徳岡孝夫著「舌づくし」を、あちこち摘み食いみたいに拾い読みして、さて、あとは、未読の箇所を、パラパラと探し読み。すると、「夏の夕べの『太郎坊』」と題する一文を、まだ読んでなかった。読み始めると、ああ、そうそうと思いあたるのでした。
雑誌「諸君!」2007年10月号の特集に
永久保存版「私の血となり、肉となった、この三冊」という特集がありました。脇にちいさく「読み巧者108人の『オールタイム・ベスト3』」とあります。そこに徳岡孝夫氏が並べていた3冊というのが、
鴨長明『方丈記』
森鴎外『渋江抽斎』
幸田露伴『太郎坊』
その『太郎坊』について、徳岡氏は
「三十分あれば読める短編小説だが、読めば死ぬまで忘れないだろう。主人(あるじ)と細君とあるだけで、登場人物には名すらない。ある夏の夕方、晩酌の間に起きる出来事・・・」
『舌づくし』には、その「太郎坊」の内容を丁寧に紹介しております。
そこいらをすこし引用。
「いまから百年ほど前の夏の夕方、男は仕事から帰るとまず着替え、尻端折(しりはしょ)りして裸足で庭に出、木に打ち水をした。暮れてゆく空に、コウモリがひらひら舞っていた。・・・台所からはコトコトと音がする。・・やがて打ち水が終わった。主人は足を洗って下駄をはく。ひとわたり生気の甦った庭を眺め」
こうして手拭いとシャボンと湯銭を持って銭湯へ
「彼はじきに茹で蛸になって帰ってくる。・・掃除の済んだ縁側には、花ござが敷いてある。腰かけて煙草に火をつけ、一服する。・・・縁側のほどよい位置に吊るした岐阜提灯が、やわらかい光を投げている。夏の夕方は、ゆっくり暮れてゆく。庭の桐の木やヒバの葉からは、さっき打った水が滴り落ちている。微風が庭を渡る。
細君は黒塗りの小さいお膳を持って出て、夫の前に置く。出雲焼の燗徳利と猪口が一つ、肴はありふれた鯵の塩焼だが、穂蓼をちょっと添えたのが女房の心意気というところだろう。細君は酌をしながら言う。『さぞお疲労(くたびれ)でしたろう』・・・」
ここで私が思い浮かんだのは、1983年の文藝春秋臨時増刊「向田邦子ふたたび」でした。そこに山口瞳氏が「向田邦子は戦友だった」という文があり、その最後の方に、こうあったのでした。
「しかし、向田邦子にはわかっていないこともたくさんあった。・・・・
『宅次は勤めが終ると真直ぐうちへ帰り、縁側に坐って一服やりながら庭を眺めるのが毎日のきまりになっていた。』(かわうそ)というのもおかしい。会社から家まで一時間半。田舎の町役場に勤めているならいざしらず、ふつう、小心者の文書課長である夫は暗くなってから帰宅するはずである。
『あら、そう・・・』どのときも彼女は笑って聞き流していた。」(p10)
ここにある宅次の「毎日のきまり」というのは、
「太郎坊」の「主人(あるじ)」と同じではないか。
徳岡孝夫氏は「舌づくし」のなかで、幸田露伴の「太郎坊」を「私が深く愛する作品である」(p127)と書いておりました。
雑誌「諸君!」2007年10月号の特集に
永久保存版「私の血となり、肉となった、この三冊」という特集がありました。脇にちいさく「読み巧者108人の『オールタイム・ベスト3』」とあります。そこに徳岡孝夫氏が並べていた3冊というのが、
鴨長明『方丈記』
森鴎外『渋江抽斎』
幸田露伴『太郎坊』
その『太郎坊』について、徳岡氏は
「三十分あれば読める短編小説だが、読めば死ぬまで忘れないだろう。主人(あるじ)と細君とあるだけで、登場人物には名すらない。ある夏の夕方、晩酌の間に起きる出来事・・・」
『舌づくし』には、その「太郎坊」の内容を丁寧に紹介しております。
そこいらをすこし引用。
「いまから百年ほど前の夏の夕方、男は仕事から帰るとまず着替え、尻端折(しりはしょ)りして裸足で庭に出、木に打ち水をした。暮れてゆく空に、コウモリがひらひら舞っていた。・・・台所からはコトコトと音がする。・・やがて打ち水が終わった。主人は足を洗って下駄をはく。ひとわたり生気の甦った庭を眺め」
こうして手拭いとシャボンと湯銭を持って銭湯へ
「彼はじきに茹で蛸になって帰ってくる。・・掃除の済んだ縁側には、花ござが敷いてある。腰かけて煙草に火をつけ、一服する。・・・縁側のほどよい位置に吊るした岐阜提灯が、やわらかい光を投げている。夏の夕方は、ゆっくり暮れてゆく。庭の桐の木やヒバの葉からは、さっき打った水が滴り落ちている。微風が庭を渡る。
細君は黒塗りの小さいお膳を持って出て、夫の前に置く。出雲焼の燗徳利と猪口が一つ、肴はありふれた鯵の塩焼だが、穂蓼をちょっと添えたのが女房の心意気というところだろう。細君は酌をしながら言う。『さぞお疲労(くたびれ)でしたろう』・・・」
ここで私が思い浮かんだのは、1983年の文藝春秋臨時増刊「向田邦子ふたたび」でした。そこに山口瞳氏が「向田邦子は戦友だった」という文があり、その最後の方に、こうあったのでした。
「しかし、向田邦子にはわかっていないこともたくさんあった。・・・・
『宅次は勤めが終ると真直ぐうちへ帰り、縁側に坐って一服やりながら庭を眺めるのが毎日のきまりになっていた。』(かわうそ)というのもおかしい。会社から家まで一時間半。田舎の町役場に勤めているならいざしらず、ふつう、小心者の文書課長である夫は暗くなってから帰宅するはずである。
『あら、そう・・・』どのときも彼女は笑って聞き流していた。」(p10)
ここにある宅次の「毎日のきまり」というのは、
「太郎坊」の「主人(あるじ)」と同じではないか。
徳岡孝夫氏は「舌づくし」のなかで、幸田露伴の「太郎坊」を「私が深く愛する作品である」(p127)と書いておりました。