた読んでみると、分るような気がしてきます。

ということで、そんな感じで、一年に一回の震災講座。
それを来週の8月28日(水曜日)におこないます。
それが、今度の台風でできなくなるかも(笑)。
 

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昨日は練習日でした。

2024-08-22 | 地域
地震講座の「安房郡の関東大震災」を
8月28日(水曜日)午前中おこなうために、
昨日は、その予行練習をかねて、10名の方の前で語りました。

うん。関東大震災を振返ってかたるのですが、
だんだんと、終りの方ではなんだか語るほうが滅入ってきて、
それでもって、講座本番の講習の最後の終わり方だけ決まりました。

関東大震災の直後に、安房農学校の貴島憲先生が
生徒と共に歌う『復興の歌』を作詞して歌っております。
はい。8月28日の講習の最後は、皆さんでその『復興の歌』を
歌って終ろうとおもいます。

『安房郡の関東大震災』という題には、
副題に『安房郡長・大橋高四郎』とさせていただきました。
練習日では、その大橋氏は、ちょっとしか触れられませんでした。

それでもって、本番では、それを修正しておいてくださいと
丁寧に指摘してくださる方がいて、ありがたく拝聴しました。
いちおう、この題と副題とで募集をとっております。

さあ、来週の本番めざして、いまから修正とまとめをします。
本番は違う方が聴講にくるのですが受講予定者の上限は20名。
もうすこしでも、落ち着いて、誰にでも分かりやすく語れますように。

昨日は、あれから昼寝して、3時過ぎに枝や草刈をしました。
夕飯はビールを飲んですぐに寝ました。

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考えばえがする世の中。

2024-08-19 | 地域
昨日は日曜日でしたので、
8月21日の震災講座練習日の案内パンフをコピーして
近場の顔見知りの方に配る。といっても忙しそうで、
いないところはポストへ投函しておく。約20名の方に。
さてっと、数人でも来て下されば。バンザイ。

あと2日。資料作りを励むことにします。
地元の震災記録ですので、まずは地元の方に知っていただきたい。

そうすると、思い浮かぶのは、寺田寅彦の言葉でした。

「昔の日本人は子孫のことを多少でも考えない人は少なかったようである。
 それは実際いくらか考えばえがする世の中であったからかもしれない。」

寺田寅彦の「津波と人間」にある文句です。
さらに言葉はつづきます。

「・・困ったことには『自然』は過去の習慣に忠実である。
 地震や津波は・・・がんこに、保守的に執念深くやって来るのである。

 ・・科学の法則とは畢竟『自然の記憶の覚え書き』である。
 自然ほど伝統に忠実なものはないのである。・・ 」


はい。きちんと記録されている関東大震災の記述から、
その「 『自然』は過去の習慣に忠実である 」ことを踏まえながら、
もう一度、見直して、そこで多くを削って資料づくりをしてみます。

うん。資料つくりは後2日。
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伝えたいことの列挙。

2024-08-17 | 地域
〇 海岸隆起
  今年の能登地震の石川県輪島市黒島海岸の港近辺の隆起写真。
  関東大震災の館山湾の隆起の回想。鷹の島近辺についての写真。
  そこから、元禄地震のころの汀線(波打ち際)の状況をふりかえる。

〇 関東大震災の各町村の被害状況の比較図を頭に置いておく。
  活断層が、地震により同じ個所でまた繰り返される可能性を念頭に。
  その貴重な「安房郡震災被害状況図」を忘れずに示しておく。

〇 各町村の被害状況の数値一覧表を、
  分かりやすい表にしたもので引用しておく。
  ( 「安房震災誌」に載るのは漢数字だったり、手書きだったり )
  同じものでも、読みにくいかもしれないので、
  元資料は「安房震災誌」であっても、新しい一覧表にしたものを載せる。

〇 M7以上の地震が、関東大震災ではどのような頻度だったのかを
  武村雅之著「関東大震災がつくった東京」から図と共に示す。

〇 関東大震災の余震頻度を、
  吉村昭著「関東大震災」から引用して、毎日の余震に
  見舞われていたことを明確にしておく。

〇 安政の地震について、『安房震災誌』に安房郡にはその頃の資料が
  なかったこと、それに比して関東大震災の安房郡には資料があること。
  ( 郡長制度が、大正12年に廃止となり、大正15年まで残部整理と
   して存続されていた状態にあり、その最後の年に安房震災誌発行 )
  資料として記録をとる。後世に残すこと。後世がそれを活用すること。

〇 直接に直下地震を体験した記録として、回想を列挙しておく。


とりあえずは、練習日に以上の事を忘れずに指摘しておけるように
資料をまとめておきます。はい。まとめるのは苦手で、
いつものように、前日ぎりぎりになるかもしれない。

とりあえず、来週の8月21日は、練習日なので
安房郡長・大橋高四郎までは、とても言及できないだろうなあ。


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