ちょうど、曽野綾子著「心に迫るパウロの言葉」(海竜社)と
蓮井秀義著「シベリヤの月 わが捕虜記」(かもがわ出版)と
同時に読んでいたせいか。2冊をむすびつけたくなります。
「・・・神が見えもせず、沈黙している、というところにこそ、
初めて人間が見えざるものへの忠誠を尽くす、
という信仰の証しがなり立つのであって、
神が野球のアンパイヤのように、即刻、
私たちの行為がストライクかボールか、判断する、
ということになったら、人間は
神のご機嫌をとるためだけに行動するようになる。 」
( p33 「心に迫るパウロの言葉」 )
蓮井秀義氏は、シベリヤ抑留のあとに、移動し、
「ナホトカの引揚者ラーゲルに入る。」という場面があるのでした。
「ナホトカには大きな収容所が二か所あった。
先ず第一収容所に入って引き揚げの訓練を受け、
引揚船に乗る直前に第二収容所に入るとのことであった。」(p142~)
このあとに、続く蓮井さんの短歌を並べてみます。
入党誓約者
一日も早くと帰国思う身に
入党せずば帰さずと言う
入党の誓約書かく
帰りたいただ帰りたい心ひとつに
「 日本新聞 」
日本はあらゆるものが悪くして
この国(ソ連)のものはすべてよろしと
この国の捕虜になったを感謝して決議文だす日本の捕虜は
人間はかよわきものよ捕(つか)まった捕虜は
捕(とら)えた国を讃える
つるし上げ
いけにえを壇上に上げまわりから嵐の如く罵声あびせる
一番の言いたいことは言えぬなりつるし上げする人中に潜めり
土下座して両手を合わせて帰してと大の男の泣き叫ぶ声
二度目の帰還命令
待ちに待った帰還命令来(きた)れども
残る少しの人に我なる
ナホトカに行くは帰ると決まりたるものにあらねば我は急がず
終りに、再度「心に迫るパウロの言葉」から引用することに。
「・・人々から一せいに糾弾されようとも、
神に対して全く無罪だということもある。
この二重性が・・・もしこれが一重になると、
私は真理にではなく、世論に阿(おもね)り、
世間を納得させることに全力をあげねばならなくなる。・・ 」(p41)